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音符カーソル

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2008年10月の25件の記事

新しい出会い

P1000338

前回の北海道音楽教育研究大会岩見沢大会の目玉の一つに「地域人材とのつながりの重視」がありました。
元全空知音楽教育連盟研究部長の山本徹淨先生をはじめ、前教育大学岩見沢校の寺田助教授、拓殖短期大学の土門教授、元岩見沢東高校教諭横山先生、渡邉指導主事など、研究だけでもたくさんの方々に支えられた研究大会でした。
その後異動などがあり、せっかく築かれたつながりを心配する声も聞こえてきていました。
特に、芸術課程に特化された教育大学岩見沢校があるのにそのつながりがなくて残念に思っていたのです。
「なんとかつながりをもてないか」と考えていたところ、野村研究副部長の紹介で尾藤教授とお話しする機会を得ることができました。
人見知りの激しい私。
初対面の時には結構心臓がバクバクしてしまい、いや~な汗をかきます(;;;´Д`)。
講義や学生への指導の直後だったらしく、走って教官室に戻ってこられた尾藤教授。
活力あふれるその姿に人見知りも吹っ飛んでしまいました(o^-^o)。
研究大会についてあれこれとお話をしたのですが、現場の声を理解しようとするその姿勢に頭が下がりました。
言葉がとてもわかりやすく、説明が親切なのです。
そこに心を和ませる笑顔と笑い声が混じります。
時がたつのを忘れて話し込んでしまいましたcoldsweats01
長い時間だったにもかかわらず、いやな顔をしない尾藤教授に感謝です。

「わかる・できる・わかちあう」「感性をはぐくむ手だて」「響感」の説明を1回聞いただけで理解する力量。
研究の話題の時に見せるその表情はとても厳しく、真剣さが伝わってきます。
図の改良案にまで話が発展しました。
日常の実践に役に立つ研究大会、という点でも考えが一致。
「わかってもらえた」といううれしさでいっぱいになりました。

家について遅い夕食。
でも、こんなにうれしい日は乾杯です。
大好きな鶏肉restaurant
大好きな直火(ジョカ)で飲む芋焼酎japanesetea
出会いと音楽科教育研究のことをたくさん話したとても幸せな一日でした。

たくさんの人に支えられての研究大会の取り組みが本格化します。
空知の音楽科教員の総意と創意で「役に立った」と言えるものにしましょう!

初雪の樺戸山

P1000334

10月27日の樺戸山。
出勤時の日課で家の玄関を出て山を見ると・・・
厚い雲からのぞいている山に雪が・・・w(゚o゚)w
すぐに溶けるんだろうなあ・・・なんて思っていたら・・・

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10月29日の樺戸山。
なんと!!
雪が溶けるどころかさらに積もったようです。
しかもお昼近くに写した写真なのに・・・。
いよいよ本格的な冬の到来ですかね?
学校の中も寒くて寒くて本格的に暖房を炊いています。
なにせサッシが1枚の窓ですから。
一酸化中毒なんてあり得ない校舎です。
スタッドレスタイヤに履き替える同僚も出てきました。

写真からは雪の質感が少し伝わります。
良いカメラだともっと濃い緑と白の対比が出るのでしょう。
まあ、これから珍しくなくなるし、ウンザリするほど降りますが・・・。
みなさん、気をつけて車を運転しましょう。

「共通事項」あれこれ

指導案の作成にあたって新学習指導要領解説を読んでいるのですが、「音色」と「響き」という言葉が頻繁に出てきます。
ちょうど私も混同していた時なので、言葉の意味を確認してみようと考えました。
一つ一つの言葉にこだわっておかないと研究討議の時に、それぞれが自分の思いだけの言葉遣いをしてしまって水掛け論になることがあるからです。
共通の土俵に立たないと、お互いの考えていることをわかりあうなんて不可能です。
話し合いすらできなくなってしまいます。

まずは、いつものように広辞苑から関係する部分を抜き出してみます。

「音色」とは・・・
音の強さや高さが等しくても、それを発する音源(楽器の種類など)によって違って感じられる音の特性。
音に含まれる上音の振動数や強さの比、その減衰度などによって決まる。
おんしょく。

「響く」とは・・・
①音がひろがって聞こえて行く。鳴りわたる。
②余韻が長くつづく。
③音が反射して伝わる。反響する。
④震動が伝わる。
⑤印象深く伝わる。

これらのことから「音色」とは音源そのものがもっている特性を指すものであり、「響く」とは振動としての音が周りに伝わっていくことを指すものであることがわかります。
音源の特性である音色が伝わるためには響くことが必要であり、響くことにより音色を感じ取ることができるのでしょう。
二つの言葉の意味するところは違いますが、わかちがたい関係と言えます。
また、「音色」と一口に言っても、声や楽器の音色、自然音や環境音、曲種に応じた発声及び楽器の奏法による様々な音色も含んだものと考えられます。
そして、これらの「音色」が組み合わさったり、重なり合ったり、変化することなどによって生み出されるのが「響き」と言うことになります。

そうすると今度は「テクスチュア」との混同が問題となってきます。
テクスチュアとは、音や旋律の組み合わせ方、和音や和声、多声的な音楽、様々な音と音とのかかわり合い(民族音楽や伝統音楽を含む)などのことを指します。
音と音とを組み合わせたり、かかわらせたりした時の音の密度や密集具合のことです。
この「組み合わせ方」や「かかわらせ方」をテクスチュアと言うのでしょう。
このことからテクスチュアとはある意味、技法的なものと考えられます。
このテクスチュアによって、響きの違いが出てきます。

この「テクスチュア」は中学校の用語であり、小学校では違う用語が使われています。
小学校3学年及び4学年では「音の重なり」。
小学校5学年及び6学年では「音の重なりや和声の響き」「音楽の縦と横の関係」。
小学校の指導要領解説にも目を通してみると、「テクスチュア」の意味するところがよりはっきりと見えてくるような気がします。

今日はおしまい!

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町民文化祭の準備に部活動と試合の引率、そして指導案づくり。
一気にいろんな仕事に取り組んだので今日はこれでおしまい!
残りの時間を休養に充てることにします。
試合会場が寒かったせいか、からだが固まってしまっています。
経費削減もいいですが、健康のことも考えてほしいなあ・・・。

カイはすやすやと気持ちよさそうに寝ています

(´△`)Zzzz・・・。o○


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と思ったら案の定、いつものポーズに・・・。

ゴロリン_/\○_   

なぜか腹を上にして寝るカイなのです┐( ̄ヘ ̄)┌
こんなに緊張感のない寝方で大丈夫なのか?
本当にお前はネコか?

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絶対に離さないもんね~(σ・∀・)σゲッツ!

お気に入りのジジとRilakkumaボウルとともに・・・パシャ!
取り上げようとするとかじるんですε-( ̄ヘ ̄)┌ 

RilakkumaボウルGET!

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パジャマオヤジとカイ(*´ェ`*)

前にも書きましたが、私の休日はいつもパジャマ姿です(/ー\*)。
これでひげも剃らずにグ~タラしているのですから・・・。
保護者が来ても生徒が来てもこの格好です。
思いっきりだらしなく生活することによって普段の生活とのバランスを取っているのです。
言い訳にしか聞こえないかもしれないけど・・・。

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ヤッタ~!ボクのRilakkumaボウル(。・w・。 )

ローソンでGETしたRilakkumaボウル。
結局はカイのご飯皿に・・・。
気にいったのか、さっそくボウルに手を入れるカイ。
これでカイの食事セットは全てRilakkumaに。
手に入れるには長い長い道のりでした;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
「リラックマワイン」「リラックマ焼酎」「日本酒リラックマごろし」「リラックマビール」があればすぐにポイントはたまったんですがね・・・。
そして、もうすぐハロウィン。
ということでローソクも勢揃い。

「小フーガト短調」②

前回の「小フーガト短調」①をご覧になった方は、私の教えたいことが「鑑賞」のみであることにすでに気づかれていることと思います。
当初私は題材名を「パイプオルガンの豊かな音色と多声音楽の特徴をあじわおう」にしようと考えました。
一つの楽曲について、じっくりと深く学ぶことがあってもよいのではないかという思いがあるからです。
表現と鑑賞とか創作と鑑賞とか表現と創作とか・・・それぞれの関連を図ることが強調され、音楽科教育の主流として実践がかなり紹介されています。
学んだことを知識だけでなく体験として身につけるという意味でそのことに異議を唱えるものではありません。
その一方で、表現なら表現、鑑賞なら鑑賞、創作なら創作・・・というように一つのことを突き詰めて取り組む実践があってもよいのではないかとも考えるのです。
天の邪鬼の私らしく( ̄ー+ ̄)、主流とされていることに反発し、抵抗するためにそのような授業を構築してみようという気にもなりました。
でも、それだと新学習指導要領の「共通事項」の趣旨に反することとなります。
やはり、来年度北海道音楽教育研究大会の研究に取り組むにあたっての実践を紹介するわけですから、その考えは捨てました。
主流となっていることを当然のこととして取り組み、その上で自分の主張をしていこうと。
そのショスタコーヴィチのような姿勢も私らしくていいかな、と。

