カテゴリー

  • くいしんぼうの日記
    好きな食べ物、美味しかったものやお店を紹介します。
  • こころを育てる
    教育全般について感じていることや考えていることを紹介します。
  • ことばのちから
    本や雑誌、TV、講演など、人や情報との出会いでよかったことを紹介します。
  • つれづれ音楽記
    大好きな音楽、聞いてよかった音楽、出会ってよかった音楽などを紹介します。
  • 人をつなぐ
    教育の仕事を進めるにあたっての人とのかかわりについて思いをつづります。
  • 今を生きる
    一日一日の出来事やそのことを通して考えたことなどを紹介します。
  • 仲間とともに
    全空知音楽科教育連盟の取り組みや研究を紹介します。
  • 授業に使えそう!
    音楽科はもちろん他教科のこと、授業実践や教材、考えなどを紹介します。
  • 音楽科教育を読む
    音楽科教育の動向を紹介します。
無料ブログはココログ

音符カーソル

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月の25件の記事

ほんの少しのやさしさを

昨日の会議の疲れのためか今朝は朝寝坊・・・∑q|゚Д゚|p
目覚まし時計もいつの間にか止められており・・・起きたのは7時過ぎ。
驚いたのなんのって・・・モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!
こんなことはすごく珍しいのです。
カイが騒がなかったら心地よい眠りがまだまだ続くところでした。
前回の大会よりも歳をとったってことかなあ。
帰りの車の中でもそんな話が出てましたからcoldsweats01

昨日の会議を受けて今日はやることがいっぱいの日となりました。
まずは評価・評定。
二期制のうちの学校は、今週が成績一覧表提出の〆切日なので。
そして総合学習の打ち合わせを1時間ほど。
それが終わると来週行われる幼稚園訪問の打ち合わせに幼稚園へ。
「となりのトトロ」と「さんぽ」を幼児にサービス。
大喜びで踊る幼児に心も和む。
当然授業もあって、3時間。
放課後は幼小中の連携のための会議。
その後は部活動。

その合間に音連の仕事を進めましたヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ。
電話とメールで旭川大会の視察の協力を依頼。
快諾してくれた方にはすぐに「視察の視点」をFAXで送信。
なぜ電話やメールをするかというと・・・
これから研究が本格化していくと、たくさんの方々と連絡を取り合うことが多くなります。
その時に大切なのはていねいに心をつくして対応するということ。
文書で依頼する前に必ず電話かメールを一本。
相手に面倒くさそうな態度を取られることもありますが、お願いする時はやはり自分の声で直接語りかけることが大切です。
文書だけだと冷たくて、気持ちが伝わらない印象を与えてしまうことがあるのです。
たった数十秒の電話ですがその効果には大きなものがあります。
また、用件をいきなり語るのではなく、何かしらちょっとの話題を盛り込んだり、「いつもありがとうございます」「無理しないで下さいね」「応援してます」など相手を思いやる一言やねぎらいの言葉も伝えたいものです。
自分にとってはつまらないと思える用件でも、伝えてくれている方は大変忙しい思いをして伝えてくれているのかもしれないのです。
相手の気持ちに思いを馳せてみましょう。
ていねいに対応しすぎるなんていうことはありません。
また、親しい人にはそんなことは必要ない、と思うでしょ?
そこがけっこう落とし穴で、親しい人にはついつい甘えてしまって礼を欠いてしまうことがあるのです。
説明不足から誤解を招いてしまったり、冷たい対応をしてしまって不愉快な気持ちにさせてしまったり・・・一度崩れてしまうと修復するにはかなりの時間と労力がかかります。
親しければ親しいほど、感謝を言葉に表して伝えたり、言葉でちゃんと説明する必要があります。
どんなに親しい間柄でも、ここを手抜きするとあっという間に人間関係が崩れてしまいます。
大切な人だからこそ、親しい人だからこそ、ほんの少しのやさしさを伝えていきませんか?
お互いの思いは言葉でないと伝えあうことはできません。
来年度の大会を乗り越えるためにも、そして日常の生活を充実させるためにも。
どんなに忙しくなってきても、お互いにやさしさを伝えあいませんか?
そうすることによって大変な仕事や準備も、殺伐とした雰囲気ではなく、何かやさしさあふれるものになると思うのです。
「やってよかった!」とお互いに喜びあうことができると思うのです。

「授業者の方が不安にならないようにできる限り研究に参加します。」
「他に私がお手伝いできることはありませんか?」
「声をかけて下さってありがとうございます。視察頑張ります。」
「ビデオの他に写真も撮っておきますか?」
「いつもいつもご丁寧にありがとうございます。お体に気をつけて下さい。」
「ブログですでにダウンロードして勉強していましたよ!」

今回の電話やメールでもたくさんの励ましやあたたかい言葉を頂きました。
それが私のがんばりにもつながっていきます。
本当にうれしかったです。
同時に七つの仕事でしたが、実は楽しかったんですhappy01
頭の中が7つのブースにわかれているイメージなのです。
一つの仕事をしていても、頭の中には常に7つのことが同時進行しているような・・・。
7つのこと全てに、常に意識がはたらいている状態。
不思議な感覚です。
コンピュータで言うところのスタンバイ状態と言ったらいいのでしょうか(^-^;

研究の始まり

今日は授業者との打ち合わせ。
話し合いが終わった時には19時を大きくまわっていました・・・(^-^;。

「見回りが終わってから急いで駆けつけました。」
「帰ってご飯を作らなきゃ!」
「2時間近くかかるんだよなあ。」
「帰ったら学校の仕事をしなきゃ!」
「急な生徒指導で今動けません。終わり次第駆けつけます。」
本当に本当に大変な中、都合をつけて出席してくれる方々に感謝、感謝です。

「あの人方は余裕があるから。」
「やりたい人にやらせておけばいい。」
「好きでやっているんでしょ。」

いろんな声を聞くことがあります。
何を思おうがそれはかまいません。
ですが、自分の時間を割いてまで大会のために努力している人がいるということを忘れないで下さい。
そういう人たちがいるからこそ、大会が成立するのですから・・・。
ありがとうを伝えてくれるとうれしいです。

前回の大会の時も会議は月に1、2回。
大会が近づいてきた時には、ほぼ毎日岩見沢に通う日々が続きました。
やった人にしかわからない大変さ。
でも、そのおかげでたくさんの人と出会い、たくさんの人との信頼を築くことができました。
大変だったけれども、終わったあとには充実感で一杯でした。
今回の大会もそのようなものになるようみんなで盛り上げていきましょう!
毎回出席してくれる熱心な方々には、きっとすばらしい何かが残るはずです。
そのすばらしいものはやった人にしか残りません。

今日の話し合いでは、どんな授業をやりたいのかその思いを持つことをお話ししました。
その思いが強ければ強いほど、視点がぶれることなく研究を進めることができます。
その次には自分の思いに近い資料をたくさん集めることになります。
たくさんの具体的なサンプル(事例や指導書など)と自分の思いとの一致が一番大切なことです。
ただサンプルを真似していただけではどこかで研究が滞ってしまいます。
「自分は何をやりたいんだっけ?」といつまでも思い悩むことになってしまいます。
次回からは少しずつ授業者の思いを具体化していくことになります。
グループでの研究も始まります。
力を合わせて乗り切っていきましょう!

子どもたちにも話するのですが、こういう大変な時に人間がよく見えてきます。
「立派なことは言うけど最後は逃げる人」
「やれることしかできないけど・・・と言いながら最後まで手伝ってくれる人」
「大変そうな役が回ってきそうになると理由をつけて逃げる人」
「約束を守ってくれる人」
「期限を守らない人」
「批判だけする人」
頼れる人と頼りにならない人、はっきりと見えてきます。
そうは言いつつも、まわりを巻き込んで取り組まなければいけないんですがね・・・。
適材適所を考えつつ・・・。

さて、10月18日(土)14:00~ 今度は総会がもたれます。
案内は近日中に届くはずです。
少しずつ仲間の輪ができればと懇親会も計画しています。
たくさんの仲間が参加してくれるとうれしいです。

視察の視点

P1000229

そば祭から帰ってきたあとはびっちり仕事。
北海道音楽教育研究大会旭川大会が近づいてきているので、来年度のために視察の視点を作成しました。
自分たちのこととして研究会に参加することが大切です。
「自分たちならどうするのか」ということを常に頭に置くことによって、来年度に生きる視察となります。
他地域の実践から学ぶことはたくさんありますから・・・。
今のところ次のような視点を考えてみました。
来週あたりに参加する方々にFAXします。
直した方がよい所など指摘してもらえるとありがたいです。

「siten.jtd」をダウンロード

それが終わると、明日の授業者との打ち合わせに向けての取り組み。
授業者の方々が安心して研究に取り組むことができるように、考えているのはただそれだけです。
せっかく引き受けてくれたのですから「やってよかった」と言ってもらえるものにしたいのです。
そのために私たちのやれることはなんなのか・・・メールでやりとりしながら考えていました。
「もう二度とやるもんか!」と言われてしまったら終わりです。
まずは前回の授業者のプリントを例に、自分のやりたいことをふくらませるところからスタートしようと考えています。
次にネットワークづくり。
電話番号とメールアドレスの交換が主かな・・・。


そして、来週の幼稚園訪問に備えて「崖の上のポニョ」の歌詞おこし。
幼稚園児と一緒に歌うためです。
全学年の家庭科も教えており、中学校3年生の保育体験としての取り組みです。
私が家庭科を教えることにかなり疑問を感じている方がいますね?
正解です(-_-X)!

