カテゴリー

  • くいしんぼうの日記
    好きな食べ物、美味しかったものやお店を紹介します。
  • こころを育てる
    教育全般について感じていることや考えていることを紹介します。
  • ことばのちから
    本や雑誌、TV、講演など、人や情報との出会いでよかったことを紹介します。
  • つれづれ音楽記
    大好きな音楽、聞いてよかった音楽、出会ってよかった音楽などを紹介します。
  • 人をつなぐ
    教育の仕事を進めるにあたっての人とのかかわりについて思いをつづります。
  • 今を生きる
    一日一日の出来事やそのことを通して考えたことなどを紹介します。
  • 仲間とともに
    全空知音楽科教育連盟の取り組みや研究を紹介します。
  • 授業に使えそう!
    音楽科はもちろん他教科のこと、授業実践や教材、考えなどを紹介します。
  • 音楽科教育を読む
    音楽科教育の動向を紹介します。
無料ブログはココログ

音符カーソル

トップページ | 2008年3月 »

2008年2月の28件の記事

会議に向けて

今日はPTAの「卒業を祝う会」の会議で疲れましたdown。帰ってきて何気なくブログのデザイン集を見ていたところ「リラックマ」が目につき・・・。あまりにもかわいらしくて心が和むので、ついつい自分のブログのデザインにしてしまいました。いいオヤジが!と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが・・・smile。ちなみに、ブログを開く度にデザインが変わるんですよ!風呂に入ったり、花をくわえたり・・・。

さて、会議というのはいろんな思いや考えを持った方々が多数参加します。同じ思いや考えの人、全く違う人、ちょっと近いかなあという人・・・参加した人数だけ様々です。その中で自分の思いや考えを伝え合い、一つの目標に向かって進めていくのが会議だと思うのです。方法は一人ひとり違うかもしれないけれども、目指す方向を一つにすることはできるはずです。ただ、残念ながら自分の思いや考えの通りにならないと腹を立てる方がいます。全く人の思いや考えは受け付けない。思い入れの深さや強さはわかるのですが、自分の考えを一方的に押しつけてばかりというのはどうでしょうか。終いには、「私の考えが通らないのであれば協力できません。」と捨て台詞を残して帰ってしまう・・・。人間性を否定しているのではなく、意見が違うだけなのにね。自分の思う通りにならないからと投げ出してすむくらい簡単なことはありません。何とかみんなが納得いく方法はないかとみんなで考え、悩まないと一つの結論なんて出せるはずがありません。

これから全道音研の取り組みが本格的に始まります。いろんな思いや考えのぶつかり合いも出てくるでしょう。そんな時でも投げ出したりせず、よりよい方向をめざしてみんなで考え、悩みませんか?「無理、できるわけない」とあきらめたり捨てたりせず、「こうしたらよくなるかも!」と一歩でも踏み出していきませんか?

ああ、龍馬

私の住む浦臼は坂本龍馬と縁のある土地です。まず、「坂本龍馬家」の墓があります。なぜ、坂本家ではなくて「坂本龍馬家」とわざわざ名付けているかわかりますか?龍馬が暗殺されてから数年後、大政奉還を進め明治維新に大きく貢献した龍馬の名前を残すために朝廷が命令したからです。龍馬には子どもがいなかったので甥が養子となって「坂本龍馬」の名前を後世に残すこととなりました。その養子の妻と子どもが浦臼に移り住み、浦臼のお墓に眠っています。

今年の冬休み、体重が増え続けていた私は「散歩」を決意しました。その散歩の途中、偶然にも「坂本龍馬家の墓」を見つけたのです!これは何かの縁と、昔から読んでみたかった司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を全8巻買ってきました。その本も残すところ15ページとなりました。大政奉還という大仕事を成し遂げ、京都の近江屋で暗殺されるところです。後から見ると、暗殺される原因を作ってしまっているなあ・・・と感じます。乱世の世の中に龍馬を誕生させたのも天の考え。そして、大きな仕事(天の意)を成し遂げた龍馬をこの世から奪ったのも天の考え。まるで大仕事をやり遂げるのを待っていたかのように天に召してしまいます。考えれば考えるほど、何か人間よりも大きな存在の何かが操っているとしか思えません。だからこそ、自分のできることを精一杯やり尽くすことが大切なのでしょう。「竜馬がゆく」を読んで新しい世界が開けたような気がします。何か大変で困難なことがあっても乗り越えていけそうな気がします。よい本に出会えたと思います。それも、私の体重が増えたせいでしょうsign02余力を残しておいて、新しいものと出会う時間を保証することの大切さ。そうでなければ自分を成長させることはできません。

さて、次は「カラマーゾフの兄弟」を読もうかな。お金を貯めなくちゃ!

指導の空回り

教師の方としては一生懸命やっているのに子どもたちにその思いが伝わらない・・・そんなことってよくありますよね。修学旅行の自主研修の取り組みに関して昔こんなことがありました。

初めて行く土地だから子どもが困るだろうと、寝る時間も惜しんで一生懸命に自主研修場所の資料づくりに取り組む教師。ガイドブックやインターネットを駆使してオススメの見学地や食堂を細かく調べプリントにまとめました。その力作のプリントをもとに説明をしたのですが・・・。最初は子どもたちも一生懸命聞いていましたが、そのうちに飽きてきたのか机に伏せってしまう子どもが数人。とうとう「せっかくお前たちのためを思って夜遅くまでかかって作ってきたのになんだその態度は!話を聞け!」と怒ってしまいました。それに対して反発する子どもたち。この子どもたちが悪いのか、それとも教師が悪いのか・・・。

その先生曰く、オススメの見学地を調べているときはすごく楽しかったそうです。あんなところもある、こんなところもある、と。実はここに原因があると私は考えます。子どもたちに反発した理由を聞くと「自分たちで調べてみたかった」と言うのです!知らない土地のことをあれこれと調べること・・・教師が楽しかったのですから、子どもたちにとっても楽しい活動となるはずですよね。よかれと思ってやったこととはいえ、子どもたちにとって一番楽しい部分をその先生は取ってしまっていたのです。自分の調べたことを伝えようと必死に説明しても、人から聞いているだけではつまらないですよね。どのように進めていけばよいのかというやり方や方向を示した後は、子どもたちの手にゆだねてみてはどうでしょう(説明を短くして、活動時間を保証する)。活動させていく中で、修正しなければいけないところや助言が必要なところは適切に教師側で指導する。自分たちの手で調べていった方が楽しいし、何よりも子どもたちの力となります。ただし、やらせっぱなし、まかせっぱなしはダメだけど。(大きい学校では無理ですかね・・・時間がかかるし・・・)