そこまで考えた上で、「小フーガト短調」とかかわらせることのできるものはないかと考えました。
共通事項の「音色」「形式」「テクスチュア」を学ぶことのできるものはないか、と。
歌唱表現とかかわらせて「踊る少女」という教材を選択する方法もあります。
または、合唱曲を選曲して取り組む方法もあります。
しかし、今回は声による音色の変化を主にはしたくないという思いがありました。
あれこれ悩んだあげく、せっかく旭川大会でも創作を視察してきたのだから「創作」を意識した「魔法のフルーツバスケット」を使うことに決定。

①「音色」を変化させることにより「声部の役割」を学ぶことができる。
②その「音色」とは発音原理の違いによるものと強弱や速度の変化によるものも含める。
③声部の役割を意識した演奏をすることにより、声部と声部のかかわりが織りなす「テクスチュア」を学ぶことができる。
④③は「音色」の学習にもつながる。
⑤創作と言うことから「構成」ひいては「形式」を意識した学習に取り組むことができる。

これらを踏まえた上で、今回取り組む「共通事項」は・・・

*音色
*テクスチュア
*形式
*構成


ということになります。
この4つであれば私の「やりたいこと」からもずれていません。

さて、ここまで来るともう一度題材名の検討です。
「小フーガト短調」と「魔法のフルーツバスケット」を使って、フーガの形式、声部と声部のかかわりが織りなす音色、声部の役割を意識した音色の変化・・・。
これらをひとまとめにして「声部の役割」と表現してみました。
もう一つは、「パイプオルガン」と「魔法のフルーツバスケット」を使って、楽器そのものの音色の豊かさ、声部(音域の高低など)の音色とそのかかわりによって生じる音色の変化、強弱や速度の変化による音色の工夫・・・。
音色の変化によって「豊かさ」が生まれるという考えに立って「豊かな音色」と表現してみました。
この二つを合わせて

「豊かな音色と声部の役割を味わおう」

としてみたのですが・・・どうでしょう?
ここまで考えが述べられれば指導案なんてできたも同然!
と考える人が多いと思うのですが・・・それがなかなか(@Д@;
11日に間にあうのか心配になってきました・・・

学習会を開催できればいいのですが、「研究部への要望」に書いたようになかなか難しいようで。
この数週間、急激にアクセス数が増えているブログに頼ることにしました。
誰が見ているのかは全くわかりません。
ぜひ、コメントをお願いします。

「小フーガト短調」①

本当は昨年の5月の公開授業が私にとって最後のものとなるはずでした。
でも、諸般の事情から1年の猶予ができました。
そのおかげで11月11日にもう一度公開研に取り組めるわけです。
まさに「どっちに転んでもしめた!」・・・このような機会に巡り会えたことに感謝です。
さて、いろんな方から「最後の公開授業だね。記念に何か特別なことでもやるの?」と言われます。
感動的な授業、誰も提案していないような新しい授業、人生の締めくくりとしての立派な授業・・・。
そんなの私には無理です(ノ∀`)・゚・。
実は・・・昔から気張るといいことがないのです(/□≦、)
これまで地道に歩んできたことや身につけてきたこと、日常から取り組んでいること、そして何かしら未来につながるような授業を提案できればと思います。
私の思いを反映させた授業ではなく、やはり目の前の子どもを出発点としたいです。
これで終わりではなく、ここから始まるのです。

さて、肝心の指導案づくりですが・・・悩みに悩んでいます(A;´・ω・)。
いろいろ悩んだ末に、もう一度原点に返って考えることにしました。
今回の授業で自分がやりたいことを紙に書いてみました。

私のやりたいこと
①パイプオルガン独特の音色に親しませたい。
②パイプオルガンの壮大な響きに浸らせたい。
③フーガのおもしろさ、美しさを感じとらせたい。
④声部と声部のかかわりが織りなす音色を感じとらせたい。
⑤声部の持つ役割から生じるおもしろさ、美しさを感じとらせたい。

どうしてやりたいのか?
コンピュータで簡単に壮大な響きを擬似的につくることができる時代。
無駄の無い合理性ばかりがよしとされるような現在の風潮。
そんな時代だからこそ、パイプオルガンのように無駄が多く、手間暇かけて人間の英知が生かされ、人間の手によって作りあげられている楽器のすばらしさにふれる機会を大切にしたいのです。
また、You Tubeで流行している「ハゲの歌」をけっこう子どもたちは視聴し歌っています。
その歌詞はおもしろくインパクトのあるものです。
「ハゲの歌」の原曲がJ.S.Bachの「小フーガト短調」であることを知る子どもは誰一人いません。。
つまり、「ハゲの歌」を通して「小フーガト短調」とのつながりはできているわけです。
とても細い細いつながりとして・・・。
ギターの伴奏による単旋律で、歌詞をつけられている歌に接してきたことでできあがっている価値観を広げ、深めたいのです。
壮大な響きのするパイプオルガンで演奏されていること、厳格な多声音楽の形式の一つであるフーガ形式で作曲されていることを学ぶことにより、子どもと音楽とのつながりを太くすることをねらいとしています。

学ばせることは何?
ここまで書いて整理してみると、学ばせたいことが見えてきました。
ア.パイプオルガンの構造
イ.楽器としての音を出す仕組み
ウ.声部の役割
エ.声部のかかわりが織りなす音色
もっと具体的に考えると・・・
・コンソール(演奏台)・・・手鍵盤、足鍵盤。ストップ(音栓)
・パイプ・・・パイプの種類、パイプの音を出す仕組み
・建物全体が楽器という考え・・・文化的・歴史的側面
・フーガの形式の特徴・・・声部のもつ役割

そう考えてみると「共通事項」の次の項目を意識した授業になるのかなあ?
*音色
*形式
*テクスチュア

「クロイツェル・ソナタ」

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ある化粧品会社のCMで大好きなヴァイオリン・ソナタの部分が使われているのを発見!
ベートーヴェン作曲のヴァイオリン・ソナタ第9番Op.47「クロイツェル」。
10曲あるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタばかりでなく、この種の楽曲中の最高傑作として親しまれている曲です。
当初はブリッジタワーというヴァイオリニストのために作曲されたのですが、仲違いしたためにクロイツェルというヴァイオリニストに献呈されました。
この曲の通称はこのヴァイオリニストの名前となっています。
第3楽章は、もともとOp.31-1の終楽章として作曲されたものを転用したもの。
第2楽章は初演までに仕上がらず、草稿のまま演奏したと言われています。
初演はブリッジタワーが独奏ヴァイオリンを担当。
ただでさえ悪筆のベートーヴェン。
草稿の状態の楽譜はさぞ、ひどかったことでしょう。
それが仲違いの原因かもしれません。
ピアの担当はベートーヴェン自身でしたので、それほど問題がなかったと思うけど・・・。
ちなみに献呈されたクロイツェルはベートーヴェンの作品を認めていなかったためにこのソナタを演奏することはありませんでした。
それなのに何で献呈したのか?
それは、クロイツェルに権威があったからです。

現在の私たちは「ヴァイオリン・ソナタ」と言っていますが、「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」というのが正しいようです。
また、このソナタへの説明としてベートーヴェンは次のような言葉をイタリア語で残しています。
“Sonata per il Pianoforte, quasi sd un Violino obligado,scritta in uno stilo molto concertante, quasi come d'un Concerto”
(ほとんど協奏曲のように、きわめて協奏的スタイルで書かれた、ヴァイオリン助奏を持つピアノのためのソナタ)
作曲者自身がわざわざこのような注釈を付けなければならないことからわかるとおり、、この時代まではあくまでも主役はピアノであることがわかります。

この曲に触発されてトルストイが作品を残しています。
そのタイトルも「クロイツェル・ソナタ」。
妻と「クロイツェル・ソナタ」を協演する男性ヴァイオリニストとの関係を疑い、嫉妬したあげくに殺害してしまう男の話。
性の問題についてもしっかりと扱われている、この当時の問題作といえるでしょう。
それが「クロイツェル・ソナタ」の曲の展開と絡められながら会話形式で語られていきます。
この作品の中で「魂をいらだたせる曲」とトルストイは主人公の男に語らせています。
扱っているのは第1楽章で「第2楽章以降はどうでもいい」とも語らせています(私も実は同感なのですが・・・ベートーヴェンに失礼?(^-^;)。
そして、このトルストイの作品に触発されたヤナーチェクが弦楽四重奏「クロイツェル・ソナタ」を作曲しています。
他にもこの「クロイツェル・ソナタ」に触発された作品を書き残している作曲家や作家(日本の夏樹静子さんなど)もいます。
それほど人々の心に大きな感動と霊感を呼び起こす曲と言うことなのでしょう。