ストーブを焚いたため熱かったのか、カイがベロを出して寝ていますw(゚o゚)w。

深まる秋

山の色も変わりつつあり、日一日と秋の深まりを感じる今日この頃。。。
秋はやっぱりブラームスが恋しくなります。
でも、その話はまた今度にして・・・(o^-^o)。

秋といえば、まずは食欲の秋。
今日は浦臼町の「そば祭」でした。
ぼたんそばという甘みが濃い、品種としても珍しいそばの収穫祭です。
道内各地から鶴沼公園に集まった腕自慢の方々がたくさん店を出して味を競いあいます。
私は、浦臼のキノコそば、滝川の合鴨そば、札幌新川の十割そばと食べ歩き。
浦臼のキノコそばは味が繊細なので、最初に食べないとその味を堪能できないのです。
合計3杯食べてお腹も一杯となりました・・・(≧m≦)。

そうこうするうちに、やはり変わりやすい秋の空。
冷たい雨が落ちてきました。
ここからは芸術の秋です。
頭に浮かんだのは次の2曲。

野上彰作詞、小林秀雄作曲の「落葉松」

http://www.kasiabc.com/kasi/3258/86957/?tubeid2=youtube


大学生の時に歌いたくて歌いたくて・・・。
テノールでないとさまにならないという話を聞いてがっくり(ノ_-。)。
それでもめげずに個室の練習室にこもって低い声で歌っては一人満足していました。
それから数年。
バス歌手の岡村喬生さんが歌っているのを耳にしました。
そのすばらしい歌唱に「バスでも歌っていいんじゃないか」と勇気づけられた思い出があります。
ちょっと感傷的すぎる歌ですが・・・。
そば祭は昼の開催だし・・・時間の一致という点で難があったかな・・・。


次は、一青窈さんの「翡翠」

梅雨入りの陽が
こんな短いものと思わなかった。
あなたの腕の
五分進んだ時計にも慣れてた。

カンカン帽に隠れるようにそっと二つ重なる。
待ち焦がれてた意地悪な甘さ、を
もう一つねだった。

そのうちより今のうち
この気持ちも今のうち
淡く、あわく、翡翠のよう
いつかじゃなく今がいい

あなたがくれた確かな言葉
宝石よりも重く、
永遠、だけは見えないものだから
無いのかもしれない

何を疑わず何を信じ切れずにいるのか
この流れぬ悩み、からは
一度さえも出られず。

しとしと降る雨が 少しだけやむまでを待って
振り向くのを期待して もう一つをねだった

私たちは今のうち
この気持ちも今のうち
儚い、はかない、翡翠のよう
いつかじゃなく今がいい

本来は梅雨の時季の歌なのですが・・・。
でも、ピアノの秋の雨を思わせる冷たい響きが、この時季にこの歌を思い起こさせるのです。
一青窈さんもこの歌には思い入れがあるようで、必ずといっていいほどライブでも歌うようです。
私の大好きな歌の一つです。
季節が変わるように、人の心も変わっていきます。
今をどう生きるか、ということが大切ですね。

新聞の連載から・・・

日本経済新聞を見ると、百ます計算で有名な陰山英男氏(立命館大学教授)の連載記事が出ていました。
連載のタイトルは「子どもと伸びる」。
ここで紹介する記事のタイトルは「プロ意識と使命感」です。
みなさんはどのような感想を持つでしょう?
私の考えはコメントに書くことにします。


今から二十数年前、教師になった頃、研修会や先輩の助言でいやなものがあった。
それは、「教師は、プロです。新任といえども、教壇に立てば先生と呼ばれます。まずそのことを自覚してください」。
だから、研究授業をしたあと、厳しい指摘が相次いだ。
自分なりの思いもあるので、それを言うと、「あなたの意見を聞くつもりはありません。言うなら事実のみ報告してください」とピシャリと言われた。
指摘の意味もわからない上に、あまりの高圧な態度に、すごく反発した。

ところがこの間、ある先生の指導をしている途中、私は知らず知らず同じことをしゃべっていた。
「君の意見を聞いている時間はない。重要なのは事実だ」。
何をどう思おうといいが、授業で評価されるべきは、子どもの事実なのである。

あの厳しい先輩の指摘は、一種のトラウマなのだが、二度とああいった意見を聞きたくないとか、、先輩を見返してやりたいという思いがエネルギーとなって、今の自分があることに気づいた。

では、あの新卒時代と今では、私の何が変わったのか。それは、個人の思いで教育するのではなく、使命に基づいて教育をするようになったことである。

思想信条の自由は、あくまで個人の生き方の問題である。
組織的に動き、ある期待される一定の結論を求められる仕事のやり方には、あてはまらない。
自由に仕事がしたいなら、起業するしかないが、それとて今度は、市場の論理にしばられる。
つまり、仕事に必要なのは目的意識と使命感だ。

ここを勘違いしている教師は多い。
私は彼にそのことを伝えた。
その後、最後に何か言いたいことはあるかと聞くと、「すみませんでした。しかし、私の努力は認めてください」と言った。

これで説教のやり直しだ。
なぜなら、努力で評価されるのはアマチュアだ。
プロは結果がすべてだ。
短時間にさほどの苦労もなく、高度な仕事ができるならそれが最高であり、全力をあげてだめなのは最悪である。
どうも、教師が子どもに対して行う評価軸を、自分に当てはめてしまっているらしい。

かつてない学校批判の末できた新しい指導要領は、周知徹底のため教職員全員にこの夏配られた。
しかし、恐ろしいほど読まれていない。
教師のプロのレベルが今問われている。

「人生」

インドのヒンズー教の教えに次のようなものがあります。

心が変われば態度が変わる。
態度が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

教師としての自分に当てはめると次のようなことになるのかな。。。
意識を変えることで自らの教育観が変わり、教師としての態度や行動が変わる。
意識が変わり、教育観が変わることで見方が変わり、それまで見えなかった子どもの姿が見えるようになる。
そのことにより、子どもの側にたち、子どもを第一に考える授業を築いたり、一人ひとりの子どもを大切にしたことばかけを身につけたりすることにつながる。
そして教師として高く評価され、習っている子どもたちがそれぞれその子なりに立派に育っていくことで教師の運命が変わる。
教師が変わることにより子どもが育ち、その子どもたちとの出会いによって教師自身もさらに成長していく。
運命と人生は同じような意味だけれども、教師としての価値(運命)が、退職後の人生まで変えてしまう。
教師という仕事を終えたあと、一人の人間としての魅力があるかどうか・・・。
それはやはり、教師として真剣に子どもと向きあい、生きてきたからこそ魅力が出てくると思う。
このことは子どもだけに限らないけれども・・・。

こうなってくると人間はみな「人生」を生き抜くという使命を持って存在していることになる。
「人生」というたった2文字には次の4つの意味があるといわれています。

「人として生まれる」(運命)
「人として生きる」(責任と使命)
「人を生かす」(仕事、チーム力)
「人を生む」(繁栄、育成、継続)


それぞれの職場、立場などによって「人生」の4つの意味のどれを大切にするのかが決まってくる。
管理職であれば「人を生かす」ことが大切になる。
その学校での、その職員室での一人というのであれば二つ目の「人として生きる」ということが大切になる。
「人間とは人の間」と、のぶさんもコメントに書いていたけれども、そもそも人と人との間にいるのが人間。
そのことからすると、いかに人間関係を円滑に生きていくかということが人生では大きな比重を占めることになる。
自分一人で力をつけてきたわけではないし、自分一人が優れているわけでもない。
錯覚している人がたくさんいるけれども、まわりが全くそう思っていないということはよくある話。
評価は人が下した評価こそが正しい、と考える謙虚さや素直さが必要だと思う。

教師という仕事をしていることは、自分がいかに人間として生きるかにつながっている。
常に人間としてどうなのかを自問自答する厳しさをもって生きたいなあ、と思う今日このごろ・・・。
なかなか理想のようには生きられないのだけれども・・・。
むずかしい? ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