ラ・ボエーム

「好きなオペラを一曲あげてください」と言われたらみなさんはどのオペラを選ぶでしょうか?私は迷うことなく、プッチーニ作曲「ラ・ボエーム」です(昔々、「にしあつならワーグナーって言うと思った」と言われましたが・・・なぜ?ブーレーズ指揮、シェロー演出の「二ーベルングの指輪は大好きですけど)。ロドルフォとミミの出会いのシーン、その後歌われる「私の名はミミ」。この曲を耳にしたとたん、体中に電流が走り抜けます。頭のてっぺんまでしびれます。多感な中学生だからこそ、この場面を鑑賞させます。ほんのちょっとの出会いが人生を変える大きな出会いってありますよね?それをおじさんが熱く語るわけですheart01。若い時だからこそ経験できることってたくさんありますから・・・。「私の名はミミ」の楽譜を手にしたときはうれしくてうれしくて、自分でピアノ伴奏を弾きながら、すっかりミミの気持ちに浸りきって歌ってしまいました(私はバスなんですがdown)。

演奏は、「カラヤン指揮、フレー二独唱」もいいですが、「クライバー指揮、コトルバス独唱」の映像が私のお気に入りです。テンポの揺れが激しいにもかかわらず、ぴったりと独唱者につけるクライバー、何とも気品の漂うオーケストラの響き、コトルバスの表情豊かな独唱・・・虜になってしまいます。当然、人によって好き嫌いはありますがね。CDでは「トスカニーニ指揮、アルバネーゼ」のもの。「私の名はミミ」の時によほど大好きな曲なのかトスカニーニが大きな声で歌っており、まるで二重唱のように聞こえますcoldsweats01。ですが、指揮者がどう旋律を捉えているかがよくわかります。

そして、授業は扱うときにはここで終わらせません。「ラ・ボエーム」を現代のアメリカに舞台を移した「RENT」というミュージカルを見せます。エイズという現代社会の問題に焦点を当てながら、それと同時に自分たちの夢を大切にひたむきに生きる若者たちの姿が感動を呼びます。レンタルDVDもあるので、ぜひ見てみてください。ラストシーンの別バージョンが感動的らしいのですが、レンタルDVDには残念ながら入っていません。

ラヴェンダーの咲く庭で

いや~、今日は冷えに冷えましたtyphoon。目に見えない冷たいエネルギーが、床から足の裏を伝わってnote。グランドの方に目をやると風紋があちこちにできていて、荒涼とした大地が目の前に広がっています。そんな光景を見ていて頭の中に鳴り響いいたのはシベリウス作曲「ヴァイオリン協奏曲」の第1楽章。なぜに真冬の冬の厳しさを思い起こさせるのでしょう?和声?管弦楽法?旋律?・・・きっとその情景を思い起こさせる何かがあるはずです。それをわかった上で作曲したら似たような曲ができるのかなあ?

そんなことを考えているときに、もう一曲思い浮かんだのが「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」。そう!あの浅田真央選手がショートプログラムで使っている曲です。取り返すことのできない過去に想いをはせているような郷愁と情熱の入り混じった曲。心を揺さぶるような旋律がいいんですよ。最初聞いたときから大好きな曲となりました。この曲を知ってからは、浅田真央選手の出場する大会は見逃さないように細心の注意を払ってきましたnotes。曲の諸要素をしっかりと聴き取ったうえで、自分の心の中で感じたことをフィギュアスケートという身体表現で表情豊かに観衆に訴えかける浅田真央選手。曲のすばらしさもありますが、あの演技があってこその感動だと勝手に思っています。授業でも曲を聴かせ、感じたことと気づいたことを簡単に交流させてから浅田真央選手の映像を見せています。なかなかいいですよ。

さて、肝心の曲ですが・・・最初は誰の曲なのかわからなくて探しに探しました。作曲者はナイジェル・ヘス。実は「ラヴェンダーの咲く庭で」という映画のラストの方で全曲がかかる曲だったのです。ここまできたらマニアックですかねcoldsweats01?その映画も実際に借りてきてきて見たのですが、静けさとしっとりさがあるいい映画でした。内容を紹介しようと思いましたが、興味のある方はきっとレンタルビデオ屋やインターネットで検索すると思うので。その方が楽しさが増しますよね?それにしても!!シベリウスのヴァイオリン協奏曲の出だしと似ているのに何で思い浮かべる情景が違うんだろ?

分析的?一曲丸ごと?

今から16年前のこと。小学校5年生の鑑賞の授業で小山清茂作曲「管弦楽の木挽き歌」をやることになった先生がいました。当然、教材の分析から取り組みます。家に帰ってからはもちろん、通勤(30分)の車の中でも暇さえあればこの曲を聴いていたそうです。

ここでチェロの独奏が入る、民謡風の旋律だな、お寺の鐘のような音がする、太鼓のリズムがおもしろい、フルートが都会的・・・「あんな音もある、こんな音もある」、分析的に聴けば聴くほど次から次へとこの曲の特徴がわかり、それがおもしろくて曲にのめり込みました。「これを子どもに聴き取らせたい。どんな発見をしてくれるかな。」授業のアイディアはどんどんふくらんでいきます。ところがある日、その曲を聴きたくなくなってしまいました。曲を聴いて楽しんだり、感動しているのではなく、曲の部分部分の特徴をひたすら聴き取っているだけということに気づいてしまい、分析的に聴くことに疲れてしまったそうです。一つのクラスでは教師側で聴かせるポイントを決め、部分部分を繰り返し繰り返し聴かせるという方法を試みました。最初は「先生こんな音が聞こえてきたよ」「先生ここにはこんな音があったよ」と子どもたちは目を輝かせて曲の特徴を発表したりワークシートに記入したりしていました。ところが、ポイントとなる特徴を発見してしまうと急に興ざめしたようなつまらなそうな表情になる。曲の特徴を発見したよろこびや楽しさを味わったものの、曲そのものに感動したりしているようには見えなかったと。その先生は最終的に、場面場面の曲を丸ごと子どもたちに聞かせ、こちらからポイントを示すのではなく子どもたちに発見させる方法を採りました。一人ひとり発見してきた特徴は違ったものの、最終的にそれぞれの発見を交流し、まとめることにより、曲を味わって聞く段階でも音楽に最後まで集中する子どもの姿を見ることができました。

音楽の聴き方がわからない時や長い曲を聴かせる時には、ポイントを示して諸要素を感じ取らせるなど、曲を分析的に聴かせて聴き方を深めさせることが有効となるでしょう。ですが、最終的には楽曲を丸ごと一曲聴いて自分の気に入ったところを見つけ、その理由を諸要素を基に考えさせ、相手に伝えることによって価値観の拡大につなげていくことを目指したいと考えます。作曲家は部分部分を聴いてほしくて作曲しているわけではありません。曲の最初から最後までの全体の構成を考え、一曲を通して聴くことにより美しさや感動を味わうことができるよう作曲していると思うのです。分析的に聴くこと、一曲丸ごと聴くこと、そのバランスを考えた指導方法が大切ですね。

仲間って最高!