私がもっているCDは次の3枚。
一つめはイツァーク・パールマン独奏、1998年アメリカのルガーノでのライブ録音。
二つめはイヴリー・ギトリス独奏、1998年日本の別府でのライブ録音。
三つめはギドン・クレーメル独奏、1994年のスタジオ録音。
実は全部アルゲリッチが伴奏したもの。
あまりにもアルゲリッチのピアノがすばらしくて、他のものを聞く気になれないのです。
それほどピアノが中心的な役割を持っている曲と言うこともできます。
きっとそれぞれの演奏者のよさも発見できるのでしょうが・・・。
同じアルゲリッチのピアノといっても、独奏者によって大きく変わります。
同じアルゲリッチが弾いているとは思えない三種三様の演奏が繰り広げられています。
ちなみに私がここで扱うのは第1楽章のみです・・・(^-^;
パールマンとの協演は旋律線が朗々と語られる音の美しい演奏です。
聞いていて幸せな気分になってきます。
主導権はアルゲリッチにあるような印象を受けます。
ギトリスとの協演はかなり個性的なものとなっています。
独特の相手の気を外すような間の取り方、テンポの緩急の自在さ、即興的な強弱、鳴りきらずかすれたような最弱音・・・。
さすがのアルゲリッチもそれに振り回される時があり、ちょっとメロメロの部分があります。
まるで、山師が演奏しているような怪しい響きのする演奏。
でも、この演奏に私は魅力を感じるのです。
クレーメルトの演奏は曲の本質をゆったりとしたテンポの中で表現したようなものとなっています。
ノンビブラートで演奏されるそのヴァイオリンの音は決して美音とは言えません。
平穏さから狂おしいまでの焦燥感を実に見事に表現しています。

第1楽章の開始はヴァイオリンから始まります(トルストイは勘違いからか、ピアノの和音から始まる、と書いていますが)。
何か広々とした世界が続く予感のする序奏なのですが、何となくそこには不安な響きが潜んでいます。
第1主題に入るとその予感が的中したように前に前にと焦りつつ進む姿が現れます。
なにか思い通りにならないことへのいらだち、手に入れることのできないものへの抵抗、焦燥感が繰り広げられます。
「生きる」と言うことが表現しつくされているような曲ですが、決してきれいに生きている姿ではありません。
もがき苦しみながら、どろどろとしていて、そこに生きることへの執念が表現しつくされているような気がします。
第1楽章を聞いていると自分の心を乱され、狂おしくなるような時があります。
これほど人の心を狂わせる音楽、狂気をはらんだ音楽、邪悪な音楽を私は知りません(あくまでも私個人の感想ですが・・・)。
でも、そういうものに心引かれる自分がいることも確かです。
だからこそ、第2楽章以下の存在が必要なのでしょう。

化粧品会社のCMにはあまり向いていない気がするのは私だけでしょうか?

「決断」と「判断」

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「決断」と「判断」、似たような言葉ですがその意味するところは大きく違います。
国語辞典で意味を調べてみると・・・

決断とは・・・「心をはっきりときめること」とあります。
どちらにしようか、どの方向に進もうか迷った時に必要なのがこの決断です。
決断したからにはそれを信じて進まなくてはいけない。
ある意味、賭けに近いものです。
これまで経験したこともないような新たな一歩を踏み出す時に必要なものです。
でも、神頼みできめるわけではありません。
何に賭けるのかということを、今目の前で展開している事柄から導き出す根拠が必要となります。
「どうでもいいや、なんとかなるさ、エイッ!」という決断は大けがのもとです。
それは決断ではなく投げやり、無責任というものでしょう。
また、決断する以上、責任は自分で取るという度量の広さももたなくてはなりません。
自分で決断しておいて、失敗した時には人のせいにするのは最低です。
信用を失ってしまいます。
だからこそ、「功は人に譲る」という精神が必要なのです。
自分が責任をとればいいのだから何をやってもよいというものではないのです。
成功したのは自分の決断が正しかったからと自慢していてはまわりからひんしゅくを買ってしまいます。
総合的に物事を捉え、自分ばかりではなく、相手のことにまで思いをめぐらせることができて初めて正しい決断となります。
その意味で、決断力と包容力は表裏一体と言えるでしょう。
覚悟に勝る決断なし、と昔から言います。
迷ったら覚悟を決めること。

判断とは・・・「真偽・善悪・美醜などを考えきめること」とあります。
考える、という言葉がはいっていることから頭でやるものと言えます。
その考えは、それまでその人が蓄えてきた知識量や修羅場の経験がものを言います。
知識量や修羅場の経験が豊富であればあるほど、判断する時の情報をたくさんもつことができます。
情報量が少ないと判断に迷いが生じてしまい、的確な判断をすることができなくなります。
判断に求められるのは判断するにあたっての基準、そして豊富な経験に裏打ちされた根拠があるかどうかと言うことになります。

この二つのことを場面場面に応じて使い分けていくことが大切なのでしょう。
日本ハムの監督の采配を見ているとここが弱いような気がするのです・・・。
負けて残念sweat02

悲しみの中で・・・

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恩人の奥様がお浄土に往かれたと今朝早くに連絡がありました。
長い長い闘病生活にあっても明るさを失わないその生き方に、お会いするたびにいつも励まされてきました。
全空知音楽教育連盟の学習会ではお湯のことや湯飲み、ご飯までたくさんたくさんお世話になりました。
また、論文を作成している時のおにぎりや豚丼、焼き肉、お味噌汁、漬け物に気持ちも和み、どれだけ勇気づけられたことか。
直接は音楽科教育にかかわる支えでなかったかもしれません。
でも、奥様の協力無くして全空知音楽教育連盟や私個人の研究はなかったと思います。
本当に出会いに感謝です。
その感謝を伝えに行きたかったのです。
8月にお会いした時にはお元気そうだったのですが・・・。
突然の訃報に、ただただ残念という思いで一杯に。
総合学習のフィールドワークに出かけても何も考えられず、一つのいがいがから離れたであろう栗の姿だけが妙に心に残りました。
とりあえず授業と部活動、生徒会活動を他の方にお願いして弔問へ。
これまでお世話になった奥様にお礼を伝えたかったのです。
様々な準備でお忙しいだろうと考え、お参りのあとすぐに帰ろうとする私。
その私を見つけた恩人は、「ありがとう。来てくれてうれしいよ。」とお話を切り上げてわざわざ伝えにきてくれたのです。
これまでも奥様の調子がよくないにもかかわらず、全空知音楽教育連盟の学習会に遠いところまで駆けつけてきてくれた恩人のあたたかさ。
何か苦しみや悲しみを忘れるために無茶をしているような感じで、見ているこちらが辛くなる時もありました。
自分が一番つらい時、悲しい時・・・それなのに相手を思う気持ちと言葉かけに頭が下がる思いでした。
こんな時に何を話すればいいのでしょう?
どんな言葉をかければよいのでしょう?
悲しみにうちひしがれている恩人を前に言葉が何も出てきませんでした。
私には自分の時間に都合をつけて一刻も早く弔問に訪れることしかできませんでした。

FMラジオをかけながら運転していると流れてきたのはブラームス。
行きは「クラリネット五重奏曲 OP.115」。
クラリネットの哀愁ある音色が頭から離れなくなってしまいました。
そして帰りは、「間奏曲集」。
グレン・グールドのしみじみとした演奏が心にしみます。
恩人の悲しみと奥様のご恩。
それに哀愁漂う音楽が重なり、涙のために何回か運転を中断しなければなりませんでした。

言葉が続きません・・・。
「生きる」ということを学ばせていただいているとしか思えません。
ご冥福をお祈りいたします。

研究部への要望

昨日は北海道音楽教育研究大会空知大会の運営委員会が行われました。
事務局長からこれまでの経過やこれまで決まったことについて報告がありました。
①大会日程は午前中に開会式、講演会、総会を行い、授業と分科会は午後に行う。
②講演会の講師は作曲家の新実徳英氏とする。
③予算案、各部の活動の見通しと今後の予定の提示。
それぞれについてたくさんの意見が出されました。
特に「音楽科教育にかかわる研究大会であるのに午前中に音楽の流れる時間が少ない」との意見があり、講演会で音楽が流れるように工夫してほしいとの要望がありました。
その後は総務部、運営部、研究部、事務局の各部会。
研究部では研究グループの構成について考え、現段階でのグループを提案。
さっそく顔合わせと現段階の授業者の思いを話してもらいました。
研究の内容はあくまでも予定。
どんどん変わっていくのは当然のこと。
とにかく「自分は何をやりたいのか」を徹底して突き詰めてください。
これから何回もそのことのみを確認していくことになると思います。