「曼珠沙華」

長崎では曼珠沙華が満開とのこと。
しっかりと目に焼き付く真っ赤な色がとても印象的な花です。
TVに映し出された花の色も鮮やかな赤でした。

さて、この「曼珠沙華」は「彼岸花(ひがんばな)」とも呼ばれます。
葬式花、不吉な花とも・・・。
鮮やかすぎるほどの赤い花が血の色を連想させるからでしょうか?
北原白秋はこの「曼珠沙華」の花が大嫌いでした。
自殺した親友の遺骸が深紅の血を流し、戸板にのせられて曼珠沙華の畑の中を去っていった光景が忘れられなかったからです。
白秋は曼珠沙華だけでなく、赤い色も大嫌いだったと伝えられています。
こんな光景に出くわしてしまったら大嫌いになるのも当たり前ですよね。
だって親友だったのですから。
白秋にはもうひとつ死にまつわる話があります。
白秋の幼い頃、乳母がチフスにかかって亡くなります。
感受性豊かな白秋は、自分の身替わりに乳母が亡くなったのだとずっと思いこむことになります。
そんな話が一つの作品として結実します。

GONSHAN. GONSYAN.  何処へ行く
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
けふも手折りに来たわいな。

GONSHAN. GONSYAN.
何本か。
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちゃうど、あの児の年の数。

GONSHAN. GONSYAN. 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。

GONSHAN. GONSYAN.
何故(なし)泣くろ。
何時まで取っても、曼珠沙華(ひがんばな)、
曼珠沙華(ひがんばな)、
恐(こは)や赤しや、まだ七つ


北原白秋の故郷は福岡県柳河地方。
「GONSHAN」とはその地方のことばで良家のお嬢さんのこと。
そして、この詩には山田耕筰によってすばらしい曲がつけられ、歌曲集「Ainaの歌」におさめられることになります。
「Aina(アイナ)」とは柳河地方の方言で「児守女」 の意味。
つまり、この歌は乳母が自分の育てたお嬢さんに歌いかけるもの。
しかも、その歌の内容は曼珠沙華(ひがんばな)の不気味さを表現しています。
「ちょうどあの児の年の数」という歌詞の「あの児」が気になるところ。
「この児」ならお嬢さんのことを指すと想像できるのですが、歌詞は「あの児」となっています。
もしかしたら、乳母の不義の子どものことなのかもしれません。
七歳の時に亡くなったか、生きていたら今ちょうど七歳になる子がお墓に葬られているのかもしれません。
残念ながら、この歌の意味はほとんど知られていません。
曲の雰囲気はまるで御詠歌。
鬼気迫るような雰囲気を持った曲となっています。
その響きはシューベルトの「冬の旅」第24曲め「辻音楽師(ライアー廻し)」のよう。
それくらい奥が深く、訴える力が強い曲です。
初めて聞いた時には眠ることができなくなるくらいショックを受けたなあ・・・。

長崎では曼珠沙華。
今日の浦臼は強風。
鳩が風にあおられてけがをしたり、近所の木が折れたりしています。

休日に

Hi3b0030

今日の散歩は「樺戸山登山口」あたりまでのコース。
進むうちに少しずつ大きくなっていく樺戸山。
遠くから見るよりも、その表情は包み込むような優しさがある感じ。
普段見ている表情とはまた違うんだなあ・・・。
山から視線を落とすとそこには小川。
なんと!
二つの小さい流れが一つになっている。
スメタナ作曲交響詩「わが祖国」より第2曲「ブルタヴァ」が頭に思い浮かぶ。
ブルタヴァの二つの水源が一つになる光景を見て作曲者はいたく感動したといわれているけど、もしかしたらこんな感じだったのかなあ・・・。
私は1曲目の「ヴィシェフラッド(高い城)」が好きです。
全曲聞いて初めてこの交響詩のすごさを知ることができました。
6曲目の「ブラニーク」に至った時の気持ちの高揚といったら。
クーベリックの日本公演が好きで古い録画を何回も見ています。
小林研一郎さんのも「熱いなあ」と思うけれども。

小川の話に戻って・・・
コンクリートが一つもない自然の流れで本当にきれいだったんですよclover
こんな場所だもの、熊も歩くよなあ・・・。
16時くらいだったので会うことはないだろうけど・・・run
でも、会ってしまったらまわりに人影がない場所だし・・・crying
このコースは明るい時だけにしようと思います。

帰ってきてからは無線LANと格闘。
すぐに終わる予定が2時間30分もかかってしまった・・・sweat02
アクセスポイントまではつながるのだけれども、インターネットとプリンターが反応しない。
なぜだcoldsweats02
あちこち設定を変えてみるものの反応なし。
一体どうなっているのか・・・。
「意外に設定に手こずるかもしれませんよ( ̄ー ̄)ニヤリ」と笑ったヤマダ電機の兄ちゃんの顔が浮かぶ。
くやしいーヽ( )`ε´( )ノ
機械を自分でいじるのは好きな方なので苦ではないのだけれども、だんだんとイライラしてくる。
そうするうちに「ヒント」なるものが偶然表示される。
指示の通りに2カ所の設定を変えると無事につながった(^-^;。
TCPが自動設定になっていなかっただけ。。。
でも、苦労が多かっただけに喜びは大きかったなあ(v^ー゜)ヤッタネ!!

なぜ無線LANを導入したかって?
冬にあたたかい茶の間で仕事をするためとゲームをインターネットにつなげるため。

あまりにも集中したため、久石譲さんのコンサートの録画を忘れてしまった・・・o(;△;)o
再放送ならないかなあ・・・。

祝10000アクセス

P1000195_2

携帯電話からのアクセスを足すと・・・
なんと!アクセス数が10000件となりました!
訪問してくれた方々に感謝です。
ありがとうございます。
読みやすいですかね?

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+


テストづくりが一段落し、またまた散歩へ(゚ー゚;。
ジョギングを終えたばかりで汗まみれの保護者。
犬と川縁に座ってゆったりとたばこをくゆらす保護者。
ちょっと斜めになった太陽に照らされて何とも言えない風情がありましたclover
もう少し進むと牧草のロールをたっぷりと積んだトラックと遭遇。
散歩のルートは細い砂利道。
トラックに道を譲ろうと待っていると、突然ドアが開く。
「先生!」
なんと、今年卒業したばかりの生徒。
土曜日と日曜日は家に帰ってきて手伝いをしているのだとか。
彼の家は牛飼い。
彼の目標は「日本一の牛飼いになる」こと。
ずっとずっとその夢を追い求め、ひたすら努力する生徒でした。
ひとまわりもふたまわりも太くなった腕。
わざわざトラックから降りてきてあいさつをしてくる礼儀正しさ。
そして希望に輝くきれいな目。
いい生徒に出会ったんだなあ、とつくづく思いました。
彼ならきっと「日本一の牛飼いtaurus」になることができると私は信じています。
またまた人と自然から元気をもらった一日でした。
いろんな出会いに私は支えられていることを実感しています。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

昨日の夜はBSで放映されたワーグナー作曲「ラインの黄金」を見る。
カラヤンの演出と指揮のもの。
演奏と撮影に5年の隔たりがあるものの、人間模様の細かな部分に焦点を当てたすばらしい映像でした。
神々の世界というけれども人間の権力闘争と変わらないような・・・。
一つひとつの動作に意味があり、それが音楽と一体となって魅力を増している感じがしました。
続編が作られなかったのが残念です。
これだけ精力的に創りあげるには、かなりの情熱と労力が必要だったと思います。
続編まで余力がもたなかったのかもしれません。
「神々の黄昏」はどんなんだったんだろう?
手に入らないし見ることもできないからこそ、想像がふくらみます。

そして掲示板でも紹介したプリンターインクの注入方法を発見w(゚o゚)w。
すでに知っている方もいると思いますが・・・。
「エコッテショップ」と打ち込んで検索するとその店は出てきます。
そのページで自分のプリンターの型番の所を見ると注入方法と必要なキットや入手方法がわかります。
というかお店なのでそこで買えるんですけどね。
かなり簡単にできそうです。
インク代も相当節約できます。
ただし、自己責任となります。
もっと早くにこの方法を知っていれば・・・。
やはり詳しく知っている人がいるというのは強みですね。
さっそく取り寄せて使ってみようと思います。
それにしても・・・いろんな方法があるものですね!

