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2008年5月の32件の記事

続×2「感動」とは?

朝起きると腰に痛みが・・・sweat01
腰に痛みがあって何かにつかまって歩くのがやっと。
右足は上がらないし、いすに座ってしまうと立ち上がるのに脂汗、特に中腰から背筋を伸ばすまでが痛くて痛くて・・・sweat02
8年前の夏にも歩けなくなってしまったのですが、今回のはそれ以上かな。
気持ちだけは若くてもあちこちにガタがきているんですね・・・参りました。
奈井江のカイロプラクティックに電話して、何とか時間外に治療してもらえることになりました。助かりました。

こんな状態なので家でゆっくりCDを聞いていました。
シベリウスの交響曲第5番、先日届いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とカップリングされているカラヤン指揮ベルリンフィルの演奏です。
会場で聞いていたピアニストのグレン・グールドがこの演奏に接してシベリウスファンになったというものです。
グレン・グールドのレパートリーにはシベリウスのピアノ曲が入っているのですが、それもこの演奏を聞いたことがきっかけだそうです。
グレン・グールドの心を揺さぶり、その後のレパートリーや演奏活動に大きく影響を及ぼしたカラヤンとベルリンフィルの演奏。
カラヤンとベルリンフィルの演奏の価値にふれたグレン・グールド自信の考え方や感じ方、その後のレパートリーと演奏活動に強い影響を及ぼすような人格全体を揺り動かす感情。
これこそ「感動」の極地なのでしょうね。

でも、グレン・グールドにこれだけの影響を及ぼした演奏だからといってすべての人が感動するとは限りません。
価値観はそれまでの成長過程での体験に大きく左右されると言われていることから、全く同じ価値観を持った人なんてまずいないはずです。
同じ演奏を聞いて感動している人がいたとしても、感動の度合いや感動している部分が違ったりしているはずです。
人それぞれに価値観が違うのですから、カラヤンとベルリンフィルの価値にふれたとしても感情の動きが起こらない人だっているはずです。
ただ、いろんな物事にすぐに感動できる人となかなか感動できない人とがいるのも事実のようです。
外界からの刺激を感じとる力が強い人ほど感動も起こりやすいと書いてある本もあります。
外界からの刺激を感じとる力・・・感性のことととらえてよいのではないでしょうか?
そう考えると、感動を生むためには感性を豊かにしていくことが必要なのでしょう。
感動と感性のつながりが見えてきたような気がします。

ところでこのCD、分析的に聴くことができませんでした。
分析的に聴こうと構えて聞き始めるのですが、何か大きなものに包み込まれていくような感覚に陥るのです。
細々とした聴き方なんかどうでもよくなってしまうような・・・。
もしかしたら・・・「知覚すること」と「感じとる」ということの回路は違うのかもしれません。
ちょっとそのことについて調べ、考えてみます・・・腰が痛くて動けないのでsign04
それにしてもすごいCDです。
一日に2回も聞いてしまいました。
弱音を生かしたグレン・グールドの演奏、そしてその弱音が長所となるように支えるカラヤンとベルリンフィルにも引き込まれてしまいます。
グレン・グールドのように生き生きと、しかも透明感のあるキラキラとした弱音が出せたら。

幸せな一日

明日は浦臼中学校の陸上記録会ですrun
寒い日が続いたので子どもたちの仕上がりはいまいちですが・・・でも明日が本番です。
その前日の午後、空知教育局と岩見沢市教育委員会へ挨拶に行ってきました。
来年度の北海道音楽教育研究大会空知大会でお願い事がたくさんあったからです。
補助金のこと、会場借用のこと、人事のこと・・・一つの大会を行うにはさまざまな課題を解決していかなければなりません。
今まで役員をされていた方々の苦労が今になってわかりました。
好き勝手なことを言って、好き勝手に行動する私のような人間が上に立つと周りは振り回されるんでしょうね・・・反省しましたdown

家に帰ってくると注文していたDVDとCDが届いていましたnote
そう、バルトークの歌劇「青ひげ公の城(ショルティ指揮、ロンドン響)」、ベートヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」とシベリウスの「交響曲第5番」(カラヤン指揮、グールドのピアノ、ベルリンフィル)、マーラーの「交響曲第1番(ゲルギエフ指揮、ロンドン響)」の3枚。
今日は幸せいっぱいの日ですhappy01
ドキドキheart02しながら、さっそく「青ひげ公の城」から見ました。
20年間待ちに待った映像です。
冒頭のプロローグが省かれていたものの、それは我慢できる範疇です。
やはり視覚の力には驚かされます。
CDで音だけ聞いていた時にも残酷な拷問部屋の雰囲気、光り輝く剣や広大な領土の広々とした空間、夜の暗い雰囲気、ユディットの心情の細やかな変化などが演奏から伝わってきていました。
DVDだと視覚に訴える力が強いために印象がさらに強く残るのです。
作曲者バルトークの作曲技法のすばらしさ、ショルティとロンドン響、そして歌手の表現の巧みさがより一層引き立てられています。
劇の内容にまで触れているスペースがなくなってしまいました。
ラストシーンを理解するのには時間がかかりますが、心理劇としてもすばらしいできだと思います。
感動がさめやらず、第5の扉「広大な領地」の部分を大好きなブーレーズの演奏でもう一回音だけで聞きました。

次はベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」です。
カラヤンとグールドがどのような演奏を繰り広げるのかワクワクしながら聞き始めました。
聞いていて幸せな気持ちになりました。
二人の息がぴったりなのです。
バーンスタインとグールドが演奏した同じ曲を聞いてみたのですが、カラヤンもグールドもお互いのよさを認め合い、よさを引き出そうと協力し合っているのがすごく伝わってきます。
それにつけて、バーンスタインのわがままぶり。
グールドに合わせようとする気配が感じられません。
というより、最初は努力したものの合わせられなくなったのであきらめました、という感じかなweep
ブラームスのピアノ協奏曲第1番のCD(ライブ録音)も持っていますが、演奏会の最初に「独奏者グールドのテンポに納得して演奏するものではありません」というバーンスタインの釈明があってからの演奏です。
「グールド、よくやった!」と私は拍手しましたが・・・。

あまりにもうれしくて長く書いてしまいましたnotes
「感動」のことを書かなくちゃならないのに・・・。
しかも明日は6時出勤・・・もちろん朝ですよ。
でも、好きな音楽にこれほどどっぷり浸かれることって、これから減っていくのかなあ・・・。

続・「感動」とは?

前回では「感動はよろこび」反応して生じる」と書きました。
その根拠として、国立精神・神経センター神経研究所微細構造研究部の湯浅茂樹氏の論文を紹介します。
非常に長くて難しい部分があるので必要な部分を私がまとめたものです。

その論文の中では、恐怖情動と嫌悪感情動の二つと「感動」とを明確にわけています。
感動のことも、快情動と表現しており、このことからもわかってもらえると思います。
明確にわけることができる理由は、恐怖や嫌悪感の時と感動の時では使われる情動にかかわる脳内の神経回路が違うからです。
専門用語が多くなるので詳しくは書きませんが、音楽を聞いて感動している時にはドーパミンという神経伝達物質が大きくかかわっています。
このドーパミンという物質は脳全体に作用し、幸福感や興奮、快感をもたらします。
音楽を聞いて感動した時に反応する脳の部位は、側坐核、扁桃体、前頭前野、前頭葉眼窩野、中脳といった報償系・情動系にかかわる部分であり、摂食、性交、麻薬、覚醒剤のような快感を引き起こす刺激に反応して活性化されるものと一致しています。
喜怒哀楽という感情の中でも、「よろこびに反応して生じるのが感動である」と述べた理由が少しはわかってもらえるのではないかと・・・。

以上のことから、「感動」とは「何らかの出会い・出来事による、情動の肯定的な方向への大きな動き」であると言えます。
そして、「感動」の条件として「価値を志向していなければ、心動かされることがあってもそれは単なる熱狂や一時的な陶酔でしかない」と言われています。
これらのことから、「何らかの出会い・出来事の価値を感じとり、そのことがその後の生き方やものの考え方・感じ方、行動に強い影響を及ぼす人格全体を揺り動かす感情」とまとめることができると考えます。

この「何らかの出会い・出来事の価値~」の「何らかの」の部分を音楽に限定することにより、私たちの考える「感動」がどのようなものなのかが見えてくると思います。
また、「人格全体を揺り動かす感情」と言ってもレベルがあります。
その部分を音楽の授業に関すること、音楽の授業中の子どもの心の動き、そして教える側の私たちの心の動き・・・と絞っていくことが大切なのでしょう。

難しい話になってしまいました・・・coldsweats01
私のメモ書きのようなものなので、混乱させてしまったらごめんなさい。
まだまだ思考の途中ですからたくさんの意見をお願いします。

「感動」とは?

これから来年度に向けて研究が本格化していきます。
そのベースになる考えをこのブログに思いつくまま書いてみようと思います。
いわば研究紀要の素材集だと考えてください。
ですから、話題が突然とんだり、脈絡のないことが出てきたり、全くの主観的な言葉遣いが目立ったりするかもしれません。
しかし、このブログを読むことによって、私や私のなかまの考えが日々どのように変容し発展していくのかがきっとわかることと思います。
前進の時もあれば後退している時もある・・・ぜひみなさんの貴重なご意見をお聞かせください。
みなさんの思考のフィルターを通すことにより、客観的な研究紀要ができあがると考えるからです。
ともに頑張りましょう!