それが終わって懇親会beer
5人くらいしか集まらないだろうな、と思っていたら17名の出席者w(゚o゚)w
みんなこういう機会がほしかったのだと思います。
空知で音楽に携わる者たちがワイワイがやがやと語り合う。
本当に楽しいひとときでした(* ̄ー ̄*)
その中で次のような研究に対する話もあったので紹介しておきます。

1.研究主題についての説明を聞きたい!
これまで幾度となく研究主題について話はされてきているけれども、それが全体のものになっていないような気がする。
学習会的なものを開いてじっくりと勉強する場面がほしい。
11月11日に授業とあわせて説明しては、との具体的な意見も出ていましたので参考にしたいと思います。
研究主題がある程度見えてくれば授業者も授業についての構想を練りやすくなると思う。
また、滝川市にある空知教育研修センターを活用して泊まりでの研究会を冬季休業中に開催するのもいいかも、との話がありました。

2.仲間を増やしたい!
研究グループを立ち上げたもののグループ内の人数が少ない。
小学校部会、中学校部会という単位での研究でもいいのでは?
その方が授業内容のつながりも見えてくるし、お互いの励みになる。
本当にその通りで、小学校と中学校の部会でそれぞれ研究を進め、全グループが一堂に会して交流する学習会を定期的に持つのが理想でしょう。
自分のグループのことしか知らないというのではなく、交流することにより研究の視野が広がるので大きな意義があると考えます。
これは空知のよさなので生かしていきたいと考えます。
また、小学校の先生の仲間を増やすことについて音楽科専門の先生以外に声をかけた方がいいかも、という話もありました。
その理由は次のようなものでした。
音楽科専門の先生は自分で研究を進めることができるし困っていない、と。
それよりも他教科の指導について研究を深めたいと考えている方が多い。
音楽科専門の先生でない方たちが授業で悩んでいるのだからその方たちに声をかけた方がいいのではないか。
音楽科専門外の先生方の考え方はユニークでとても参考になる。
小学校に勤務しているからこその鋭い指摘です。

3.メールや電話の活用を!
研究が深まってくると集まる回数も自然に増えてくると思う。
でも、今の段階で学習会や会議の数を増やしてしまうと、それに嫌気をさす人が出てくる。
まずは回数を絞り、メールや電話での声かけを充実させてはどうか。
一口に空知と言っても広いですものね。
行きたくても行けない、参加できなくて迷惑をかけるから今回は遠慮する・・・そんな声も聞こえてきます。
メール、電話、ブログ・・・使える手段を活用してかなきゃ!
遠慮せずに思いついたら連絡を取り合えるようにしたいですね。

研究を進めるにあたり、まだまだたくさんの考えを持っている方がいると思います。
また、話を聞いていくうちに物事が見え出す時もあります。
遠慮せずに伝えてください。
このブログのコメントに書いてくれるとみんなのものにもなります。
計画段階では見えていなかったものがたくさん見えてくると思います。
よりよい大会をめざしてあきらめずにみんなの力で乗り越えていきましょう!

お知らせ

まずは研究大会のお知らせから。

「全空知音楽教育連盟研究大会」の実施要領が決まりました。

日にち:2008年11月11日(火)
場 所:浦臼中学校


学 年:中学校2年生
日 程:公開授業9時40分~10時30分、研究討議10時40分~12時

午後は来年度に向けての話し合いや旭川大会の視察報告などがもたれます。
公開する授業は鑑賞を中心としたもので、扱う楽曲は「小フーガ ト短調」。
来年度の研究主題である「わかる楽しさ・できるよろこび・わかちあう感動 ~響感をはぐくむ音楽教育の創造~」をもとにした授業を提案します。
もちろん指導案も提案した来年度用のものを使います。
今回の授業を見てもらって改良点などの意見を出していただけたらと思います。
小学校の先生方が見ても参考になるようなものにしていくつもりです。
具体的な研究の内容等をこれからもここに載せていく予定ですのでコメントをお待ちしています。
どのように研究を進め、どのように指導案を書き、どのように授業を紹介するのか・・・それらを具体的に見てもらい、みなさんの意識や考えを共通化したいと考えています。

時間がないけど指導案作成に取り組まなきゃ!
学習会もやりたいなあ・・・。

雪が心配されますが、是非たくさんの人に見てもらいたいです。
案内は来週中に届く予定です。


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もう一つのお知らせは・・・。
すでにごらんになったと思いますが、ブログを少し工事しましたcoldsweats01
まずは思いが伝わるようにカテゴリーを一新。
「こころを育てる」
「ことばのちから」
「つれづれ音楽記」
「人をつなぐ」
「今を生きる」
「仲間とともに」
「授業に使えそう!」
「音楽科教育を読む」
もう一度内容に目を通し、カテゴリーに合うよう整理。
結構評判がいいです。
本当はホームページに移行しようと考えたのですが、投稿や管理が難しそうなのでcoldsweats02
ブログのままでやっていける方法を考え、工事してみました。

そして・・・「ネットDE豪遊クラシック」をよく行くサイトに追加。
1万人の作曲家と35万曲以上のデータベースを誇るNAXOSと提携しているサイトです。
完全に利用するには月額1890円の会員になる必要があります。
でも、無料視聴が充実しているのでその必要はないかも。
「今月のおすすめアルバム」
「期間限定の無料視聴」
「15分限定で出だし30秒のみの無料視聴」
これで十分かな・・・(o^-^o)
作曲家の吉松隆さんが携わっています。

これからもよろしくお願いします♪(o ̄∇ ̄)/

「眠れない子どもたち」

「眠らない子どもたち」
「眠れない子どもたち」


「夜回り先生」こと水谷修さんの本で知ったことばです。
なんだか似たようなことばだけれどもその意味するところは大きく違います。

「眠らない子どもたち」・・・
いろんなものごとへの不満を反社会的な行動など、いわゆる非行で解決しようとする子どもたち。
この子どもたちは有り余るエネルギーを外へと発散させます。
まわりの人に大きな迷惑をかけることが多いですが、ある意味たくましさがあると言えます。

「眠れない子どもたち」・・・
人間関係の不安や不信、様々な悩みによるストレス、いろんな形での虐待などによって心を大きく傷つけられ、眠ろうとしても眠ることができない子どもたち。
誰にも相談することができず、誰に相談してよいのかもわからず一人部屋で悩む日々。
やさしさがある分だけ一人で傷つき、一人の世界に閉じこもり、一人で悩む子どもたち。

この「眠れない子どもたち」が増えています。
全国を駆け回り、全国の子どもたちに訴えている水谷さんばかりでなく、地方の一教師でしかない私自身もそのことを実感することが多くなってきています。
「死にたい」と昼夜を問わず電話やメールしてくる子どもたち。
リストカットしてしまう子どもたち。
最初の頃はどうしてよいのかわからずにただおろおろするばかりでした。
その子どもたちと話をするうちに次のことがわかってきたのです。
それらは全て「生きたい」という強烈なメッセージであると。
必死に「生きたい、何とかして」というメッセージを送ってくる。
死にたくて行動を起こしているわけではないのです。
経験年数の少ない子どもたちだから、その表現の仕方がよくわからないだけ。

その相談内容はいろいろ。
些細なものから大きなものまで。
私たち大人からすると「そんなのだまされるお前が悪い」「もっと強く生きなきゃ」「がんばろう」・・・ついついそんなことを思ってしまうし、言ってしまう。
そして、何が悪かったのか、どうしてこうなったのかのお説教。
「眠れない子どもたち」はそんなこと言われなくても実はわかっている。
自分自身の中に答えがあることもわかっている。
わかっているけれどもそう行動することができないから悩んでいる。
ただ受けとめて、支えてほしくて、背中を押してほしいだけ。
何とか生き抜いてほしくて相談にのる。
こんな自分でも何かその子の支えになればと・・・。
そして、ただ受けとめているだけでなく、どうしたら明日につながるかを一緒に考えながら。
過去にとらわれず、今を明日につなげること。
ついつい厳しいことをいってしまい傷つけてしまうこともたくさんあるけれども。
一人の人間として「出会い」と「生きること」のすばらしさを伝えていけたらと思う日々です。
いつまで続けられるかな・・・。

「順応性」について

P1000296

芦別の三段の滝、秋の表情です。
夢街にも夏の三段の滝を紹介していますが、秋の滝は水量が多くてびっくり。
マイナスイオンたっぷりという感じでした。
同じ場所でも様々に表情を見せてくれるのが何とも言えないです。
今年の紅葉は何となく鮮やかさに欠けます。
残暑が厳しく、寒暖の差があまりなかったからかな?