それぞれのやれることから

P1000166

カイの写真を待ち受け画面に使ってくれている方がいてビックリ(o^-^o)。
ありがとうございます、本当にうれしかったです。
飼い主として、写真を撮った者としてこれ以上うれしいことはありません。
昼からの長い長い会議が終わってから教えてくれたので、疲れも吹っ飛びました。
これからもよろしくお願いします o(_ _)oペコッ。
ちなみにカイは、私の後ろで眠っています。
背もたれに寄っかかれないので苦しいこと苦しいこと。。。
常に腹筋状態なのですから(;;;´Д`)ゝ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

さて、今日の会議は来年度の北海道音楽教育研究大会に向けての話し合いでした。

これまでの仕事の進み具合は?
現在の仕事の状況はどうか?
全空知音楽教育連盟の会員数の確認。
高等学校との連携について。
秋の研究大会について。
来年度の研究大会に向けて会員意識の向上。
10月に行われる旭川大会への参加体制と視察の方法について。
などなど


これだけの議題ですから3時間以上かかるのは当たり前!
みんなイヤな顔をせずに最後まで粘り強く話し合いに参加してくれました。
役員のみなさん、本当にありがとうございます。
周りには、こういう会議がイヤで抜け出す方たちだっているのに・・・。
みなさんの熱意があって連盟や大会は成り立っています。
その熱意が人を動かすのです。
苦しい時かもしれません。
ようやく都合をつけて参加できるような忙しさかもしれません。
できるなら自分のことに集中したいと思うかもしれません。
でも、みんなのために今、真剣に取り組んでいることは必ず自分に返ってきます。
動いているうちに仲間の輪が広がっていきます。
まずは一歩を踏み出しましょう!

批判することは簡単です。
提案がなっていないからと抜け出すことも簡単です。
投げ出して、手伝わないことも簡単です。
人任せにして、できていないところを批判する・・・これくらい簡単なことはありません。
仕事のできる人、できない人、様々な人がいます。
ついつい自分の主張していることが通らなくてイライラしてしまうこともあります。
顔もこわばり、厳しい口調で意見してしまう時もあります。
でも、それらは
どうしたら少しでもよりよい方向に動き出すのか知恵を出し合うためにあるものです。
お互いに反発しあうためのものではありません。

ついて行けない、と思うのであれば自分から動いてみませんか。
きっと賛同してくれる方が出てくると思うのです。
みなさん一人ひとりの思いが人を動かすのです。
言われて動くのではありません。
自分についてきてくれる人ができるまでとにかく動いてみましょう!
自分のできることから取り組んでみませんか。
ほんのちょっとずつの力でいいのです。
みなさんの協力がないと連盟も大会も成り立ちません。
みなさん一人ひとりのがんばりにかかっています。
何ができるのかを一人ひとりが考え、自分のできるところから一歩を踏み出してみませんか?
取り組みはもう、その段階に来ていると思います。

今、私たちが取り組むこと、それは・・・

①空知音連の仲間を一人でも多く増やすこと。
②来年度の大会を大いに宣伝すること。
③連絡を取り合い、仲間を大切にすること。


これに旭川大会のお誘いも入るでしょう。
締め切りが過ぎているとは言え、まだまだ間に合います。
みんなで勉強しにいきませんか?

今日の会議で自分の心に火がつきました。
「なんとかせねば!」と熱い気持ちで一杯です。
ついてきてくれる仲間を信じて私も一歩を踏み出してみます。
ともに頑張りましょう!

認めあい

私とは違う管内のある地域の方から相談がありました。
相談内容は次のようなものです。

ある有名な教育関係の団体に所属している方々のことで困っている、と。
中でも、中心となって活躍している一人の管理職の方の姿勢に大きな疑問を感じているようです。
その管理職の方はその地区のその団体におけるまとめ役で、主導する立場にあります。
有名な経済新聞に連載をしたり、教育雑誌に投稿したり、M図書から本を出したり大活躍しています。
その文章のコピーも読ませていただきましたが、過激で、かなり偏りがある印象を受けました。
しかし、実践例の豊富さにはビックリです。
本当に子どもがこの通りに動いて学習内容や道徳性を身につけているのであればすばらしい実践家と言えるでしょう。
それこそ、その方々が目指している「誰でもすぐに使える、実践できる」財産だと思います。
ただ、相談はそのことだけではないのです。
その管理職の方を含めその団体に所属する方々が、公開の研究会だけではなく、参観日などにも勝手にやってくるとのこと。
まあ、公開の研究会なら案内も出しているし参加申し込みを出せば誰でも参加できるので問題はないでしょう。
案内を出していない参観日にだって、「勉強したいので」と断りの電話などがあれば参加しても問題はないと思います。
でも、断りの電話なども全くなく勝手に参加するのはどうでしょうか?
しかも、その団体のブログに自分が見てきた授業について批評を載せ、意見を述べあうのだそうです。
私もコピーを見させてもらいましたが、残念ながら一線を越えた批評です。
それは批評ではなく一方的な批判、中傷といっていいものでした。
相手を特定できる(ほぼ実名)のですから・・・。
全く相手の主張を認めようとせず、過激なことばで批判を集中させる。
その団体の中だけでとは言え、その人間の評価が勝手に、自分の知らないところで決められてしまいます。
学校裏サイトのような感じで、私が読んでも恐ろしいものを感じました。
相談されている方の授業のことも書かれており、本人も傷ついているようです。

自分たちの団体の実践のすばらしさを訴えるのは悪いことではありません。
人間が一人ひとり違うように実践の方法だっていろんなやり方があるはずです。
それを認めようとせずに自分たちの主張だけを押しつける。
しかも相手の知らないところで意見を述べあうのはどうでしょうか?
同じ考えの者同士での意見の言い合いですから自分が批判されることもなく安心できることでしょう。
反対に、その標的となった方にとっては我慢ならないくらいたまらないものです。
そのことに気づかないのでしょうか?
また、研究授業や参観日の授業に参加させてもらったのですから、気づいた所は本人に教えてあげるのが筋ではないでしょうか?
お互いに気づいたところを述べあい、お互いに教師として力量を高めていく。
そういう姿勢が必要だと思います。
自分たちの実践にだって欠点があるかもしれないのですから・・・。
批判だけなら誰でもできます。
でも、人を批判できることが人間の力量ではありません。
人を批判していることで自分に力があると思い込み、勘違いする人をけっこう見かけますがそうではありません。
力のある人はその人に不足しているところを指摘するとともに、どうしたらさらによくなるかをアドヴァイスしてくれます。
しかも、相手が傷つかないように、または本人が自分の力で解決し、達成できるように気を配りながら。

批判しあっている方々もきっと自信がないのかもしれません。
自分以外の誰かを標的にして批判していないと不安で仕方ないのでしょう。
もしかしたら、昔自分が同じ目に遭っていたのかもしれません。
その仕返しをしているのかも。
自分を優位に見せる、できるように見せる、人間ですからそんな気持ちも起こります。
しかし、相手を傷つけて自分の今の位置を維持しようとするのは間違いです。
私の今までの経験からですが、その方々に意見を言ったり、話ししたところで逆ギレされて終わるような気がしてなりません。
もしくはブログの餌食にされるか・・・。
事実そのような目に遭っている方もいるようなので。
せっかくたくさんの実践を持っているのにもったいない気がします。

ついつい熱くなってしまいました・・・。
でも、話を聞き、コピーを読んでいるうちにあまりにも悲しくなったのです。
書かずにはいられませんでした。
ここ書くこと自体、私もその方々と同罪なのかもしれません。

ツァラトゥストラ!

Pa0_0028

今日は振り替え休業。
おいしいものをたくさん飲んだり食べたりしたので昨日から1時間の散歩をしています。
浦臼の黄金色に輝く田園風景は見事ですshine
写真を撮ろうとするものの、逆光のために携帯のカメラでは真っ黒になってしまいます。
それなら!と思い切って太陽sunにカメラを向けて写してみました。
それがこの写真。
なんだかR・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」みたいな感じとなりましたscissors
な~んて、ただの自己満足なんですが・・・(*^.^*)。
光り輝く太陽がトランペットで、ちょっと厚い雲が低音の打楽器群、山並みは弦楽器とオルガン・・・かな。
私にとって忘れられない演奏は、カラヤン指揮ウィーンフィルのものです。
みなさんは?
他に思い出としては、高校生の時にツァラトゥストラが実は「ゾロアスター」と同じだと知り、ちょっとショックを受けたこと。
そして、浦臼中学校に転勤してきた年の卒業式のリハーサル。
ステージに飾ってある巨大な背景画を卒業生の入場とともに幕を開けて披露する時・・・なんとこの音楽が流れてきたのです。
その瞬間、一緒に幕を開ける係だった先生と思いっきり吹きだしてしまいました。
あまりにも不釣り合いだったので・・・`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブッ!!。
この曲の壮大さとあっていなかったのです。
放送担当の先生にこのことを話して当日は違う曲にしてもらいました。
他にふさわしい曲はたくさんあるので。
でも、それまで毎年同じ場面で同じ曲が使われていたというのですから・・・。
場面にあった音楽を考えるってすごく大切で、そしてすごく難しいですよね。
いつも頭を悩ませてしまいます。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