さて、今回の大会で大切にしていきたい言葉の一つとして「感動」があります。
時間のある時に「感動とは何か?」を調べてみたのですが納得できるものが見あたりませんでした。
たとえば、「私たちは日々感動を求め、さまざまなものに感動している」とか「音楽を聞いた時に感動に打ちのめされる時があるがその時の要素には4つのことが考えられる」というように、感動そのものについて語られているものが見あたらないのです。
私は「感動」そのものの持つ意味を知りたくて悩んでいるのですが・・・。
感動とは何か?感動とはどのような意味を持つのか?感動とはどのように起こるのか?感動とはどのような心の状態をさすのか?感動とはどのような心の動きのことを指すのか?・・・これらの疑問にスッキリと答えてくれているものがないのです。
あたかも「感動」は自明のもの、として扱われている感じがします。
そうであれば、ここは自分たちで考えていくしかありません。
きっと前回解明した「感性」と同じように、「感動」も曖昧なまま漠然と使われているのではないでしょうか?
まずは得意の辞書を引くところから始めてみました(もちろん広辞苑ですlovely)。

「感動」~深く物に感じて心を動かすこと。

「感情」~(1)喜怒哀楽や好悪など、物事に感じて起こる気持。(2)〔心〕精神の働きを知・情・意に分けた時の情的過程全般を指す。情動・気分・情操などが含まれる。「快い」「美しい」「感じが悪い」などというような、主体が状況や対象に対する態度あるいは価値づけをする心的過程。

「情動」~〔心〕(emotion)怒り・恐れ・喜び・悲しみなどのように、比較的急速にひき起こされた一時的で急激な感情の動き。身体的・生理的、また行動上の変化を伴う。

「情操」~感情のうち、道徳的・芸術的・宗教的など文化的・社会的価値を具(そな)えた複雑で高次なもの。〈哲学字彙(初版)

「気分」~(1)きもち。心もち。恒常的ではないが比較的弱くある期間持続する感情の状態。爽快・憂鬱など。(2)あたり全体から醸しだされる感じ。

これらのことから、「感動」とは「感情」の一部であると私はおさえてみました。
では、「「感動」と「感情」や「情動」との違いは何なのか?
「感情」と「情動」を見てみると、どちらにも喜怒哀楽が含まれているのがわかります。
「感動」とはそのなかでも、「よろこび」に反応して生じるものではないでしょうか?
「ヴォツェック」というどうしようもないくらい暗いオペラを見て感動するのも、作品のすばらしさや演奏のすばらしさなどに心動かされているからではないでしょうか?
そうでなければ、この世の中が嫌になってしまうくらい落ち込んで終わりになってしまうような気がします。
その落ち込んだ状態を感動とは言わないですよね?

今日はここまでにします。
いろいろ調べ、考えてみたのですが・・・これまで「感動」をあまりにも大きくとらえ、漠然としたものとしてとらえすぎていたような気がします。
だからそれぞれの人によって考え方が違って一つの土俵の上で意見を交わすことができなくなっていたのではないかと。
私たちが問題としようとしているのは「音楽の授業における感動」です。





「脱成果主義」

収益環境が悪化した1990年代の日本経済。
その「失われた10年」を乗り切ろうと多くの会社が人事に「成果主義評価」を取り入れました。
年功制度を廃止し、年齢や役職に関係なく「売上高の対前年比」「新規事業の件数」など数字に表れる成果で功績を測り、給与や賞与に格差をつける。
つまり「稼ぐ社員がいい社員」ということになります。
成果至上主義と言われる理由です。
このような手法を導入した経営側の9割は「社員の意欲につながった」と評価していました。

ところが・・・
この「成果主義評価」を肯定的にとらえていた社員は2割ほどしかいなかったと言います。
このような状況ですから、あっという間に成果主義評価の副作用が出てきます。
「業務知識や人脈を他人に教えると自分が損をする。自分が上に上がるために自分さえよければいい。」
このような考え方が会社中に蔓延し、職場の雰囲気はぎすぎすし出すし、経営にも大きな悪影響を及ぼし始めたそうです。

三井物産という会社はこれを反省し、先輩から後輩へ、マニュアル化できないノウハウを伝えていくことを重視し、「人と人とのつながりを大切にする会社づくり」にとりくんでいます。
アメリカ型ではなく、ヨーロッパ型と言える方向転換だと思います。
人事評価も成果主義評価から「定性評価」というものにかえています。
その評価で大切にされているのは「利益という結果ではなく、プロセス重視」「人と人とのつながりを大切にし、人を育てる」ということです。
部下への指導姿勢や行動規範の順守など数字では表しにくい要素を重視しています。
いくら利益を稼いでも、個人プレーでは高い評価を得ることができないということです。
ここで、その定性評価」の主な基準を紹介しましょう。

▽企画立案
・広い視野で先を見通し、構想する。

▽実行推進
・人を引きつけ、協働する。
・信念と熱意を持ってやり遂げる。

▽人材育成・指導
・相手を知り、持ち味を認める。
・期待をかけ、仕事を任せる。

学校現場を見ているとこの流れに反していますよね。
学校現場は「成果主義評価」がまさに本格的に導入されようとしています。
教育の危機と言われる時代にあって本当にこの方向でいいのでしょうか?
不安を覚えるのは私だけではないはずです。
ただし、「定性評価」も今後の課題として公平さとのバランスがあげられています。

「感動」を辞書で調べる

「ピアノの森」を全巻揃えるべく岩見沢方面へと古本屋を回る旅に出かけました。
天気は雨rain・・・岩見沢が近づくにつれて降りが激しくなります。
お昼頃に南小学校の前を通ったのですが、たくさんの人たちが大慌てで片付けをしている最中でした。
人騒がせな天気ですよね・・・。
「ピアノの森」は。。。なんと全巻古本でそろいましたnote
結構売れているらしく何件も回らなくてはならなかったのですが・・・。

さて、今日は疲れていたので本当に少しだけ「感動」について考えてみました。
「感動」の意味を調べてみると広辞苑では「深くものに感じて心を動かすこと」とあります。
また、小学館の新選国語辞典では「感銘して心が強く動かされること」とあります。
さらに「感銘」の意味を調べると広辞苑では「心に刻みつけて忘れないこと。また、忘れられないほど深く感動すること。」とあり、小学館の辞書では「深く心に感じて忘れないこと」とあります。
広辞苑を元に解釈すると、感動が強く心に刻み込まれ、より深まった状態が感銘ということになるのでしょう。
どちらにしても「感動」とはただ感じることを指すものではないことを意味していると思います。
「感動」にもいろいろな段階のものがあると考えますが、「深く強くものに感じて心を動かされるもの」でなくてはならないのでしょう。
だとすると一回だけふれただけでそこまで到達するのは本当にまれなことと言えるのではないでしょうか?
「あ、これっていいかも(この状態は深くものに感じているという状態ではないですよね)」という状態から始まり、何回もふれることによって深まっていく心の動き、それを指すのではないでしょうか?(もちろん、一回でその状態に達することだってあるはずですが・・・)。
通り一辺倒で「う~ん、いいんじゃない」、という状態ではないのだと思います。
そう考えると、感動とは一生を左右するほどの心の動きと言えそうです。
音楽の時間で「感動」した経験を持つことができたなら、その後の音楽とのかかわり方に大きな影響を及ぼすものとなるのでしょう。
音楽の授業で、ここまで到達させることができたら最高ですよね!
ただし、その感動にもさまざまなレベルがあることを忘れてはいけませんが。。。

とめどもなく思いつくままに書いてみました(吉田兼好みたいですね)。
もう少し「感動」について掘り下げてみようと決意しているところです。
みなさんの考えもぜひ聞かせてください!

そんなことを考えていて疲れたのでブログのデザインをまたまた変更しました。
ブログパーツなるものも発見して貼り付けてみました。
下の方まで見ていくと変わったものが出てきます。
「YAMAHA」のはドラムの音が出ますnotes
学校で見てる方は聞けませんね・・・bleah

葬儀に参列して

学校の授業を終え、叔父の葬儀に急いで駆けつけました。
長い闘病生活の叔父でしたが、安らかな顔でした。
次の日にどうしても外せない用事があったのでお通夜にしか出席できませんでした。
心の中で「ごめんなさい」と唱えていたところ、お坊さんも次の日には用事で来ることができないとのこと。
お坊さんでさえそんなことがあるんだな、と少しホッとしました。
次の日に参列できない分、しっかりとお参りしてきました。
それでよいと言うものではないのですが、立場上仕方がなかったので・・・。
そして、自分の体力と時間の許す限り、できるだけ親類縁者と昔の思い出を語ることに徹しました。

おじさんを覚えている方がいなくなった時点で、残念ながらおじさんの存在を知る人はこの世にいなくなってしまいます。
少しでも昔のことを語り継いでいく責任が残された者にはあると思うからです。
自分が受けた恩を次の世代に引き継ぐことで世の中は成り立っていると思うからです。
次の日の会議はなかなかつらいものがありました。
頭が少々痛かったり、かなり腰が痛かったり、心臓がバクバクいっていたり・・。
うまく考えがまとまらなかったものの実りの多い、充実した時間でした。
自分は未来に生きようとしている、という感覚がありました。

本当はこんなことは書くべきではないのでしょう。
でも、参加している方々がいろんな事情をそれぞれ抱えながら来ているということをわかる貴重な体験をすることができました。
だからこそ時間を大切にしなければいけないし、何か参加した人たちのためになるようなものでなくてはならないと思うのです。
「やってやったのに・・・」とすぐ考えてしまう私の狭い人間性を見つめ直さなくてはいけないと考えさせられた日でした。
やれるところまでやってみようと考えています。

