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音符カーソル

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2008年4月の32件の記事

「青ひげ公の城」

バルトークのオペラ「青ひげ公の城」を知っていますか?
私はブーレーズ指揮のCDを持っているので音で聞いたことはあるものの、映像で見たことがありません。
昔、ショルティ指揮のLD(レーザーディスク)が出ていたのですが買いそびれてしまい、そうこうしているうちに廃盤になってしまいましたdown
DVDが普及し、いつ発売になるかと待っていたのですが、来月発売されることがわかり気持ちがウキウキしていますsun
見たくて見たくて仕方なかった映像なのです。
変わり者に思われるかもしれませんが・・・。

登場人物は、青ひげ公とユディットという女性の二人。
それにプロローグを語る役が一人。
あとはオーケストラというオペラです。

暗く陰鬱な雰囲気の青ひげ公の城に連れてこられたユディット。
もちろん妻として、そして暗い雰囲気が漂うお城を明るくするという使命感を持って。
不安な気持ちはあるものの青ひげ公を思う気持ちから引き返すことはありません。
そこに7つの閉ざされた門が現れます。
好奇心から中を見たいと青ひげにお願いするユディット。
青ひげ公が「扉を開けるのはやめよう」と止めるのも聞かず・・・。
一つひとつ、扉が開かれていくと・・・。
第一の扉「拷問の部屋」
第二の扉「兵器庫」
第三の扉「宝物庫」
第四の扉「花園」
第五の扉「広大な領地」
第六の扉「涙の湖」
第七の扉「三人の死んだ妻たち」
その度に不安と恐怖で変化していくユディットの心。
最後の第七の扉を開けたとき彼女の運命は決まってしまいます。
第一の妻は夜明け、第二の妻は真昼、第三の妻は夕暮れ。
そして、ユディットは真夜中に出会った女として扉に封じ込められてしまいます。

バルトークは自分が結婚するときにこのオペラを書いたとか。
この作品は最初の妻に捧げられているものの、その妻に対する束縛はかなりのものだったそうです。
オペラで宣言していたということですかね?
「青ひげ公」のモデルとなった人物やもともとの話はあまりにも残酷でここには書けません。
本当の話は、妻と女性の部分が子どもとなっています・・・。

音楽的にはすごくよくできたオペラです。
ちょっと高めのDVDですが今から楽しみです。
見たことのある人がうらやましいです・・・。

静けさの中の重々しさ

「夕凪の街」「桜の国」という漫画を知っていますか?
広島の原爆のその後を扱った漫画です。
60数年前の出来事であり、その土地からも時代からも離れて暮らしている私たちにとってはすでに終わった過去の出来事のように思えてしまいます。
でも・・・実はまだ終わってはいません。
今を生きる人々にとっても大きな傷跡を残しています。
そのことに気づかされる漫画です。
人間が人間を傷つけることは絶対許されるものではありません。
理由はどうであれ、やはり戦争はおろかです。
紹介されて読んだのですが、そうでないときっと読むことはなかったと思います。
本当に出会いはありがたいもので、感謝です。
おどろおどろしい絵が描かれているわけではなく、大きな声で非難するのでもなく・・・。
だからこそと言っていいかもしれません。
静かに静かに心に染み渡り、ただひたすら胸にじ~んと響いてきます。
何とも言えない悲しみと怒りがこみ上げてきます。
しかし、それは拳を振り上げてのものではありません。
静かに静かにです。
すばらしい演奏を聞いたあとのような、言葉の出てこない、拍手することも忘れて静けさに浸っている・・・そんな状況に似ている気がします。
よく戦争反対の気持ちをこめて絵を描かせるときに悲惨な状況、恐ろしい状況を描写させようとする方がいます。
それも意味あることだと思います。
ですが、私は花一輪を描いたっていいと思うのです。
そこに子どもがどれだけ平和を願って書いたかが大切だと考えるので。

この漫画は映画となりました。
さっそく私も借りてきました。
どのように描写しているのでしょう?
広島の悲惨さはいくら忠実に描写したからといって表現しきれるものではないと思います。
反対に忠実に描写すればするほど嘘の出来事のようになるんじゃないかと・・・。
言葉や絵では伝えきれないものがあまりにも多すぎる気がするのです。
きっと私たちの心に静かに訴え、私たち一人ひとりがそれぞれ思い浮かべることによって気持ちが揺さぶられるような方法がとられているのではないでしょうか。
言葉で表現するのが失礼なのですが・・・機会があればぜひ読んでください。
映画も。

失礼な表現等がありましたらご容赦ください。

共通事項の一考察

新学習指導要領案に〔共通事項〕なるものが新設されていることはご存じだと思います。

小学校(第5・6学年)では・・・
ア 音楽を形づくっているようそのうち次の(ア)及び(イ)を聴き取り、それらの働きが生み出すよさや面白さ、美しさを感じ取こと。
(ア) 音色、リズム、速度、旋律、強弱、音の重なりや和声の響き、音階や調、拍の流れやフレーズなどの音楽を特徴付けている要素
(イ) 反復、問いと答え、変化、音楽の縦と横の関係などの音楽のしくみ
イ 音符、休符、記号や音楽にかかわる用語について、音楽活動を通して理解すること。
とあります。
アでは、次の二つのことが述べられているのでしょう。
①音楽の諸要素(音楽を特徴付けている要素と音楽のしくみ)を聴き取る(分析的
空知では「気づいたこと」として音楽の構造的側面を聴き取ることとして整理し、提案してきたものです。
②諸要素の働きが生み出す音楽の全体的な像を感じ取る(総合的
空知では「感じたこと」として音楽の感性的側面を感じ取ることとして整理し、提案してきたものです。
イの音楽の記号や用語は「指導計画の作成と内容の取り扱い」で示されています。
新たに付点八分音符と十六分音符が加わっています。
実態としては、結構この音符を使っている曲を指導していますよね。

中学校(第1学年)では・・・
(1)「A表現」及び「B鑑賞」の指導を通して、次の事項を指導する。
ア 音色、リズム、速度、旋律、テクスチュア、強弱、形式、構成などの音楽を形づくっている要素や要素同士の関連を知覚し、それらの働きが生み出す特質や雰囲気を感受すること。
イ 音楽を形づくっている要素とそれらの働きを表す用語や記号などについて、音楽活動を通して理解すること。
アでは「知覚」と「感受」を区別して使っています(空知では整理済みですがね)。
知覚」とは・・・音楽の諸要素や要素同士の組み合わせや関連を聴き取る(分析的
空知では「気づいたこと」として音楽の構造的側面を聴き取ることとして整理し、提案してきたものです。
感受」とは・・・諸要素の働きが生み出す楽曲や演奏の全体的な像を全体的に感じ取る(総合的
空知では「感じたこと」として音楽の感性的側面を感じ取ることとして整理し、提案してきたものです。
現行の「和声を含む音と音とのかかわり」の代わりに使われている「テクスチュア」という言葉は、前々回の記事でも扱いましたが、和声的な音楽ばかりではなく、日本の音楽を含むさまざまな多声音楽にも対応できるようにということも考えられます。
また、イに述べられている用語や記号は「指導計画の作成と内容の取り扱い」で示されていますが、「間」や「序破急」といった伝統音楽の用語も出てきています。

このように解説はできるのですが・・・。
これをいざ子どもたちにどう指導していくのかというとかなり難しくなるんでしょうね。
心配なのは、要素に注目が行きすぎているということです。
すべて要素だけを追究する授業・・・
音楽学習、音楽活動がそれだけで構成される・・・
これはとても恐ろしいです。
そうならないようにしていかなきゃ。
今まで空知が解明してきたものを大切にしながら、さらにみんなで勉強していきましょう!
「感動」を大切に。

人とのかかわり

人と人とのかかわりから人間を分類すると、次の4つのパターンになるそうです。

①自分に対しても相手に対しても肯定的にとらえる。
②自分には肯定的だが、相手に対しては否定的にとらえる。
③自分には否定的だが、相手に対しては肯定的にとらえる。
④自分に対しても相手に対しても否定的にとらえる。

この中で一番やっかいと感じる人間はどれだと思いますか?
②のパターンの人間だそうです。
②のような人間が「自己中心的人間」、俗に言う「ジコチュウ」になるそうで・・・。
納得、納得。
と終わりたいところですが、人間誰もが持っているものですよね。
程度の問題ということもあるのかな・・・。
でも、たとえ自分が傷ついたとしても②のような人間にはなりたくないなあ、と思います。
みなさんはどうですか?

テクスチュア?