さて、散歩ではいろんな場面に遭遇。
犬と散歩している卒業生の保護者に会い、少し立ち話。
「先生もメタボが気になりだしたんですね」だって・・・当たりだけど(-ε-)。
次に軽トラを運転する農作業帰りの卒業生と遭遇。
しばらく進むと、鴨のつがいが川をすいすいと泳ぐ姿を発見。
その先には、ミンクらしき動物の姿。
さらに進むと倒れているおばあちゃんを発見!
慌てて駆け寄り声をかけると「草むしりをして疲れたから横になっていた」とのこと。
いや~、本当にビックリした!!(゚ロ゚屮)屮。
そうこうするうちに中学生のカップルを発見!
私の姿を見て急にUターンをするので大きな声をかける。
バツ悪そうに私の方に向き直るカップル。
なんだか私もやることがオヤジだなあ、と思いつつ(*´v゚*)ゞ。
1時間の散歩の中にいろんな出来事があっておもしろかったです。

汗もかいたから夜はまたビールbeerかな?
エッ!メタボ解消にならないって?
┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

大好きな管弦楽曲

P1000388

昨日よりももっと月fullmoonが美しかったです。
シューマン作曲の幻想曲OP.17の第3楽章が浮かびます。
思わず外に出てパチリ!
でも、私自身の目で見た実際の月とは美しさの度合いが違います。
心の中に感動は残っているものの、写真は写真でしかないのでしょうね(ノ_-。)。
容量も制限されているので、圧縮してブログへアップしなきゃならないし・・・。
「夢街」にも写真をアップしたのでよかったら寄って下さい。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

P1000221

家に入ってからは音楽鑑賞。
私の大好きな管弦楽曲を3曲続けて。
最初はシューマン作曲「マンフレッド序曲」OP.115。
バイロンの詩をもとに描かれた劇音楽の中の序曲です。
恋愛ゆえに死んだ女の心を求めてさまようマンフレッド。
最後には自分自身を守るために死を選ぶことになるマンフレッドの憂鬱で思い悩んでいる姿が音楽で表現されています。
マンフレッドがお墓の底から呼ばれる情景を表現したトランペットの音は背筋が凍るほど恐いです。
柔軟で歌にあふれているジュリーニ指揮、ロサンゼルス交響楽団の演奏が私は好きです。

2曲目は、チャイコフスキー作曲の幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」OP.32。
ダンテの「神曲」に出てくる悲恋物語をもとにして作曲されています。
13世紀のイタリア、ポレンタ家の美しい娘フランチェスカは父の思惑から宿敵の家の長男ジョバンニに嫁がされてしまいます。
今で言うところの政略結婚です。
この粗野で醜悪なジョバンニをどうしても好きになれないフランチェスカ。
そんな時にジョバンニの弟パオロに出会います。
気立てがよく美男子のパオロ。
二人はすぐに恋に落ちますが、嫉妬に狂ったジョバンニに殺されてしまいます。
最初は、ダンテが古代ローマの叙事詩人ヴェルキウスに導かれて地獄に入る場面が描かれています。
そのおどろおどろしいこと!
その後、地獄の第2圏の様子が描かれ、次にフランチェスカの物語が描かれます。
手に汗握るようなドラマが展開される曲です。
曲の構造がよく見え、しかも曲と同化しているバーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏が私は好きです。

3曲目は、ベルリオーズ作曲の「トリスティア(悲嘆の詩)」OP.18。
第1曲「宗教的瞑想曲」はトーマス・ムーアの仏訳詩に作曲された6声部の合唱曲。
真実と安らぎある天をたたえています。
第2曲「オフェーリアの死」はシェークスピアのハムレット第4幕から。
オフェーリアの死を伝える王妃のことばを仏訳したものに曲がつけられた女性合唱曲。
第3曲は「ハムレットの終幕のための葬送行進曲」。
混声4部合唱はただ「ああ!」という悲痛さを表現する言葉を繰り返すのみ。
ハムレットの死を悼む荘重な調べに胸が張り裂けそうになります。
透明な美しさと考え抜かれた強弱の中に悲劇が表現されつくされているかのようなブーレーズ指揮、クリーブランド管弦楽団の演奏が私は好きです。

今回紹介した3曲はどれも傑作といってよい作品だと思います。
もっともっと演奏されたり、聞かれてよい曲だと思うのですが・・・。

TVとの関わり

P1000217

ある食品店から突然の電話。
肩書きを聞くと、その店の一番偉い方からでした。
電話の内容は次のようなもの。
「9月9日にお客様が購入された鯖の一夜干しについてですが・・・
宮城県で獲れた魚を北海道産と表示してしまいました。
産地は宮城県なのですが、北海道で加工したのでラベルの記入を間違えてしまったのです。
北海道産だと思って購入していましたらお金も返金させていただきます。
このようなことが二度とないように気をつけていきます。申し訳ありませんでした。」
食品偽装の件が大きく取りざたされているからなのでしょう。
実にていねいなていねいな電話でした。
誠意が伝わって来るというか・・・食品店も大変なんですね。
別に産地にこだわっていたわけではないので返金についてはお願いしませんでした。
しかも最近ではあたったことがないくらいおいしい鯖だったので・・・。
あまりにも深刻な話しぶりだったので、人体に影響がある重大な件かと思いました(゚ー゚;。
気になるのは次の話。
なぜうちが購入しているのがわかったか、ということです。
実はポイントカードを使ったからなんですよね。
ポイントカードからいろんな情報が漏れることもあるということなんですね。
こちらの方が恐ろしいと思いました(lll゚Д゚)。

次は女優さんにまつわる話。
沼田が舞台のNHK朝の連続ドラマに出演した女優さんが昨日勢揃いしました。
武満徹さんの「系図」という曲で語りをつとめたこともある若い女優さんの話。
目がとても個性的な方です。
女優という世界は非常にストレスがたまるとのこと。
ベテラン俳優からは虫けらのように扱われ、あわない監督だといじめられる。
一見華やかに見える世界ですが、そのストレスといったらものすごいものがあるそうです。
その女優さんは「鍛高譚」という焼酎を毎晩一本飲んでいるとか・・・。
そうでもしないと眠ることができない日もあるとのこと。
ちょっとの時間があると飲まずにいられないようで。
小さい声で「私の部屋は鍛高譚の瓶で埋まっています」と笑いながら話してくれました。
とても気さくで笑顔もすてきな方です(゚▽゚*)。
そこまでしてでも女優を続ける価値があるんでしょうね・・・本人には聞けませんでしたが。
身体を大切に、無理しないで頑張って欲しいなと願わずにはいられませんでした。
でも、鍛高譚という北海道の紫蘇焼酎を愛飲してくれているところがうれしかったです。
もう一人の大女優は高級ワインを毎晩という話でしたから・・・(^-^;。

独特の空間性

P1000214

学校祭が終わりました。
長い時間をかけて準備してきたけれども、あっという間の1日でした。
9月にしては珍しいくらいの暑さで体育館の室温もぐんぐん上昇。
しかも風がほとんどない状態・・・_ノフ○ グッタリ。
そんな息苦しい暑さの中で子どもたちは本当に頑張りました(o^-^o)。
合唱自体のできからするとリハーサルの時が最高だったと思います。
でも、失敗とか傷とかが気にならないくらいの本番ならではの勢いと緊張感のある演奏を聞くことができました。
次は卒業式に向けて、また子どもたちと一緒に取り組んでいきます。
いろいろあるだろうけれども、きっと54人ならではのものを創りあげてくれることを信じて。

気になったのは聞いている人たちの態度┐(´-`)┌。
合唱が始まっているのにおしゃべりをやめない保護者。
音量の大きいところでは一層声を大きくして話しし始めます。
そして子どもたち。
体育館で走りまわるわ、廊下でいたずらをするわ、叫び声を上げるやら・・・。
今年は注意する回数が特に多かったです。
年々マナーが悪くなってきている印象を受けるのですが・・・。
一体何をしに来ているのかな?
注意する大人が減ってきているのも気にかかるところです。

13日はそのまま滝川の「とりふじ」で親しい仲間と打ち上げbottle
たくさん話をして、たくさん飲んで・・・楽しい一日でした。
お店でしか飲めない焼酎がおいしかったです(ちょっと飲み過ぎたかなあ・・・)。
続いて昨日は実家で焼き肉。
「ウコンの力」のお世話になっている毎日です。
効きますよ!
それにしても昨日(14日)の月fullmoonはきれいでしたね。
カイと月を眺めに外に出たほどでした。