学ぶ意欲の育て方

教育開発研究所の小島宏さんの「子どもの学ぶ意欲の育て方」です。
10のポイントを要約して紹介します。

<ポイント1>
授業の質をかえる。「教師が説明し、子どもがじっと聞いて理解し、練習して覚える」という授業では、知識・技能を中心としたテストには強くなるが、子どもは疲弊し学ぶ意欲は減退していく。「問題(課題)を示し、既習事項を活用して自分でできるところまでさせ、教師が交通整理しながら新しいことは教え、学習のまとめをする。学習した知識・技能、考えを適用して問題を解決し、新しい学習に既習事項として活用する」授業にすることが重要である。子どもを主体者にしなければ意欲は高まらない。

<ポイント2>
授業を成長の場とする。授業の中で戸惑いやつまづきなどにそのとき・その場でていねいな手立てを講じ、わかるようにする。指導と評価と支援の一体化を現実のものとする。

<ポイント3>
肯定的評価を重視する。よい点を見つけ、知らせ、ほめ、自信を持たせるようにする。そして、より一層よくするために、注文を明確に簡潔につけるようにする。

<ポイント4>
全体より部分の発想でとらえる。完成品としてのよさにとらわれず、子どもの発想のよさ、間違いの中にあるきらりと光る部分を見つけ、知らせ、ほめ、自信を持たせる。

<ポイント5>
人より仕事で見る。あの子はこうだと概括的に判断せず、今したことを素直に受け止め、よい点を大きく評価する。

<ポイント6>
「昨日より今日」を重視する。子どもによって個人差は様々である。しかし、個々の子どもの進歩に目を向けるとそれぞれの伸張が認められ、自信とやる気を高めることができる。

<ポイント7>
考えるようにする。じっくりと考えることを嫌う子どもが多い。考えることを苦にしない子どもにする必要がある。そのためには、考えたらよかった、うまくいったという体験をさせる。

<ポイント8>
わかるようにする。理解した知識を問題解決などに活用させながら定着させるようにする。わかったことを知識として暗記させるだけの学習を克服する必要がある。

<ポイント9>
できるようにする。原理を理解させ、集中的に練習させる。そして、問題解決に活用させながら一層習熟させる。

<ポイント10>
使えるようにする。練習して覚えるだけでは子どもは学習に面白さを感じられなくなる。既習事項(知識・技能、考え方)を活用して問題を解決したら、新しいことを学び取れるようにしていくことが知的好奇心を喚起し、学ぶ意欲につながる。

時の流れ・・・

先日、初任校で同僚だった方が亡くなったばかりでした。
そして今日の夕方、叔父が長い闘病生活の末に亡くなりました。
今年の3月から危ないと聞いていました。
それから2ヶ月、命の炎を最後の最後まで燃やし尽くしていたのだと思います。
ここ数日、何となく予感はあったのですが。
新しい出会いがあるかと思えば、一人ひとりと思い出の人となっていく・・・。
知らず知らずのうちに自分も年齢を重ねてきているんだなあ、と実感させられます。
親類縁者の数も年齢を重ねてきているせいか、だんだんと少なくなってきています。

子どもの頃はお盆やお正月には親戚一同で賑やかに何日も過ごしました。
でも、祖父が亡くなり、祖母が亡くなり・・・。
だんだんとそのような機会がなくなってきています。
結婚式やお葬式で久しぶりに顔を合わす方々が多くなってきています。
せっかく顔を合わせても、ややしばらく誰かわからなかったり。
説明を受けないと全くわからなかったり。
なんだか人間関係が希薄になってきているような・・・。

さまざまな思いを持ってお葬式に参列してきます。

「世界の・・・」

私は子どもたちに陰で「にしあつ」と呼ばれています。
特に最近は陰ではなく、結構直接耳にすることが多くなりました。
そう、奴がテレビに出るようになってから・・・。
その人の名は「世界のなべあつ」ですangry

荒れていた学校の名残で私はポケットに鈴を入れています。
子どもたちに自分が近くにいることを知らせるためです。
まるで登山の時に、熊に自分がいることを知らせるみたいでしょ?
元気のいい子どもたちに限って、この鈴の音に細心の注意を払っているようで・・・。
ありがたいですよ。
まじめな子どもたちはあまり気にしていないようです。
今日も職員会議の最中、二階でなにやら騒いでいる様子でした。
ちょっと会議を抜け出して注意しに行くと・・・。
階段の途中で鈴の音がしたとたん「世界のにしあつだ!「大きい声で言うなって!」と声が聞こえバタバタと走る音、その後はし~んとしてしていました。
とうとう「世界の」がついてしまいました・・・。
同僚もふざけて口にするし。
1,2,upwardright・・・

「状況を察する知力」

日本経済新聞にハーバード大学教授ジョセフ・ナイ氏の興味深い記事があったので紹介します。
タイトルは「指導者のリーダーシップ発揮 ~状況を察する知力が重要」です。
内容のポイントは次の3点です。
①危機への対処で指導者は鍛えられる
②よくある危機と全く新しい危機を見分けよ
③何を自分が決定し、何を委ねるか分別を

記事全文を載せると膨大な量になってしまうので、ここでは「望ましいリーダーシップのあり方」を載せます。
ナイ氏はソフトパワー、ハードパワー、スマートパワー(ソフト/ハードパワーの組み合わせ)の3つの観点から整理しています。

〈ソフト・パワー〉
社会的知性
・人間関係を円滑に維持する能力、カリスマ性
・自己認識力、自己抑制力
コミュニケーション能力
・説得力、象徴性、模範となるような言動
・近い相手・遠い相手に対する影響力
ビジョン
・大勢を魅了するような構成力
・思考力と実行力のバランス

〈ハード・パワー〉
組織運営能力
・報償や情報をうまく使いこなす力
・内部集団・外部集団との関係調整能力(直接的・間接的指導力)
策略家としての能力
・脅し、買収、交渉を巧みに行う才覚
・有利な同盟や協定を締結・維持する能力


〈スマート・パワー〉
状況判断力(広い意味の政治力)
・状況変化を読み取る力
・流れに乗る力(ツキを呼び込む力)
・状況や部下のニーズに合わせた適応力

経済と政治についての新聞なのですべてが教育に即あてはまるものばかりではありません。
でも、読んでいくと学習指導要領改定案にも通ずるものが結構ありますよね。
教育だけが一人歩きしているのではなく、政治や経済など日本の国全体でどのような人間を育成しなければならないのか、と言うことを考えているのだと思います。
私たち教師は学級や授業の集団、様々な学校生活、職員集団の中でリーダーシップを発揮しなければならない立場にあります。
私たち教師にとっては必要のないものもあるかもしれませんが参考になればと思い載せてみました。

「小さな音楽祭」

奈井江町の音楽なかま「奇想天外」主催・企画の「小さな音楽祭」に行ってきました。
「小さな」なんて謳っていますが、それにだまされてはいけません!
すばらしく意欲的なプログラムで、聞き応えのある演奏会です。
体調の関係で、及川浩治さんの「ラフマニノフの世界」しか聞けなかったのが残念でした。
事前のパンフレットには「ピアノ・ソナタ1番」とあったので、「この難曲をどう演奏するのだろう」と興味津々で会場に着きました。
ついて当日券を買い、席に落ち着いてからプログラムを見てちょっとがっかり・・・。
一番楽しみにしていた「ピアノソナタ第1番」が変更になっていました。
第1楽章ファウスト、第2楽章グレートヒェン、第3楽章メフィストフェレス。
ゲーテのファウストを主題にしたちょっとマニアックな曲ですものね。
仕方ないかなあ・・・と思います。
かわりに演奏された曲の中で、弾いたことのある曲が6曲ほどあり、懐かしかったです。

それにしても熱くて、激しいラフマニノフでした。
体温が1度くらい上昇したかなhappy01
ベーゼンドルファーが炎を噴いていたような感じでした。

その反動か、今日は叙情的なラフマニノフを聞きたくてアシュケナージの弾く「コレッリの主題による変奏曲」を聞いています。
単純な主題からして、弱音の中にいろんな音色がちりばめられている演奏です。
一音一音、旋律であろうが和音であろうが音色が違うのです。
これだけニュアンスの豊かな演奏は滅多にないと思います。
アシュケナージの中でもベストの演奏に入るんじゃないかなあ・・・。

人が違えば演奏が違う。
あたり前のことですが・・・だからこそおもしろいんですよね!

