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音符カーソル

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2009年1月の28件の記事

グループ研修のご案内1

P1000676

全道音研に向けてのグループ研修の連絡がありました。

①斉藤教諭のグループ
 2月21日(土) 13:30~
 岩見沢市立光陵中学校音楽室
 中学校1年生「創作」

②末松教諭のグループ
 2月25日(水) 15:00~ 
 岩見沢市立南小学校1階研修室
 中学校3年生「歌唱表現(合唱)」
 教材:「春に」

それぞれのグループが独自に研修会を企画し、研究を重ね始めています。
ここからは具体的な本時案についての話し合いです。
授業者の思いをしっかりと受け止めつつ、助言や意見をお願いします。
みなさんが生徒役、なんてこともありますよ。

今回の授業を通して子どもに身につけさせたいことは何か。
本時の課題は何か。
扱う教材はどの部分を使うのか。

きっとこのような話し合いがなされるのでしょう。
グループに所属するそれぞれのメンバーが、実践例や音源、必要と思われる各種資料を持ち寄っての話し合いになることと思います。
もちろん、これまでに発刊された「全空知音楽教育連盟研究集録」も参考資料に含まれています。
特に、末松教諭のグループは2005年度の集録がかなり参考になると思います。

アイディアがふくらみすぎて頭がパンクしそうになる時もあります。
全く考えが浮かばずに沈黙の時間が長くなったりという時もあります。
時には考えが合わずに言い合いなんてことも・・・。
でも、けっしてあきらめないでください。
自分たちが納得のいくまで、よりよいものができあがるまで粘り強くとりくみましょう!
できれば、自分たちで考えた指導案をもとに、グループのメンバーが自分の学校で実際やってみると問題点がはっきりしてきます。
実践による検証を進めることにより、生きた研究となるからです。
それぞれが自分のこととして取り組んでいきましょう!

「みやびやかな宴」

P1000668

ドビュッシーはヴェルレーヌの詩集「みやびやかな宴」から二つの歌曲集を作曲します。
第一集は「ひそやかに」「あやつり人形」「月の光」からなる3曲。
その歌曲集には、ピアノ曲「ベルガマスク組曲」、そしてその第三曲「月の光」の題名の基となった歌曲「月の光」が含まれています。
その歌詞の大意は・・・

君の魂は選り抜かれた風景。
マスク(仮面)やベルガマスク(ベルガモ人)が風情を通りゆく、
リュートを奏で踊りながら、
仮想の仮装の下で悲しげに。

短調の調べにのせて、
勝ち誇った愛やよい人生を歌いながらも、
自分たちの幸せを信じる風はなく、
彼らの歌は月の光に溶けて混ざり、

悲しく美しい月の静かな光に混ざり、
光は木々の鳥を夢見させ、
噴水をうっとりと泣かせる、
大理石像に囲まれたしなやかな大噴水を。

第2節の、歌と歌う人々とに見いだされる悲しみと喜びの交錯がこの詩全体の性格を代表していると言えます。
流動的に、しかも曖昧のまま次から次へと風景は移り変わり、その様子を音楽がしっかりと表現しています。
詩も音楽も表現しているのはあくまでも心の中。
月の光は後半になってからようやくその存在を表します。
「鳥を夢見させ」、「噴水を泣かせる」ものとして。
この部分がピアノ曲「月の光」の曲名と結びついていくのでしょう。
暗示的なピアノ伴奏とリズムの柔軟さにあふれている第一曲「ひそやかに」が私は好きです。

第二集は「うぶな人たち」「半獣神」「感傷的な対話」からなる3曲。
その第3曲「感傷的な対話」の歌詞が、ベルガマスク組曲の「月の光」と密接にかかわりのあるものです。
その歌詞の大意は・・・

人気なく凍りついた古い公園を二つのフォルム(影)が今通り過ぎていった。

彼らの瞳は死に、
唇はだらけ、
そして彼らの言葉はほとんど聞こえない。

人気なく凍りついた古い公園で、
二人の亡霊は過去を呼び起こした。

僕たちの昔の陶酔を思い出すかい?
~どうしてそんなことを思い出させたいの?