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TVでは、北京オリンピック柔道金メダリストの石井選手が自分の考えを述べていました。
豪快な一本勝ちのない石井選手。
伝統的な日本の柔道ではないという批判も多く見受けられます。
そのことに関して石井選手は「日本の柔道」と「世界のJUDO」は違うと言い切ります。
確かに「柔道」という競技は日本で生まれたもの。
「柔よく剛を制す」
「柔らの道は一本道」
「一本勝ちこそ柔道」
伝統という名の下にずっとその精神が受け継がれてきました。
その柔道の魅力にとりつかれた人たちによって競技人口は増え、世界各国で盛んに競技が行われています。
これだけ世界的な競技になったのですから「柔道」もどんどんそのスタイルを変えていきます。
モンゴル相撲やグルジアの格闘競技の影響は特に大きく、まるでレスリングのようなスタイルに・・・。
それに対して「伝統的な柔道ではない」と反発する日本の柔道関係者もいるようです。
日本の伝統を守るという観点からするとその通りだと思います。
しかし、柔道は今や世界的競技。
日本の枠組みだけで物事を考えられるような種目でなくなってしまっているのが現状です。
そのことを指して、石井選手は「日本の柔道」と「世界のJUDO」は違うと表現しているのです。
その頭の切り替えをしない限り、日本の選手が勝ち上がることは難しいと。
この考えに至るまでは石井選手も伝統的な柔道にこだわっていました。
でも、世界選手権にでては外国の選手に負け続ける日々。
日本では通用しても世界では通用しない自分の柔道。
それに悩み続けた石井選手は「JUDO」を肌で感じ取るために海外に出ます。
意固地に日本の柔道にこだわるのではなく、世界の「JUDO」を取り入れるために。
その経験から次のような考えに至ったようです。

才能があるとか努力をするとかばかりでは本当に強い選手と言えない。柔らかい考えを持ち、変化に順応できた者が勝つことのできる本当に強い選手だと思う。

なかなか言える言葉じゃないです。
発言で笑わせたり、総合格闘技への転身で物議を醸したりしていますが、実はすごい勉強家だと思いました。
伝統に根ざしながらいかにその伝統から抜け出すか。
時間があればたくさんの本にあたり学んでいるようです。
自分の中だけに閉じこもっていたのでは変化の早い世の中について行けません。
信念を持ちつつ、世の中の状況はどのようになっているのかを常に見つめる。
このことは柔道だけではありませんよね。
石井選手から学ばせてもらいました。

視察から②

「やるんですよね?」
「案内はいつ来るんですか?」
10月18日(土)の会議と懇親会についての問い合わせが結構ありました。
先週の火曜日あたりに事務局から全部の学校あてにFAX送信されているはずなんですが・・・。
どこかでつまっているのかもしれません。
届いていなければ連絡下さい。
また、みなさんで声をかけあうことも必要ですよね、ご協力をお願いします。

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さて、旭川大会の授業と分科会。
私は小学校の「創作」に参加しました。
来年度の空知大会で意識して取り組めるものがないかを自分の目で確かめてみたかったからです。

音楽的な力の豊かな子どもたちでした。
仲間の演奏を聞いている時も身体を動かしたり、表情も真剣でした。
授業者である先生が担任しているクラスと言うことですが、信頼関係がしっかり成り立っているからこそできた授業だと思います。
また、一日のほとんどを自分のクラスの子どもたちと生活できるという小学校の担任制のよい面が生かされている授業でした。
受け持っている担任の影響がそのまま出てくる小学生、専科ではあのような授業はなかなか難しかったと思います。
4年前の函館の小学校の先生の授業もこのような条件の中で実践されたすばらしい授業でした。
どちらの授業も、子どもの発言を拾い上げる声かけがすばらしかったです。
函館の先生の授業は中学校でも実践可能と考えます。
旭川の先生の授業は・・・中学校ではなかなかやれないような感じがします。
その理由は・・・

①小学校の創造的な音楽学習の成果を踏まえた上で、五線譜などの楽譜に残すような 学習が増えてくる。
②評定が絡んでくるために、何を身につけ、何がわかったのか、それを何から見取るかという具体的な評価がかなり求められる。
③他の先生方から生徒指導面での子どもの育成、つまり仲間作りのための音楽学習を求められることが多い。
④教科担任制という中で、時数の確保が難しい。
⑤いわゆる「五教科の学力」が優先される傾向にある。時数に融通が利かない。
⑥子ども自身が恥ずかしがって積極的に取り組まない、などの生徒指導面での問題。

まだまだあると思うのですが、中学校の発達段階や特性からすると小学校のような創造的音楽学習を展開するのは難しいと思われます。
分科会では、「今日のようなこのすばらしい小学生が中学校に行ったらどうなるのか?中学校は惨憺たるものです。」との残念な発言がありました。
いわゆる合唱オンリーの授業を展開しているのでは批判されて当然でしょう。
そのことに関してはその通りだと思います。
ですが、厳しい環境ながらも必死に努力している先生方がいることも述べるべきではなかったかと思います。
小学校では小学校での発達段階をと特性を生かした指導を。
そして、中学校では中学校での発達段階と特性を生かした指導を。
それぞれの校種の持ち味をお互いが認め合うことも必要でしょう。
そうでないと、「小学校の音楽は遊びの時間だ。基礎的な能力が何も身についてきていない。」「具体的に評価しなくても3段階だから楽。」とか、「せっかく小学校で音楽の楽しさを教えたのに、中学校では子どものよさをつぶしている。」「理論ばっかりで勉強がつまらなそう。」・・・などとお互いの批判ばっかりになってしまいます。
小学校には小学校でしかやれないことがあります。
中学校には中学校でしかやれないことがあります。
でも、音楽を一生涯楽しむことができる子どもを育てたい、という気持ちは一緒のはずです。
交流してお互いのよさを学び会う機会がもっともっとあってもいいのではないでしょうか?
「小学校は頑張っているけど、中学校は・・・もっとしっかりやれ!」では何も解決しないでしょう。
ましてや旭川大会として正式に助言者を依頼しているわけですから、いくら指導助言してきたからと言っても発言を控えるのが筋だと思います。
どんなにすばらしい内容の話だったとしても筋が違います。
その点が残念でした。

来年度の空知大会を開催するにあたって私が提案したことの一つに次のようなものがあります。
それは、公開授業を小学校1本、中学校1本にすること。
小学校と中学校の授業の関連を図った研究を進め、お互いに違う校種を見合い勉強しあうというものです。
そうすることにより、お互いの校種の問題点、よさ、を理解でき、それぞれの校種を意識した授業改善ができると考えたからです。
今、必要なのはそのような研究だという思いがあったもので。
小学校は小学校の先生たちだけで。
中学校は中学校の先生たちだけで。
そういう時代ではないような気がしています。
いつかこのような形態の研究大会ができればいいなあ、と思います。
私個人の夢です。

カイとのボール遊び

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ボールをねらってねらって~

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ダッシュ!

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あれっ!逃げたぞ・・・

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最後は巨大ネコに・・・

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だんだんと興奮してくると目が据わってきます・・・ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
最後は私に向かって飛びかかってきたりします・・・(´Д`;≡;´Д`)アワアワ

「響感」の一考察

来年度の空知大会で「響感」は大きな意味を持つ言葉となります。
造語ですので、空知の仲間のなかでも様々な考え方が出てくる可能性があります。
そこで考え方をここにまとめておきます。
わからないところや理解できないところをそのままにしておかないで、ぜひ、たくさんの方の考えを聞かせてほしいです。
そうすることによってみんなの思いが込められた、さらによりよい大会主題となるからです。

さて、これまでの研究主題「わかる・できる・わかちあう」は現行の指導要領をふまえてのものです。
音楽活動の基礎的な能力に焦点をあて、子どもたちの音楽的能力を高めること(わかる・できる)。
そして、ともに感動すること(共感)を大切にする学習内容と活動を工夫することにより感性を豊かにしようとするものでした(わかちあう)。
そのために、文化的側面を背景とした構造的側面(構成要素や表現要素)を知覚すること、そして構造的側面によって生み出される感性的側面(雰囲気、曲想、美しさ、豊かさなど)を感じとることを大切にした授業づくりに取り組んできました。
そのことを通して「音や音楽に対して感情やイメージ、思い、意図を持って表現したり味わって聞いたりする子ども」を育てようということを目指してきました。
今度の大会では、このことは当たり前のように取り組まれていることとしてスタートします。