昨日はすごい吹雪でしたね!風が強くあちこちに吹きだまりができ、浦臼の役場は風で屋根が飛び、奈井江までの道路は閉鎖となってしまいました・・・。こんな日に出かけるなんて無謀なことなのかもしれませんhappy02。でも、飲みに行っちゃったんですよね~snow。昔の同僚と約束してたもので・・・。一人は一校目の、もう一人は2校目の同僚です。その組み合わせも不思議でしょ?

でも、行ってよかったです。言わないと何も変わらないからおかしいことにはおかしいと言い続ける、人を大事にする、子どものためを第一に考える、人に優しくする・・・。教育に全身全霊を傾けて頑張る仲間から刺激を受けてきました。それぞれ考え方が違って「そうそう」ということにはならないのですが、だからこそ楽しいし、また会いたくなるのです。若いときのあの熱い気持ちをずっと持ち続けようっと。二人のように豪快さと人間としての幅の広さを私も身につけることができたら・・・。私は本当に仲間にも恵まれています。「そんな仲間たちに支えられて今の自分があるんだなあ」、なんて一人で感動しているところです。生モツ、そして「南」というお酒がおいしかったなあ・・・beer。音連でもこんな機会を持ちたいです。

出会いの大切さ

2月18日に植松電機の専務、カムイスペースワークスの植松努さんの講演会を開きました。たまたま聞いた講演がすばらしく、「私が担任している中学3年生にぜひ聞かせたい!!」とお願いしたところ、「子どもたちのために」とわざわざ時間をつくって下さったのです。どんな内容だったかは次の子どもたちの感想文から想像してみてください。

植松さんの話を聞いて「あ~そうだな~」と納得したり、おもしろくて笑ったり、とても楽しかったです。夢が実現してその仕事ができることは、毎日が楽しく、幸せだと思いました。でも、私は今、夢がありません。昔はなりたいことややってみたいことがいっぱいあったのに・・・。でも!!これから夢を見つけていきたいと思います!!そして、それが実現できるように頑張ります。私は、植松さんの母が言った「思うは招く」という言葉に心打たれました。何かを思えば招いてくれるということは、夢だって強く願えばかなうんだ、だから、あきらめないことが大事なんだと思いました。

植松さんの講演を聞いて今まで「無理」だと思っていたことができるかもしれないと思えるようになりました。私の夢は、薬剤師とかツアーコンダクターとか、あまり好きじゃないけど、それなりになれそうなものを夢にしていました。やりたいこととかなりたいものは他にもたくさんあったけど、たぶん無理だと思ってあきらめていました。でも、頑張ってやりたいことができるようになりたいと思いました。植松さんのお話を聞いて、なんだか元気が出ました。

植松さんの話にすごい感動しましたっ!!納得もさせられました。大学に行ったからといって就職できるわけでも、自立できるわけでもないんですね。今までの自分の感覚では、大学へ行けば就職できて一人で食っていけるんだ、なんて思っていました。でも、大学も中学や高校と同じで勉強する場所でしかないんだなあと思いました。何となくでそんなところにいったら損しますよね!いろいろと。いま、高校受験に向けて勉強していますが、植松さんのお話を聞いて自分の視野の狭さを思い知らされました。夢とかはぼんやりとしかないんですが、とりあえず今はいろいろなことをやったり、いろんな人とかかわって自分を磨きたいです。

夢を追い続けている人は周りの人をも巻き込むんですね。植松努さんしかり、山本徹淨さんしかり・・・・一人でも自分の考えに賛同してくれる人が出てくれればと講演をしているのだそうです。きっかけは一人の虐待された子どもとの出会いだったとか。その子を救うには「お金で援助するのがよいのだろうか、ひきとって一緒に暮らすのがよいのだろうか」と悩んだそうです。その結果、「社会を変えなきゃいけない!」の結論に達し、大人や社会を変えるために努力しているとの話でした。私と植松さんが出会えたのも本当の偶然。神や仏が引き合わせてくれたのだと思います。そして、その出会いによって私の担任している子どもたちがいろんなことを考えてくれています。出会いに感謝です!

OP.111

「OP.111って何の作品番号ですか?」と質問されることが多くなったので・・・。この作品番号はベートヴェン作曲ピアノソナタ第32番ハ短調のものです。そう、ベートーヴェンの最後のピアノソナタ。私が音楽の道に進むことになったきっかけの曲です。この曲に出会わなければ今の私はありません。

小学6年生の夏、あまりにも音楽の成績が悪い私にピアノを習わせる決意をした母。音楽好きの母にしてみれば、息子の音楽の成績が悪いことが許せなかったのでしょう。無理矢理習わされたピアノですから練習はしないし、レッスンもさぼって遊びに出かける始末。それでも、ピアノの先生(高校の音楽の先生でした)は熱く音楽のすばらしさを語ります。そんな時に学校で「運命」を聞かせてもらいました。それがすばらしくて、すぐベートーヴェンの伝記を読んだ記憶があります。そして1月。お年玉を手に札幌の「そごう(今のビックカメラ)」のレコード店へと行きました。伝記で知ったベートーヴェンの最後のピアノソナタのレコードを買いに。どれも高かったのですが、1枚だけ900円の廉価版があり、それを購入することに決めました。ピアニストはイーヴ・ナットというフランスの人です(かなりすごいピアニストであるということを大学の時に知りました。)。32番、30番、31番の順に収められていて当然32番から聞き始めると・・・いきなりのフォルテッシモ。「これぞベートーヴェン」と子どもながらに感激していました。そして第二楽章。「なんだこれは!ベートヴェンがこんな音楽を書くのか?」とすごく衝撃を受け、聞いていくうちにこの曲の虜になってしまいました。トリルの中から浮かび上がってくる旋律がすごく印象的だったのです。こうなるともう黙っていられません。バイエルの前半しか習っていないにもかかわらず、ベートーヴェンの32番のソナタの楽譜を買いに隣町の深川まで出かけたのです。めあての楽譜を見付けたときの感動と言ったら!失神するかと思うくらいでした。そこから楽譜の研究です。知らない音符や休符がいっぱい、ペダル記号だってあるし、トリルだって読み方も演奏方法も知りませんでした。それをピアノの先生のところに持っていって質問すると先生は馬鹿にもせず、ていねいに教えてくれるのです。「この曲を目標にピアノを頑張ってみようか」なんて言ってくれたものですからうれしくてうれしくて仕方ありませんでした。「いつかは弾ける」・・・32番のソナタを弾くことが私の夢となりました。ベートヴェンやピアノソナタに関する本をそのピアノの先生に借りたり、図書館から借りてきたり、変な小学校6年生だと思いますよね?そうするうちにベートヴェン以外の作曲家を知るようになり、FMを通してたくさんの音楽を聞き、解説本もたくさん頭にはいるわけですから、学校の成績が悪くても音楽鑑賞に必要な知識はかなり頭の中に入ったと言えます。好きで始めたことが今の自分の人生を支えていると言えます。もし、あのときに「おまえには無理だから。無駄だからやめとけ。」なんていわれていたら今の自分はなかったかもしれません。