僕の名を耳にするだけで、今も心ときめくかい?
いつも僕の心を夢に見るかい?
~いいえ。

ああ、僕たちが口と口を合わせた言いしれぬ幸せだった日々!
~そうかも知れない。

なんと空は青く、希望は大きかったことか!
~希望は逃げていったわ、打ちひしがれ、黒い空の方に。

そんな風に彼らは燕麦の茂みの中を歩いていった。
そして夜だけが彼らの言葉を聞いたのだ。

どの曲も悲劇的な性格を帯び、冷め切った皮肉と地上の幸福や愛に対する否定的な考えに支配されています。
全音音階で作曲され、さびしげなピアニッシモから開始される「感傷的な対話」。
反行する旋律線とかみ合わないリズムと相まって、冬の冷たさと冷めてしまった愛を表現しているように聞こえます。
静かに静かに沈黙するような曲の最後。
ここに達するとなんとなくホッとしてしまいます。
どこにも出てきませんが、この亡霊の会話を月の光がそっと見守っているのではないでしょうか?
これだけ言葉にこだわった作曲家も珍しいかもしれません。
音楽にも自然な流れというものを追究しています。
頂点でフォルテッシモになるような音楽をわざとらしいと言い放ち、それを避けるような方法で作曲しようとしたドビュッシー。
「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽がはじまる。言うに言われぬもののために音楽がつくられる」という言葉を残しています。
裏を返すと、表現する力のない言葉からは音楽は生まれないということにもなるのかな・・・。
ドビュッシーの作曲姿勢を考えるとそんなことを考えてしまいます。

続・心をつくす

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29名中20名参加の同窓会。
小学校の先生、中学校の先生も私を含めて4名の参加でした。
「たった一人でもお世話になった先生が来てくれるだけで俺たちはうれしいっす」
そんなことを言っていましたが、仕事の合間をぬって電話をかけていたようです。
相手の都合のよい時間を考えた上で電話をするなんてすばらしい心遣いです。
「電話をくれてありがとう」という言葉が一番うれしかったとも言っていました。
相手のことを考え、言葉で伝えることってやはり大切ですよね。
これを怠るとどんな人間関係も崩れてしまいますから。

また、この不況の中を必死に頑張っている卒業生の姿を見て勇気づけられました。
近くに仕事がない。
派遣会社も仕事を紹介してくれない。
それなら自分で探す!
その生き方のたくましいことといったら!
今はとにかく大変な時代。
だからこそ何かやれることはないかと動き出す。
来年はもっと品種改良した農作物に挑戦する。
こんな店にしてみたい。
大学院で思いっきり自分のやりたい分野を研究する。
これまで社会を支えてくれたお年寄りを支えていきたい。
商品知識をもっと蓄えてお客さんに喜んでもらえるようにする。
部下の気持ちがわかる管理職になる。
次から次へと夢を口にします。
賃金カットの話もするけれども、それ以上に夢を語る。
現状のつらさや苦しさを恨んだり、嘆いてばかりいても何も変わらないんだよな。
自分から何かをかえていかなきゃ何も変わらないんだな、と改めて考えさせられました。
そして、教師である私自身がもっともっと子どもたちに夢を語っていくことの大切さを学ばせてもらいました。
こんなすばらしい子どもたちに出会えて幸せです。

小学校の先生は10年前のタイムカプセルを携えてきました。
小学校の卒業式当日の新聞、学事報告、10年後の自分への手紙、ウイスキー、卒業文集、修学旅行のビデオテープ、写真・・・思い出が一杯つまったタイムカプセルです。
10年後の自分への手紙を手にしたときの笑顔といったら!
「俺、漢字間違えてるぞ!」
「こんな馬鹿なこと書いてたの?」
「頑張れ!って励ましの言葉があるよ。」
「この頃から今の仕事を目指していたんだなあ・・・」
「私、けっこういい言葉書いてるじゃん」
すばらしい企画だと思いました。
残念ながら私はこういう心のつくし方をするのがとても苦手なのです。
でも、子どもたちのこの笑顔のためにもっと心をつくすべきだったと後悔しています。
残念ながら・・・私は、もう担任をすることはないと思います。
それでも今度、同窓会でやってみたいことがあります。
オノ・ヨーコさんがテレビでやっていたことの応用。
同窓会の最後に花瓶か何かを割ってしまいます。
そして一つひとつの破片をそれぞれが持ち帰る。
次の同窓会にはその破片を持ち寄ることを約束して。
そうしたらみんなで破片をくっつけて花瓶を再生させる。
時を超えて心をひとつにする作業です。
どうです?
卒業式の日にこれをやって成人式の日に持ち寄るなんて方法もありますよね。

ついつい飲み過ぎて体重が戻ってしまいました。。。(。>0<。)

「月の光」

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「片思いの気持ちを表現したい・・・」
ドビュッシー作曲「月の光」をショートプログラムに使用している浅田真央選手の言葉の一部です(確かこんな表現だったと記憶しています)。
この言葉を聞いて自分の耳を疑いました。
水に映った月の光が移ろいゆく様子を音楽で表現したんじゃなかったっけ?
浅田真央選手の深読みのしすぎなんじゃないかな?
そんな疑問を持ちつつ調べてみると・・・。

フランスの詩人ヴェルレーヌの詩に曲を付けた1904年作曲の「みやびやかな宴 第二集」に集録されている「わびしき対話」がもとになっている。
当初は「月の光」ではなく「感傷的な対話」という曲名にする予定であった。