新学習指導要領案の中学校音楽科〔共通事項〕(1)アに次の文章があります。
“音色、リズム、速度、旋律、テクスチュア、強弱、形式、構成などの音楽を形づくっている要素や諸要素同士の関連を知覚し、それらの働きが生み出す特質や雰囲気を感受すこと。”
赤文字の部分が今回新たに加えられた要素です。

現行のものとくらべてみましょう(1学年で見ています)・・・
2 内容 A表現(1)
キ 音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い、形式なの働きを感じ取って工夫すること。
ク 速度や強弱の働きによる曲想の変化を感じ取って表現を工夫すること。
2 内容 B 鑑賞(1)
ア 音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い、形式などの働きとそれらによって生み出される楽曲の雰囲気や曲想の変化を感じ取って聴くこと。
イ 速度や強弱の働き及びそれらによって生み出される楽曲の雰囲気や曲想の変化を感じ取って聴くこと。

青い文字で示した通り、現行では「音色、リズム、旋律、和声を含む音と音とのかかわり合い、形式など」という構成要素と「強弱、速度」という表現要素の7つの要素で音楽を捉えようとしていました。
まあ、「など」という言葉が曲者ですがね・・・。
この、「など」を明確にしたかったのでしょうか?
でも、新になると7つ以上に増えているというか、妙に言葉が増えたような感じがしませんか?
現行のものでも十分に読み取れると思うのですが、新の方がより詳しく説明的になっているというか・・・。
誤解のないように受けとめて欲しい・・・、全国の誰が読んでも解釈にぶれがないようにしようとしているというか・・・。
詳しすぎて、かえってわかりずらくしてしまっているような気もするのですが、みなさんはどう感じますか?
現行の「和声を含む音と音とのかかわり合い」に相当する言葉として新の方では「テクスチュア」という言葉が使われています。

「テクスチュア」とは何でしょう?
何気なく使っていますが調べたことはありますか?

「Texture」とは・・・英語で、もともとは「織物、編み物、肌触り、歯ごたえ」という意味です。それが転じて「感触や質感」のことを指すようになりました。
音楽では・・・楽曲の全般的な響きや音の織り合わせ具合によって生み出される感触や質感の印象を指す。複数の旋律線が組み合わされている場合はポリフォニックなテクスチュア、和声中心に構成されている場合はホモフォニックなテクスチュア、というように使われます。イタリア語では「Tessitura」といい、テクスチュアと同じ意味の他に音域や声域という意味もあります。

私たちは「和声を含む音と音ととのかかわり合い」の中にテクスチュアの意味するところも含めて考えて指導していたと思うのですがどうですか?
なんだか言葉に踊らされているような感じがしてなりません。
言葉の意味するところであれこれと悩んで、子どもが置き去りになるのであれば何の意味もありません。
批判するところは批判し、受け入れるところは受け入れ、子どもたちを大切にした音楽科教育のあり方を考えていかなければならないですね。
その意味でも、みんなで勉強していきましょう!

向き合うということ

今日はドキリとする詩を読んでしまいました。
茨木のり子さんの詩です(この方について私はあまり知りません)。
偶然机の上に上がっているプリントに載っていて・・・。
逃げてはいけないんだなあ。
向き合って生きていかなくては・・・。
そんな気持ちになりました。

「自分の感受性くらい」

ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

だめなことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

年齢とともに自分の感受性が衰えていくのがわかります。
でも、自分の心にみずみずしさがないのに周りに潤いを与えていくことなんて不可能ですよね。
人とのかかわりは多いからこそ、自分の感受性をみずみずしく保っていく責任があると思うのです。
歳をとったとか、枯れてきたとか・・・そんなことで逃げていてはいかんなあ・・・とそんな気持ちになりました。
ずっしりと心に刺さる詩です。

掲示物づくり

今年は副担任なのですが、担任が家庭訪問のため学級に入る機会が増えています。
ありがたいことですshine
今日は教室に掲示する学級目標づくりの学活を任されました。
ワクワクしながら教室に入るとすでに作業が始まっています。
おお、すごいぞ!なんて思ってよくよく見てみると・・・集中しているのは数人。
あとは自分勝手に自分のやりたいことをやっているという感じ。
聞いてみると代表者でつくるとのこと。
「学級みんなの目標なんだからみんなで作ろうよ。この文字は自分が担当したんだ、って胸を張れるようにしてみたら?」というとのってきました。
担当する文字を決め、作業を分担して掲示物づくりが進みます。
学級目標のような全員にかかわる掲示物については学級全員で作製するのが大好きでいつもこの方法をとっています。
文字とかデザインに何らかの形で一人ひとりが参加できるように、そして制作にかかわったという証が残るように工夫します。
「みんなで一つのことをやるって久しぶりじゃない?みんなでやるって楽しいよね!自分たちの学級目標っていう感じがしない?」なんて声が聞こえてきてうれしくなりました。
1年生の時の担任の先生は子どもたちへの見本として教室に掲示する学級目標を自分の手で作っていました。
2年生になったら自分たちの手で作ることができるように、という願いをこめて。

ところが、デザインを決める段階になってこんな声が聞こえてきました。
「1年生の時の○○先生はこんな作り方をしていなかった」、と。
「1年生の時は先生が見本を見せてくれたんだよ。みんなはもう2年生。自分たちのアイディアで作ってみたら?たとえそれが納得のいかないものになったとしても来年がある。今年の反省を受けてさらによいものを作り上げればいいよ。」と私が言うとすぐに気持ちを切り替えてくれました。
1年生の時の担任の気持ちも伝わったのでしょう。
子どもたちの一生懸命さが伝わってきました。
これで無事に作業が進むのかと思ったら、一人ひとりがバラバラのイメージを持ったまま自分のやりたいように作業をやろうとします。
リーダーの話をしっかり聞けていないからです。
まずは、全員のイメージを一つにするところから始めました。
任せっぱなしにしておいたら、いったいどんな掲示物ができあがったのやら・・・sweat01

掲示物づくりにじっくり取り組む時間がないという小学校の先生の嘆きの声をよく聞きますが、放課後にゆとりがないのは中学校も同じです。
もっとじっくり取り組ませたいと思ってもその時間を確保するのが難しいです。
みんなでワイワイとああでもない、こうでもないとおしゃべりしながら取り組むことはすごく楽しいことです。
その活動を通して学級への所属意識が高まったりしていくのに・・・。
でも、嘆いてばかりはいられません。
限られた時間の中でそれぞれの子どもの持ち味を生かしてよりよいものを作り上げるよう計画的に、組織的に進めていくことが大切です。

さてさて、実はよいことばかりでもないのです。
目を離すと自分の世界に入ってしまう子どもが何人もいるのです。
スティック糊を回して遊んでいる子どもに「なにしているの?」と注意すると「糊が転がっていったので拾っただけです」と怒りながら言います。
当然のことをしているのになぜ注意するのか、といった感じです。
「糊を拾いに行ったのはわかった。でも、そのあと何をしているの?」と聞くと「遊んでいました」と答えますbomb
「みんな一生懸命やっているんだから、仕事に参加しようね(もっと恐い言い方ですがcoldsweats01)」と言うと「すみませんでした」と深々と謝り作業に取り組み始めます。
ところが!
5分もしないうちにまた遊び始めるので、また注意して・・・。
この繰り返しです。
学習したことがなかなか身につかないのかなあ。
強者たちが多くなりましたsweat02
怒ると緊張感が走り、突然みんな協力的になるんですがねhappy01

早い春・・・

雪の多い年かな・・・なんて思っていたらそれも2月まで。
3月からは暖かい日が続き、今は4月とは思えない陽気。
浦臼神社のカタクリとエゾエンゴサクも満開です。
写真のコーナーにアップしたので見てください。
カタクリの花も好きですが、私はエゾエンゴサクも大好きです。
そうそう、桜ももう咲いているんですよ。
本物の桜が咲き始めたので、ブログの背景も変えてみましたclover
似合わないですかね・・・。

今日は東京から音楽関係の業者の方が来ました。
学校で浦臼町のポスターを見るなり「どこにあるんですか」との質問。
場所を伝え、今はカタクリとエゾエンゴサクが咲いていることを教えました。
すぐに感激の電話がかかってきました。
カタクリもエゾエンゴサクも初めて見ると・・・。
「こんなにすばらしい場所があったんですね」と興奮気味でした。
感動を共有できてうれしかったです。
今週末まで見頃みたいです。
興味のある方はお立ち寄りください。
場所などがわからなければご一報を!