32番のソナタですが、ことある度に練習してみたもののうまく弾けず・・・。年月ばかりが経ってしまいました。ところが!2年前、何気なく第二楽章をひいてみたところ何とかなりそうな感じがしました。ちょっとずつ練習してみると結構いける。チャンスとばかりに練習を重ね、今は何とか最後まで通るようになりました。あれから30年です。これから第一楽章に取り組もうと計画しているところです。そんな思い入れのある曲です。もっと書きたいのですがタイムリミットになったのでまた次に。

夢?仕事?・・・全道音研に向けて

「夢」とは、大好きなこと、やりたいこと。「仕事」とは、社会に役立つこと。勉強、お金、学歴、仕事・・・これらは「やりたいこと、大好きなこと」を実現するための手段です。

海外でも有名な自動車会社の幹部がこのような発言をしています。「最近のうちの社員は・・・入社するにはテストの点数が高くないといけないのでいわゆる五教科の知識はあるが道具を扱えない。賃金の高いところに就職することばかりを考えて入社してくるので自動車に愛情を持っていない。こんな状態だから、よりよいものを作ろう、さらによいものにしようという気持ちが出てこない。今のままでは走っている最中に分解してしまう車が出てくるかもしれません。」、これが今の日本の現状と言えるでしょう。正直、怖いです。

これを教師に当てはめてみるとどうでしょうか?子どものこと、自分の教科のこと、教えるということ・・・大好きで大好きでやっているでしょうか?お金のため、働くところがなかったから、食うために・・・。私たち教師は労働者であるのも事実です。ですが、子どもたちのために何かよりよいものを、音楽科教育を子どもたちのためにもっとよりよいものにしたい、大好きなもののためにはそんな気持ちがわいてくると思うのです。大好きな子どもたちのため、大好きな音楽のため・・・。これから始まる全道音研の取り組み。仕事と考えるのではなく、大好きなことのためにやってみませんか?やらされていることほどつらいことはありません。やらされている人、他の人が創りあげたものを教えてもらおうとする人には記憶だけしか残りません。でも、取り組みに一生懸命携わった人には、いろんな人とのつながり、次の研究へのつながりなど、お金で買えないたくさんのかけがえのないものが残ります。「私には無理、どうせやったって、大変そうだから」・・・そう言わずに、大好きなもののためにやってみませんか?一歩を踏み出してみませんか?

旅立ちの日に

音楽科の教師にとって一番つらい季節でもあり、やっていてよかったと実感できる季節が来ました。何がつらいって、子どもたちの歌っている表情を見ると涙が止まらなくなって我慢するのに一苦労するからですweep。この間まで反発していたけどこの子なりに卒業を実感しているんだなあ、自分が困っているときに優しい言葉をかけてくれたなあ・・・なんて一人ひとりの思い出がよみがえってきます。そこに過去の子どもたちの姿も重なってくるからです。やってよかったと思えるのは、一生懸命心を尽くしたことに対して必ず子どもたちは応えてくれるからです。そのつながりを確認できる季節。ほんのわずかでもそれが伝わってくると最高に幸せな気分になります。途中のいろんな出来事などがあって「なんでわかってくれないんだ!もういいや!」と子どもたちを見限ろうとした自分がすごく恥ずかしくもなります。それじゃあダメだと子どもたちが教えてくれると言うことですかね。教えているつもりが、実は教えられているということなのでしょうshine。出会いに感謝です。

さて、昨日も涙の授業でした。音取り、パート練習を終え、初めて「旅立ちの日」を合わせてみました。春の光がキラリと光るような響きの第1音。その音が響いたとたんに子どもたちの雰囲気が変わります。卒業式当日のことを考えているのかな?その感情の揺れの後に流れ出す単純な和音。ホッとするような安心感が生まれ、今の自分の感情を表現し尽くしても許されるような気持ちへと切り替わる瞬間です。間奏部では3年間のそれぞれの思い出を思い返しているかのような表情。そして、最後に曲調が変わり、あの直接的な内容の歌詞。直接的すぎて日常歌うには照れが出てしまう。この時期だからこそ、これまで一緒に生活してきた仲間に直接伝えあうことができる歌詞。歌い終えた後の静かな時間。いつまでもいつまでもこの時間が続いてほしいという願いのためか、ピアノの最後の一音が消え去るまで集中する子どもたち。子どもたちを見て指揮するなんてできませんでした。一人ひとりの顔を見たとたんに自分がどうなってしまうかはわかっているので・・・。前奏が長い、間奏が長い、後奏が長い、間延びするので速く演奏する・・・なんて声も聞いたことがありますが、私は一度もそんなことを感じたことがありません。みなさんはどうですか?

もう一曲、子どもたちに聞かせる曲があります。一青窈さんの「あこるでぃおん」という曲のロングバージョンです。いろんな思いをはち切れんばかりに抱え込んでいる中学生の心境をよく表した曲だと思います。この曲を聞きながら、これまでの自分をふりかえりその子どもなりに様々な思いを巡らせている様子がすごく伝わってきます。そんな子どもたちに感想を求めるなんて野暮ですよね?

自信のない社会

「ブログの更新大変ですね」と言われますが、実は楽しくて楽しくて仕方ないのです。書きたいことが山ほどあって頭の中のことを吐き出すスピードに手の方がついていっていない状態です。取り組む時間は一日30分以内と決めているので、、それが楽しく感じられる理由かもしれません。さて、私は中学校3年生を担任しているのですが、自分の経験からこんなことを話しました。

他人からの評価(他者評価)を「自己評価にしないでほしい。たとえば、喫煙や飲酒。それをすることによって15歳の自分があたかも大人の仲間入りをしたように周りの人が見てくれることを期待する。つまり「誰かにこう見てほしい」という気持ちの表れ何じゃないだろうか?「俺はこんなにすごいことができるんだ」「俺は誰よりも大人なんだ」・・・。本当に自分に自信があれば、背伸びして大人のようにに見せなくたって堂々と今の自分をさらけだして生きていけるじゃないか、と。

そして、自信のない人は・・・①自分以下の存在をつくる。そうしないと自分の立場が危ういから。その人を馬鹿にし、痛めつけることによって周りに自分の優位性をアピールする。実力がないのでそれしか自分を優位に見せる方法がないから。本当は、いつ自分がやられるのかとびくびくしているのに。②他人や社会を見下す。あいつは俺よりも本当はできないんだ、社会が俺のよさに気づかないんだ、と自分の力のなさを周りのせいにする。③自分を肯定してくれる人とだけ友達になる。だって、少しでも批判されたら自分の存在を全否定されたような気持ちになって自信をなくしてしまうから。あなたが一番です、あなたの考えはすばらしい、と常に賞賛されていないと自信が保てないから。

どうですか?みなさんの職場とか周りにはこんな実態はないですか?こうなってしまうと、努力している人を「抜け駆け」とか「卑怯」とか言って認めようとしない社会が生まれてしまいます。自信がない社会は唯一を否定します。子どもたちにはこんな人にならないようにと言っています。ですが、私たち大人にも役割があります。それは、子どもたちが出て行く社会をこんな自信のない社会にしないようにしていくことです。

学力って、なに?