その詩の内容は・・・
「人気もなくさびしい廃れた公園。過去に恋人同士であった男女の影(幽霊)が歩いている。男の方にはまだ未練があるらしく、しきりに昔の気持ちを呼びさまそうとしている。女の方はというと・・・残念ながらすでに心は冷えきってしまっている。」
歌曲の方にも「月の光」という曲があるが、その曲はヴェルレーヌの詩集「みやびやかな宴」の「月の光」に曲がつけられたものである。
ピアノ曲とは別の詩である。
ただし、ピアノ曲の曲名は最終的に「月の光」の詩から影響を受けてつけられている。
また、「ベルガマスク組曲」というタイトルも、イタリアのベルガモ地方という意味とヴェルレーヌの「みやびやかな宴」に出てくる「18世紀の宮廷的(ベルがマスク)な」という意味も含んでいる。

う~む・・・coldsweats01
全くの思い違いでした。
ちゃんと使用する楽曲の背景までもを調べた上で演技しているんですね。
さすがだと思います。
それにしても・・・「月の光」を鑑賞の授業で扱ったときに違う解釈を子どもたちに教えてしまっていたなあ。。。
ゴメンナサイ・・・(ノ_-。)
ちゃんと調べないとダメですね。

このドビュッシーという作曲家、とにかく言葉にこだわります。
文学の才能もかなりあったのでしょう、よいテキストでなければアイディアが浮かばないというほどのものですから。
ただ、詩というものは優れていれば優れているほど音楽を必要としません。
そういう詩に曲をつけるということは、詩がすでに表現している内容を作曲者が解釈して音楽でなぞる、というとてつもなく難しいものになってしまいます。
ドビュッシーのオペラや歌曲に未完成が多いのもこういうところに理由があるのかもしれません。
また、「印象派」とよく言われていますが、神秘思想や同性愛、近親相姦、オカルティズムなどに興味を持ち、それらを題材とした曲を作曲していることから印象派というよりは詩人マラルメなどのように「象徴派」に近いのだと思います。
本来は、ロマンティックな曲からは遠い作曲家なのかもしれませんね。
複数の旋律を混ぜ合わせたり、和音を固まりのまま平行移動させたり、全音音階やいろんな旋法を扱うことによって機能和声感や調性感を曖昧にする作曲技法。
主題の明確な対比や有機的な展開と再現を避けようとする作曲技法。
使用する音を慎重に選ぶことによって和音の音色(明暗)を変化させる作曲技法。
このような作曲技法のもたらす音楽の感じが印象派の画家たちのスタイルと似ていたから一緒にされてしまっているのでしょうが・・・。

強く訴えたい部分になればなるほど音を小さくして緊張感を高めるというドビュッシーの特徴が私は大好きです。
「いのちの名前」や「今、風の中で」にもそんなドビュッシーの影響を聴き取ることができます。
ただ、そんな作曲家ばかりだとつまらなくなってしまいますが・・・。

心をつくす

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明日は22歳になる卒業生たちの同窓会です。
私は地域、保護者、子どもたち、仲間に恵まれる幸せな教師です。
不思議と卒業生とのかかわりも多く、家に遊びに来たり、一緒に飲みに行ったりなんていう機会がけっこうあります。
歳の離れたおじさんなのに、よく我慢して誘ってくれるというか・・・。
私としてはすごくうれしいことです。
明日集まる子どもたちも数名とはちょくちょく飲んでいたし、成人式の日にはほぼ全員が集まっての同窓会にも誘ってくれました。
中学校を卒業するときに、「いろんな人たちとの出会いがあってみんなは今ここにいる。小学校の先生方の教えがあって、その上で中学校も卒業できるんだよ。同窓会をやる機会があったら小学校の先生も招待してね。」と伝えました。
ちゃんとそのことを覚えてくれていたようです。
成人式の日の同窓会には小学校の卒業担任も招かれていました。
「先生が言っていたことを思いだしてさ・・・」とは幹事を担当した子どもの言葉。
私の気持ちが伝わっていたことがすごくうれしかったです。
中学校の先生はこういう機会に呼んでもらうことが多いような気がします。
義務教育最後の学級、そして担任というつながりは大きいのだなあと思います。
複数学級ある学校ではクラス替えなどがあるので特に。
その影響もあってか、小学校の卒業担任が招かれる機会はなかなかないようです。
小学校の卒業担任の方も「こういう機会に呼んでもらえるのは長年教師をやっていて今日が初めてです。こんなにうれしいことはない。教師として光栄に思います。呼んでくれてありがとう。」とあいさつしていましたから。