明日は雨だとか・・・。
雨の日のエゾエンゴサクもきれいだろうなあ・・・。
雨の日には雨の日の美しさがありますよね。

学習指導要領案への不安

小学校では2011年度、中学校では2012年度から実施される学習指導要領案が出されています。
噂によると、6月には全教員に配布されるとのこと。
文部科学省の考えを徹底しようというねらいなのか・・・。
それとも、広く意見を聞きたいということなのか・・・。
きっとみなさんも目を通していることでしょう。
新旧の比較表も教育芸術社のホームページからダウンロードできるので見てみるといいですよ。

いろいろと心配な要素があります。
ここではそれにちょっとだけふれておきます。

現行では、小学校の低学年はリズムに、中学年は旋律に、高学年は音の重なり合いや和声の響きに・・・というように目標に系統性と段階性がありました。
残念ながら、新しい案ではそれがなくなってしまっています。
子どもの発達段階を踏まえたよい目標だと私は思っていたのですが・・・。

そして、中学校では目標に「音楽文化についての理解を深め」という文言が付加されています。
時数は変わらないのです。
それなのに目標が増えた・・・(今までだって時間は足りなかったですよね?)。
共通事項には「間」や「序破急」なんて言葉も入ってきているし・・・。
消化できるのかなあ・・・。

みなさんはこの案を読んでどんな感想を持ちましたか?

生命が羽ばたくとき 2

実際に合唱指導をするときの流れみたいものを書きます。
合唱指導専門の先生が多い中で、つたない私の授業の流れを紹介するのはすごく恥ずかしいことです。
でも、何か参考になることがあればと考え、恥を忍んであえて書きます。
おおいに批判してください。
「生命が羽ばたくとき」の指導を念頭に書いています。
歌詞は人見敬子さんです。

歌詞を味わわせて表現の工夫に生かすことは、ある程度合唱が仕上がってから取り組むことが多いです。
そうでないと、自分のパートの音を歌うのが精一杯で歌詞を味わうところまでいかないからです。
合唱表現を深めさせる段階の指導としています。

合唱を仕上げるまでの流れは・・・
①曲を聞いて、どんな感じがしたかをプリントに記入し、それを交流することにより曲への思いをふくらませる(どんなことを訴えようとしている曲なのか、とか)。
②パート練習で自分のパートの旋律を覚える。
③それぞれのパート練習が仕上がってきたら、まず、ソプラノとアルトをあわせる練習に取り組む。(男子は音を覚えるのに時間がかかることが多いのでパート練習。)
④それぞれができあがってきたら合唱に向けての部分練習。男声と女声のかけ合いのところとか、休符のあとの入り方とか、合わせにくいところの練習。この部分は教師主導であってかまわないと考えます。口の開け方とか、歌い出す前の準備とか・・・教えてもらわないとわからない部分ですから(指導したことができているかどうかを評価する場面を設けることがあるかもしれません)。
⑤歌詞の内容を読んで、どんな風に歌ってみたいかを考えさせる。それを生かす歌い方を教師側で提示して子どもたちに選択させる(子どもたち自身の力で工夫できれば最高なのですが・・・ここは教師が技能を教えてよい部分と考えます。ただし、子どもの思いや感じたことを生かすように心がけて)。工夫させる要素は、表現要素(強弱と速度)が取り組みやすいです。

パート練習をやっている時に待っているパーとが出てきますよね。
自主的にパート練習に取り組ませるという方法もあります。
ですが、かなり指導が必要です。
まじめにやってくれればいいのですが、ちょっと目を離すと・・・。
多少のおふざけならいいんですがね。
教師が指導しているときと同じ気持ちでやれることは滅多にないと思うので。
これが難しいときには、プリントを準備して取り組ませておいてはどうでしょうか?
記号や音符のこと、歌詞からどんなことを思い浮かべるか、練習しているパートの感想、他のパートを聞いた感想・・・など。

ざっとこんな流れなんですが・・・。
言葉だけで説明するとわかりにくいですよね。
指導で困っている仲間もいると思うので、ぜひ、みなさんが指導で心がけていることを聞かせてください。
小学校の先生方はどんな指導をするのでしょう?

生命が羽ばたくとき 1

教育出版の中学音楽2・3上にのっている「生命が羽ばたくとき」の歌詞が大好きです。
小学校の教科書にもきっとすばらしい曲があることでしょう。
お互いにそんな曲を紹介しあったり、お互いの曲への思いを伝えあうことができたらすばらしいですよね。

夢見ることは 生きる力
未来の日々を 信じること
明日から 吹く風に
翼をひろげ 羽ばたこう 今
夕日追いかけて 夜をこえて
本当の自分さがす
夢見るために 夢見るために
生まれてきた

愛することは 生きる光
確かな生命 感じること
心へと 降る虹の
やさしさの意味を 分けあおう 今
同じ空の下 心つくし
この時をともに歩む
愛するために 愛するために
生まれてきた

『夢を見ること』『愛すること』、どちらも生きていく上で大切なことです。
それなのに今の社会の現状を考えると、その大切なものがないがしろにされているような気がしてなりません。
だからこそ、この曲の歌詞を子どもたちに味わわせたいのです。
『夢を見ること』『愛すること』を自分たちらどう考えるのか、を。
合唱に仕上げて終わりにはしたくないのです。

『夢を見ること』
私たち大人は子どもに夢を見ることをあきらめさせてはいませんか?
「お前には無理、」「やっても無駄」「できるわけない」・・・たくさんの冷たい言葉を浴びせて子どもたちの芽をつぶしていませんか?
大人はいろいろな経験をしています。
その地点から子どもたちのやること、考えることを見て失敗しないように安全な方向にばかり子どもを導いていく。
自分の子どもに失敗はさせたくないですものね。
でも、子どもが乗っているレールは本当にその子にとってやりたいことなのかな?
もしかしたら、あれもだめ、これもだめって言われて仕方なく残った道をただ何となく歩んでいるだけかもしれませんよね。
子どもたちには、あれもやってみたい、これもやってみたい・・幼稚園や小学校の小さいときに、いっぱいいっぱい夢を持ってもらいたいです。
たくさんある夢の中から一つ夢が叶うと生きていこうという希望が出てくるはずだと思うのですが・・・甘いですか?

『愛すること』
人間は人とかかわり合って自分を成長させていくことができます。
残念ながら、今は自信のない人たちが自分より立場の弱い人たちをつくったり、見つけたりしては痛めつけていることが多いような気がします。
一人の人間がまわりの一人ひとりを大切にすることによってやさしい社会を築きませんか?
「あいつのせいでこんな社会になっている」と誰かを批判する時間があるのであれば、まずは自分一人でできるところから行動してみてはどうでしょうか?
一人ひとりのほんの小さな努力で社会は変わっていくと思います。
今を生きる人たちがお互いを尊重し合うことによって、一人ひとりが大切にされ、そして自信を持って生きていくことのできる社会ができあがるような気がするのです・・・これも甘いですか?

「生命が羽ばたくとき」の歌詞を読んでいて以上のようなことを考えました。
みなさんはこの曲の歌詞からどんなことを考えますか?

作詞は人見敬子さんです。

第1回目の終了!

第1回目の研修会が終わりました。
前日の北海道音楽教育連盟総会後の懇親会でのお酒で声がつぶれたような感じでしたが・・・sweat01
楽しい雰囲気の飲み会だったので、ついつい飲み過ぎてしまいましたね。
「ウコンの力」が結構効きますよok
今度は空知音連のみなさんでこんな機会があればいいなあ、と思っています。

そんな中での研修会でした。
道に迷ってしまい、予定時間よりも遅れて到着してしまい、ちょっと焦りました。
今回の研修会の目的は会員のみなさんに「全道音研が近いんだ」という気持ちを持ってもらうことにあります。
本格的な研究はこのあとからです。
資料がたっぷりあって、きっとビックリ&ウンザリされた方も多かったことでしょう。
これから徐々に読み解いていきますので大切に保管しておいてください。
とにかく難しい話にならないことを心がけていたのですが・・・。
私のクセでやっぱりやらかしてしまいました。
でも、ちゃんとその場でアドヴァイスをくれる方がいたのでとても助かりました。
なるべく音源をたくさん使うように、実践例を織り交ぜるように心がけたのですがどうだったでしょう?
これまでの空知の研究の歩みが伝わったでしょうか?
これからの音楽科教育の方向性は見えたでしょうか?
みなさんのこれからの実践に役立つ内容はあったでしょうか?