これまで5年間の研究で「わかる・できる・わかちあう」は充分に取り組んできています。
その研究の成果から、来年度の空知大会を開催するにあたって「わかる・できる・わかちあう」をさらに発展させる必要が出てきました。
これまでは「わかる・できる・わかちあう」を段階的に捉えていました。
でも、必ずしも「わかる→できる→わかちあう」ではないと考えました。
できるからスタートすることもあるし、わかちあうからスタートすることもある。
つまり渦のようにぐるぐると循環しているのではないか、と。

もう一つは、やはり「感動」などの情意面が音楽科では大切なのではないかということです。
いかに効率よく、いかに確実に、達成できたかできなかったか、ということだけがあまりにも重視され、子どもが置き去りにされている現状への警鐘です。
子どもと様々なものと響きあいから生まれる感動を大切にしたい。
その思いをこめて「響感」という言葉を今回は使用することに決めました。
音・音楽、子どもたち同士、教師、作品・・・これらと子どもとのつながりや響きあい。
これらは今までも教室に存在していたものです。
あえて「響感」と意識して視点を当てることにより、教室に存在していたつながりを深めていくことを目指しています。
それは細い細いつながりから始まることでしょう。
音・音楽や仲間などとの響きあいを大切にすることにより、「それを太いつながりにしていく授業を展開していこうとするものです。
そのことにより、感動がより広がり、高まり、深まっていくと考えるからです。
それが今回の研究の目玉である「響感」の考え方です。

そして、この「響感」は「わかる・できる・わかちあう」学習の繰り返しによりさらに深められていきます。
つまり、来年度に向けて「わかる・できる・わかちあう」は当然のように取り組む研究内容です。
指導案の中にもそれが入り、授業もそれを意識した学習が展開されなければなりません。
しかし、それだけで終わるのではなく、あくまでも「響感」を深めるために「わかる・できる・わかちあう」があるのです。

たとえば、「小フーガ」。「HG(ドイツ語読み)の歌」として子どもたちの中では結構歌われています。
当然、鑑賞で聞かせても最初は笑いだけが起こることでしょう。
パイプオルガン、バッハ、フーガとのつながりや響きあいが子どもたちの中にないからです。
最初は替え歌の旋律としての細い細いパイプとしてのつながりです。
その状態の中でも、パイプがあるわけですからすでに「響感」は存在しています。
その上で、子どもとパイプオルガン、バッハ、フーガとのつながりや響きあいのパイプを深くするような「わかる・できる・わかちあう」ことを意識した学習内容や活動を設定することで「響感」を一層深まったものにすることができると思うのです。
「HGの歌」をを歌う子どもたちの現状を認めつつ、そのパイプの細い段階から学習をスタートする。
そのパイプを太くさせるために、パイプオルガンという楽器を想像させて絵に描かせる。
初音ミクの歌う「6声のリチェルカーレ」を使い、そこから始める。
目新しさのない地味な研究かもしれませんが・・・。
「不易と流行」と言ったところでしょうか・・・。

どうでしょう?
私の考えは伝わっていますか?
もっともっと「響感」の状態をみんなで具体的に考えなければならないですよね。

10月11日以前に読まれた方、混乱させて申し訳ありませんでした。

視察から①

「響感」について記事を書きましたが、その解釈に問題点がありました。
現在、書き直している最中です。
大変申し訳ないのですが、10月11日以前に読んだ方はもう一度読み直して下さい。
お願いしますm(_ _)m
「響感の一考察」のコメントも必ず見て下さい。
改訂の経過を書く予定です。

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旭川大会の視察、みなさんお疲れ様でした。
このあと交流の場もありますが、ぜひみなさんの感想などをこのブログでも紹介して下さい。

今回の大会にあたり、指導案の件で旭川の方から以前相談がありました。
それは「題材の評価規準」と「学習活動における具体の評価規準」に関してです。
今回の指導案を見ると、小学校と中学校全てにおいて「評価の流れ」が次のように型にはめられたようになっているのがわかります。

①最初の授業では「音楽への関心・意欲・態度」。
②2時間め以降は「音楽的な感受や表現の工夫」。
③最後に「表現の技能」もしくは「鑑賞の能力」。


①は題材の導入にあたります。
題材全体にわたって持続する子どもの関心・意欲・態度を引き出すことをねらっているのでしょう。
次の②は音楽の特徴などを聴き取ったり、感じとったり、またはそれをもとにして表現を工夫する段階です。
関心・意欲・態度が高まってきたところで子どもたちの感受に訴え、音楽の特徴を聴き取らせたり、感じとらせたり、またはそれをもとにした表現の工夫に取り組ませることをねらいとしているのでしょう。
③は学習のまとめとしての段階。
②で自分の感受を働かせて深めてきた学習の成果を最後にまとめとして演奏をしたり、よさを感じとりながら音楽を聞いたり、批評文として書いたりすることをねらっているのでしょう。


本当に全てこのような流れになると思いますか?
相談の内容は次のようなものでした。

最初の授業に②の「音楽的な感受や表現の工夫」とか③の「表現の技能」や「鑑賞の能力」が来ることはあり得ないのでしょうか?
反対に、まとめの授業に①の「音楽への関心・意欲・態度」が来ることもあり得ないのでしょうか?
最初の授業は「関心・意欲・態度しかありえない!」と助言を受けたのですが、それだと時間が持たないのです。


どうですか?
1時間に4つの評価が入っているなど観点が多すぎる授業というのもどうかと思います。でも、評価の観点が二つ重なることはありますよね?
また、「表現の技能」や「鑑賞の能力」がまとめではなく、早い段階に来る時だってあるはずです(鑑賞の能力はまとめのことが多いでしょうが・・・)。
そして、「音楽への関心・意欲・態度」が全ての時間に入っていることや最後の段階に入ることだってあるはずです。
というよりも、この情意にかかわる評価が最初の授業にしかないということを問題にしたいのです。
最初に「音楽への関心・意欲・態度」を引き出すことは、題材全体の学習を成立させるためになくてはならないものと考えます。
しかし、これから私たちが大切にしていかなければならないのは次の点だと考えます。

時間が進み、学習が深まっていくことによって醸成されていく「情意面の深まり」  

「学力低下」が問題となったように、いかに効率よく、いかに達成できたか、その面ばかりに目が行き、「情意面」がないがしろにされてきた印象を受けます。
それぞれの評価の特性は無視され、音楽科もこの流れに逆らえず、数値として評価することに大きな比重がかかり始めているような気がしてなりません。
音楽科ならではの評価というものがあるはずで、それにもう一度視点を当てたいのです。
来年度の空知大会の主題はここをねらっています。
最初は「小さな関心・意欲・態度」であったものが、学習を深めていくことにより「大きな(深まった)関心・意欲・態度」へとつながっていく。
最初は「小さな感動」であったものが、学習を深めていくことにより「大きな(深まった)感動」へとつながっていく。
このことを「響感」という言葉で表しています。
これは、今回の旭川大会はもちろん、これまでの空知の取り組み「わかる・できる・わかちあう」をさらに発展させたものです。
「わかる・できる・わかちあう」はすでに当然のこととして取り組んでる。
そこに情意面を醸成する「響感」が加わることにより、「わかる・できる・わかちあう」は一層高められることになります。
こんな視点から来年度の空知の大会主題案と旭川大会の紀要をもう一度見てみて下さい。
先行研究から学び、発展させることが今の私たちに必要なことです。

Priceless!

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北海道音楽教育研究大会旭川大会で手に入れたもの・・・(σ・∀・)σゲッツ

1.名物 いなきび大福・・・いなきび大福本舗
2.釜蒸し蔵(黒糖饅頭)・・・The Sun 蔵人
3.Rilakkumaパンプキンメロンパン・・・山崎製パン


お金では買えないもの?
(*_ _)人ゴメンナサイ ・・・1と2は旭川でなら何処でも買えます。
3はローソンでなら何処でも買えます。
朝食がついてないと勘違いして買ったパンですから。
こうなったらリラックマボウルが当たるまで買い続けようかな・・・。
そんな食べ物ばっかり買って!
ちゃんと勉強してきたの?
と怒られそうですがちゃんと勉強してきました(。・w・。 )
ちゃんと証言してくれる方がいるはずです。

冗談はさておき、本当に勉強に関するものも買ったんですよ!