そして、今回の同窓会。
「先生、1月25日に同窓会をやるんだけど・・・。大学や専門学校に通っている仲間が今年で卒業だからいい機械かと思って。それで今までお世話になった先生方全員にも案内を出したいんだけど、どうやって連絡したらいいかな?」
いつも計画を担当しているK君からの電話。
なんと!
今回はすべての先生方に案内を出すというのですから驚きです。
こんな学年は私も初めてです。
「勤務先の電話番号を教えるから一人の社会人として電話をかけてごらん。失礼のないように、自己紹介を忘れないこと、ちゃんと過去にお世話になったことも伝えるんだよ。それと先生方もいろいろと忙しいから強制はしないようにね。」
こんなことを伝えたのですが、ちゃんと役割分担を決めて電話をかけたようです。
いつの間にこんなに活動的になったんだろう?
そして、人とのつながりを大切にする姿勢に頭が下がります。

今から10年前の全空知音楽教育連盟の研究授業を覚えていますか?
明日同窓会を開くのは、私がベートーヴェンの交響曲第5番で研究授業をしたときの子どもたちなのです。
学級崩壊を経験した子どもたちでした。
教師への不信感、仲間同士の不信感、そして一人ひとりの心に残る深い傷、劣等感。
自分たちの気持ちを表に出さないようにしている子どもたち。
そういう子どもたちだからこそ、私はあえて授業を公開しました。
何か心を開くきっかけになってほしい。
自分たちが人から見られることを怖がらなくなるようになってほしい。
劣等感をはね返してほしい。
ここまで成長したという証明をしてほしい。
学級崩壊をした悪い学級というレッテルをはね返してほしい。
そんな願いがあってのことです。
反応が少なくて私自身非常に苦労しました。
でも、あの授業をきっかけとして子どもたちは人に見られるということをいやがらなくなったように思います。
授業者の力量のなさで、授業自体はよいものではなかったです・・・。
もっと子どもたちの持っているものを引き出せたんじゃないかと。
子どもとともに乗り越え、子どもとともに少し成長することができた思い出深い研究授業です。

あの当時は子どもたちと本当によくぶつかりました。
教師としての価値観と子どもたちの価値観とのぶつかり合いです。
わかってもらわなきゃならないことがたくさんあって引くわけにはいかなかったのです。
私がうまく指導しきれなかったところは周りの先生方がたくさん助けてくれました。
「もういいや」なんて思ったこともありましたが、結局捨てきることができなくて。
もし投げ出していたら。。。
子どもたちはこんな風に成長しなかったかもしれません。
「○○先生には悪いことしちゃったなって思う。あんなことしたから俺たちの担任はにしあつになっちゃうんだよな。担任の発表があったときにちゃんと生活しなきゃって思ったもの。よく先生に怒られたけど、あれがあったから今の俺たちがいるんだよな。」
そんなに怒ったつもりもなかったけど・・・coldsweats01
しかも人を最終兵器か何かのように表現して・・・bearing
なんだかんだ言って、子どもたちってわかっているんですよね。
真剣にぶつかったからこそ、いろんな出来事もよい思い出として語ることができるのかな。
さて、明日はどんな同窓会になるのだろう?

心をつくすこと、そうすれば必ずその心は帰ってきます。

グループ研修2-③

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2008年12月25日のグループ研修の記録から。
今回は小学校部会の紹介です。
小学校部会は二つのグループがあるのですが、現在は合同でグループ研修を開いています。
中学年の授業者である平田教諭が急病のため、この日は低学年の授業者である山﨑教諭の授業について話し合いました。
子どもたちのイメージを基に歌唱表現を工夫するという授業を考えています。
研修の記録を担当してくれたのは豊川教諭です。
インフルエンザで体調のすぐれない中で仕上げてくれたものです。
柔らかさと勢いのある手書きが印象的でしたが、今回はワープロとなっています。

「syou_12.25.pdf」をダウンロード

研究というものには正解がありません。
単純にあっている、間違っているというものではなく、どちらかはわからないけれども一方の考えや立場に決めて検証を進めるものです。
提案したからには必ず反論が出てきます。
そうやって意見を交わすことによって何か普遍的なもの、立ち返る地点というものが見えてくるのだと思います。
これをおさえつつ、現段階の課題となるものを追究していくのが研究というものでしょう。
世の中に絶対的なものなどありません。
全員が賛成のものほど怖いものはありません。
振り子のように両極端に揺れ動きつつも、ちょうどよいバランスというものを見つけることが大切です。
「不易と流行」ということかな。。。

なんのため?