それにしても、音江中学校の澤田さん、豊中学校の末松さん、峰延中学校の倉地さんの話はよかったですね。
学習会や公開授業を通して何を学んだのか、子どもがどのように変容していったのかなど、やった方でなければわからない感想が語られていました。
忙しい中みんなで集まって取り組んできた学習会ですが、本当にやってよかったと感じることができました。
本当にうれしかったです。
今日の研修会の内容は後日ここに載せます。
ゆっくり休んで明日からの子どもたちとの生活に備えましょう!
貴重な休日、遅くまで本当に本当にありがとうございました。

疲れた時の音楽

資料づくりなどで結構疲れました。
4月のこの時期は年度の始めということで結構やらなければならないことが重なりますから・・・。
疲れた時に聞くと心を癒されるCDがあります。
きっとみなさんにもそれぞれ自分なりのそんな音楽があることでしょう。
私の場合は・・・
シュテファン・フッソングというアコーディオン奏者が演奏するジョン・ケージの作品集です。
「ジョン・ケージ」って?
そう、あのジョン・ケージです。
第1楽章省略、第2楽章省略、第3楽章省略(ちゃんと楽譜も存在するのです)という楽譜のピアノ曲「4分33秒」で有名な作曲家です。
この作品集には、音と音とが重なり合っていく瞬間、音が次の音へ移行する瞬間の間が独特の作品がそろっています。
ゆったりゆったりと時間が進んでいくんですよ。
まるで時間が止まったかのような感覚にとらわれます。
日本の楽器、笙からヒントを得ているのだとか。
実際、笙のために作曲された曲も入っています。
アコーディオンの響きが何とも言えません。

そういえば、次の学習指導要領、中学校の共通事項に「間」なんていうのがあったっけ・・・。
4月20日の日にみんなで見てみましょうね。

私の場合は、「どんなに疲れていても、音楽を聞いたら疲れが吹っ飛ぶ」と言う時ばかりではありません。
すごく疲れた時は何もせずにすぐ寝ます・・・。
音のないことが最高の時もあるので。

資料ができました

20日の音楽教育研修会の資料ができあがりました。
これまでの全空知音楽教育連盟研究主題のダイジェスト版、一部の図の改訂、5年間の研究の歩み、これらをつくるのにかなりの時間を要しました。

これに学習指導要領案と指導内容のマトリックスなどが当日の資料となります。
文言がまだ納得いくものではないのですがタイムリミットなので。
明日、印刷に取りかかります。

今回は新しく空知に来られた方も参加のようです。
少しでもわかりやすく伝えたいと思うのですが・・・。
難しい話を難しく説明してしまうクセがあるので・・・bearing
実践例を紹介しながらやれればいいなあ・・・。
今後も来てくれるといいなあ。
それは20日の内容にかかっているんだけれども。
参加するみなさん、ご協力を!
それから、まだ間に合いますので知り合いの方を誘ってくれるとありがたいです。
みなさんの声を生かして来年の全道音研空知大会の大会主題をつくるのですから。

それにしても・・・30代の自分からの挑戦は厳しかったです。
整理されていないものの、今の時点から見ると時代をちゃんと読んでいたんだなあと感じました。
でも、これまでの空知の仲間との研究でさらによいものができあがりそうです。
ともに頑張りましょう!

ボレロ

中学校3年生の授業でラヴェルの「ボレロ」を鑑賞しました。
中学校3年生という段階なので、一曲丸ごと最初から聴かせます。
曲を聴き終えたあと、「この曲の特徴は?」と質問をすると結構出てくるんですよね。
・速度が一定。
・小太鼓が最初から最後まで使われてる。
・最初小さい音量なのにだんだん大きくなって最後が一番大きくなる。
・曲が進につれて楽器の数が増えていく。
・曲が進につれて楽器の組み合わせが変わっていく。
・同じ旋律が何回も出てくる。
・旋律が日本の音楽っぽい。
・同じリズムが使われている。(水戸黄門の音楽のリズムと同じ)
などなど・・・。
CMやドラマでも使われているので子どもたちも耳にする機会が多いのでしょう。
「一曲丸ごとでは長いかな」という心配は必要なかったみたいです。
集中できない子どもや1年生かえら段階的に曲を聴いてきていない子どもたちの時にはポイントを示して飛ばし飛ばし聴かせます。

1時間目の最後には映像で確認します。
そして、2時間目。
私はバレエを視聴させます。
モーリス・ベジャール振り付けでジョルジュ・ドンが踊っている映像です。
想像していた踊りとは違うため、子どもたちは結構笑ったり騒いだりします。
でも、これって初演の時の観客の反応と一緒ですよね。
ところが!
演技が進むにつれて子どもたちは静かになります。
その様子はまるで何かの魔法にかかったように引き込まれていったという感じです。
最初は奇異に映ったもののはずなのに、やっぱり訴える力があるのでしょう。
3年前、シルヴィ・ギエムの踊りを見た時を思い出しました。
周りのダンサーがギエムのちょっとした手の動きに合わせて、まるで糸でもついているかのように操られている感じがしたのです。
一種のトランス状態、と言ったらよいのでしょうか・・・。

そのあと、「白鳥の湖」や「ロミオとジュリエット」の一部を視聴させます。
「バレエ」と聞いて子どもたちが想像していたものだからです。
アドヴェンチャーズ・イン・モーション・ピクチャーズの白鳥たちがすべて男という演出もおもしろいですよ!
関連曲としてはラヴェルの「ダフニスとクロエから全員の踊り」をカラヤンの演奏で視聴させます。
今回は「のだめカンタービレ」の影響なのか「ピアノ協奏曲 ト長調」というリクエストがありました。
「ジャズ?」という声も(バーンスタインの弾き振りですから・・・)。
3楽章の指の動きに驚きの声も。

音楽を聞いて・・・

私が勤務しているのは生徒数54名の学校です。
1学年1クラスずつですから授業は当然他教科を持つことになります。
うちの体育の先生は美術を担当しています。
この学校に来て初めての経験です。
ワークシートを作ってから授業に臨むなど教材研究に余念がありません。
でも彼は「教材研究をして自分の知らなかった世界を知ることができた。他教科を教えるのはおもしろい!」と言っています。
「生徒と一緒にやって一番うまくなったのは俺かも!」なんて言葉も出てきています。
なかなか引き受けてもらえない他教科。
それを前向きに考えて楽しんでいるかのような姿がすばらしいな、と感じました。
その姿からは教師だからと威張ることなどせず、わからないことを一緒に学んでいこうとする謙虚な姿が伺えます。
17年前の同僚なのですが、すごく刺激になっています。
やっぱり出会いって大切ですよね!
ちなみに私は2・3年生の技術と全学年の家庭科です。
今、私のエプロン姿を思い浮かべて笑いませんでしたangry
ちなみに私の得意料理は・・・「生卵の和風リゾット」です。
ただの「玉子かけご飯」です・・・すいませんcrying

その美術の教材研究の時の話です。
「音楽を聞かせて、そこからイメージしたものを絵で表現させたいんだけど・・・。歌だと歌詞が情景を説明しているから課題にふさわしくないよな?情景をイメージしやすい音楽はないかな?やっぱりクラシック音楽かい?」と相談されました。
「う~ん、とりあえずは映画音楽の方がいいと思うよ!」と私。
「あ~!サントラ盤な。2分か3分の曲で場面も想像しやすいよね。雰囲気の違う曲を3曲ぐらい考えてみるわ!やっぱ音楽の先生だね。」・・・と、次の時間の美術の課題が決まりました。

でもこれって音楽の授業でやっているんですよね。
音楽の授業では絵に限定はしていません。
音楽を聞いて文章で表現したり、絵で表現したり、体を使って表現したり・・・さまざまな表現方法で音楽から感じたことや気づいたことを表現しています。
音楽を聞いて感じたことの理由を構造的側面からとらえさせたり。
音楽を聞いて情景を想像したり。
音楽の諸要素(構造的側面)そのものを聞き取ったり。
聞き取ったことを元にして音楽の表現を工夫したり。
きっとみなさんもやっていることですよね?

また、音楽を聞いて「ダンス」という身体表現につなげると立派な体育の授業になります。
フィギュアスケートやバレエ、さまざまなダンスは音楽の構造的側面を捉えて身体表現の技能につなげています。
感性的側面や音楽を聞いて生まれる心情はさまざまな感情表現として身体で表現されます。
音楽ってさまざまなものとつながっている教科なんだなあ、と改めて思いました。
家庭科とはどうつながるんだろ?

どこかに自分らしさを!

新年度がスタートした4月。
この時期は提案文書が多いですよね。
1年の始まりの月ですkら、どうしてもみんなで確認しておきたいことがたくさん出てきます。
次から次へと考えなくてはならないことが出てきて、文書作りに終われる毎日を過ごしている方も珍しくないと思います。

今年度、今までやったことのない分掌や係を担当した方もいることでしょう。
最近は引き継ぎと言ってもCD-R一枚をポ~ンと渡されることも珍しい光景ではなくなりました。
「これに全部入っているから!」、と。
こんな状況ですから、何年経とうが担当者が変わろうが毎年毎年同じ文書がででてくる・・・なんて笑い話も聞かれます。
日付が何年か前だったり、異動したはずの先生の名前がたくさん入っていたり、誤字が毎年同じだったり・・・。
忙しいですから今まであるものを使っていくというのは賛成です。
でも、一度目を通して、たった一カ所でいいから自分の言葉で書いてみませんか?
そうすることで「昨年と同様」という発想から少し離れることができると思います。
決して「最初から全部自分で作れ!」なんてそんなひどいことは言いませんからcoldsweats01

それから・・・わからないことはとにかく周りに相談するといいですよ。
そのうちに誰を信頼していいかが見えてきます。
厳しいことを言いつつも、助けてくれる方が必ず出てきますから!