1.小学校学習指導要領の解説と展開音楽編(教育出版)
2.今、学校は何をすべきか(教育出版)
3.小学校学習指導要領解説(文部科学省、教育芸術社)
4.中学校学習指導要領解説(文部科学省、教育芸術社)


3は60円、4は80円。
きっと私だけでなく、みなさん買っていますよね?
いろんな意見もあると思うのですが、やっぱり学習指導要領は読んだ方がいいです。
何が書かれているかをしっかりと読んだ上で批判なり、受け入れるなりしてもいいんじゃないかと。
そして、この学習指導要領を目的とした取り組みをするのではなく、あくまでも子どもを見据え、指導要領を乗り越える実践をしていくべきと考えます。
薄い本ですが、そこに書かれていることを実践するのはすごく難しいことです。
おもしろくない本です、正直取っつきにくく眠たくなります(´△`)Zzzz・・・。o○
現場の要求とかけ離れたことが書かれている部分もあります。
現場の苦しさを理解しているのか?と思える部分もあります。
小学校の先生は全教科読むなんて無理!と言うでしょう。
できるわけないだろ!と言いたくもなります。
発達段階から考えてこれが妥当?と感じるところもあるでしょう。
でも、まずは読んでみましょう!
そして、わからないところは隠さずに聞くことです。
私もたくさん恥をかいてきましたが、わかっている人に聞く方が早く解決できます。
ただし、まずは自分で読んでからです。

「来年度から実施してもいい」ということですから空知大会では意識せざるを得ません。
手に入れてない方は取り寄せてみて下さい。
ともに頑張りましょう!  

幼稚園訪問

終わりました、幼稚園訪問┗(^o^ )┓三
園児のキラキラ輝く瞳shineと元気いっぱいの声・・・具合の悪さも吹っ飛んでしまいます。
私だけでなく中学校3年生も同じだったようで、園児に接した瞬間に優しい笑顔があふれていました(o^-^o)
園児にたくさんのやさしさをもらった感じがします。

まずは手作りのおもちゃを抱えて中学校を出発。
おもちゃは重いし、気温は低いし・・・それなのに誰も文句を言いません。
かつて通った幼稚園に訪問することがうれしいみたいです。
幼稚園に着くと園児みんながお出迎え。
元気いっぱいの挨拶を交わしたあと、それぞれのグループにわかれてお遊びの相手。
最初はおもちゃ遊びだったのが、だんだんとおんぶやだっこになり・・・。
体力が自慢の中学生も、さすがに後半は疲れ気味。
その後は園児とペアになっての「デカパンリレー」。
年長にいくにしたがってすばしっこくなること!
中学生が引っ張られるくらいの勢いで走りますrun
応援の声も純粋で楽しかったなあ・・・。
そしてお別れ。
挨拶のあとにみんなで「崖の上のポニョ」を歌う。
最初、対面に並んだのですかさず「園児と手をつなぎながら歌おうよ!」と提案。
いつもは正面向き合って歌を聞いてもらっていたんだって。
それじゃあつまらないですよね!
やっぱり身体を使って元気いっぱいに表現しなきゃ!
つないだおててを振り振り、元気いっぱいに歌ってきました。
練習をしていない、とかいっていたけど園児たちは歌詞もまちがわずに元気よく歌えていました。
それだけ園児の耳にも残る曲と言うことなのでしょう。
小学校の教科書とかに載らないかなあ・・・。
振り付けの絵付きで!
帰る時には外まで見送ってくれた園児たち。
本当に楽しい楽しい2時間を過ごしてきました。
さすがに疲れたのか、その後の授業では居眠りしていたようですが・・・。
反省では、幼稚園の先生の仕事がいかに大変なものであるかを書いている生徒が多かったです。
中には、幼稚園時代にたくさん迷惑をかけてきたと反省する生徒も。
すごい成長したじゃん!

それにしても、幼稚園の先生方の園児への対応は勉強になりました。
一言一言が実にわかりやすいのです。
やさしい言葉かけなんだけれども、言いたいことをすぱっと短い言葉で的確に言い切っているのです。
また、同じ言葉を言うにしても、一人ひとりの園児にあった言葉を選んで話しかけていきます。
その語彙の豊富さといったら!
日常からの幼児理解が無いとこうはいかないと思うのです。
園児が集中できていないな、と思ったら身体を動かす場面を取り入れる。
目線は常に園児の高さ・・・膝をついて目線を下げて対応しています。
すごいなあ、と感心することばかり。
いつか働いてみたいなあ・・・。
幼稚園の先生から学ぶことがたくさんあり、私自身にとってもよい幼稚園訪問となりました。

今回担当してくれた幼稚園の先生は、生徒が園児だった時の担任の先生。
「いろんな面で成長はしているものの、基本的には園児の頃と変わっていない」だって。
ということは幼稚園時代でおおよそその子がどうなっていくのか予想がついてしまうってこと?
それも恐ろしい気がしましたが・・・。

「巨匠たちのラストコンサート」

中川右介さんの著作で、文春新書から出ている本のタイトルです。
「これが最後の演奏会、と覚悟してコンサートに臨んだ演奏家」
「後から考えると、それが最後の演奏会となってしまった演奏家」
ラストコンサートと言っても大きくこの二つに分かれるようです。
本を読み、実際にその演奏を耳にすると「なぜここまでやるのか」という思いが頭をよぎります。
音楽でなくとも、最後まで自分が全身全霊を打ち込める何かに携われることはある意味幸福なことなのかもしれませんが・・・。
残酷な内容もあるものの、命の炎が燃え尽きるまで必死に生きようとしているその姿、そして演奏の記録にやはり感動を覚えてしまうのです。

前者の代表は指揮者のトスカニーニ。
ピアノストのルービンシュタイン、ブレンデル、指揮者ではザンデルリングという方々のように「これが最後の演奏会」という覚悟で演奏会を開き、ある程度の余力を残して有終の美を飾ることのできた幸運な演奏家もいます。
しかし、それは本当に難しいことでめったにないことです。
自分の引退がNBC交響楽団員の解雇につながることを知っていた高齢のトスカニーニは自らの引退を伸ばしに伸ばします。
それは自らの記憶障害との壮絶な闘いでした。
そして覚悟を決めて臨んだ最後の演奏会。
演奏の途中で音楽を思い出せなくなり、目頭を押さえて指揮台にたたずむトスカニーニ。
残念ながら有終の美を飾ることはできませんでした。

後者の代表は指揮者のバーンスタイン。
多くの演奏家が後者の代表にあてはまるのですが、無念の死と隣り合わせの演奏の記録として残っているCDがあります。
それはボストン交響楽団とのタングルウッドでの演奏。
結果として、ベートヴェンの交響曲第7番が最後の演奏となってしまいました。
ブリテンを指揮し終えたあと、疲労のために次の自作を弟子に任せたバーンスタイン。
それは、ベートーヴェンの交響曲第7番を自ら指揮するために体力を温存しておくためだったと言われています。
第1楽章冒頭からすでに腕を振ることもままならず、第2楽章の途中から第3楽章が終わるまでは咳き込んでしまい、ほとんど動かされることがなかった指揮棒。
目で指揮をしていたと言いますが、明らかに第2楽章の途中から音楽が変わります。
バーンスタインもおそらくはなにがしかの覚悟をしただろうし、オーケストラも何かを感じたとしか言えないのです。
静けさと奥深さ、そして情報量の多さの度合いが急激に増すのです。
似たような状態で演奏会を終えたのはピアニストのバックハウス。
ベートーヴェンのピアノソナタ第18番第4楽章を心臓発作のために弾くことができなかったバックハウス。
その後はシューマンの幻想小曲集から「夕べに」と「なぜに」、最後にはシューベルトの即興曲OP.142-2が演奏されます。
それが最後の演奏となってしまいました。
その演奏は日没寸前の雰囲気に満たされているというか、何かを悟った演奏としか言いようがありません。
しみじみと心に染み渡るものです。
私の最後の時もシューベルトのOP.142-2がいいなあ、と勝手に思っています。


それにしても自分の死期を覚悟して演奏を続ける心境とはいかなるものなのでしょうか?
リッパッティというピアニストのラストコンサートからは意志の強さが伺えます。
指揮者のフリッチャイにはリハーサルで「生きることはすばらしい。どんなことがあっても・・・。」とオーケストラに語りかけている映像が残っています。
そして、指揮者のテンシュテッド。
マーラーの交響曲第8番のなんとすばらしいことか!
昔、ミトロプーロスという名指揮者がウィーンフィルと演奏した時のこと。
そのリハーサルで音響のバランスを整えることができずに指揮台で大泣きし、頽れたという逸話が残っているほどの難曲。
テンシュテッドのCDを聞いた時には奇跡かと思いました。
その一方で、「CDだから機械で音響を調整したのだろう」と思っていたのですが・・・。
その後、なんとLive演奏がDVDで出たのです。
「CDのようにうまくいっていないのではないか?」と疑いを持ちつつ聞いたところ、それは完全な間違いであることがわかりました。
特に第2楽章の後半がすばらしいのです。
「とまれ!お前は美しい("Verweile doch! Du bist so schön.")」と叫びだしたくなるほど。
マーラー自身の「もはや人の声ではなく、宇宙が鳴り響くのです」という言葉そのものの演奏です。
弱音から強音までの強弱の設定や音響のバランスが見事なのです。
演奏者もテンシュテッドの指揮の魔力にかかっているようで完全なトランス状態のよう。
演奏者一人ひとりの表情がすばらしく感動的なのです。
異論はあると思うのですが、私はこの演奏が大好きなのです。
何回聞いても雷に打たれたように、そして放心状態になってしまいます。
かなうものなら、実際の演奏に接してみたかったです。