そして今日は久々の休日。
写真のCDをゆっくりと楽しんでします。
Yasuaki Shimizu & Saxophonettes によるJ.S.Bachの「チェロ組曲」。
全曲サクソフォーンで演奏されています。
しかも演奏している場所が凝っています!
1番は、倉庫を改造した東京のスタジオ。
2番は、宇都宮の大谷石の地下採石場。
3番は、大田原のホール。
4番は、東北地方にある釜石鉱山花崗岩地下空洞。
5番は、イタリアのパドヴァにあるヴィラ・コンタリーニ。
6番は、イタリアのパラッツォ・パパファーヴァ。
よく響く空間を演奏と録音の場所に選ぶことにより、空間全体を楽器と化すことをめざしたCDです。
残響のことをよく考えており、響きが本当に何とも言えません。
耳をすましていると、採石場のしずくのしたたり落ちる音、車や人の話し声などその空間独特の響きがきちっと収められています。
聞こえてくる音を排除するのではなく、それをその場所独特の音として取り入れるという発想がすごいと思います。
チェロとは違う演奏を楽しむことができるCDです。

そんなCDを楽しんだ後はブログパーツをあれこれ変えてみました(^-^;。

「いちごいちえ」

いよいよ明日が学校祭本番。
毎日毎日聞こえてくる真剣な合唱に、子どもたちの大きな成長を見ることのできた取り組み期間中でした。
いろんな意見があると思いますが、私は歌っている人も聞いている人も一体となった発表会を目指しています。
合唱を発表するからといってステージに移動することはしません。
kitaraをイメージして、全て体育館フロアで演奏します。
手書きなので。。。しかも、美術が2だったもので(ρ_;)。
赤色は観客席、黒はピアノと指揮者の位置です。
緑色が1年生、紫が2年生、黄土色が3年生の位置。
それぞれの学年が曲目紹介を兼ねた作文を読んだ後にその場で歌います。
全校合唱の時だけ青色の位置に移動。
          
Cocolog_oekaki_2008_09_12_19_37

1年生は、「涙そうそう(斉唱、CD伴奏)」と「ハナミズキ(混声2部合唱)」。
2年生は、「いのちの名前(同声2部合唱、CD伴奏)」と「Jupitar(同声2部合唱)」。
3年生は、「青いベンチ(同声2部合唱)」と「Story(斉唱)」。
全校合唱は「友がいるなら」。
学校祭ということもあり、ポピュラー系の歌が多いです。
でも、そういう歌って実はすごく難しいですよね!
子どもたちもそれはわかっているようで・・・合唱用に作られた曲はやっぱり歌いやすいと言っています。
今回は歌いたい曲、聞いている人に喜んでもらえる曲にしましたが、卒業式には本格的な合唱曲に取り組むんですよ。

さて、今日は明日の合唱発表に向けてリハーサルの日。
この間の時もけっこういい合唱だったのですが、子どもたち自身はあまり納得がいっていないようでした。
今日のリハーサルを成功させようとどの学年も必死に練習。
その成果がバッチリでたようで、どの学年も全校合唱もすばらしい合唱となりました。
失敗を失敗させたままで終わらせていては何も残りません。
たとえその時は失敗したとしても、自分たちが満足するまで取り組み続けることが大切です。
そうすることによって最後には充実感と達成感、成就感が残るからです。
今年の子どもたちも途中ではいろんなことがあったものの、きっと何か大きな宝物を得たのではないかと思います。
練習の最後には次のようなことを話しました。

「明日の合唱発表、9月13日という日、浦臼中学校という場所、そしてこの54人というメンバー。この日、この時、この場所、このメンバーにしか出せない響きを大切にしよう!小さなミスも大きなミスも、そして、小さな成功も大きな成功も全てはこの日、この時、この場所、このメンバーだからこそのもの。ミスなく、美しく歌うこともすばらしいことかもしれないけれども、もっと大切なものがある。ミスした時に、指揮者、伴奏者、合唱のそれぞれがどう支え合って乗り越えていくのか。どうやってみんならしさを響かせていくのか。地域の人たちも先生方も、みんなそれを期待しているんだよ。みんなならではの合唱を響かせて欲しい。」

明日はどんな合唱を響かせてくれるのかな?
もう私にできることはありません。
全て子どもたちに委ねられています。
明日が楽しみです。


:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+

ただいま散歩中!

Grp_0027

ひもにつながれての散歩。。。
エッ、猫が???
と思う方も多いようです。
よく不思議がられます。
でも、自然豊かな浦臼に住むカイ君にとっては危険が一杯なのです(^-^;。
わがもの顔で歩くキツネ。
電線から獲物をねらうカラスやトンビ。
草むらに隠れているヘビ。
私の近所にはたくさんの野良猫がいたのですが、いつの間にか見かけなくなってしまっています。
目をつつかれて失明してしまった猫もいます。
みんなそれらの餌食となってしまっているのです( ̄Д ̄;;。
そんな危険な目に遭わないように人間がついていかなければなりません。
カイ君は、自由に飛びまわる自分を夢見ているのかもしれませんが・・・(*^m^)。

Grp_0026

誰ですか?
タヌキと言っているのは(# ̄З ̄)?

写真が大きかったかなあ。。。見づらい時には写真をクリックしてみて下さい。
ちょうどいい大きさになります。
不慣れなものでご迷惑をおかけします(^-^;。

続・育つということ

浦臼中学校の学校祭は9月13日。
本番まで残り3日となりました。
夏休み前、3年生のあまりのやる気のなさに
「学校祭の合唱発表にでるのやめたら?学校祭の原案に賛成したのは自分たちでしょ?俺がお願いしてでてもらっているわけじゃないから。お前たちの指導に時間を費やすくらいなら一生懸命取り組んでいる1年生と2年生の指導に時間をかけるよ。悪いけど、俺は人間できてないから。」
こんなことを言ってしまいました。
ひどい教師ですよね┐(´-`)┌。
本当に人間ができていません。
でも、本当に当たり障りなく適当にそれなりの指導でやめておこうと考えていたのです。
「やってもらって当然」「自分たちは本番に強いから普段真剣にやらなくても何とかなる」という意識から抜け出して欲しくて・・・。

ところが、ところが!
月曜日の音楽の授業の後の休み時間、1時間びっちり歌ったあとにもかかわらず教室から歌声が聞こえてきます。
なんと!CDに合わせて自主的に練習しているではありませんか(゚0゚)!
しかも、前の時間に習った発声とか強弱のこととかを忘れないようにお互いアドヴァイスを確認しながらの練習です。
一生懸命歌う姿が見られたので今週の月曜日に「3年生らしくなったね」とほめたのです。
それがきっかけになったと子どもたちが話していたことを後で担任の先生から聞きました。
前にも書きましたが、私が育てたわけではありません。
彼らが育っていったのです。
何がきっかけかはわからないけれども、
「もっとうまくなりたい、3年生としていい合唱をしたい、教えてもらったことを身につけたい・・・」
彼ら自身が真剣にそう考えて行動したからこそ育つことができたと私は思います。
だって、夏休み前は同じアドヴァイスをしても一切聞き入れなかったですから。

こうなると子どもたちはどんどん伸びていきます。
教えたことも真綿が水を吸収するように自分たちのものとしていきます。
その雰囲気は3年生だけにとどまらず、1年生や2年生にも広がりを見せています。
学校全体が合唱に対して一生懸命に取り組む雰囲気がかなり出てきました。
ちょっとの時間を惜しむように廊下やトイレで歌っている子どもがけっこういます。
しかも男女問わず。
私にとってはうれしい誤算です( ̄▽ ̄)。

鉄は熱いうちに打てと言います。
今日の全校合唱の時には次のような話をしました。

「失敗には原因がある。そして、同じ失敗でも、次につながる失敗とつながらない失敗とがある。これまでの練習の中に、そして自分の心の中に隙はなかったかもう一度振り返ってみよう。いい加減にやってきたことには、やっぱりそれなりの結果しか出ない。例え失敗したとしても、次につながる失敗とならない。残り3日真剣にやってみよう。自分の心の隙をなくそう。」

残念ながら私の合唱指導はレベルが低いと思います。
音程とか発声とかリズムとか・・・私自身の耳が悪いのと才能のなさのため子どもたちを音楽的な高みに導くことができません。
この子どもたちも違う先生だったらもっと伸びるのだろうに、と思うことがあります。
だからといってあきらめているわけではありません。
少しでもよい指導ができるように勉強しているつもりです。
でも、才能の違いを見せつけられた時には愕然としてしまいます。
そんな私ですが、学級の合唱としての指導はけっこうできます。
私の指導言はけっこう担任の先生方の参考になるらしいです。
そう言ってくれる仲間がいるから、今もがんばれているのかもしれません。
そういえば、昔私のことばをノートに書き写している先生もいたっけ・・・。
それを知った時は「恥ずかしいからやめて」とお願いしましたが・・・(^-^;。

ウイッシュ!