「テストの点数がとれる力」、「生きていくのに必要な力」、「読み・書き・そろばん」、「すべての教科の勉強を成立させるのに共通して必要な力」・・・「学力って何?」と聞かれてみなさんならどう答えますか?私は次の三つで捉えるようにしています。

①学んだ力・・・基礎的・基本的学習内容がこれにあたります。学習を通して自分の力として身についた知識や技能のことです。「習得」がこれにあたり、「わかる」段階と捉えることも可能かと思います。

②学ぶ力・・・学んだ力をもとに、自分の力で応用させていくことがこれにあたります。思考力・判断力のことです。「活用」がこれにあたり、「できる」段階と捉えることも可能かと思います。

③学ぼうとする力・・・学んだ力や学ぶ力を常に支え続ける、、学習してみよう、もっと学習したいという気持ちがこれにあたります。興味・関心・意欲のことです。「探究」がこれにあたり、「わかちあう」段階と捉えることも可能かと思います。

これからの教育のキーワードと全道音研空知大会の大会主題と絡めてまとめてみました。解釈にはまだまだ議論しなければならない点があると思います。意見を聞かせてください。

さて、この三つの学力はどれも大切なものだと思います。この中で、「学んだ力」は点数としての現在の値、過去の値という側面があり、その点のみ注目されがちです。ここにこだわるあまり、「学力=知識の量」というあまりにも狭い見方「点数至上主義」を世間に呼び起こす結果となってしまっています。変化できる能力、今よりどれだけ学べるかという「未来の可能性の価値」の方こそ大切にされるべきではないでしょうか?子どもたちが自分の可能性を求め続けるための「学力」、すてきだと思いませんか?その意味で、私は「学ぶ力」と「学ぼうとする力」をもっともっと重視したいのですが・・・。

全道音研から学んだこと

前回の北海道音楽研究大会岩見沢大会の取り組みを通して、たくさんのことを学びました。少しずつ少しずつ紹介します。

①「やったことのないことを恐れないこと」・・・前回の大会の時まで全道音研の運営なんてやったこともなかったし、全空知音楽教育連盟にも所属していなかったし・・・。何もわからず、初めてのことだらけ。「やったことがないのだからできなくて当然、失敗して当然。あるがままの自分で頑張ってみよう」そう思うと気持ちが急に楽になりました。やってみて、失敗して、そこからさらによくなるように頑張ればいいや!なんて思っていたのですが、あまりにも楽天的でしたかねcoldsweats01?「やったことがないから」「知らないから」をできない理由にしたくなかったのでとにかく夢中で取り組みました。わけもわからず一歩を踏み出すと、何となく次が見えてきて・・・。さらに一歩を進めると何をしなくてはいけないかが見えてきて・・・。その繰り返しでした。とりあえず一歩を踏み出すことって大切です。「やったことがないこと」「できないこと」の中に自分を成長させるチャンスがあることをこの時に知りました。人生はすべてやったことがないことだらけ。だって、たった一回の人生でしょ?一回しか経験していないことばかり。だからこそ、やったことがないからできませんなんて言っていたらダメ!「できるわけないよ」「無理!」は思考を停止させてしまいます。「どうしたらもっとよくなるかな。」と考え続けることが自分を成長させてくれます。

②「状態の悪いままあきらめてはいけない」・・・うまくいかないまま、状態が悪いまま投げ出すと悪い記憶ばかりが残ります。ところがeye!よくなるまで努力し続けるとその過程での悪いことが笑い話になってしまいます。「あんなこともあったよな、ハハハ」なんて。今がよければ過去は大切なものに思えるのですから不思議です。「あの失敗や悪いことがあったからこそこの成功があるんだよな。」と充実感を持って話できるようになります。

③「夢中でやっているとなぜか人が集まってくる」・・・私は本当に幸せな人間です。のめり込んで、わけもわからず夢中になって何かに取り組んでいると必ず手を貸してくれる仲間が出てきます。一人、二人、三人・・・と(きっと心配で見ていられなくなって助けずにはいられなくなった方もたくさんいたはず・・・)。夢中でやり続けていると、考えの同じ人が必ず出てきます。信じてやってみましょう。

全てを求めていませんか?

「私、子どもに嫌われてると思うんですけど。」と、ある先生からの相談。「どうして?」と聞き返すと「授業をまじめに受けてくれないし、乱暴な言葉を使ったりして反発するし。なんだか授業に行くのが嫌になって。」とつらそうに語ります。「全員がその状態?」と聞くと「いえ、4人なんですけど・・・」。「他の子は?」、「問題意識を持って注意してくれる子どもや私を励ましてくれる子ども、そして傍観的な子どももいます・・・」。「あのさあ、それって自然な状態じゃない?先生のことを好きな子どももいれば嫌いな子どももいる。そしてどちらとも思っていない子ども。全員が先生のことを好きになったりしたらそれは不自然だし、恐ろしいことじゃない?」と伝えるとハッとしたような表情をしていました。

世の中にはいろんな人がいて、様々な好みや価値観を持っています。自分がよいと思っていることが必ずしも全員にあてはまるなんてことはまずありません。一生懸命授業で教えたからと言って、すべての子どもがその教科を大好きになり、目を輝かせて授業に参加することは滅多にないのではないでしょうか?逆に、一つの価値観で統一された子どもたちの姿は恐ろしいと思うのですが・・・。それなのに、私たちはついつい全てを求めてしまいます。「すべての子どもが好きになってくれるように」「すべての子どもが楽しんでくれるように」「すべての子どもに身につけさせたい」「教えたことをすべて身につけてほしい」・・・目標にすることはいいと思うけど、相手に完全を求めると自分自身がつらくならない?一人でもできない子どもがいると、「何でやってくれないんだ。」「何でできないんだ。」と。