「ピアノの森」その2

「ピアノの森」を見ながら自分の昔のことをあれこれと思い出しました。
自分の昔のことはよく子どもたちに話します。
私の失敗だらけの生き方から何かをつかんでくれればと思って・・・。

私はピアノが大好きです。
指は速く動かないし、初見演奏はできないし、一つのパッセージを弾けるようになるのにたくさんの時間がかかるし・・・一言で言うと下手。
しかも、通して弾ける曲なんか昔はほんのちょっと、今はありません。
でも、ピアノを弾いて出てくる響きを味わうのが大好きです。
ほんの1小節、もしかしたらたった一音だけでも自分の出すピアノの音にふれることができたら幸せに感じます。
今でも、時間が許せば何時間でもピアノの前に向かっていても飽きることはないでしょう。

すごく下手なピアノでよく大学に入ったものだと我ながら思うことがあります。
大学合格はラッキー以外の何ものでもありません。
ラッキーでも入ってしまったらこちらのもの。
ただ、いつまでもラッキーだけで終わらせたくなかったので卒業するまでには自分の実力をしっかりつけようと考えました。
下手だからこそ、「入学したら思いっきり練習して少しでも自分の弾きたい曲を弾けるようにしよう」と決意したのです。
下手は下手なりに猛練習を重ねました。
朝の6時から夜の9時半まで・・・。
下宿に帰ってからは楽譜を読み続け・・・。
寝ても覚めても音楽、自分のやりたいことをとことんやった充実の毎日でした。
どんなにたくさん練習を重ねても、つらいとか苦しいと思ったことは一度もありませんでした。
大好きなピアノと音楽にのめり込める毎日は幸せでした。

そんな私の姿を見て、ある先輩の方々は陰口をたたきます。
「あの人、あんなに練習しているのにうまくならないよね」
「才能がないんじゃない?無駄な努力して」
「たくさん練習していることを自慢したいんじゃないの?」
「時間の無駄!あんなに練習したって教師にしかなれないのに・・・」
「耳障りな音を何時間も聞かされるこっちの身にもなってよね」
でも、そんなことを言う人に限って私の前では「いや~、頑張ってるね。頭が下がるよ。きっと練習の成果が発揮される日が来るから」なんて平気な顔で言います。
いますよね・・・こういう人たち・・・。

ちがうんだって!!!
私は大好きなピアノをたくさん弾きたかっただけ。
自分がどこまでやれるのかとことん突き詰めてみたかっただけ。
少しでも大好きなホロヴィッツのような音を出せるようになりたかっただけ。
才能がないからこそ、それを練習で補おうとしただけ。
ただそれだけなんですが・・さんざんな言われようでした。
どうして人は人、自分は自分という考え方ができないのでしょう?
自慢しようなんて一度も考えたことすらなかったのに。
変に競争意識ばかり高くて。
人と比べることばかりに躍起になるのではなく、自分の音楽、自分のピアノを好きになればいいのに。
その人にしか出せない音があるのだから・・・。
自分に自信がないから、自分以外の人を認めることができなかったのかな。

自分がこんな経験をしたからかもしれません。
自分の出会った子どもたちには、人が何と言おうと自分の好きなことをとことん突き詰めてみたら、と伝えます。
いい教師ではないですよね。
一生懸命取り組んでいると、自分に何が足りないか、何をしなければいけないか・・・何となく道が見えてくるから、と。
それから、「自分には無理」「こんなにやっているのに全然自分の力量が高まっていかない」・・・この発想はやめようと。
「力量がないからこそやり続ける」。
最初からできることだったら別に努力しなくてもいいですよね。
できないからこそ努力を重ねるわけで。
人をうらやんだり、自分を過小評価してばかりいるのではなく、その暇があったらやり続けることが大切だと思います。
思いだけで書いてしまいました・・・読みにくい文章ですいません。

「ピアノの森」その1

3年生が修学旅行だったので音楽の時間がちょっと多めになりましたscissors
これを利用しない手はありません。
1年生は「美女と野獣」、2年生は「ピアノの森」をそれぞれ視聴することにしました。

まず、1年生。
「小学校の時に何かミュージカルを見たかい?」と聞くとすかさず「エーデルワイスとドレミの歌が入ったのを見た」と答えます。中には歌い出す子どもも。子どもたちの心にしっかり残っているんですね。
そのあとで「サウンド・オブ・ミュージック」の話をしながら覚えているミュージカルの特徴を確認していきます。
うれしいことに、歌、踊り、台詞、舞台装置、舞台美術、演技・・・ちゃんと覚えていて発言してくれます(小学校の先生!自信を持っていいですよnotes)。
これを確認しておくと、オペラやバレエ、歌舞伎などの芸術を学習する時にすごく役に立ちます。
さて、今回視聴する「美女と野獣」のいいところは、魅力的な歌がたくさん入っているのはもちろん、ストーリーの展開が早く、作品としてもまとまっていることです。子どもたちの集中力が切れないのです。
本当はミュージカルの実演を見せたいのですが、浦臼は3年に一度しかそのような機会がないのです(でも、それって幸せな方なのかな・・・)。
本物の力はすごくて、「これは子どもたちには難しいんじゃないか」と思える作品でもちゃんと受けとめて帰ってきます。
今回の「美女と野獣」を通してミュージカルっておもしろうそう、いつか見に行ってみようと思ってくれたら最高です。

そして2年生。
なぜ「ピアノの森」なのか?
父親がピアニストで、親が敷いた通りのレールに沿って、言われてピアノを始めた雨宮修平。
方や、誰かに言われたわけでもないのに、ただピアノが好きで好きで森に捨てられていたピアノを自己流に弾いていた一ノ瀬海。
その二人の登場人物の生き方を学んで欲しかったのです。
今の子どもたちって、残念ながらこの雨宮修平のような生き方をさせられてしまっている子どもが多いと感じるので。
稼げること、お金になること、食いっぱぐれないこと・・・。
「そんなことやっても無駄」「お前には無理」「自分をわきまえろ」「プロになれるのか」「それをやって何になる」・・・そんな言葉をたくさんの大人に投げかけられている子どもたち。
「好きだから」「納得するまで突き詰めてみたい」・・・ただそれだけなのになあ。
大人の常識に感化され、大人の敷いたレールを今更降りることができない子どもたち。
「好きなこと」「夢」を求めて存分に生きて欲しいという願いをこめてです。
何か感ずることがあったのでしょう、真剣に真剣に見ていました。
そしてもうひとつうれしいことが!
不登校の子どもが突然登校してきたのです。
1時間目は保健室で勉強。
2時間目に入る時、もしかしたら「ピアノの森に興味を示すかもしれないと思って話をしてみました。「今、音楽の授業でピアノの森を見ていて、3時間目の音楽の時間に残り半分を見ることになっているんだけど・・・見てみる?」と。
その子が「見たい」というので2時間目を音楽の時間にしました。
クラスのみんなが見たところまで見終わったあと、「どうする?残りをみんなと見てみるかい?」と聞くと、その子はすかさず「うん」と言います。
登校したその日にクラスの中に入ることができたのです。
休んでいる間にエネルギーがたまっていたこと、クラスの仲間と担任の先生があたたかかったこと、たまたま「ピアノの森」に興味があったこと・・・いろんな条件が重なってのことだと思いますが、驚きでした。
ひょんなことから、うれしいうれしい一日となりました。
「ピアノの森」・・・忘れられない作品になりそうです。
そのこのために、「ピアノの森」の本を買うことに決めました。
一緒に読もうと思って・・・。
私にできるのはそんなことだけだと思うので。

「総則」を読む

記事数がベートーヴェンの最後のピアノソナタの作品番号111と同じになりましたhappy01

笹木さんのコメントを見て「総則」にあたってみました。
きっかけがなければなかなか読まないと思うので・・・ありがたかったです。
ここで扱うのは「第1 教育課程編成の一般方針」の一部です。

現行では・・・
「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とあります。

そして改定案では・・・
「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、基礎的・基本的な知識・及び技能を確実に習得させ、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむとともに、主体的に学習に取り組む態度を養い、個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とあります。

現行と改訂案を見比べてみてどうですか?
①「基礎的・基本的な内容」は「基礎的・基本的な知識及び技能」と「知識基盤社会」と言われるこの時代を反映させたものとなっています。しかも、「定着(一定のことを身につける)」としていたものを「習得(ならい、おぼえる)」として、教師側の指導の必要性を訴えています。子どもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇する状況があったとの指摘を受けてです。
②①で確実に身につけたことを「活用」して、「課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくむ」とありますから、知識や技能を身につけただけではいけないということになります。知識や技能に裏打ちされた思考力、判断力、表現力その他の能力の育成を目指しているのでしょう。知識や技能偏重の教育への警鐘と言える部分だと思います。各教科における知識・技能を活用する学習活動が不十分であり、各教科での知識・技能の習得と総合的な学習の時間での課題解決や探究活動との間の段階的なつながりが乏しくなっているとの指摘を受けてです。
③それらととともに「主体的に学習に取り組む態度を養う」と続きます。
言葉のレベルから考えると
「意欲的・・・言われてやる。
「主体的・・・言われてやったり自分から進んでやったりするが、考えたり行動する時はあくまで自分。
「自主的」・・・他からの干渉を全く受けることなく自分で決定してやる。
「共感的」・・・相手や周りのことを考えて行う。
ここでは「主体的」という言葉が使われていることから、教師側に指導の大切さを認めつつ、自ら学び考えることを大切にしようとすることの重要性を訴えているのだと思います。そのものずばりの言葉はありませんがね。

つまり、「生きる力」の理念は次の学習指導要領でも生き続けることになります。
○基礎・基本を確実に身につけ、いかに社会が変化しようと、自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力。
○自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。
○たくましく生きるための健康や体力  など

そのほか、「教育課程編成の一般方針」では
①言語活動の充実
②家庭との連携を図りながら子どもの学習習慣を確立すること
が明記されています。
長くなりました・・・111の数字のせいですかねcoldsweats01

作曲者の真意は?