「ねらい」を絞る

今日は新一年生との対面式がありました。
生徒会のメンバーが企画し、2年生3年生の生徒が新1年生を新しい仲間として歓迎する会です。
生徒会のしくみ、小学校と中学校の違い、部活動のこと、そして歓迎のレク。
その中で歓迎の合唱がありました。
曲は卒業式でも歌った「春に」です。
3月12日の卒業式以来の合唱です。
卒業生が抜けてしまい35名の合唱になったこと、久しぶりに歌ったので歌詞に自信がないこと、寒くて思うように声が出ないこと・・・不利な条件がいろいろ重なります。
当然声は出ません。
こんな時にみなさんならどのように指導しますか?
「声を出せ!」と怒鳴りますか?

私は今日の合唱は声が出なくてもよいと考えています。
合唱のうまさを伝えるのが目的ではないと考えます。
2年生と3年生が必死に歌っている姿、間違えても最後まで支え合いながら歌いきる姿、逃げずに顔を上げて歌う姿、歓迎する気持ちを歌にこめること・・・こんなことが1年生伝わればいいのではないでしょうか?
今日の合唱は技能的にうまさがなくても、声が小さくても上にあげたことができれば万々歳です。
それは決してレベルを下げると言うことではありません。
目標が違うということです。
今日の対面式に向けて1週間毎日練習してきているという状況であれば「声の大きさや技能的に完成度の高い合唱にする」とう目標を立てたと思います。
そして、その目標にあった評価をしたことでしょう。
声が出ないことに対して怒鳴ったかもしれません。
でも、今回はそのような状況ではないのです。
1ヶ月ぶりの合唱なんですから・・・。
子どもたちは直前の練習だけよくがんばったと思います。
素直に心からのほめ言葉が出てきます。
子どもたちの現状を考えて目標を立て、評価をしていくことはどんな活動にも必要なことですよね。

敵は我にあり

楽天の野村監督の著書より言葉を頂きました。
4月20日の研究会に向けて必要な資料を整えているところです。
その一つとして、今までの空知音連の大会主題を簡単に説明したプリントの作成に取り組んでいます。
もう一度、2002年の研究紀要を読み返してみました。

私にとって30代半ばの仕事です。
「あのときと同じ仕事はできないんじゃないか。あのときの自分を越えることはできないんじゃないか。」そんな思いばかりが強くなっていました。
でも、読み返して確信したことがあります。
それは、過去の自分を越えることは可能ということです。
実際に大会主題の解説を読み返してみると、いろんな素材がたくさんちりばめられていているのは事実です。
わかりやすい図も存在するし、熱い思いや勢いも伝わってきます。
ですが、まだ確実に自分のものになりきっていない部分がたくさんあります。
前半で言っていることと後半で言っていることに矛盾があったり、文章に迷いが生じていたり、同じことを何度も繰り返していたり、引用がはっきりわかりすぎたり・・・。
読んでいて「乗り越えることができないかも・・・」なんて考えていたそれまでの自分があまりにもバカに見えてきました。
正直、恥ずかしいです。
過去の自分の足跡に対する思いばかりがふくらんでいたのでしょう。
反省することしきりです・・・。
自分の中に存在するおごりこそが私自身の障害であり、敵でした。

前回の大会主題の解説以上のものを必ず作ることができます!
私自身の手でも可能です。
でも、空知の現状はそんな状況ではありません。
空知は私の次の世代の方々が着実に力をつけてきています。
というより私以上の方が空知全体にたくさんいます。
みんなの力を結集して前回以上のものを作り上げましょう!
たくさんたくさん批判してください!

話は変わりますが、昨年、初めてマーラーの交響曲第2番を実演で聞きました。
CDではそれほど気にならなかったのですが・・・。
実際に聞いてみると、言いたいことがたくさん盛り込まれていて、マーラーが本当に言いたいことは何だったのか、なんて気持ちになってしまいました。
曲の解決もちょっと強引すぎるところがあったり・・・。
若い時の作品ですから、あれもこれもと盛り込んだのでしょう。
前回の大会主題の解説もそんな感じです。
大作曲家と比較するなんて恐れ多いですがね・・・sweat01

私は、花と山が大好きです。
ブログのデザインも今回は桜にしてみました。
使ってみたいデザインは他にもあるのですが、桜は今の時期を逃すと載せることは難しくなるので・・・。
リラックマファンの方、ごめんなさい。

「魔王」の発展教材

中学校1年生に「感じたこと」「気づいたこと」を説明し、プリントを2枚配布します。
その次には「校歌」を練習します。
「校歌」と同時に小学校でやった歌を復習。
そして、「魔王」の鑑賞に入ります。

「魔王」の鑑賞には北海道出身のバリトン歌手、木村俊充さんの演奏を使っています。
最初は音のみで勝負です。
映像は最後の最後に見せる程度です。
ドイツ語の特徴とか歌の情感などを耳でじっくり聞き取らせたいからです。
映像って刺激が強すぎて、目からの情報ばかりが印象に残りがちですから・・・。

そのあとには、作詞者であるゲーテが一番評価していたと言われるレーヴェ作曲の「魔王」を聞かせます。
ゲーテは有節歌曲が好きだったようです。
シューベルトのは通作歌曲だし、当時の作曲上の違反をいっぱいしていると言われています。
それからジェシー・ノーマンが歌ったシューベルトの「魔王」を視聴させます。
デフォルメがきつすぎると賛否両論ありますが、4人の歌いわけ、歌う時の表情、迫力、速度の変化による感情の表現がすばらしい演奏はありません。
バリトン独唱で聞かせることが多い「魔王」ですが、原曲はテノールを念頭に置いて書かれています。
いろんな高さの声で歌われるということをわかってもらうためにも高音のソプラノで聞かせるのもよいと考えます。
声の高さによって印象もかかなり変わります。

また、いろんな独唱の形態があることを感じ取らせるために、ジョン・レノンの「イマジン」や一青窈さんのライブを試聴させることもあります。
一青窈さんの「Live Tour 2004」での聴衆の姿は見事ですよ。
立ち上がったりせず、じっくりと歌に聴き入っていますから。
一青窈さんにもそれだけの表現力があるということだと思います。

「魔王」のピアノ伴奏に興味を持つ子どもも出てきます。
その時にはウラディミール・ホロヴィッツのモスクワライブを試聴させます。
特に、スクリャービンの練習曲OP.8-12がオススメです。
壮絶な演奏に子どもたちも度肝を抜かれたようになってしまいます。
しばらくは放心状態、というか・・・。

みなさんはどんな授業を展開していますか?
交流するとおもしろいですよね!
教材とか興味のあるものがあったら問い合わせてください。

動物の謝肉祭から 「白鳥」

中学校1年生の授業はもう始まっていますか?
私のところはオリエンテーションも終わり、次の時間は3年間の音楽の授業に必要なことを実際に体験させながら説明していきます。
「感じたこと(感性的側面)」「気づいたこと(構造的側面)」の説明です。

小学校の復習も兼ねているので、教材には「白鳥」を使います。
ちなみに、昨年公開した授業ではスターウォーズの「帝国のマーチ」を使用しました。
「感じたこと」には、音楽を聞いて想像したことや思い浮かべた情景、こんな場面で使われそう、こんな気持ちになったなどを文章や絵で書いていきます。
「気づいたこと」には、音楽を聞いて速度や強弱、旋律の特徴、音色(どんな楽器が使われているかとか)などを書いていきます。
そして、どうしてそう感じたのかの理由を気づいたことと結びつけて考えさせます。
子どもたちはすぐに正解を知りたがります。
それを求める余り、自信のあることしか書こうとしない時もあります。
でも、音楽って聴き方や感じ方は人それぞれですよね。
この音楽を聞いてこれを思い浮かべなきゃだめ、なんてことはないのですから。
そのことを必ず子どもたちに説明します。
作曲者が「白鳥」を表現しようとして作曲しても、曲名を知らないで聞いた時に全く違うことを想像してもかまわないと思います。
でも、作曲者が何を考えて作曲したのかは必ず知らせますよ。
「白鳥」であれば、白鳥を表現するためにどのような工夫をしているのか、ということをです。
自分が音楽を聞いてそう感じた理由は必ずどこかにあります。
そのことを伝え合い、認めあえる子どもたちを育成していくことが大切だと私は考えます。