音楽の授業を見ても、好きな子ども、嫌いな子ども、どちらにもあてはまらない子ども。いろんな子どもがいる。それが自然な状態。好きな子どもの割合が多いと授業に活気が出てくるだろうし、嫌いな子どもの割合が多いと授業は何となく沈んだ雰囲気になる。音楽を好きな子どもがより自分の能力を伸ばそうと真剣に取り組んでくれたり、嫌いな子どもがある曲に興味を持ってくれたり、一生懸命教えているはずなのにのってくれなかったり、思っていた反応と全く違っていたり・・・。子どもたちの姿や変化、成長に私たちは一喜一憂し、どうしたら音楽の楽しみを伝えられるだろうと思いを巡らせます。「明日こそはいい授業をしよう。」と。そこにこそ、教師の楽しさ、魅力があるんじゃないかな?自分のやっていることに何の疑問を持つこともなくついてきてくれる子ども、楽かもしれないけれどもそんな変化のない日々ってつまらないんじゃないかなあ?そうは言っても、たまにつらいときもあるけどね。

大会主題の方向性

中教審答申のことを書いたとたん、次の学習指導要領案が出ました・・・何というタイミングのよさでしょう。さて、学習指導要領ですが、日本全国どこに行っても同じ学習内容を身に付けることができるという基準性を持っています。ですが、最初に指導要領ありきではないと考えます。子どもの実態を全く無視して、いかに学習指導要領に書かれていることを子どもに教え、身につけさせるかだけに熱心になることは避けたいものです。学習指導要領という服があって、その服のサイズに子どもを合うように育てるのではありません。子どものサイズに合わせて学習指導要領という服を合わせていくのではないでしょうか?

教育の流れを見ると、「習得」「活用」「探究」というサイクルがキーワードとなりそうです。全道音研空知大会の大会主題を検討するにあたってこのサイクルと「わかる、できる、わかちあう」を関連させることも考えられそうです。みなさんの空知みんなの思いを持ち寄って大会主題を創りあげるのですが、現在私が考えている方向を述べます。みなさんの考えを聞かせてください。私一人の力では何も出来ませんので・・・。

「わかる」・・・基礎的・基本的な学習内容の確実な定着をめざした段階。つまり、表現と鑑賞という二つの領域の学習を成立させるためにに必要な知識や技能を「習得」する段階。「共通事項」を身につける段階と言ってもいいかもしれません。

「できる」・・・わかる段階で習得した学習内容、知識や技能を用いて問題解決していく「活用」の段階。音楽に対する自分なりの思いを生かして演奏するとか、音楽を聴いていて気づいたり、感じたりしたことを自分なりの表現でまとめるとか・・・。

「わかちあう」・・・伝えあい、認めあうことで「音楽を求め続ける」段階。自分で課題を設定し自分で追究していくことはもちろん、仲間とともに磨きあいながらさらに自分の学習を深めていく「探究」の段階。

この3つの段階を大切にしながら、達成して満足してしまうのではなく、よりよい音楽を求めて自分を向上させていく子どもの姿を副主題にかかげてみてはどうかと考えています。みなさんと意見を交わしながら大会主題をつくる日が楽しみです。

学び続ける子どもを

アユちゃん、さすがです。いいところに気づいてくれてありがとう。そうなんです!自分で課題を見つけてはどんどん力を伸ばしていく子ども、さらに自分を向上させようと学び続ける子ども。こういう子どもたちは大丈夫だと思うのです。しかし、仲間や教師の支援を受け、せっかく「わかる、できる」ようになっても、そこからさらに自分を向上させることができない、させようとしない子ども。この子どもたちにこそもっと教育の視点を当てたいですよね。

違う教科でこんな例がありました。小テストをしたところあまりにもできが悪い。これからの学習にもかかわりが深い大切なところなので、何とか学習内容を定着させようと再テストを行うことにしました。平均点に達しなかった子どもには「平均点をとること」を、平均点を超えている子どもには「100点を取ること」をという目標をそれぞれに与えて。ところが、次のような反発がありました。前者からは「何回やったってできるようにならないんだから無駄だ。一回やればもういい。」、後者からは「私たちはすでに平均点を超えているのだから、100点を取るまでさらにやる必要はない。不公平だ。」と。どちらも自分たちのためになることなのに、勉強をしたり努力をするのが損といった雰囲気がありありと伝わってきたそうです。なぜ、再テストが必要かを説明しても納得してもらえず、目標を教師から与えたのがまずかったかもと自己目標点を考えさせてから取り組ませてもものすごく低い目標点を平然と書いてくる。

どうしたら学び続ける子どもを育成することができるのでしょう?再来年度岩見沢で行われる全道音研空知大会では、ここら辺が課題となるのかもしれません。つまり、「わかる、できる、わかちあう」の次です。「自ら音楽を求め続ける子ども」をどう育てていくかと言うことです。次回はこのことを書こうと思っています。せっかくやるのですから、みなさんの悩みを出し合い、自分たちがやってよかったと思える取り組みにしましょう!

伝記の効用

キュリー夫人、ベートーヴェン、野口英世、エジソン・・・子どもの頃にたくさんの偉人と言われる人々の伝記を読んだ記憶があります。次々に読んでは、「ふ~ん、こんな生き方をした人たちだったんだ。すごいなあ。」とその生き方に感動したり、こんな人間になれたらなあ。」と自分の生き方の目標として考えたり、子どもながらに様々な思いを巡らせたものです。

そして大人になった今、その伝記で知り合った偉人たちが私の生き方をしっかりと支えてくれています。苦境をどう乗り切ったのか、失敗した原因は何だったのか・・・自分に何か困ったことなどがあるとそのたくさんの偉人たちに相談します。その時に何を考え、どう行動し、どう生き抜いていったかという「生きるヒント」を。全く先の見えていなかったことに希望が見えたり、ここを乗り切れば大丈夫という勇気をもらったり、人からのアドバイスを大切にしなさいと忠告をしてくれたり・・・。みなさんはどうですか?現在、私が相談しているのは「坂本龍馬」ですsign03

中教審答申③

前回に続き、今回は中学校分の紹介です。

○「共通事項」については小学校と同様の考え方となっています。

○「創作」。当初、「作曲」で提案されていたものです。音のつながり方を試しながら短い旋律を作ったり、音素材を選びまとまりを工夫して音楽を作ったりするなど、音を音楽に構成することを重視しています。

○鑑賞への「批評の導入」。全空知音連でかなり取り組んできた部分です。音楽に関する言葉を用いながら、音楽に対して、生徒が根拠をもって自分なりに批評する能力の育成がねらいです。

○「伝統的な歌唱や日本の自然や四季、文化、日本語の美しさを味わうことのできる歌曲の重視」。和楽器の指導ももちろんです。

○「合唱や合奏など全員で一つの音楽を作っていく体験を通して、表現したいイメージを伝えあったり、協同する喜びを感じたりする指導の重視」。

○「音楽文化への関心」。音楽文化の多様性を理解する、音環境への関心を高める、音や音楽が生活に果たす役割を考えたりするなど、音楽と生活や社会とのかかわりを実感できるように指導する。