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「道内の小中学生平均下回り下位」

今年度初めて実施された全国体力テストの結果が新聞に出ていました。
学力調査に続いて、「またか」という感想を持つのは私だけ?
順位を発表することになんの意味があるのだろう?
私にはさっぱりわかりません。
体力テストの種目は、握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、20メートルシャトルラン、50メートル走、立ち幅跳び、ボール投げ、持久走。
それぞれの種目の記録をポイントとして合計し、点数化。
順位をつけると北海道は下位。
でも、点数を比較すると上位とそれほど大きな開きはないんだけど・・・。
順位が上位だったからよかったとか、下位だったから悪かったという問題ではないはず。
上位の子どもたちの点数だって高いとは言えません。
全国的に子どもたちの体力が落ちてきているという事実をつかめれば調査としては十分なはず。
「上位の県は体力づくりに積極的に取り組んでいる」なんて分析ものっていたけど、それって調査のための準備をしているだけでしょ?
体力テストの種目に子どもたちが慣れていれば、ポイントが上がるのは当たり前。
経験しているか経験していないかの差は大きいです。
本当にそれが子どものためになっているならいいけど。
体力テストで上位になったからといって、なにか自慢できることでもあるのかな?
戦時中じゃあるまいし。。。
子どもを使って大人が自慢しているだけのような気がします。
「体力は学力に正比例する」なんて分析も。
スポーツ選手はみんな学力が高いということになるのかな?
学力の高い人はスポーツも万能?
まさかね・・・。
卓球の全日本チャンピオンとなりバルセロナオリンピックで活躍した選手、でも彼は100メートル20秒台。
体力テストからは見えないものってたくさんあるはず。
今回の体力テストは、体力の一面しかとらえていないはずなのに、このテストの結果がすべてだと思ってしまう。
どうしてこういう訳のわからない分析に惑わされてしまうのかな。
体力テストに書かれている種目って、多くはモチベーションでいくらでも記録は変わる。
その日の体調や気温によっても左右されるし。
ちょっと恐い先生がいて、気合いを入れてから取り組ませるとかなりいい記録になるはずですよ。
火事場の何とやらってやつ・・・。

ただし、子どもたちの生活習慣を考えるとどうでしょう?
買い物へ行くのも車。
天気の悪いときは親が車で送り迎え。
そうでなくても親の通勤に合わせて車でついでに送り迎え。
歩く習慣がかなり減少していると思います。
都会に住んでいる方が歩く機会は多いです。
この生活習慣を戻せるかな。。。

今回の全国体力テストといい、全国学力調査といい、大人が数字に踊らされてしまい、冷静さを失ってしまう。
そのしわ寄せは全部子どもたちに・・・。
序列化することが本当に子どもたちのためになっている?
私が中学校の時には、「業間体育」というものがありました。
2時間目と3時間目のちょっと長い休み時間に、夏はランニング、冬は校舎を使ってのトレニングを毎日やるものです。
もしかして時代が逆戻りする?
「休み時間にみんなで縄跳び」なんて取り組みが強制されたりして・・・。
あ~、いやだいやだ。
子どもたちにとってためになる取り組みって何かできないものなのかな?

東京カテドラルの音

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「あのパイプオルガンのDVD買いましたよ!コンサートホールのパイプオルガンと全く違いますよね。感動しました。」
先日、ある先生からメールを頂きました。
私と同じ思いの人がいるとわかっただけでうれしくなりました。
あのDVDとは、私が公開授業に使用したもの。
「ST. Mary's Cathedral, Tokyo パイプオルガン誕生」というDVD。
私がすっかり虜になってしまったDVDです。
DVDもすばらしいのですが、機会があったらぜひ一度いってみてください。
あの高い三角の天井に向かって長い残響がすーっと消えていく響きを一度体験するとずっと頭から離れなくなることと思います。
それぐらい印象に残る響きなのです。
私の人生が大きく変わったといってもいいくらいのものでした。
「ST. Mary's Cathedral, Tokyo」というCD(CRCD 6728-2)の方が、より実物に近い響きを体験できます。
演奏しているのはDVDと同じLorenzo Ghielmiさんです。
このCDはDVD以上にオススメですよ!!

こんな思い出に浸っていると偶然にも東京カテドラルに関する記事に遭遇。
レコード芸術1月号。
なんと!!
指揮者の朝比奈隆さんが東京カテドラルでブルックナーの交響曲を指揮したCDがあるというのです。
あの長い残響のホールで交響曲?
しかもブルックナー?
作曲家ブルックナーが眠るリンツの聖フローリアン教会でも演奏されるので珍しいことではありません。
しかし、東京カテドラルは7、8人の合唱でも響きわたるくらいの豊かな残響。
そこでフルオーケストラが演奏するとなると・・・。
この記事に出会ってから、このCDがすごく気になっています。
1980年6月4日。
新日本フィルと演奏したブルックナーの交響曲第9番の録音。
ビクターからXRCD化されたものがすばらしいようです。
この記事の著者はその響きを「実音の背後でシュワーンと響いていく音」「教会らしさ(教会くささ)」と表現しています。
私と表現の仕方は違うものの、あの実体験したのと同じ音の響きを指しているのが伝わってきます。
実演で聞いたらどんな感じなのだろう?
天井が崩れ落ちてくるような感じなのかな?
それとも、あの高い天井が大音響を和らげて、天から降り注ぐような響きになるのかな?
聞いてみたい!