まだまだやれる年齢であるにもかかわらず、演奏を断念せざる時を知り、それにおびえ、覚悟を決めて演奏する。
その時に人間はどんな気持ちでいられるのでしょうか?
その一端を垣間見るような気がします。

ダウン。。。

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卓球の新人戦の引率から帰ってきました。
普段は絶対に口にしない栄養剤を飲んで試合会場へ。
栄養剤を飲むくらいならお酒を飲んだ方がいいという考えなのでcoldsweats01
今日は子どもたちに任せてじっと座っていようと思ったのに・・・。
なぜか試合展開が思わしくなく、結局ベンチで立ったまま。
もしかして子どもたちの仕返し?
まさかね(^-^;
決勝戦が終わった時にはもうヘロヘロ状態でした(@Д@;
体力がかなり落ちています・・・。
滝川西高校吹奏楽部の定期演奏会に卒業生から招待されていたのですが、体調を考えて家でじっとしていることにしました。

写真のカイと同じ格好でふとんにダウンです( ̄○ ̄;)!
カイは具合悪くないんですよ!
いつもこんな格好をします。

泣きっ面に蜂

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ボク、悪いことしないよ!

なんて顔をしてますが、やってくれました。。。
なんと!
スピーカーのウーファを一つかじってセンターキャップに穴を開けてくれました。
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
とにかく修理してくれるところを探している最中です。
いくらで直るんだか・・・。
しかりつけたところで仕方ないので・・・。

そして、カゼをひいてしまいました。
一昨日から肩の張りと心臓の苦しさがあってヤバイと思っていたら・・・。
やっぱりカゼshock
昨日の寒さで一気に悪化してしまったようです。
身体を温めようとお酒bottleを飲んだのも原因かもしれません。
余計なことをせずに安静にするのが一番ということですね!

5日は卓球の新人戦、幼稚園訪問、そして旭川大会があります。
熱があっても休むわけにいきません。
早めに帰ってきて体調を整えることに専念します。
昨日メールをくれた方々、こういうわけだったのです。
ちょっと内容に不満を持たれていたらごめんなさい。
みなさんもカゼには気をつけて下さい。。。

寝てばかりだと明日の監督に支障があるので、起きてブログパーツにうさぎを追加してみました。
生えているニンジンをドラッグしてうさぎの所に持っていくと食べてくれます。
よかったら、時々面倒を見て下さいo(_ _)o

フィールドワーク

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浦臼中学校の総合学習の大テーマは「はたらくこと」です。
「職場体験学習?」と思う方もいるかもしれませんが、それが主ではありません。

「はたらく」ということはどういうことなのか?
「はたらく」ということの喜びや苦しみ。
「はたらく」ことの過去、現在、将来は?

「はたらく」ということが全て喜びで満たされているとは限りませんよね?
また、将来が保証されているわけでもありません。
そういった負の面もしっかり押さえ、批判できる目が育ってくれれば・・・。
「はたらく」ことについて様々な角度から考えを深める、ということをねらっています。

今日は午前中、担当の先生と手分けをして街の写真を撮って歩きました。
対象は廃業したお店。
車だと見逃してしまうと思い、歩いてまわったので2時間30分ほどかかりました。
そうすると、普段は気にならなかった様々な町の姿が見えてきました。
今ではどこが商店街?という町並みも、昔はもっと賑やかだったのです。
ここにも、あそこにも・・・発見するたびになんだか寂しい気持ちで一杯となりました。
今も浦臼の魅力は薄れていないと思うものの、廃業したお店のなんと多いことか・・・。
この現実を子どもたちはどう見つめて学習を発展させていくのだろう・・・。
昔の浦臼の姿。
今の浦臼の姿。
未来の浦臼の姿。
もしかしたらその未来は明るいものではないかもしれません。
でも、この町と共に歩んできた祖先の方々に思いをはせ、この町で生まれ、この町で育ったという思いを忘れない故郷を愛する子どもになってほしいのです。
あまりにも地方をないがしろにしすぎていますものね!

そしてもう一つ、浦臼の自然の写真です。
自然からも浦臼の姿を見つめてもらおうと。
私の散歩のコースを少し行くと、石狩川の三日月湖である沼がありました。
いつもその手前の坂本直寛(坂本龍馬の甥)の住居跡で引き返していたのでその沼の存在を全く知りませんでした。
鴨がスイスイと気持ちよさそうに泳ぐ姿が印象的でした。
私の足音を聞いて飛び立ってしまいましたが・・・(゚0゚)。
その横には「発砲注意」の看板。
こんな農地のすぐそばで発砲する非常識な人もいるということなんですね。
この写真も子どもたちに見てもらおうと考えています。

それにしても!
新しい発見がたくさんあった2時間30分でした。
楽しくて楽しくて・・・疲れなんか全く感じませんでした(*^ー゚)bグッジョブ!!

「崖の上のポニョ」

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「ポーニョ ポーニョポニョ さかなの子」notes

テレビから頻繁に聞こえてくるこの歌。
ずっと頭の中で鳴りっぱなし・・・。
すごくインパクトがあって、なかなか頭から離れない。
単純なようでいて実は奥が深いのかも・・・(*v.v)。来週、家庭科の授業で幼稚園訪問をするのだけれども、園児と一緒に歌う歌に決定。
「園児がよく知っていて、喜ぶ曲、一緒に歌ったり踊ったりでできそうな曲」という条件で生徒に考えさせたところ、アンパンマンやちびまる子ちゃんドラえもんの歌をおさえて圧倒的な第1位。
中学3年生でも歌いながら踊りだすぐらいだからかなり浸透していそうhappy01
「これならいける!」ということで、さっそくTUTAYAへ。
歌だけが入っているシングル盤と映画のサウンドトラック盤とどちらにしようか悩んだ末にサウンドトラック盤の方を。
まずは36曲目の「崖の上のポニョ(映画バージョン)」の歌を聞く。
「あ~、CMで聞いた通りだ。1分30秒という長さもちょうどいいや」なんて考えながら。
そして次の日、音楽の時間に歌の練習。
まあまあ、歌いながら踊ること・・・o(*^▽^*)o
そのノリはまるで園児に戻ったよう。
中学3年生と園児、実は大差はないのかも・・・。
サウンドトラック盤と知っている生徒からは「他はどんな曲?聞きたい」とのリクエスト。
そこで「波の魚のポニョ」という曲をかけてみる。
歌と違う壮大な曲にみんなびっくり!
私もこの時初めて聞いたので本当に驚いた。
久石譲さんってすごいなあ・・・。

岩見沢で音連の会議があった日だったので車の中で全部聞いてみることに。
あれれ?
「ダフニスとクロエ」?
「ワルキューレの騎行」?
「ジークフリートのラインへの旅」?
次から次へとどこかで耳にしたことがあるような曲が出てくる。
思わず( ̄ー ̄)ニヤリ。
でも、楽しいですよ。
映画を見に行かれた方の話だと、音楽はかなり壮大な感じがするらしいです。
いつも耳にする「ポーニョ ポーニョポニョ」だけで判断するのは間違いでした。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

私がこの学校に来る年まで、幼稚園訪問で「大地讃頌」を園児に聞かせていたのだとか。
「今年も大地讃頌をお願いします」と家庭科担当の先生に言われたときは正直驚きでしたw(゚o゚)w
せっかく園児とふれあうよい機会なのに・・・。
園児とともに楽しめる曲があるのではないか、とすぐに私の考えを伝えました。
「大地讃頌はすばらしい曲だと思うけど、園児が聞いて喜ぶと思うかい?」
「せっかくの幼稚園訪問、園児が喜びそうな曲を生徒に考えさせたら?」
「園児の立場になって考えさせることもいい経験だよ。」
結局、その年は「とっとこハム太郎」の歌に。
園児たちと踊りながら歌ったようです。
ホッとしたことを覚えています。
合唱が盛んなのはいいけれども、相手のことを考え、その場にあった曲を考えることって大切ですよね。
特に園児には身体的表現を充実させてあげたいですよね。

幼稚園訪問がだんだん楽しみになってきました(゚▽゚*)
「パークパク チュギュッ」の所に振り付けをして一緒に踊れたらいいなあ・・・。

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    それぞれの街にはそれぞれの魅力があります。 通りかかったときに目に飛び込んでくる風景。 心に残る瞬間瞬間を写真に残してみました。

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