○表現領域(「歌唱」、「器楽」、「創作」)、鑑賞領域、共通事項で構成される。

エルガー「チェロ協奏曲」

イギリスの作曲家エルガーの「チェロ協奏曲」を知っていますか?哀愁と悲哀のにじむ響き、瞑想にふけっているかと思えば激しく慟哭する旋律・・・大きく心動かされる曲で大好きな曲の一つです。今までは、ジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、ダニエル・バレンボイムの指揮によるCDを聞いていました。第1楽章冒頭の声高々に悲劇性を訴えかけるフォルテッシモが胸に響いてくるすばらしい演奏です。チェロが鳴りきっているような感じで若々しさを私は感じていました。デュ・プレ、25歳の時の演奏。同時収録された映像も持っていますが、これもなかなかのものです。

そして先日、同じくジャクリーヌ・デュ・プレのチェロ、ジョン・バルビローリの指揮による同曲の演奏を発見し、どうしても気になって買ってしまいました。さっそく聞いて演奏のすばらしさにびっくり!!、叫びたい気持ちを抑え込み、心の中で激しく苦悶するような悲痛な響きの第1楽章冒頭のフォルテッシモ。陰影に富んだ旋律。強弱の表情が細かく、うねって生きている感じ。響きにもどことなく気品があふれ・・・。録音データを見てびっくり。なんとデュ・プレ、20歳の時の演奏。聞いた感じでは、こっちの方が円熟度を増した演奏に聞こえるのに・・・。指揮者の違いなのかなあ。同じCDに収められているディーリアスの「チェロ協奏曲」も静けさにあふれたすばらしい曲ですよ!

中教審答申②

改善の具体的事項の重点を紹介します。今回は小学校分のみです。

○「共通事項」の導入(小学校、中学校とも)。表現や鑑賞の活動に共通した内容のもの。現指導要領の「構造的側面」「感性的側面」「諸要素」がこれにあたります。音楽の諸要素を軸にした学習内容の明確な授業づくりへの転換がますます大切になってきます。

○「音楽づくり」・・・今までは「創作」となっていたものです。効果音や擬音づくりに終わるのではなく、身近な音に耳を傾けたり様々な音を探したりしながら、音を音楽へと構成していく。

○「鑑賞」における諸要素や音楽のしくみの聴き取り。これまでの中学校の実践が大いに参考となることでしょう。表現領域との指導内容の関連を明確にする、とも言っています。

○歌唱共通教材、唱歌や民謡、郷土に伝わるうたの一層の充実。我が国の音楽鑑賞教材については中学年より扱う。

○斉唱や簡単な合唱・合奏など全員で一つの音楽を創りあげていく体験を通し、協同する喜びを感じられる指導を重視する。音楽学習が生活とかかわりのあるものとなるように、身のまわりの音や音楽に親しませる。

○表現領域(「歌唱」、「器楽」、「音楽づくり」)、鑑賞領域、共通事項、という構成になります。

勝ち組、負け組

登校してくる女子のカバンがいつもより多い!そう、今日はバレンタインデーheart04。それにしても、その量といったら・・・時間をかけて作ったんだろうなあ・・・。

掃除の時間、後ろ姿に悲哀を感じさせる男子が一人。「どうした?何か悩み事か?」と声をかけても返事がなくションボリ。4時間目の時はあんなに元気だったのに。片やもう一人の男子はハイテンション。「何か手伝うことない?」と今まで口にしたことのない言葉を連発し、一生懸命掃除に励む。「一体彼らに何があったんだ???」と原因を探る先生方。

実はこの二人、同じ女子が好きで・・・。前者はチョコをもらえずheart03、後者はチョコをもらったheart01だけ。おそるべし!チョコ。二人の男子の意欲をここまで変えてしまうとは!チョコ一つとはいえ、「勝ち組」と「負け組」のこの大きな違い!そして、なんと罪作りな日!!二人にとっては運命を左右する日だったんだなあ。前者の君、きっと明日はいいことあるよ。

ところで、「義理チョコ」と言って女子に笑われましたangry。今は「友チョコ」と言うのだとか・・・。どっちでもいいけど、昔は好きな人にこそっとあげていたよなあ・・・。

中教審答申①

1月17日、中央教育審議会の答申が発表されました。おそらく、ほぼこの内容をもとに学習指導要領が作成されることでしょう。この内容を読むことはこれからの日本の教育の方向性を知ることにつながります。音楽科教育について、その内容を3回にわけて見てみましょう。今回は「改善の基本方針」の紹介です。

○音楽のよさや楽しさを感じるとともに、思いや意図をもって表現したり味わって聴いたりする力を育成する。音楽と生活とのかかわりに関心を持って、生涯にわたり音楽文化に親しむ態度を育む。

各学校段階の内容の連続性に配慮する。歌唱、器楽、創作、鑑賞ごとに指導内容を示す。音楽に関する用語や記号を音楽活動と関連づけながら理解させる。表現と鑑賞の活動の支えとなる指導内容を〔共通事項〕として示し、音や音楽を知覚し、そのよさや特質を感じ取り、思考・判断する力の育成を重視する。

○創作活動は、音楽をつくる楽しさを体験させる観点から、小学校では〔音楽づくり〕、中学校では〔創作〕として示す

○鑑賞活動は、音楽の面白さや、美しさを感じ取ることができるようにするとともに、根拠をもって自分なりに批評することのできるような力の育成を図る。

○我が国の音楽文化に愛着をもつとともに他国の音楽文化を尊重する態度等を養う観点から、学校や学年の段階に応じ、我が国や郷土の伝統音楽の指導が一層充実して行われるようにする。

実力があるって・・・

昨日、「リンカーン」というTV番組で「B級珍グルメ」というコーナーをやっていました。カップ焼きそばをフレンチソースにつけたり、饅頭をお茶漬けにしたり、焼いた玉うどんにジャムを塗ったり・・・。そう、意外な組み合わせの料理を紹介し、それを3人の審査員が食べて判定を下すという内容です。審査員の一人に、料理の鉄人で有名なフランス料理の坂井シェフが出演していました。

他の審査員と違い、坂井シェフは料理を食べてから批評するという姿勢に徹していました。食べる前の見た目だけで判断しないところは、さすが一流の料理人です。さらに、食べた後、ただ批評するだけでなく、どうすればその料理がよくなるかを具体的に、しかもわかりやすくワンポイント的にアドヴァイスしていました。味噌汁にカステラを入れた料理を食べた後、「カステラを焼いてから入れたらおいしさが増しますよ」という具合に・・・。

何か悪い点を指摘したり批評したりすることができる・・・確かにすごい実力を持った人だと思います。でも、もっとすごい人は、この坂井シェフのようにどうすればさらによくなるかを相手が納得できるようにアドヴァイスできる人なんじゃないかと思いました。その人の持っている能力をさらに伸ばしてあげる、それが大切なことであると。