マーラーの交響曲第6番を聞きました。
ゲルギエフ指揮、ロンドン交響楽団のライブです。
PMFでショスタコーヴィッチの交響曲第11番を聞いてからゲルギエフのファンとなりました。
指揮者の動作一つひとつに敏感に反応するオーケストラ。
あんな演奏はめったに聞けない集中力の高いものでした。
タワーレコードで試聴したらそのときの雰囲気が出ている演奏だったので。

さて、マーラーの交響曲第6番第1楽章、何かが迫ってくるような開始で演奏にどんどんどんどん引きずり込まれます。
そして、トランペットからオーボエに移行するときのなめらかさ、アルマの主題と言われる第2主題の音色が次から次へと変化していく妖艶さ。
感情が揺さぶられます。
コーダでは気持ちを切り替えて、何か未来に向かって行こうとする気分になってきます。
第1楽章が終わって、第2楽章。
あれれ???????
聞こえてきたのは緩徐楽章。
スケルツオ楽章ではなかったのびっくりしてしまいました。
CDプレーヤーが壊れたかと思って調べてみたけど異常なし。
次に、「楽章の順番が何で違うんだ。勝手に入れ替えたのか?」とゲルギエフを疑ってしまいました。
気になったので調べてみると・・・
なんと作曲者であるマーラーは最終的に第1楽章の後に緩徐楽章と考えていたようです。
自分でも演奏してみた結果、この順番が最良であると自ら結論づけたとか。
おそらく理由は、第1楽章とスケルツオ楽章を別物に考えてほしいという考えからだではないでしょうか。
低音のリズムや音の動きが第1楽章とスケルツオ楽章は似ています。
しかし、拍子が違うのです。
きっと第1楽章とスケルツオ楽章を連続して演奏すると、続きの曲のように勘違いして聞かれることが多かったのでしょう。
続けて演奏されると確かにそのように聞こえてしまいます。
作曲家自身は、素材が似ていても別物に聞いてほしかったのに違いありません。
私見ですが、第1楽章の次に緩徐楽章、そしてスケルツオ楽章、第4楽章フィナーレだと第4楽章の深刻さがますます深められて聞こえるのです。
全楽章のつながりや意味が増す感じがするし、気持ちも整理を付けて聞くことができるので私はこの順番が気に入りました。

それにしても作曲者の最終的な意図が無視されて今まで演奏されてきているのだとしたら・・・。
短気なマーラーのこと、きっとあの世で歯ぎしりしているかもしれません。
二つの版があるのは確かなのですが・・・。

言葉とこころ~「忙」

文化人類学者の船曳建夫さんの言葉を紹介します。
ちょっと長いので、内容をかいつまんで。

周りから見ると「あの人はかなり忙しい」という人がいます。
しかし、当の本人は「ちょっと大変」ぐらいのことしか言わない。
そんなことはないはず、とその理由を考えてみると・・・
忙しさに関する「船曳の定理」を思いつく。
忙しさとは「仕事量÷能力×正確さ」。
たくさん仕事があれば忙しいけれども、さっさとこなす能力があれば優雅でいられる。
逆に少しの仕事でも「能力」がないと忙しいと感じる。
忙しさを軽減するには、仕事を減らし、能力を上げればよい。
そうはいっても、仕事は断れないし、能力だってすぐには進歩しない・・・。
では、正確さはどうか?
どうでもいいことにこだわって時間をかける人がいるが、仕事のできる人は「仕事に対する誠実さ」と「不必要な完全主義」の見極めがしっかりしている。
「仕事を100%完璧に仕上げようとすると、最後の10%にそれまでと同じだけの時間と労力を使ってしまう。通用しない仕事もあるが、大抵のことは90%で充分。結果はあまり変わらない。」なんて書いてあります。
全力を出し切ってしまうと新しいことを身につけたり、次の仕事へに取り組んだりする時間とエネルギーがなくなってしまいますものね。
「全力を出し切らない」は私も常に心がけていることです・・・ちょっと違うかなcoldsweats01

他にこんな文章もありました。
「忙しそうに見える友人にものを頼むとすべて即決。忙しいから選択の余地が限られていて、ぐずぐず言わない。そして引き受けたら必ずやる。次々とこなしていかないと、押せ押せになって仕事がきつくなるから」。
このことから船曳さんは「仕事を頼むときに忙しい人を避けようとする人もいるが、それは間違っている。忙しい人ほどきちんと対応してくれて、かつ約束を守る。そのように信頼できる人だから忙しくなる。」ということなのだと言います。
さらに、「世の中ではあまり忙しくない人が忙しさを自慢する。能力がなくて、変なこだわりがあり、余計なことに時間を割き、自分だけが忙しいと思い込んでいる人に限って。」と。
最初に戻るけど、仕事のできる人ほど本人は忙しさをそれほど感じていない。
でも、できない人に限って忙しいそうに言い、行動し、そして自慢する・・・。
耳の痛い話ですbearing
これまでの自分が恥ずかしいです・・・気をつけなくちゃ! 

「独楽」

「独楽」と書いて「こま」と読みます。
三島由紀夫さんのエッセイで、ちくま文庫から出版されている「私の遍歴時代」に集録されています。
日本の古典文学に精通し、それがすべて三島の中に集約されて表現されているといった感があります。
それに根ざした言葉と文章の美しさに私は惹かれます(決して私は右傾向ではないですよ!)。
高校の時に読んだ「青の時代」は衝撃でした。
「独楽」は、わずか5ページの短い作品ですが、三島作品の中でも心に深く印象を残す作品だと私は思うのですが・・・。

ご存じのように、三島は自衛隊へクーデターを訴え割腹自殺します。
この作品はその死のちょっと前に書かれた作品です。
作品の内容を紹介すると・・・

ある春の日の午後、三島のところに一人の高校生が彼を訪ねてきます。
忙しかった三島は会うつもりはなかったものの家政婦に促されて5分という約束で高校生と話をすることに。
「一番聞きたいことを質問しろ」と高校生に言う三島。
すると・・・
その高校生は「先生はいつ死ぬんですか」と質問します。
この質問は三島の心に鋭く刺さったようで、文章にも動揺の後が伺えます。
文章の美しさにこだわりを持ち、乱れることのない三島の文章がここではストレートに心の動揺を反映させています。
おそらく、この高校生が訪問してきたときには死を覚悟していたのでしょう。
誰も知らないはずのその覚悟を見抜かれたことに大きなショックを受けたのだと思います。
その後の文章は少年論となっています。
ひたすら自分の動揺を隠すために何かをはぐらかすような内容で・・・。

作った人の心がストレートに反映された作品って、文学に限らず、音楽でも美術でもそのほかの芸術でも人の心に大きな衝撃を与えます。
私はそんな作品が大好きです。
邪悪なにおいがしますが・・・。

10分間の音楽鑑賞

1時間いっぱい一つの曲を聴くことに集中する。
曲の特徴を聴き取ったり、情景を想像したり、特徴と情景をかかわらせてみたり・・・。
理想的な音楽鑑賞の授業だと思います。
そうはいっても、なかなかそうはいかないときもあることでしょう・・・。
子ども自身が音楽を聞くことに集中できなかったり、時数や行事との関係でどうしてもじっくり鑑賞にり取り組めなかったり・・・いろんなことがあると思います。
そんな時は授業の最後の10分間などを利用して、ちょっと短めの曲を鑑賞させるという方法もあると思います。
たった10分と感じるかもしれません。
しかし、それを積み重ねていくとすごい力になると思いませんか?
聞かせる曲もちょっと子どもが興味を持ってくれそうなものから入るのも一つの手だと思います。
クラッシックの短い曲ばかりではなく、映画のサントラ盤も利用してみてはどうでしょうか?
「ハリー・ポッター」「パイレーツ・オブ・カリビアン」などなど・・・使われている音楽もすばらしい映画が結構あります。
サントラ盤で音楽だけを聞かせて「どんな場面かな?」と情景を想像させ、そのあとにその音楽が使われている場面を映像つきで視聴させてみるのもおもしろいと思います。
力がついてきたところでさまざまな音楽を聞かせていけばいいですよね。

「ジーザス・クライスト=スーパースター」

「キャッツ」や「オペラ座の怪人」で有名な作曲家アンドリュー・ロイド=ウェーバーのロックオペラ「ジーザス・クライスト=スーパースター」を知っていますか?
オペラとは銘打っていますがミュージカルです。
キリストが十字架にかけられるまでの7日間を描いたミュージカルです。
「聖書」を題材としながらも、神の子ジーザスというよりも人間的なジーザスの面を描いた作品であること。
このエピソードにつきもののジーザスの復活が扱われていないこと。
このような理由からいくつもの宗教団体から抗議を受けている作品です。
ですが、人間味あふれるジーザスの姿が宗教のあるなしを越えて見る人の心に感動を呼び起こす作品になっているようです。
また、ジーザスへのユダの愛と絶望が大きな山場を作り上げているようです。
残念ながら私は見たことがありません。
ずっと見たくて見たくて映画も探していたのですが見つかりませんでした。
ところがsign03
なんとBS-hiで映画が放送されたのですgood
うれしさのあまり、手を震わせながらすぐに予約録画をしました。
最近、不思議なことに手に入らなくてあきらめていたものが次々と目の前に現れる感じがします。
ありがたいです。
ゆっくり見ますhappy01

今日は一日ゆっくりの日でした。
新十津川の温泉に行き、そのあと足圧マッサージ(足で全身をマッサージしてくれるのです)をしてもらいました。
リンパの流れが悪い、と指摘されましたがそれも解消されたような気がします。

読み間違い・・・

P1000074ある雑誌を読んでいると・・・

「ホロヴィッツが最後にハンバーグを演奏」

という文章を発見。
なんのこっちゃ??????
とよくよく見ると・・・

「ホロヴィッツ最後のハンブルグでの演奏」


でしたcoldsweats01
歳とともに思い込みが激しくなってきています。。。気をつけなきゃ!