「日の出」

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「日の出」の写真。
同じ「日の出」でも前回の「アルプス交響曲」のものとは全く印象が違います。
「アルプス交響曲」にアップした写真は凍てつくような寒さと澄んだ空気の中での撮影。
太陽のまばゆくも強烈なきらめきが映し出されています。
ゴーギャンの絵のような生命力あふれる力強さかな。
今日の日の出は、気温が高く、なんとなくもやっとした雲が多い中での撮影。
太陽の輪郭はややはっきりめに見えるものの、その周辺はなんとなくもわっとした感じです。
モネのような静けさとあたたかかさかな。
同じ場所から撮影した同じ日の出なのにこの違い。
毎日が違う自分であるということに気づかされます。
「生きるということ」「生命ということ」について考えさせられます。
希望にあふれる何かが始まる予感というか・・・。

感性検索

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「感性検索」って聞いたことがありますか?
見た目の印象とか触った印象とかといった情緒的なフレーズをクリックしてくことによって目的の詳細情報を得ることができるインターネットの検索システムのひとつです。
これを利用した日本酒のサイトが数年前まで存在していました。
地酒協同組合のサイトです(残念ながらなくなってしまいましたが・・・)。
「自分の好みに合うお酒はどれがいいのか?」
従来だと、こんな感じ、あんな感じのがほしいと思っても具体的な商品名で探すか、店員さんに選んでもらうしか方法がありませんでした。
しかし、この「感性検索」を利用すると見た目や飲んだ印象にあてはまるものをチェックするだけでその条件にあった日本酒が見つかるのです。

第一部は見た目(瓶・ラベル・ネーミング)の印象。
感性フレーズが、喜、怒、哀、楽、触覚、視覚の6項目に分類されています。
「喜」には、愛らしい、憧れ、はつらつとした、喜ばしいなど34個のフレーズ。
「怒」には、興奮、力強いなど5個のフレーズ。
「哀」には、淡い、静か、ひなびたなど5個のフレーズ。
「楽」には、うららか、茶目っ気、大衆的など13個のフレーズ。
「触覚」には、なめらか、軽い、重いなど9個のフレーズ。
「視覚」には、ミステリアス、鮮やか、初々しいなど41個のフレーズ。

第二部は飲んだ印象。
感性フレーズが、色、香り、味、飲むシーンの4項目に分類されています。
「色」には、赤、黄、緑など6個のフレーズ。
「香り」には、きわ立つ、懐かしい、華やかなど12個のフレーズ。
「味」には、甘い、辛い、濃いなど37個のフレーズ。
「飲むシーン」には、下町、料亭、寝酒など22個のフレーズ。

とにかくあてはまるものにいくつでもチェックをつけていく。
意味のよく分からない言葉もありますが、そんなのは気にせずに・・・。
意識的に飲み食いをしていると自然に味覚が鍛えられていきます。
自分の感じている味や香りなどと、それを表す言葉とが一致していきます。
こうして日本酒に対する言語を広げていくことができると思います。
日本酒を表現する言葉って独特なものが多いですから・・・。
最初は感じたままにチェックして選んでいたものが、記憶として脳に蓄えられ、明確なイメージとして言葉で伝えられるようになっていきます。
そして、チェックしたフレーズをつなげて文章にしていくと立派な日本酒の批評文となります。
たとえば。。。
「情熱の中にも新しさと力強さを感じさせるラベルやボトル。香は華やかできわ立つ感じがする。味は濃い中にもきれがある。下町の料亭でしみじみと飲むのに似合うこのお酒が私は大好きです。」

これって音楽にも使えると思いませんか?
感性フレーズの分類が諸要素の言葉。
その諸要素を表現する言葉は、子どもたちがワークシートに書いたことばを蓄積することによってできあがりますよね。
この日本酒の感性検索のために、20人もの日本酒専門の方々の言葉を蓄積して感性フレーズに分類していたそうです。
だからこそ、共通化された言葉として成り立っていたのでしょう。
音楽の学習にも共通化された言葉って必要ですよね。
自分勝手な言葉を言い合っていたのでは、何も伝えることができませんから・・・。
空知の音楽教育連盟で音楽に対する感性フレーズをつくるのもおもしろそうですね。

今日のこの写真は印象派のモネみたいだと自分で思っているのですが・・・coldsweats01

グループ研修2-②

今回は12月25日に行われたグループ研修の報告第2弾です。
中学校「創作」、斉藤教諭のグループのものです。
学年は中学校1年生。
長期休業をはさむので、入学して5ヶ月での公開授業となります。
その5ヶ月の間に教師側の意図をくんで動けるように指導していかなくてはなりません。
それまでの授業をいかに計画的に実践していくかが成功の鍵と言えそうです。
期間が短いからといって投げ込み式の授業では実際に使うことはできませんから・・・。
その覚悟も記録から読み取れるような感じです。
今回は明成中学校の助乗教諭がまとめてくれました。
話し合いのポイントが簡潔に書かれてあって読みやすいです。