子どもの願い

授業には参加しているけれども、全くやる気を見せない。机に突っ伏したまま顔を上げず、教科書は準備されていないか開かれないまま・・・。当然、課題が出ても取り組もうとしない。見るに見かねて教師が注意をすると、「うるさい」「関係ない」「必要ない」「黙れ」・・・の暴言、反発、ふてくされた態度。

そんな子どもたちがこんなことをつぶやく、「俺はばかだから・・・」

この言葉が胸を打つ。この子どもたちだって「本当はわかるように、できるようになりたいんだ」って。かっこわるいところを周りの仲間に見せられないしプライドもあるもの、素直に「わからない」と言えないし。何を言っているのか理解できない授業でも、じっと我慢して机に座っているんだもの、つらいはず。どこに不満をぶつけていいかわからないからあんな言動をしたりするんだよなあ。その子どもたちの精一杯の抵抗。本当に怖いのは無反応、そして無視。

見過ごすわけにはいかないから注意もする。一人で悩まずに職員みんなで問題を共通化しなきゃ。ダメなことはダメと伝えなきゃ!でも、子どもたちの声にも耳を傾けてみよう。語り合うことって大切。一人ひとりになると意外に本音を語ってくれる。「それなら少しはやる気を見せてくれよ!」って思っちゃうこともしばしばだけど・・・。

子どもの論理、大人(教師)の論理

「わかった、できた」という喜びや楽しさが「次も頑張ろう」という意欲につながる・・・達成感が学習の意欲を高めるために大切ということには誰もが賛成することでしょう。子どもたちが楽しさや喜びを感じながら学習内容を達成できることを願って、興味・関心を持つと予想される課題を設定したり、活動を工夫したり、教師は様々な工夫を凝らします。

その教師の努力を知ってか知らずか、残念ながら次のような子どもが増えてきているような気がします。「簡単にできそう」と思えることには一生懸命取り組むのに、「自分には無理かも」と感じる部分がちょっとでもあると投げやりになり、あきらめ、全く取り組もうとしない。みなさんが学校で目の前にしている子どもたちはどうですか?これはおもしろいのだからと、一生懸命にそのおもしろさを教師が伝えようとする。でも、教師が一生懸命であればあるほど、子どもたちが引いていくのがわかる。「どうしてこのおもしろさがわからないんだろう。自分はこんなに一生懸命子どもたちのことを思っておもしろさを伝えようとしているのに・・・」と悩み落ち込んでしまう。「このおもしろさがわからないのは、この子どもたちがダメだからだ」なんてついついそんな気持ちにもなってしまいますよね。

「これはおもしろいから興味を持って取り組むだろう」との予想を大きく覆され、子どもたちが興味・関心を全く示さない。「これは難しいからおもしろくないだろうな」と覚悟をして授業に臨んだのに、意外にも子どもたちがおもしろさを感じている。教師がおもしろいと感じているのに子どもたちにはそのよさがわからなかったり、子どもたちがおもしろいと感じているのに教師にはそのよさがわからなかったり。教師と子どもたちの思いってなかなか一致しないものですよね。だからこそ!一度子どもたちの目線で、子どもたちの考え方や感じ方を受けとめてみてはどうでしょうか。それまで教師がわからなかった魅力やよさ、を発見することができるかもしれません。(ただ、何でもかんでも子どもたちのいうがままというのは違うと思いますが。)教師よりも経験年数の少ない子どもたちの感じ方の方が新鮮な場合があって、ハッとさせられることも結構ありますよ!

書くこと、話すこと

本を読んだり、テレビを見たり、インターネットで検索したり、人の話を聞いたり・・・私たちはたくさんの情報をいろんな形で手に入れ、知識として頭の中に蓄えています。その頭の中に蓄えたたくさんの知識を書いたり、話したりと形にして表現してみることをおすすめします。(私の今までの経験から・・・。)         

その理由は・・・
①今の自分の状態を客観的に知ることができます。
「あれ、何も書けない」・・・頭の中ではわかっているのに、話をしたり、書いたりしようと思うと言葉には詰まるし文章が思いつかず出てこない。時間ばかりが過ぎ去り、イライラが募ることってありますよね。話をしたり、書いたりすることによって、まだ確実に自分のものになっていない部分を把握したり、自分に足りないものは何なのか、何を勉強しなければならないのかを知ることができます。
②表現し、伝える力を磨くことが出来ます。
「本当はこれを伝えたいのに」・・・。人に伝えようとするけど、自分の頭の中で考えている通りに伝わらず、もどかしさを感じることってけっこうありますよね。相手に伝えよう、わかってもらおうとする時には自分の持っている知識や能力を総動員します。そして、相手に理解してもらえるよう違う言葉はないかを考えたり、より伝わりやすい表現方法を模索したり、わかりやすい表現方法へ発展させようと努力したりします。書いたり、話したりする場面を多くすることにより、自分の表現の能力に磨きをかけることができます。

書いたり、話したりすることは時間がかかるし、なかなか大変なことです。が、大いに言葉で伝え、語りあいましょう。人とのつながりを大切にするために、自分に磨きをかけるために。              

ごあいさつ

当ブログにアクセスして下さり、ありがとうございます。

このブログは、全空知音楽教育連盟会員、そして私たちと考えを同じくする仲間たちが日頃の悩みや音楽科教育への思い、研究の経過、指導方法、教材などを交流する場です。

ベートヴェン作曲の「ミサ・ソレムニス OP.123」の「Kyrie」冒頭に、作曲者自身が書き記した「Vom Herzen - Möge es wieder zu Herzen gehen “心より出ず、願わくば再び心に至らんことを”」という言葉があります。『心より心へ』というブログ名はこの言葉から名付けました。自分の心に生じた感動が相手の心に伝わり、より広がりのある感動として鳴り響く。そして、その感動が再び自分の心に返ってきて一層深まりを増していく。一人ひとりの心に生じた感動をわかちあい、伝えあうことにより、たくさんの人の心に響き渡る感動へと高まっていく。心と心のつながり、感動の響き合い、まさに、私たちが理想として追い求めている「共感」という段階のことを表した言葉だと思います。

同じ音楽科教育に携わっている者同士とはいえ、一人ひとり、生き方や考え方、指導方法や得意分野、子どもへの迫り方はそれぞれ違います。しかし、「子どもにとっての音楽を大切にする」という思いは共通できるはずです。このブログを通して、お互いの考えを伝え合い、認め合い、人と人との出会いやつながりの大切さをかみしめながら、子どもたちのために教師である私たち自身が成長していけるきっかけとなることを願っています。

トップページ | 2008年3月 »

夢街

  • 日の出
    それぞれの街にはそれぞれの魅力があります。 通りかかったときに目に飛び込んでくる風景。 心に残る瞬間瞬間を写真に残してみました。

ぽちっと!

  • ポチっとよろしく!

twitter

ペットうさぎ専門ウェブサイト「うさぎといっしょ」 うさぎブログペット