このCDただ者ではないです。
SHM-CD(Super Hight Material CD)という高音質のCD。
「そんなにかわらんだろう・・・」と疑惑を持ちながら聞いたのですが音が自然です。
本当に実際の演奏を聞いているみたいな雰囲気もあります。
演奏も私にとって別格な存在のホロヴィッツのだからなおさら感激です。
   

モーツアルト「ピアノソナタ」 

昨日は朝から卓球の試合の引率。
試合終了が19時・・・家に着くと20時・・・疲れましたdespair
帰ってきてからは何もする気が起こらず、CDを聞くことに。
こういう時はモーツアルトがいいかなと考え、届いたばかりのCDを聞いてみることにしました。
1_2
リリー・クラウスというピアニストの演奏です。
私が中学生の時、教科書にモーツアルトのピアノソナタK.331が鑑賞曲として載っていたのです。
そう、「トルコ行進曲つき」のソナタです。
授業では聞かせてもらえなかったのですが、聞きたくて聞きたくて。
その理由は・・・ちょうどソナチネアルバムを習っていた時だったのでソナタ形式のことをピアノの先生に教えてもらっていたからです。
このソナタは私が習ったソナタ形式の楽章がないものと説明があったので、気になって仕方がなかったのです。
「それをソナタと呼べるのか?」・・・中学生の素朴な疑問です(呼べるんですよね!)happy01
そこで買ってきたのが、リリー・クラウスの演奏するレコードでした(K.331を聞いて心がウキウキしましたが、気に入ったのは併録されているK.333の変ロ長調のソナタの方です)。
コロコロと音が転がるようで、右手がよく歌う演奏です。
それ以来この演奏がずっと頭の中に残っていたので、今回値段が下がったのを機に全集を買ってしまいました。。。
やっぱりよかったです・・・疲れた頭と体がスッキリしました。

リリー・クラウスはモーツアルト弾きとして有名でした。
そのリリー・クラウスの発言の中に「グールドはもっと普通にモーツアルトを弾けばいいのに・・・」というものがあります。
グレン・グールドの才能を人一倍かっていたリリー・クラウスの発言と知りました。
高校生の時にこの文章を読み、すぐにグールドの弾くモーツアルトのピアノソナタを買いに行きました。
聞いてみてびっくり!目から鱗でした。
「こんな風に演奏してもいいんだ」、と夢中で何回も聞いた覚えがあります。
マシンガンのような連打が痛切に胸を突くK.310、止まりそうだけれども瞬間瞬間が美しいK.331、これ以上可憐な演奏は不可能と思えるK.545、どこまでも暗いファンタジアニ短調K.397・・・(大学生の時に楽譜をよく読み、グールド流に演奏して教官に怒られた記憶がありますhappy02)。
グールドは普通(私の一番嫌いな言葉ですが)に弾いても超一流の演奏ができます。
すばらしいデッサン力を背景に、対象の簡素化・デフォルメ・破壊と再生で刺激的な絵画を制作したピカソに似ているかもしれません(私は青の時代の絵が一番好きですが)。
まあ、最初からグールドの演奏を聞くのはオススメとは言えません。
伝統に根ざした演奏を聞いた耳でグールドの演奏を聞くことが大切なのだと私は思います。

他に、マレイ・ペライアのモーツアルトもいいです。
イギリス室内管弦楽団とのピアノ協奏曲はオーケストラと協演(協力しながら一体となって演奏)しようとする姿勢が全面に出ています。
ピアノとオーケストラとのやりとりがとても楽しいです。
また、遊び心たっぷりのフリードリヒ・グルダの演奏もすばらしいです(今回CDを買う時にリリー・クラウスとどちらにするかかなり迷ったピアニストです)。

横道にそれてしまいましたが、しばらくはリリークラウスのこのCDから離れられないような気がします。
ちなみに・・・第2次世界大戦の時(確かフィリピンでだったと思いますが)、演奏旅行の途中で日本の捕虜となってしまったリリー・クラウス。
でも、彼女のことを知っていたクラシック好きの日本兵が「リリー、モーツアルトを弾いてください」と言って解放してくれたというエピソードがあります。 

反省ばかりの授業

教師になって21年目となりました。
ずっと中学校教師、しかも同じ学校で10年目です。
こんなことを書くと、さぞ子どもの心をつかんだすばらしい実践の連続ばかりと想像することでしょう。
これだけ年数を重ねているのですが、残念ながら自分の納得のいく授業は3回あるかないかです。
その多くの授業は、一生懸命参加してくれている子どもたちに大変申し訳ない授業ばかりです。
子どもたちに少しでもよい授業ができるよう勉強するもののなかなかうまくいきません。
ちょっとうまくできたかな、と思っても「これは違うかな」と感じることがすぐ出てきてしまうのです。
でも、突然うまい授業ができるようになるわけではないので「いつかは!」という気持ちで長い目で見るようにしています。
そうでないと、今すぐに教師を辞めなくてはいけないような気持ちになってしまうからです。
きっとみなさんも同じ思いでいることでしょう・・・。
「できない、もっといい授業を!」と考えるからこそ努力するんですよね。
もし、完璧にできるのだったら努力なんて必要ないと思います。
できないからこそ努力するんです。
「努力しているのに、あの人(自分)はこれだけしかできないよね」・・・この考えは間違っています。
この考えにとりつかれている人は、発想を変えましょう!

さて、今日は3年生の音楽の授業がありました。
滝廉太郎さんの「花」と「心の瞳」を勉強しています。
「心の瞳」は今日が初めてなのでパートの練習から始めました。
待っている子どもたちには「花」の旋律部分のみを書き写す課題を出して。
連休後の授業だからかパートの練習もだらっとしています。
楽譜を書き写している時も天井ばかり見つめて・・・。
こんな時はだんだん気持ちが悲しくなってきます。
「もっとのせる方法があるんだろうなあ。。。」と。
そのうち、課題に手をつけようとしない子どもがいることを発見。
机に突っ伏して何一つやっていません。
よく見ると、教科書を持ってきていないのです。
腹が立ってきました。
忘れた時は授業前にいいに来るように1年生の時から伝えてあったからです。
その目的は、怒るためではなく、授業で使う時に困るので必要な手立てをしたいからです。
でも、その子どもは言いに来ていませんでした。
だからこそなおさら腹がたったのです。
「点数から減点しておこう」そんなことをついつい考えてしまいました・・・。
そして、「怒ろうかな」と思った瞬間、隣の子どもの教科書をのぞき見てちょっと悲しい表情をするではありませんか。
その表情を見たとたん、一瞬でも「減点しよう」なんて考えた自分が恥ずかしく思えてきました。
なんて冷たい教師なんだろうと。
すぐに教科書を貸しました。
「今度忘れた時には言いに来るんだよ。学級での忘れ物調べの時には正直に手を挙げてね。」と伝えて。
すると、だるそうな表情をしながらも課題に取り組むではありませんか!
授業が終わったあと、「これ、ありがとうございました」とお礼を言いながら教科書を返しに来ました。
なかなかそういうことを素直に表現する子どもではないのですが、今日はちゃんと伝えてくれました。
怒っていたらどうなっていたかなあ・・・。
今日も子どもに教えられたような気がします。
まだまだ嫌なところがたくさんの未熟な自分です。

冷酒?燗酒?

マイリスト「よく行くサイト」に紹介しましたが「純米酒専門 池田屋」さんとの出会いは衝撃でしたbottle
昔から純米酒の方がお米の味がするので好んで飲んでいました。
買うのもほとんど「純米酒」と書いてあるものを選んで。
その理由が池田屋さんのページと送ってもらった本を読んでようやくわかったのです。
純米酒一本から本醸造が10本とれるのだとか・・・。
つまり、醸造用アルコールなどを足したりするのだそうで。
だから池田屋さんは純米酒専門をうたっているのだそうです。
そして・・・純米酒の飲み方でも目から鱗の飲み方をいろいろと教えてもらいました。

①つくりがしっかりしたお酒は燗で飲む方がおいしい。
冷酒をありがたく飲んでいたものとしては衝撃でした。最初はもったいないと思いながらも試してみたのです。すると・・・確かに冷やだと閉じこもっていた味が開くのです。燗にすることによってうまみが出てくるし、冷えてもつくりのよい酒はおいしさが変わりません。すっかりお燗の魅力にとりつかれてしまいました。でも、冷やがおいしいお酒があるのも事実ですよ。そのお酒にあったのみ方があるということなのでしょう。
②開封してからしばらく置く。
「封切り」といって栓を開けたばかりのお酒をありがたく飲んでいました。でも、つくりのより酒は栓を開けてから徐々に味が開いてきます。封を切ってから何日目のお酒がそのお酒に合うのかはそれぞれみたいですが、だいたいは3~5日ぐらいでした。中には2週間放っておいてからなんてお酒もあります。「鷹勇」というお酒の10年前の原酒(今は手に入りません)なんかは驚きの味でした。

まだまだいろいろありますが、それまでのお酒の飲み方が覆されます。
お酒に限らず、世間一般で言われている常識というものにとらわれすぎるのは恐いことだと思いました。
常識のとらわれて思い込んでばかりでは見えなくなることがあると・・・。
気になることは一回、自分で確かめてみないとわからないものですね。
私の飲み友達に「お燗」をすすめても、「もったいない」と全く受け付けてくれません。
まあ、強引にいやがるものをすすめてもためにはなりません・・・ただの余計なお節介にしか感じてもらえないですよね。