P1000201


P1000213

P1000207

DAIDGO猫 カイ です(*^.^*)。

強制的にやらせているわけではありません。
動物愛護協会に訴えないで下さいcoldsweats01
長く伸びたり、腕を組んだりいろんな格好をしてくれます。
本当に猫なのかな・・・(*^-^)。
これから散歩に連れて行きます。
外に連れて行けと暴れているので・・・(ρ_;)

ケーブルを交換

P1000206

P1000204

なんの知識もなくオーディオ専門店に行って買ってきたCRAFTというスピーカーケーブル。
けっこう高価なものだったのですが、最後の数㍍しかないということで考えられないような安さで購入したものです。
ぶっといケーブルで今までたくさんの音楽を堪能させてもらいました。
でも、数年すると自分で選んだケーブルが欲しくなり・・・。
どれがいいのかあれこれ検討していました。
「やっぱり高価なものでないといい音がしないのかなあ・・・お金を貯めなきゃ!」と。
そんな時にベルデンというアメリカの会社のケーブルのことを知り、さっそくインターネットで調べてみました。
すぐにヒットしたのは「プロケーブル」という会社。
ホームページを見てもらえばわかるのですが、すごいこだわりようです。
それなのに価格が非常に安い。
調べてみると信奉者も批判者も実にたくさんいることがわかりました。
「賛否両論ということは信頼できるかも。値段も安いので失敗しても後悔しないかな」そんな安易な気持ちで購入してみました(◎´∀`)ノ。
購入したのはスピーカーケーブルとアンプとCDプレイヤーをつなぐバランスケーブル。
注文して入金したとたん、220行ものメールが届いてビックリ!!
いやはや、すごい熱意です(@Д@;。
半信半疑のまま、まずはバランスケーブルをつないで音を確認。
「あれ?奥行きがでて情報量が増えたぞ」・・・嘘じゃないんです!
次に劇的に音の変化がわかるスピーカーケーブルを交換。
「なんじゃ、こりゃ~!!(゚ロ゚屮)屮!!」・・・本当にぶっ飛びました。
なんとなくがさつな音がするものの、ヴァイオリンの弓をこすり始めた時の音や管楽器に息を送り込む音、そして流れなどがわかるのです。
「今まで自分が聞いてきたものはなんだったのだろう?」という思いで一杯になりました。
がさついた音も慣らし運転をしているうちに落ち着くだろうと考え、とにかくいろんなジャンルのCDをかけまくりました。
2時間ほどして柳家小三治さんの落語をかけたところ・・・。
突然音が激変したようになり、目の前で生きている人間がしゃべっているような感覚に。
「しめた、もしかしたらピントがあったかも!」
と考えて次にクレンペラー指揮のメンデルスゾーンの交響曲第3番をかけると・・・。
立体的な音の重なりや今まで聞こえていなかった音やら微妙な音の綾やら、こんなにたくさんの情報が詰まっていたのかと腰を抜かしそうになりました。
ケーブルを交換しただけでこんなに違うなんて・・・。
もう毎日毎日家に帰って音楽を聞くのが楽しみで楽しみで。
うれしくてうれしくて仕方ありません(。・w・。 )。
ジャンルを問わないところがすごいところです。

前のケーブルの時に印象の悪かったラトル指揮ウィーンフィルのマーラー交響曲第9番、ツィメルマンのピアノと小澤征爾指揮ボストン交響楽団のラフマニノフピアノ協奏曲第2番も聞き直してみました。
この二つのCDとも、すばらしい演奏でした。。。( Д) ゚ ゚
一体何を聞いていたんだろう・・・。
こうなると、たかがケーブルなんて言っていられませんよね!
いろいろと考えさせられています。

カイ君がスピーカーの上を飛び回っています。
頼むからツイーターを落とさないでo(;△;)o!

目的とは?

養護教諭を目指して現在浪人中の卒業生から相談がありました。
「養護教諭が本当に自分のやりたいことではないような気がしてきた。目的がなくなってしまって、なんのために勉強しているのかわからなくなった」、と。
長い長い一生の中で、このように悩む時期は誰にでもあることです。
最初から最後まで目指すものが一つなんてなかなか・・・。
よかれと思って歩んでみたものの、違う道がよく見えてしまったりすることなんてたくさんありますものね。
たくさん悩んで、考えて人間は成長していきます。
道は一つではないし、はっきりと自分の行く手が見えている人間なんて誰もいないのですから。
でも、彼女の場合にはこんな時が来るんじゃないかと予測していました。

「目的」とは最終的にどうなっているのかという到達点のようなものです。
彼女の場合には教師という職業の中の養護教諭になり、子どもたちが独り立ちできるように支えていく、というのが目的でした。
この「目的」がはっきりすると次に「目標」が見えてきます。
「目標」とは、目的を達成させるためにどのようなことをしていけばよいのか、手段とその方向を指し示すものです。
目標は「近くて狭い目標」「近くて広い目標」「遠くて狭い目標」「遠くて広い目標」4つから捉えることができます。
彼女の場合をこの4つの目標から具体的に考えてみましょう。

まずは養護教諭になるためには養護教諭を養成する学部のある大学に入学しなくてはなりません。
つまり、目の前に迫っている「近い」目標がそれにあてはまります。
「近くて狭い目標」は養護教諭となるためにどの大学のどの学部への入学を目指すのか、ということです。
彼女は一つの大学に絞りそこをめざして勉強に励んできました。
残念ながら力及ばず、現在は浪人中です。
今のところは同じ所を受ける予定でいるようです。
というかそこしか目に入っていない状態です。
それが今回の相談につながります。
「近くて広い目標」はとは、目的が養護教諭になることなのだから「ここの大学しかない」と一つに絞るのではなく、とにかく養護教諭になるための勉強ができる大学を目指す、というものです。

次に「遠い目標」です。
これは実際に養護教諭として働いていることを想定しての目標となります。
目の前というよりも将来のことを見通しての目標となります。
「遠くて狭い目標」とは、実際に大学に入学した後、養護教諭となるために専門的な勉強に取り組み、教員採用試験を受けて養護教諭になるまでの目標のことです。
そして「遠くて広い目標」とは、養護教諭になったあと、養護教諭としての力量を高めるために研修を深めたり、教師として、人間として成長できるよう様々なものから学んでいく、ということをさします。
ここまで来ると一生をかけての大きな目標となります。

残念ながら彼女は「近くて狭い目標」にとらわれすぎているのです。
「ここの大学に行かないと恥ずかしい」「○○さんよりも上の大学に行かなくちゃ」・・・彼女の口から出てくることばはそのようなものばかりです。
「養護教諭になるのが当面の目標なんじゃないの?大学や他の人との比較にとらわれずに、養護教諭になれる学部のある大学に行ったら?」とこれまで何度もアドヴァイスしてきましたが聞く耳を持ちません。
そうするうちに今回の相談です。
養護教諭になりたいという気持ちは本当だったと思います。
でも、なんのためになるのかが明確でないのです。
「子どもたちの成長を支えるために」・・・という本来の目的のが消え去ってしまい、養護教諭になれる大学の中でも偏差値の高い大学を目指すことが目的となってしまっているのだと思います。
目的と目標を混同してしまっているのでしょう。
どこの大学を出たか、なんて関係ないのですが・・・。
それは大人になってから振り返ってわかることなのかな?
人生経験の少ない子どもたちにとってそれは難しい話なのかな?
でも、彼女のように目的が完全に揺らいでしまっている状態では目標なんて見えてこないし、意味のないものになってしまいます。
「本当に自分は何になりたいのか、何をやりたいのか」という目的を強く強く思うところから始めなければ無理だと思います。
目的がはっきりしていないのですから、私にはどうすることもできません。
ただ、目的がはっきりするのを見守るだけです。
目的がはっきりすれば、アドヴァイスすることも可能となってきます。

「目的」とは最終地点のことであり、到達したい、到達させたいと考えている地点のことです。
養護教諭として人間性を磨いていくところまで入るものと考えます。
「目標」とは、目的を達成させるために取り組まなければならないことや方向を指し示すものです。
この方向を間違うととんでもない地点にたどり着いてしまうことがあります。
養護教諭となるための方法を考えたり、どのような養護教諭を目指すのかということです。
ただなんとなく日々の仕事をこなす、というのとは違いますよね。
そして目標に沿って、具体的に何を身につけていかなければならないか、ということが「ねらい」です。
養護教諭となるために必要な知識や技能のことです。
それがどこまで身についているのか、他に何を身につけていかなければならないのか、それらを評価によって明らかにしていきます。
そのねらいに沿って、どの時期までに何をやっていこうと考えているのかというものが「めあて」となります。
何をどの時期までにという自分自身の計画みたいなものでしょうか。

カイ君の近況

P1000203_2

ゴミ箱大好き猫 カイ (*^m^)

もうもう、油断も隙もあったモンじゃありません。
ちょっと目を離すと一目散にゴミ箱へw(゚o゚)w。
ねらいはゴミ箱の中にあるティッシュやらチョコレートの包み紙やら・・・。
それを取り出しては遊ぶのです。
カサカサという音とともに、ダダダダダーッという音が響きます。
夜中にやられた日にゃあ、たまったモンじゃありません。
朝起きるとゴミが散乱しているなんて時もあります(ノω・、)。
ちょっと大人の顔になったかな?
でも、甘えっ子の所は相変わらず・・・。
今もこれを書いていると膝に入ってきて寝てしまいました。