「tyuu1_12.25.pdf」をダウンロード

まずはそれぞれのグループに関係する資料を集めましょう。
その分野に関するたくさんの知識を持つことが大切です。
知識をたくさん持つことから創造性あふれる研究が構築されます。
「創造性」とは、知識のいろいろな組み合わせによって生まれるのですから。

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例年は除雪車の雪で樺戸山が見えなくなるのですが・・・。
小さい樺戸山(私が運んだ雪)。
中くらいの樺戸山(除雪車が運んだ雪)。
本物の樺戸山。
そんな風に見えませんか?

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私の学校は今日から授業が始まりました。
やっぱり子どもを前にしての授業は楽しいです。
「手紙」のCDを聞き、パート練習に取り組みました。
あんなにもこの曲を気に入ってくれるとは・・・。
何か訴える力のある曲なんですね。
この曲に出会えてよかったです。
そして実際に演奏できるこの幸せといったら・・・。
その思いを大切に、3月まで一生懸命仕上げます。

二つの太陽

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年に数回観ることができる二つの太陽。
寒い冬の朝。
雲の厚い日。
いろんな条件が重なって初めて出現します。
除雪を終え、ふと夕張方面を見ると二つの太陽が!
慌ててカメラを取りに家の中に。
数十秒しか立っていないけれどもひとつになりかけていました。。。
ちょっとの時間のずれで完全なものからほど遠いものにsweat02
もう少し気づくのが早ければ・・・。
おしかった!
でも、これを観ることができたあとにはいいことがあるんですよ!

明日から授業開始。
3月末まであともう少し。
どんな出会いが待っているかな。
どんな感動が待っているかな。
「生きる」ことをかみしめながら。

「生きる わたしたちの思い」

生きているということ
いま生きているということ

谷川俊太郎さんの「生きる」はこの文から始まり、そしてこの文は5回繰り返される。
この一文から始まる詩に共感し、自らの「生きる」を考えてみたい。
この一文から始まる詩に感動し、他の人の考える「生きる」に触れてみたい。
そんな取り組みが大きく輪を広げ、一冊の詩集となりました。
「生きる わたしたちの思い」(角川SSコミュニケーションズ)。
人とのつながりを求めて、「私はここだよー」って叫ぶこと、と表現した人。
限りある時間の大切さを思い、「触れた手の温かさに涙が出るということ いつかその手を離れると知っていること」と表現した人。
人を信じることの大切さを「裏切られること 信じること 裏切られること まだ信じること」と表現した人。
どんなに苦しい状況でも未来を信じる気持ちを、「答えはいつも自分の中にあること どんな苦しみにも光はさすということ」と表現した人。
この詩集にはたくさんの「生きる」がつまっています。
すべての「生きる」が感動的に胸に迫ってきます。
一度は考えたことがあるテーマ。
私だったらどんな言葉で表現するだろう?
みなさんならどんな言葉で表現しますか?
この本を読んでいると言葉に命があることを感じます。
「生きる」というすばらしい詩が今まさに息づいていることを実感します。
言葉って不確かな部分がたくさんあるけれども、それぞれの思いを伝えるのになくてはならないものですよね。


「コトバの波紋」
  (谷川俊太郎)

会ったことのない人たち
名前も知らない人たち
どこに住んで何をしているのか
少女なのか主婦なのか
短大生なのか課長なのか
農民なのかフリーターなのかも分からない
でも日本語を話し書く女たち男たちが
脚で歩けないウェブの街角でお喋りしている
声が聞けないウェブのカフェで議論している
地図にないウェブの村はずれで落書きしている
そこはコトバによって創られる架空の世界
自分と他人をミックスできる未来へ開く小宇宙

そこでは・・・
コトバがコトバに一目ぼれします
コトバがコトバの卵を産みます
コトバがコトバを揺り動かします
コトバがコトバと鬼ごっこします
コトバがコトバでうがいをします
コトバがコトバに笑いかけます
コトバがコトバと手をつなぎます

そしてそこでは・・・
どんな小さな子とも
どんなくだらないことも
どんな恥ずかしいことも
どんな無意味なことも
どんな分からないことも
コトバになったおかげで
生きています いまを

黙り込んでいる人もいま生きていて
怒りくるっている人もいま生きていて
生きていたくない人もいま生きていて
生きていることにたとえ意味は見いだせなくとも
生きていることはひとまず美味しいと
そう感じられる幸せを求めて生きているいま
たとえばこっちは夜そっちは朝(たぶん)
でもいまは同じこのいまの地球に生きるあなた
コトバの小石を投げ込んでください
コトバの波紋がどこまでも広がって
やがてどこかの誰かに届くまで