ここまで終わると、私は発展としてアナニアシヴィリというバレリーナが踊った「瀕死の白鳥」というDVDを視聴させます。
音楽を聞いて感じたことを表現する方法にはいろいろあります。
文章で表現したり、絵で表現したり・・・。
「白鳥」という音楽をどのように感じて身体表現しているのか、ということを考えさせるには最高の教材だと考えます。
ねらいによって使う教材も変わりますがね。

「白鳥」の音源には、ミッシャ・マイスキー、マルタ・アルゲリッチらが演奏しているものを使います。
オリジナルの2台のピアノ版だと水が光り輝く様子を感じ取らせることができます。
また、旋律の歌わせ方、レガート、アーティキュレーションが抜群にうまいです。
中学生に限らず、小学生にも使えますよ。

時代順に聞くと・・・

ウィーンフィルのメンバーで構成された少人数のオーケストラ、トヨタマスターズプレイヤーの演奏会を聞いた時の話です。

その日のプログラムは、モーツアルトの交響曲1番、アリア、クラリネット協奏曲、そしてベートーヴェンの交響曲第8番、アンコールはヨハン・シュトラウスⅡのワルツでした。
私たちは21世紀に生きています。
これまで作曲されてきた数々の曲を耳にしてきています。
ロマン派以降はオーケストラの編成も大きくなり、楽曲の構成も複雑になっていきました。
それらの曲に慣れた耳からすると、ベートヴェンの交響曲第8番はそれほど革新的な曲には聞こえないと思います。
やはり古典派、ロマン派以降の曲に比べると穏やかで整っている感じがします。
ところが!
モーツアルトの交響曲第1番のあとにベートヴェンの交響曲第8番を聞いて、その革新性に驚かされました。
同じ編成で演奏されているのに響きが厚くなっていること、不協和音が所々に効果的に表れること、曲に推進力があること・・・。
印象があまりにも強くて、いまでも記憶に残っています。
その当時の最先端の音楽だったことを改めて認識させられた演奏会でした。
きっとその当時の聴衆も斬新な音楽の出現に度肝を抜かれたのではないでしょうか?
時代順に聞いてみると、その楽曲のその当時における革新性とか価値とか魅力とかを再発見することができておもしろいです。

ところで、この交響曲第8番、誰にも献呈されていません。
この曲には、郵便馬車のポストホルンの音やリズムが頻繁に使われています。
不滅の恋人であるアントニア・ブレンターノの手紙を運んでくる郵便馬車を音楽で表したものと言われています。
誰にも献呈しなかったのは彼女に捧げるためだったのかもしれません。
もしかしたら、彼女との大切な思い出のために自分の手元に置いておいたのかもしれません。
交響曲第7番と第8番が作曲された時、ブレンターノ夫人との愛は深まり、自分の子どももできるよろこびに満ちあふれていたようです。
人妻なのに・・・。
しかも、もう一人の昔の恋人ヨゼフィーネ・ダイムとも同じ関係になるなんて・・・。
ベートヴェンの隠し子は二人と言われています・・・。
その後破局を迎え、ベートーヴェンはほとんど作曲することができなくなってしまいます。
でも、ある曲をきっかけに作曲への情熱が再び戻ってきます。
その曲こそ、アントニア・ブレンターノに捧げられた歌曲集「遙かなる恋人に寄す」OP.98です。
それ以後の曲は、まずこの曲の変形と言っていいでしょう。
つまり、どの曲にもアントニア・ブレンターノへの愛が昇華した形となって表れています。
その事情を知らないシューマンが見抜いていたのはすごいことですよね。
脱線してしまいました・・・すいません。

いろんな人との会話

飲み会での私は腰が重い方で・・・。
最初に座った席から動くことは滅多にありません。
なんだか頑固者のように思われてしまわれそうですが・・・coldsweats01

それでも一つ心がけていることがあります。
みなさんの学校でもPTAとの飲み会、地域の方々と教職員との飲み会など、いつも顔を合わせている教職員以外の方々も参加する飲み会などがありますよね?
そういう時には教職員以外の方々の近くに座るようにしています。
日常職員室で顔を合わせたり、別な機会にも飲み会がある教職員とはその時に話すればいいので。
普段なかなか話をする機会のない方々がせっかく同席しているのだから、その方々と話をすることが大切だと私は考えています。
保護者の方々も家では見せない子どもの姿を知りたがっているし、私たち教職員が知らない地域での子どもの姿を知ることもできます。
トイレに行った帰りにカウンターで飲んでいる知り合いの方に話しかけたり、なんてこともします。
お店の主人や従業員とも話し込んだりする時もあります。
料理のことなどおもしろい情報を得ることができるからです。
教職員以外の方々と話をすることによって、自分の視野も広がります。
話題に詰まったり、会話が詰まったりなんてする時もありますが、そのことは自分の世間知らずを反省するよい材料となります。

いつも顔を合わせている仲間との会話も楽しいですが、ぜひともそれ以外の方々とも話をしてみて下さい。
自分の知らなかったことが見えたり、人と人との新たなつながりができたりしますよ。

一人ひとりを認めよう!

新一年生が入部し、久しぶりに大人数での練習が始まりました。
毎年思うことなのですが、やっぱり一年生の目はキラキラshineと輝いています。
何でも吸収してやろうという気持ちがすごく伝わってきます。
この気持ちを失わせることのないよう指導しなきゃ、と決意を新たにしているところです。

雪がなくなったのでランニングを再開しました。
まだからだが慣れていない時期なので約1.2㎞の距離です。
昨年まで通して走れない子どもがいたのですが・・・なんと!
新一年生が一緒に走るとちゃんと走り抜くではありませんか。
しかもスピードも結構速くて、新一年生の誰にも負けていません。
いや~、驚いたのなんのって・・・。
本人も得意げに話します。
実はランニングだけではなく、その他の面でも一気に成長した姿を見せています。
先輩になったという自覚ができたのでしょう。
まわりの子どもたちは「お前、今まで手を抜いていただろう。」と厳しかったです。
「努力を認めろよ!」と言いましたが・・・。

実は過去にも似たような光景がありました。
その子は最後の試合である中体連目前の中学校3年生の夏にようやく一回も歩かずに走り抜くことができました。
距離は3㎞でしたがね・・・。
ランニングが終わってすごく満足げな顔をしているので、「何かいいことあったの?」と聞いてみたのです。
すると、「先生、一回も歩かずに走り抜くことができたよ。他の人にしたらたいしたことじゃないでしょ?でも、僕にとっては大きな成長なんだよ。」と言います。
私が「3年間続けた甲斐があったね。」というと笑顔で頷きます。
よほどうれしかったのでしょう。
次の日の日記にも書いてきました(担任していた子どもだったので・・・)。
その子の走る姿はふざけているとしか思えないようなものでした。
だから、私も部活の仲間も「あいつはいい加減な奴だ」と決めつけて見ていたのです。
彼の言葉を聞いた時、とんでもない誤解をしていたことに気づかされました。
すぐに部活の仲間にもこのことを伝え、今までの自分たちの評価が誤りであることを伝えました。
誤解したままにならなかったことが救いでした。
私の目が曇っていました・・・。

私の失敗から・・・私たち教師ってついつい他の人と比べてしまうことがありますよね。
「あの子と比べたらまだ遅い。」
「昨年の3年生はもっと速かった。」
「前の学校の子どもはここまでやっていた。」
「中学校3年生だからここまでやれないと。」
「みんなあたりまえにやってることだよ。」
でも、子どもは一人ひとり違うんですよね。
周りの子どもの平均からすると、当たり前に見えることがその子どもにとって難しかったり、反対にやさしかったり・・・子どもの実態によってさまざまです。
教師の常識で物事を判断しがちですが、経験の少ない子どもたちです。
教師が考えているようにはなかなかいかないですよね。

その子どもなりのよさを認めていきませんか?