音楽にすべてをかけるということ

佐村河内守さんが書いた本、「交響曲第1番」の紹介です。
「夕凪の街」「桜の国」でも扱いましたが、佐村河内さんも被爆二世として生まれた作曲家です。
偏頭痛から始まり、全聾、抑鬱神経症、パニック障害、耳鳴りや頭鳴症・・・肉体的活精神的苦痛は私たちの想像を絶するものがあります。
病気だけではなく、そこに弟の死などの悲しい出来事が重なっていきます。
そんな彼にしか聞くことができない「闇の音」を求めて、発作と闘いながら作曲に取り組む姿はすさまじいとしか言いようがありません。
どんな言葉を当てはめてみても白々しく、しかも軽々しく思えてしまうほどの壮絶さです。
そんな闇の中で生活している中での一筋の光、ある少女との出会いが感動的です。
出会いというのは本当に大切なものです。
この本を読み終わり、さまざまな思いで胸がいっぱいになりました。
私はここまで真剣に音楽と向き合っているのだろうか?
私の苦しみなんてなんてちっぽけなものだろう・・・。
私は彼の曲を聞いたことはありません。
でも、聞いてみなければいけないような気がしています。
それも相当な覚悟を持って。

佐村河内さんの言葉を載せておきます。
「私はあまりに音楽のためだけに生きすぎてしまっていたのです。
その時私は、“耳が聞こえなくなったからこそ、私には音楽しかなくなった”という痛烈な逆説に思い至りました。」
講談社から1600円で出版されています。
読んでみたいと思う方が一人でもいてくれたらうれしいです。

この本を出すことによって同情的に自分の曲が聞かれることを心配している佐村河内さん。
あまりにも自分に厳しい姿勢だと感じました。
その気持ちをくみ取って曲と向かい合わなければならないですよね。

シベリウス「交響曲第5番」

昔々私の先輩がシベリウスのことを「シビレウス」と言っていました。
ずっとそう読んでいたので、間違ってそう思い込んでいたのでしょう。
もしかしたら、今もそう読んでいるのかな?
間違いを指摘してあげた方がよかったのかもしれません。

前回の「夢について」に書きましたが、タワーレコードで鳴っていたのがこの交響曲の終楽章です。
私は「5」という数字に非常に運命的な出会いがあります。
受験番号も学生番号も、住んでいる住所も試験の曲も・・・自分の人生を左右する大きな時に必ずと言っていいほど「5」という数字が関係してきます。
だからというわけではないのですが、この交響曲第5番は大好きな曲です。
目の前に雄大な大地が無限に広がっていく感じがして、いかに自分が小さな存在であるかを思い知らされます。
何か人間を越えた大きな存在に抱かれる感じがするのです。
この曲に浸っていると、自分が高みへと招かれているような感じとなり、確固とした自信を取り戻すこともできるのです。
悩んでいたことが解決して目の前が急に開けたような感じもします。
その歩みは非常に堂々としており、ゆったりゆったりと進みます。
堂々とした金管の響き、それを支える弦楽器の深い響き、そして透明感のある木管楽器の音色、上へ上へと向かっていく音の進行、主和音へ到達するまでの和声進行の巧みさがテンポ設定の巧みさと絡み合ってそのような感じを引き起こすのだと思います。
作曲者の生誕50周年を記念しての曲なので、きっと特別な思いもあったのでしょう。

いつもは、ウィーンフィル、バーンスタイン指揮のもので聞いています。
大好きな曲なのでこだわりもあり、初版の楽譜で演奏されたCDも持っています。
一般に普及している第2版では、終楽章の最後、和音の連続が謎めいているのですが、初版ではその部分がパッセージとなっています。
初版を聞くとその謎が解けるような気がします。
そのCDは、ラハティ交響楽団、オスモ・ヴァンスカ指揮でBISから出ています。
そして一昨日、タワーレコードで耳にした演奏は・・・
非常に情熱にあふれていて、前に前にと進む足取りが非常に堂々としている演奏でした。
自信に一つの揺らぎもないのです。
迷いというものがひとつも感じられず、モノラル録音であるのに音が輝いている感じがしました。
しばらくじっとお店の中でその感動的な演奏に浸っていました。
画面を見ると、カラヤンとベルリンフィルの1957年のLiveでした。
そのCDにはグレン・グールドというピアニストとの競演によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番が入っています。
カラヤンはこの競演でグレン・グールドの才能を評価し、「私がピアニストだったらこのように弾く」とか「彼は指揮者に向いている」との発言を残しています。
グールドはこのCDに収められている演奏を聞いて(同じ日のプログラムなので会場で聞いていたのです)「圧倒された。これほど感動したことはない」と発言しています。
試聴でピアノ協奏曲も聴いたのですが、キラキラと輝いたピアノとオーケストラのサポートがすばらしい演奏でした。
グールドの気持ちがわかります。
バーンスタインやセルとテンポ設定で対立して喧嘩し、決裂したエピソード(その演奏のCDも持っていますが)のあるグールドなのに、ここでは信頼感に支えられた演奏を繰り広げています。
「青ひげ公の城」のDVDとともに今月の末に我が家に届きます・・・楽しみです。

夢について・・・

この2日間、札幌のタワーレコードやコーチャンフォー新川店やら自分の好きなところに出かけてきました。
明日はペット屋さんかな?

私はいろんなものを見て回るのが大好きです。
特にお金がなくてもかまわなくて、お店に並んでいる商品を手に取ってみてはデザインを楽しんだり、素材を見て納得したり、それを使っている情景を想像したりなんてことをしています。
特に、本と音楽ソフトに囲まれているとすごく幸せな気分になってしまいます。
「もし、これらすべてが自分のものになったら・・・」
「もし、これらを手に入れることを夢にしてしまったら・・・」
ふと、こんなことを考えてしまいました。
本当にすべて手に入ったら幸せなのか?
今目の前にあるものは、お金があればいくらでも手に入れることができます。
そのために一生懸命働いてお金を稼ぐ・・・。
それも大切なことかな、と考えます。
でも、お金を出して買えるものは手に入れてしまったらそれで夢が終わってしまいます。
手に入れた時はすごくうれしくて幸せな気分を味わうけれどもそれで終わってしまうんじゃないだろうか・・・と。
そして、新しいものが出てきたら、またまたお金を出して買おうとする・・・。
それじゃあいくらお金があったって足りなくなるし、それが本当に夢なのかなって考えてしまいました。
お金があれば手に入れられる夢って、実はすごくつまんないんじゃないかな。
手に入らないものを手に入れようとあれこれ考えること、行動することが実は楽しいんじゃないかと・・・。
仮に宝くじで3億円dollar当たったら・・・。
家を買う、自動車を買う、ステレオ装置を買う、本を買う、音楽ソフトを買う、おいしいものを食べる・・・あとは何に使おうかな?
なんか、ならべてみると「それだけ」って感じがしてきます。
別になかったらないで、我慢して生きていけるものばかりじゃないかと。

それよりは、「ベートヴェンの32番のソナタをこんな風に弾いてみたい」と弾き方を納得できるまで追究したり、「子どもたちが楽しいと感じてもらえる音楽科教育はどうしたら実現できるか」とあれこれ考えて実践したり文章や図にまとめてみたり、たくさんの人と議論したり、「子どもたちが楽しいと感じてくれる学校づくり」のためにあれこれと知恵を出し合ったり、子どもたちが生きていく社会を少しでもよくしようと働きかけたり・・・。
簡単に結論が出ない永遠の課題であるからこそ、そこにやりがいがあると思いませんか?
これらはお金があるからと言って簡単に達成することができないものばかりです。
お金は生きていくために、好きな物を買うためにある程度欲しいけど・・・。
でも、お金を稼ぐためにピアノをひいているわけでもないし、教育に携わっているわけでもないし。
お金にならないと思えることに、実は一生懸命取り組んでいる。
お金からは大きく離れた「夢」のために一生懸命生きているんだろうなあ、なんて考えていました。

タワーレコードである曲を聞きながらこんなことを考えていたのです。
その曲とは・・・シベリウスの交響曲第5番の最終楽章です。
そのことは次に。
とりとめのない話でスイマセンでしたbearing

テレビを換えて

テレビが壊れてしまったので2月に新しいものにしましたtv
地デジ対応のものです。
浦臼ではバッチリ入るので楽しくて楽しくて・・・。
音楽関係ではBSですが楽しみの企画が目白押しです。

オペラでは・・・
ヤナーチェク「死者の家から」(原作はドストエフスキー)
モーツアルト「ポント王のミトリダーテ」(14歳の作品!)
ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(フランス語を生かしたオペラ)
モーツアルト「イドメネオ」(ノンビブラートのノリントンが指揮)
ヴェルディ「オベルト」

バレエでは・・・
ショスタコーヴィッチ「ボルト」
ハチャトウリアン「スパルタクス」(力強いバレエ)

コンサートでは・・・
モーツアルトの後期交響曲(ウィーンフィル、アーノンクール指揮)
バルトーク「弦楽四重奏曲」全曲
マーラー「交響曲田尾3番」(ルツェルン音楽祭、アバド指揮)

それに「名曲探偵アマデウス」(ドラマ仕立ての名曲解説)・・・これがおもしろい!