ところで、ブログの背景が変わりました。
リラックマ5周年記念とかで豪華に。
12月25日までの限定みたいです。
記事の内容に合っているかどうか・・・。
評判が悪ければ変えます(*´v゚*)ゞ。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*


あと、アップロードできる記事の容量が1MBに縮小されてしまいました。
せっかく書いた記事が写真の関係で消えてしまうということがあってビックリする時があります。
写真のサイズを確かめていかないと・・・

「育つ」ということ

授業で音楽を教えて音楽の道に進んだ子どもが出てきた時。
部活動で卓球を教えて強くなった選手が出てきた時。
若い先生にアドヴァイスをしてその先生が信頼される教師となった時。

そんな時にはついついうれしくて「自分が育てた」なんて言ってしまうことがあります。
でもそれって、実は指導する側の独りよがりなんじゃないかな、なんて考えています。
私が育てているのではなく、相手が「育っていっていく」のではないかと。
指導する側の時、よかれと思っていろいろとアドヴァイスしても、相手になかなか受け入れてもらえないことなんて数限りなくあることです。
また、指導を受ける側の時には、あのときにアドヴァイスを素直に聞いていればよかったかも、と悔やむことが結構あります。
「馬に水を飲ませるため水辺に連れて行くことはできても、水を飲むかどうかは馬自身の問題だ」とはよく言ったものです。
本人に育とうとする意欲がないと伸びていくことはできません。
よい指導者というのは、この意欲を引き出しているだけなのではないかと・・・。
教えることによって育っているのではなく、育ちたいという気持ちがあるから教えていることを吸収していくことができるのではないでしょうか。
また、育っていくのは相手にもともと育つ能力があったから、とも言えます。
その意味で、育てているのではなく、「相手の持っているものを伸ばしている、引き出している」と考えた方がよいと思います。
指導者が能力を身につけさせたのではないのです。
指導者はあくまでもガイド役であり、見守ってやることしかできないのでしょう(誤解のないように言っておきますが、指導を否定しているわけではありません)。
「育てている」と思い上がってはならないのではないでしょうか。

だからといって、「育たなかったのはあいつの能力がなかったから」と指導される側のせいにすることは間違いです。
そんな時は自分の指導法を振り返るようにしたいものです。
なぜ意欲を高めることができなかったのか、能力を引き出すことができなかったのか、と。
指導者側の謙虚に学ぶ姿勢も必要でしょう。

また、「学ぶ」と一口に言っても学校と社会では意味するところが違います。
大人として社会で生きる、仕事をするのですから学校とは違う厳しさがあります。
「育ててもらえる」と甘えてばかりいては自分自身を伸ばすことはできません。
先のことは見えないけれども、とにかく一歩を歩いていけば何かが見えてくることを信じる。
教えられる側にも、自分で可能性を求め、自分の進む道を考え、これだと決めて道を歩んでいく姿勢も必要だと思います。

才能と努力

エジソンは、「天才とは99%の努力と1%の才能である」と言ったとか。
みなさんは才能と努力の割合をどのように考えますか?

指揮者の岩城宏之さん(故人)と野球の野村監督(現楽天監督)の対談に次のようなものがあります。
「音楽の部門では、才能は何%くらいですか。」と野村監督。
野村監督としては「野球だと70%が才能で30%が努力かな」くらいに漠然と考えていたそうです。
それに対しての岩城氏の答えは・・・

「100%才能ですよ!」


これには野村監督もビックリ。

さらに岩城氏の答えが続きます。

「それにプラス、努力する才能があったか、ということです。そういう意味で言えば、100%の才能と100%の努力ですね。」


この対談を終えた後、野村監督はこの答えに「努力するのも才能なんだ」と心底納得したと言っています。
一人は音楽のプロ、もう一人は野球のプロ。
プロ同士のプロの世界の話ですから、その世界でやっていけるということ自体がすでに才能があるということです。
ただ、一流と言われるにはそれだけではだめなのでしょう。
才能を開花させずに終わってしまう人間のなんと多いことか。
才能のある人間は、ただ漠然とやっているだけでもある程度の成果が出せます。
才能があるのだからある程度やれるのは当たり前。
しかし、それだけで満足していると結局は「ある程度」「そこそこ」で終わってしまいます。
自分の持っている才能をいかに活かしていくのか・・・。
それには、やはり「努力」が必要なのでしょう。
でも、手を抜いて結果が出ないのならともかく、怠け者でもないし努力もする、という人で成果の出せない人もいることを私たちは知っています。
この人たちのことを野村監督は厳しく次のように批判しています。

「音楽や野球を職業として、苦しんだことがなかったのではないか。また、能力を限界まで要求される場面に遭遇する機会に恵まれなかったのではないか。」

岩城氏も野村監督もただの努力ではなく、自分の限界に挑戦したり、正面から向き合って取り組んだりという一つレベルの高い努力が必要と言っているのだと思います。
また、そういう人は自分が何をなすべきかがわかっている、そして、自分の持っているものを活かすために何が足りなくて何を補っていけばよいのかもわかっていると言います。
真剣に自分の職業のことを悩み、それと向き合って考えての結果なのですから当然と言えば当然です。
自己を見つめ、自己を分析し、自己を理解する。
向き合い、考えることによって初めて自分を高めていけることができるのでしょう。

教師も教育のプロと言われています。
岩城氏と野村監督の対談を読んで自分自身に問い直しています。
教師として、音楽科教師として正面から向き合っているか?
本当に自分の能力の限界までやったことがあると言えるか?
それなりにやれる、ということに満足してしまってはいないか?
残念ながら、私は音楽の才能のあまりない人間です。 努力してもなかなか厳しいところがあります。
そんな人間ですから、才能がないのに慢心していては最低のことしかできません。
そんな私を叱咤激励し、能力を引き出してくれるような人たちとの出会いに恵まれているから今があるのだと思います。
ただでさえ能力がなくてひどいのに、出会いがなければもっともっとひどい教師だったと思います。
そう考えると「出会うこと」も才能の一つと言えそうです。

「オロロン鳥」

オロロン
オロロンとなけば
岩も
もの言わぬ岩も
オロロンと答える

切岸の
岩棚の
歯の上に
生命あたため
海を見る
ウミガラス
ウミガラス

ふるさとは
岩の上
雨ふれば
雨にぬれ
陽が照れば
陽にやかれ
風ふけば
骨かれる

水平の
落日の
胸は燃え
海 昏(く)れれば
胸しづみ

光をもとめ
南をしたい
たどりつく
ウミガラス
オロロンとなけば
海も
海も岩もオロロンと答える


更科源蔵作詞、広瀬量平作曲の「海鳥の詩」の第1曲「オロロン鳥」の歌詞です。
大学の教授が広瀬量平さんと大学の同期と言うこともあり、いろんな話を聞かせてもらっていました。
また、私自身が豪雪地帯の沼田、そして厳しい寒さの釧路という土地で生活したこともあり、更科源蔵さんの詩に共感するところも大いにありました。
二人とも北海道出身ですから、なおさら。
そんな理由から大学の合唱の講義で歌ったこの「海鳥の詩」が大好きなのです。
特に第1曲「オロロン鳥」。
聞いていても、歌っていても自然と涙が出てきそうになります。
厳しい大地の中で必死に生きていこうとする姿。
そこには悲壮感を超越した、神々しいまでの尊さがあるような感じを受けます。
鳥のことをうたっているものの、それはこの北海道に住む人間を表現しているのでは?
人それぞれだと思いますが、私はすばらしい詩だと思います。
他に「青鷺」も大好きです。
浦臼に来たときには3年連続で子どもたちが選んでくれてうれしかったのを思い出します。

楽譜を読んでみると「オロロンと」の「と」に常にスタッカートがついていて、しかも2カ所をのぞいてその前に休符があり・・・歌い方に注意を払うように求められています。
軽く、でも明確に。
たった一つの文字なのに、神経質なくらいの気の遣いようです。
でも、第2曲「エトピリカ」の「オホーツク」というところ。
なぜ「オホーツク」の「ツク」を八分音符二つの有声音にしたのでしょう?
「ツク」を重く歌ってほしかったのかな?
本来であれば無声音で表記するところだと思うのですが・・・。

豪雨の中、飛び交う鳥たちを見てこの歌を思い出していました。

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

夢街

  • 日の出
    それぞれの街にはそれぞれの魅力があります。 通りかかったときに目に飛び込んでくる風景。 心に残る瞬間瞬間を写真に残してみました。

ぽちっと!

  • ポチっとよろしく!

twitter

ペットうさぎ専門ウェブサイト「うさぎといっしょ」 うさぎブログペット