できない自分を認めること

さまざまな出会いがあって今の自分がつくられています。
決して自分一人の努力でここまで来たわけではないんですよね。
「自分が見ようとするから月が見えているんじゃない。月が光っているから見えているんだ。」と子どもの頃、祖父に言われたことがあります。

さて、私は大学受験に失敗したため1年間浪人生活を送りました。
その1年間は札幌予備学院という予備校に通っていました。
その浪人時代に、数学担当の矢島昭予先生に出会いました。
あとで知ったのですが、北星余市高校とも縁があり、生徒たちが意欲を持って数学の勉強に取り組む方法などを考え、提案している先生でした。

数学の一番最初の授業で分数のプリント10枚が配られました。
先生曰く、「来年の春に失敗したくない、もう一度やり直そうと思う人だけこのプリントをやって私のところに持ってきなさい。全問正解したら次のプリントをあげるから。」
見ると、確かに分数の計算問題しかありません。
「分数なんて今更やってられるか!早く受験勉強のプリントをもらわなきゃ。」とそのプリントをバカにしていました。
実力もないのにです。
18歳が今更分数をやれるか、というプライドだけしかなかったのです。
そして次の日、「プリントを全部やったので次のプリントを下さい。」と矢島先生のところに行きました。
一問も解いていないのにです。
先生は「1日でやるなんてすごいね!」とまず笑顔でほめてくれました。
そしてすぐ、「○つけをするから見せて。」と。
見せることなどできません。やっていないのですから・・・。
きっと矢島先生は私の嘘を見抜いていたのだと思います。
私は苦し紛れに「ノートを忘れてきたので明日持ってきます。」と言ってしまいました。
そこからは必死です。
本当に1日で仕上げて矢島先生のところに持っていきました。
ノートを持っていくと矢島先生はていねいにていねいに○つけを始めました。
「ここまちがってるよ。あっ、ここも。あらあら、ここもだわ・・・。」
たくさんたくさん間違っていたのです・・・それがその時の自分の実力でした。
○をつけ終わると「自分の実力がわかった?」と言われました。
すごく悲しくて悔しかったけれども認めるしかありません。
さらに矢島先生は「できない自分をまずは認めなさい。どんなにカッコをつけたってメッキははがれるんだよ!来年、今年と同じような失敗をしたくなかったらここから始めよう。やる気があるんだったら、今日間違えたところをやり直しておいで。」と言います。
次の日から数学のプリントとの格闘が始まりました。
完全にできるまで次のプリントは絶対にくれないのです・・・厳しかったです。
でも、そのおかげで自分がいい加減に勉強してきたところがすべてわかりました。
そして、何かを身につけるのに近道はないんだということもわかったのです。

何とか大学に合格し、矢島先生にお礼を伝えに行きました。
「よく1年間頑張ったね。できない自分を認めるってつらかったでしょ?人間ってみんなかっこよく生きたいもの。できる人間に見せたいって虚勢ばかり・・・。そういう人間に限って実は自信もないし、根性もないんだよね。努力している人って、自分からできますって自慢しなくても何かにじみ出てくるものがあるんだよ。なんだかんだいって1年間私のところに通ったのは君だけだったわ。ホホホ・・・」と言われました。
この出会いがなかったら、きっともう1年浪人だったかもしれません。
教師になってから、私と似たような子どもたちにたくさん出会いました。
その都度、「今の自分を見つめること」を大切に子どもたちに話してきました。
逃げていく子どももいます。
向かってくる子どももいます。
いつかはわかってくれる時があることを信じて話をしています。

ところで・・・私はやっぱり「いいかっこしい」です。
いまだにできない自分を認めることができません。
かっこよく生きたいんです。
ついついできるように見せかけてしまいます。
メッキははがれるんですよね・・・。
矢島先生に怒られそうです・・・。

生誕100年

BSーhiでカラヤンの特集をやっています。
「いまだにカラヤン?」と思う方もいるのではないかと・・・。
でも、やっぱりすごい指揮者です。
いい評判にせよ、悪い評判にせよ、いまだに特集を組まれることがすべてを物語っていますが、それだけではありません。
あれだけの人数のオーケストラをきっちりと室内楽のようにコントロールする指揮の技術。
目を離せなくなってしまいます。
久しぶりに見たR・シュトラウス作曲の「バラの騎士」はすばらしかったです。
次から次へと放送される番組が楽しみでなりません。

「ニーベルングの指輪」の映像を制作している最中のカラヤンが映し出されていましたがそのエネルギッシュなことと言ったら!
自分の中にすでに表現したいものがあって、それを伝えるために一生懸命になっているのが伝わってきます。
演技指導の的確さ、自分が考えている音楽表現を相手に伝え、音として引き出す指示の具体的でわかりやすいことといったら。
世の中にはすばらしい指揮者がたくさんいます。
でも、残された映像を見る限り、別格の存在のような気がします。

今回、たくさんの映像を見て思ったことは・・・巷で言われているように権力が欲しいだけの指揮者だったのかな?ということです。
カラヤンを批判する時には必ず、「カラヤンは権力を自分の手に入れるために必死だった。」と権力欲の強さを強調するものを目にします。
でも、本当は自分の理想とする音楽があって、それを表現するために手段を選ばなかったということなのではないかという気がするのですが・・・。
すべては音楽のために。
みなさんはどう感じますか?

また、あれだけ革新的なことをやれば批判を受けるのは当たり前のような気がします。
でも、それも若い時の話。
最晩年は自分の考えにこだわりすぎ、新しい考えを認められなくなっていたように思えます(アーノンクールに対する姿勢など)。
新しいものを受け入れられなくなり、理解できなくなったら自分に合わせることを相手に要求してばかりになってしまいますよね。
そうなった時に自分の地位を守ろうという必死さ、強引さだけが目につくのだと思います。
でも、それぐらいじゃないとオーケストラでよい演奏なんてできないのかな?

共通理解

「同一歩調」「共通理解」・・・生徒指導でよく使われる言葉です。
その学校の教育に携わる教職員が同じ考え、同じ姿勢で子どもたちを指導していこうということだと思います。

「みんなで指導すべきことをまずはっきりと統一していきましょう。そうしないと何を指導していいかわからなくなるし、そこからズレた指導をすることによって子どもたちが荒れますから」
こんな言葉が聞かれる時があります。
でも、本当にそうなのかな?って思ってしまいます。
子どもが荒れたら困るので指導を統一すべき、というのはどうでしょうか?
それに全員が同じ指導をするっていったって・・・本当にできます?
人間一人ひとり持ち味が違うんですよ!

一年一年、クラスごと、子どもたちが同じであるということはまずあり得ません。
子どもたちによって指導は変わっていくのではないでしょうか?
「この子どもたちには、ここから指導しよう。」
「この子どもたちはもう少し厳しくしてみよう。」

また、指導する教師だって一人ひとり持ち味が違うはずです。
それなのに、自分と同じ指導を他の人にも要求したり、厳しく指導できない先生を責めたり、厳しい先生と同じ指導ができないことで悩んだり・・・。
自分の持ち味を生かして子どもたちに接すればいいと思うのですが・・・。
厳しい指導ができる先生は厳しく、受け止めが得意な先生は受け止めで、心に響く話が得意な先生はお話で・・・。

教職員みんなで取り組まなければならないことは確かにあります。
でも、それを達成させる方法は教職員それぞれです。
「この方法でなければ子どもが荒れる」
「全く同じ指導をしなければそこから荒れる」
ほんとうにそうかな?
「全く同じ統一した指導」を追い求めるあまり、自分の持ち味を押し殺して、無理して違う指導をしようとしていくのはどうでしょうか?
そのような取り組みではついて行けない人が必ず出てきます。
ついていくことができない方が出てきた時に、子どもたちはそこを狙い撃ちにしてきます。
子どもたちはその差をつくのがすごく得意です。
それぞれが自分の持ち味を出し合ってみんなで取り組まなければならないことを達成させようとしていく・・・このことがすごく大切だと私は考えるのですが・・・。
教職員一人ひとりがそれぞれのやり方を認め合いながら一つの目標に向かって指導していく。
そのような姿勢が必要だと私は考えます。

私の言いたいことは伝わっていますか・・・?

音楽の授業の思い出

先日、浦臼で最初の卒業生たちと飲みに行ってきましたbeer
彼らも21歳。
一人だけ学生であとはすでに就職しています。
農業に従事している卒業生たちの夢を語ること、夢を語ること・・・。
このような人間が支えているうちは日本の農業は大丈夫、と確信しました。
それに比べ、国の役人たちは情けない。
食糧政策、農業政策のひどさといったら・・・。

飲んでいる最中は音楽の授業の思い出話sign02で盛り上がりました。
「先生の授業おもしろかったよ!」
私:「特に何が記憶に残っている?」
「青鷺(あおさぎ)っていう合唱曲。詩の内容が深かったなあ・・・」
「そうそう鑑賞もおもしろかったよ!」
私:「特に思い出に残っているのは?」
「モルダウ!あっ、ブルタヴァだったか」
「やっぱり交響曲第5番だろ!ベートーヴェンを語る時は先生熱かったよね。」
「あと、バッハの話。」
「あ~、小フーガの時のな。バッハがカツラとかさ、目の手術をした時の話とかさ、キリスト教や数との関係とかさ。最後に聞いたヴァイオリンの曲(シャコンヌ)がよかったなあ。」
「あと話が脱線して・・・トイレのない時代だからおまるの中身を外に投げる話。」
「早くウンコが乾くように石畳にしたとか、ウンコが靴にべっとりつかないようにハイヒールが流行ったとか、二階の窓からウンコが飛んできても服につかないように日傘ができたとか、そのままウンコができるように花畑ができたり長いスカートができたとかいう話。」
「そうそう、そういう話の方が記憶に残っているよ!」

ウンコの話が一番印象に残っているようで・・・dash
どんな授業をしていたんだか・・・「楽しい」と言ってくれるのはうれしいけれども恥ずかしくなってしまいましたsweat01

送迎も支払いもすべて彼らが・・・。
ここまでしてもらう資格が自分にはあるのかな・・・と家に帰ってきてからも考え込んでしまいました。
手を抜いちゃだめですよね。
もっとがんばれよ、と彼らなりに叱咤激励してくれたのかもしれません。
酔っぱらったままのボーリングは最悪・・・ちょっと筋肉痛になりましたsweat02

第1回めの研修会のお知らせ!