録画しているのですが、もう見るのが楽しみで楽しみで。
こんなにたくさんクラッシックの番組ってやっているんですね。
「名曲探偵アマデウス」は、主観をあまり加えない解説なので授業にも使える部分があります。
「ボレロ」「ブラームスの交響曲第4番」の解説はものすごくわかりやすかったです。
テレビっ子という感じです・・・coldsweats01
子どもじゃなくて、オヤジか・・・。

「舟歌」

「お酒はぬるめの~燗がいいbottle」ではありません・・・これは「舟唄」notes
書きたいのはショパンの「舟歌」のことです。
初めて聞いたのはピアノを習い始めた中学校1年生の時でした。
母がかなり昔に買ったらしく、ジャケットも結構ぼろぼろでした。
コンサートホールというレコードのシリーズで、ペルルミュテールというフランスのピアニストの演奏です。
ラヴェルに直接師事し、作曲者の信頼を一番得ていたピアニストだとあとで知りました。
スケルツォ第2番、バラードの2番と第3番、子守歌などが入っていました。
その中でも特にこの「舟歌」が大好きでした。
今でももちろん大好きです。
深い響きの最初の左手のオクターブバス音から虜となってしまいました。
音がゆらゆらと光り輝くようにきらめいていて、瞬間瞬間でピアノの音色がデリケートに変化していく様が驚きでした。
その絶妙なバランスといったら・・・。
ガラスのように繊細で、ちょっとしたことで壊れてしまいそうな感じです。
感情の爆発があるものの、声を大きくして叫ぶのではなく、心の奥にしまい込んでいるような。
それだからこそ、訴える力があるような気がします。
この曲を聞くと、私は落日の美しさを思い浮かべます。
夕焼け空に赤々と燃えた太陽が山には入るその瞬間の情景。
追い求めても手に取ることができない理想のようなもの、と感じていました。
この話をした時に、ある人は「朝に聞いてみてください」と言いました。
すぐ試してみると、また違ったこの曲の魅力を感じることができました。
人によって同じ曲を聞いても違うものだなあ、と感動を覚えました。
みなさんはどんなことを思い浮かべるのでしょう?

演奏は・・・私はホロヴィッツのものしか聞けません。
ステレオ録音された方のものです。
他のピアニストのもいっぱい聞いたのですが、何かがぴったりこないのです。
ホロヴィッツの演奏は技術的に完璧ではないものの、デリケートさと神経質さとが入り交じった音色が絶妙です。
テンポルバートというものが何かということも思い知らされる演奏です。
人間業とは思えません。
ピアノが表現できる可能性を最大限発揮させているような気がします。
もうちょっとピアノの音色自体にふくよかさがあると最高なんですがね・・・そこまで要求するのは贅沢すぎるような気がします。
とはいっても、好みがあるので賛否両論あると思いますが・・・。
「舟歌」を弾くという夢もありますが、無理じゃないかなあ、と。
技術的に高度なのと、そこにデリカシーが求められるからです。
たとえ弾けたとしても表現が気に食わず、イライラするのがわかっているので・・・。

「猫」

ゴールデンウィークに突入しましたsun
きっとみなさんあちこちに出かけていることでしょうrvcar
私は・・・残念ながら病気の猫がいるために出かけることができません。
薬の時間が決まっているため、出かけたとしても近場となってしまいます。

猫の名前は「あいちゃん」cat
今年の5月で14歳となる猫です。
ブログの写真コーナーにも紹介している猫です。
目がこぼれるぐらいに大きくて、飼い主が言うのもなんですがかわいい猫ですcoldsweats01
ゴミ清掃車の車庫に捨てられていた猫です。
拾ってきた時は私の手のひらと同じくらいのサイズでした。
それが昨年の春から硬膜種という脳腫瘍にかかってしまい・・・。
薬で腫瘍の腫れを抑えている状態です。
でも、その効果にも限界があります。
今は目がほとんど見えていないし、左側の耳は聞こえていないし、においもうっすらとしかわからないみたいだし、足に力が入らず一方方向にぐるぐるよたよたとほんの少し歩くだけになってしまいました。
ここ数日は、とにかく暗くて狭いところに入ろうとします。
猫は死期が近づくとふっといなくなってしまいます。
きっと「あいちゃん」も死期を悟っているのかもしれません。
しっかりと最後まで看取ります。

夏目漱石の作品に「猫」という小品があります。
自宅で飼っている猫が死期を迎えて死んでいくまでの様子と周りの家族たちの気持ちの変化や様子を描いたものです。
克明に克明に描写する手腕は見事としかいいようがありません。
人間の奥底の心理というものの恐ろしさが伝わってきます。
猫を題材にしながら、実は人間を表現しているのだと思います。
「夢十夜」と一緒に入っている「永日小品」の中にあります。
興味のある方は読んでみてください。
なぜ夏目漱石が後世に名を残す作家であるかの理由がわかると思います。
あの時代に人間の奥深くの心理をじっくりととらえて表現できた、というのがやはり文豪の証だと思います。
他に猫を書いた作家でおもしろいのは内田百閒ですよね!
「ノラ」という猫のかわいがり方はほほえましくなるし、愛情の深さも伝わってきます。
頑固じじいぶりが伝わってくるのもおもしろいです。

チューリップ

世間ではチューリップの花を折る事件が問題となっています。
今までもちょこちょことありましたが、ニュースで扱われたとたんに模倣犯が増えたような感じもします。
ストレスの発散にはふさわしくない行為だと思います。
一生懸命に植えた方々の気持ちを考えていないというか、美しい花々に感動する心を持っていないというか・・・。
すごく残念です。

さて、浦臼中学校の校舎前のチューリップもちょうど見頃を迎えています。
太陽が高くなるとともに花が開いてまばゆいばかりです。
学年で担当する花壇を決め、昨年の秋に全員で協力して植えた球根が見事に咲いたのです。
自分たちが気持ちをこめ、苦労して植えた球根だからなのか大切に大切にしてくれています。
この間の昼休みには数名の生徒がチューリップの花をなでているという光景を見ることができました。
心ない事件のニュースを見ての反応だったのかもしれません。
その光景を見ていた来賓の方が「情操教育が行き届いている」なんて感心していました。
とてもうれしかったです。
でも、10年前、私がここの学校に来る前までは担当する委員会の10名程度の生徒だけで花壇を作っていたようです。
それじゃあ愛着もわきませんよね。
赴任した年に全員で作業することを提案し、花壇のデザインや植える花の種類も子どもたちが自分で考えるようにし、取り組む時間も確保してもらい・・・。
とにかく自分たちで作り上げた花壇だ、という意識を持ってもらえるように取り組みました。
そして、10年。
チューリップをなでなでする生徒が出るようにまでなったのだと思います。
来月は球根堀りと花壇づくりが始まります。
今年はどんな花壇にしてくれるのかなあ・・・楽しみです。

給食指導

給食を準備するところから後片付けまで、生徒指導の重要な時間帯だと思います。
教師になりたての頃、この時間帯の指導の失敗からたくさんのことを学びました。
「あたり前のことだろう!」と感じる方は読み飛ばしてください。
すべて私の実体験からです。

①4時間目が終わったらすぐ教室に向かう。
職員室で用事を足してから、という気持ちもよくわかります。
でも、食器を運ぶ係や配膳係の中の大変な仕事を特定の子どもにやらせる場面が多く見られます。
配膳係の子どもに文句を言って自分の給食だけ多くついでもらう子どももいたりします。
その結果給食が足りなくなったり・・・。
その他、給食にいたずらをしたり、配っている最中に食べたり、嫌いなものを特定の子どもの皿に盛りつけたり・・・。
職員室②にいる間にこういうことって起こったりするものです。

②いろんな仲間との会話を楽しもう。
好きな者同士で座らせる、というクラスもあります。
でも、いつも一人でぽつんと給食を食べていたり、二人だけの世界で閉じこもっていたり・・・これでは人間関係が固定化してしまいます。
食事の大切な働きの一つに、みんなで食事をとることにより人間関係がよいものになるというものがあります。
その点から考えると、班で食べたりする方が人間関係の偏りを解消できるのではないでしょうか?
好きな者同士はごくたま~に。

③おかわりのルール
「いただきま~す」と言ったとたんにおかわりをする子どもがいます。
自分の給食には一つも手をつけていない状態なのにです。
おかわりは全部食べてからではないでしょうか?
また、自分の分だけさっさと山盛りについでしまう子どももいます。
他の子どものことなんて一つも考えていません。
「おかわりする人いる?」と確認させ、平等にわけさせたいものです。
そして、おかわりを人にやらせる子どもがいます。
自分で食べるものですから、自分の足でその場所に行き、自分の手ででおかわりをするのが当然ではないでしょうか?
人にやらせるなんて何様のつもりなのでしょう?

④片付けは「ごちそうさま」が済んでから
自分が食べ終わると、さっさと食器を片付けてしまう子どもがいます。
埃もたつし、食べるのが遅い子どもにとっては結構なプレッシャーとなります。
みんなで「ごちそうさま」をしてから片付けさせたいものです。
また、お昼の校内放送がかかっているにもかかわらず、教室から出させてしまうクラスもあります。
何のためのお昼の放送でしょうか?
担当の子どもたちはみんなのために放送の仕事をしています。
せめてお昼の校内放送が終わるまで、担当の子どもがいるクラスはその子どもたちが帰ってくるまで「ごちそうさま」を待ってあげてはどうでしょうか?

⑤後片付けを見守る
給食の準備の時と同じです。
お盆洗い、食器運び、給食台ふき、床の汚れ落とし・・・やる仕事はたくさんあります。
ここを子ども任せにしてしまい、いつも給食の汁の跡が残っていたり、食材が落ちていたり・・・。
そんな不衛生な状況で勉強に集中できるでしょうか?
当番をサボって体育館で遊ぶ、なんて子どもも出やすいです。
後片付けまで見守りたいものです。

そんな細かいことまで、なんて思う方もいるかもしれません。
でも、「給食指導」なのですから、給食を食べて終わりではないのです。
指導して、子どもに身につけさせることはたくさんあります。
学校でしか伝えられないことだってあるのです。
本の小さなことの積み重ねが学級の荒れを防ぎます。
気になる方は自分の指導を振り返ってみてください。
その参考になればと思って書きました。

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