大変遅くなりましたが、全道音研に向けての最初の研修会を開きます。

日にち:2008年4月20日(日)
時 間:10:00~15:00
場 所:南美唄中学校


内容は・・・
①日程や大会の内容について説明します。
②これまでの全空知音楽教連盟が積み重ねてきた研究内容を確認します。
③全道や全国の音楽科教育の動向をお知らせします。
④研究主題を検討するにあたって、みなさんの実践や悩みを交流します。
⑤実践を振り返り、みなさんが得意とするものや不得意なものを分析してみます。

今の空知の現状を肩肘張らずに語り合える機会にしようと考えています。
全学校宛てに案内は送信しましたが、ぜひ、みなさん仲間を誘い合って参加して欲しいと思います。
一人でも賛同してくれる方が増えると大変うれしいです。
何か役職を当てられそうと不安に感じている方もいることと思います。
苦労なしで何かを手に入れることは不可能です。
仮に手に入れたとしても、苦労した人ほどのものは残りません。
みなさんいろんな事情を抱えながらこれから研究に取り組みます。
都合のよい日だけの参加でもかまいません。
ともに支え合いながら、子どもたちのために、そして自分のために勉強していきませんか?
    
    

まずは一歩を!

4月に予定している学習会について現在日程を調整中です。
もうしばらくお待ちください。
「まずは一歩を踏み出しましょう!」・・・私にとって最高にうれしい言葉をメールで送信してくれた仲間がいました。
そうなんです!
何も先のことがすべてわかって、予想できて取り組みを進めているわけではないんです。
一歩先は真っ暗闇なんです。
踏み出すのにはかなりの勇気がいります。
実は怖いことなんです。
でも、恐れてばかりいてそこから動かないでいては何も変化しません。
何も進まず、現状維持、もしくは後退していくばかりです。
まずは一歩。
わからないまま踏み出し、手探りしながら一歩一歩と進めているうちに何かが見えてきます。
人がついてきます。
それを信じて一歩、そして一歩です。

「どうせ好きでやっているんでしょ?」
「やりたい人に任せておけば?」・・・よく耳にする言葉です。
この言葉を聞くと悲しくなってしまいます。
何かしたからといってお金をたくさんもらえるわけではありません。
夜遅くまで頑張っても特別に手当が出るわけでもありません。
時には役職があたっていろんな意見を浴びなければならない時もあります。
自分の時間はとられ、忙しい思いをする・・・。
好きでやっているわけではありません。
できれば、自分の目の前の子どもたちのために、そして自分自身のために勉強していたいです。
自分のためだけに力を注いでみたいと思う時もあります。
が!!!そういう気持ちで取り組んでいては独りよがりの偏った勉強になってしまい、子どもたちのためになりません。

私は音楽が大好きです!
子どもたちに音楽の楽しさを伝えたい・・・ただそれだけです。
音楽の楽しさを私とかかわった子どもがほんの少しでもわかってくれたら・・・。      
できるなら、一人でも多くの子どもが音楽の授業で私と同じ思いをすることから救いたい。そんなことを考えて動いているうちに、二人で始めた学習会に参加してくれる人が増えてきました。
今では、賛同してくれる頼もしい仲間がたくさんいます。
子どもたちのために自分を磨きたいという情熱を持った仲間たちが集まってきます。
その情熱に動かされてここまでやっています。

みなさんで一歩を踏み出してみませんか?
人任せにするのではなく、自分もかかわってみることによってたくさんのことを勉強できますよ。
何よりも人間としての宝である人とのつながりができます。

好きこそ物の上手なれ

私は卓球部の顧問をしています。
一応中学校、高校と選手でやってきたのでそれなりにはやれます。
でも、中学生の1年間の成長はすごいですよ~eye
新2年生のほとんどの子どもが私より強くなっていますcoldsweats01
「先生弱くなりましたね」とか「体調が悪いんですか、ボールが遅く感じるんですけど」って言うんですよ。
腹立つことにangry
自分たちが上達して私を追い抜かしただけなのに・・・。

みんな本当に研究熱心です。
一つのことを教えると、自分たちで練習を工夫していきます。
卓球が大好きで大好きで、部活が終わってからや部活のない日にも自分たちで練習に行くぐらいですから・・・上達も早いのでしょう。
好きなことにはここまで一生懸命やれるんですねok
こうなってくると、いかに子どもたちを好きにさせるかということが教師や指導者の大きな役割になってくるのでしょう。
つらいことを乗り越えたあとに幸せが来る、ではなかなかついてこないと思います。
昔、中国の指導者に「日本の指導者は楽しさを教えていない。勝つことばかりだ。しかも、指導者の言うことを絶対に聞かせようとする。それ以外の世界がないように信じ込ませる。」と講習会で言われたことがあるんですよ・・・厳しかったです。

私は入部してきた1年生に最初から卓球台を使って練習させます。
1年生は素振りだけ、トレーニングだけ、球拾いだけ・・・よく見られる光景です。
卓球の面白さは、相手がいてボールを打ち合うことです。
そこに自分で考えた作戦通りにゲームが運ぶと最高におもしろくなります。
それを楽しみに入部してくる1年生にボールやラケット、台を使わせないなんて・・・。
一番興味があり、希望を持って入部してくる最初だからこそボールやラケット、台を使わせるのです。
先輩には必ず1時間、1年生に技術指導する時間を作ります。
私以上に先輩の話はしっかり聞きます。
しかも、2,3年生は教えることにより自分の技術を客観的につかむことができます。
この練習を積むことで、自主的に練習する雰囲気が出てきます。

そして・・・私はやりたいことから練習させる方法もとります。
もちろん、基本的な技術指導もしますがね・・・。
先輩方がドライブやスマッシュ、カットを打つ姿を見て、1年生はあんな風に打ってみたいと思っています。
そのあこがれの気持ちを大切に、好きなものをやらせます。
指導者によっては「1年生からドライブは無理」「基本をやってからスマッシュじゃないと」・・・なんていう方がほとんどです。
でも、そんなことはないです。
好きな打ち方をする時に子どもたちは、「どうしたら入るか」「先輩のように打てるにはどうしたらいいか」を真剣に考えます。
自然と先輩の打つ姿を研究し、真似しようと必死になります。
この時に教師や指導者の指導が光るのです。
「こうするとうまくいくよ」「ラケットの角度をこうしてごらん」「ボールのここを狙うんだよ」・・・自分の打ちたいボールですから真剣にアドヴァイスに耳を傾けます。
指導者の思い込みばかりの型にはまった指導から抜け出すことが大切ですよね。
子どもたちに「無理」なんてことはないですから!
教師や指導者が「無理」と思い込んで教えることで子どもの可能性を奪っていることが結構あります。
それだけは気をつけたいものです。
やらせてみると、「子どもの可能性にびっくり」なんてことは結構多いですよ!
「無理」なんて言わずに子どもを信じてみましょう!
うまくいく時ばかりではありませんがね。

新年度です

今日は寒い中、引っ越しのお手伝いの方が多かったのではないでしょうか?
昨日までの温かさが嘘のように冷え込みましたね・・・。
風邪をひきませんでしたか?

さて、いよいよ新しい年度がスタートしました。
特に理由はないのだけれども、何となく気持ちが切り替わっているのが不思議です。
たった一日でこんなにも違う気持ちになるとは・・・。

新しい子どもたちが入学してくるので新しい出会いもあるし・・・。
学年が一つ上がっただけなのに子どもたちの顔つきも全く違うものになっているし・・・。
異動で数人替わっただけなのに職員室の雰囲気もがらりと変わるし・・・。
いつも目にしている景色が大きく変化しているように見えるし・・・。

これから一年間の新しい学校づくりが始まります。
それぞれのやり方を認めながら、よさを出し合いながら子どもたちが通ってよかったと言える学校づくりに全力で取り組みたいと思います。

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    それぞれの街にはそれぞれの魅力があります。 通りかかったときに目に飛び込んでくる風景。 心に残る瞬間瞬間を写真に残してみました。

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