「スピード思考力」

P1000642

新聞の新刊紹介に「榊原式スピード思考力」というものがありました。
著者は、大蔵省国際金融局長、財務官等を歴任した榊原英資さんです。
詳しく紹介されていたので、これを見るだけで本の内容を思い浮かべることができます。
スピードという言葉が各章のタイトルに使われているので、ついついそちらの方に目が行きがち。
でも、副題は「自分の頭で考える50の方法」です。
(スピードを求めなくても、牛歩のごとくでもいいじゃありませんか)

第1章 考える力をつけるスピード思考術 ~ 疑うことの大切さ
  1.何がわからないかを正確につかめ
  2.わからないことは聞け
  3.わからないことを調べろ
  4.常識を疑え
  5.自分で確認できないことは信じるな
  6.物事はほとんどグレーと思え
  7.常に逆の立場で考える
  8.ほとんどのことに回答はない
  9.ディベートの訓練をせよ
 10.絶対的真理などない
 11.科学的結論は常に暫定的
 12.常に実験をしろ

第2章 考える力をつけるスピード習慣術 ~ 知識が感性を磨く
 13.君子は豹変する
 14.論理に感情をまじえるな
 15.感性は別のネットワークで
 16.経験をできるだけ整理しろ
 17.勘を信じろ
 18.経験を横につなげ
 19.異分野に興味を持て
 20.世の中はわからないからおもしろい
 21.知識はあればあるほどよい
 22.創造力とは知識の組み合わせを変えること

第3章 考える力をつけるスピード術 ~ 脳を活かす暗記と復習
 23.年齢に関係なくいつでも暗記しろ
 24.暗記と復習で脳を活性化しろ
 25.運動でも脳は活性化する
 26.継続こそ力
 27.無理はするな
 28.遊ぶときは遊べ
 29.失敗を恐れるな
 30.失敗が進歩の源泉
 31.毎日自分でプランをつくれ
 32.日程を人任せにするな
 33.テレビは原則観ない、観たいものを決めろ
 34.会議はできるだけ短く
 35.読んで書け
 36.書くことで頭を整理しろ
 37.人の話を聞くときはメモをとるな

第4章 考える力をつけるスピード行動術 ~ 頭をやわらかくする方法
 38.ディベートを楽しめ
 39.頭の固い奴は避けろ
 40.異質なものは最高の栄養
 41.頭はできるだけやわらかく
 42.連想をしろ
 43.あきらめるな
 44.攻撃も退却もすばやく
 45.自分のポジションを知れ
 46.日本をアピールせよ
 47.世界の中の日本を考えよ
 48.日本人の感性で闘え
 49.ユニークさを活かせ
 50.考えて考えて、考えぬけ

書かれていることの多くは、ごくごく当たり前のことと思いませんか?
私も似たような内容のことを話したり書いたりしますから・・・。
当たり前のことを当たり前にできるようになるということが一番難しいことではありますが・・・。
私ならこのほかに
*ずるいことをするな
*謙虚であれ
*心をつくせ
とうものをいれます。

グループ研修2ー①

P1000656

2008年12月25日に行われたグループ研修の内容を紹介します。
今回は末松教諭のグループです。

授業者である末松教諭から12月25日現在考えていることの提示がありました。
どの部分が障害となっていて、何に悩んでいるのかが伝わってくる内容となっています。
時間のない中、自分の気持ちに正直に向き合い、文章にまとめてくれました。
そのまじめな取り組みに頭が下がります。

「tyuu2_ann.pdf」をダウンロード

このプリントをもとにグループ内で話し合いを進めました。
時期的なものが大きな問題となっていたこともあり、当初は「鑑賞」の授業でアイディアを練ってみました。
でも、話し合いを進めれば進めるほど、本当にやりたいことから離れていっているような気がしてきたのです。
その結果、やっぱり「合唱表現」!
となったのですが、その経過が次のものに書かれています。
悩みに悩ませてしまい、末松教諭には申し訳ない気持ちで一杯です。
すべての原因は私にあります。
授業者を迷わせてしまい、授業内容の決定が遅れてしまったことをお詫びいたします。

「tyuu212.25.pdf」をダウンロード

2009年1月14日には、欠席されたグループのメンバーの方へ話し合いの内容をお知らせする文書を桑島教諭が作成してくれました。
グループのメンバーにはもう届いているかと思います。
読みやすく、話し合いの流れがよくわかります。
他のグループの方にとっても参考になると思うので載せておきます。

「tyuu2_keika.pdf」をダウンロード

各研究グループそれぞれが組織的に動いてくれています。
毎回の記録を文書に残してくれたり、FAX送信を分担したり、お互いに声かけをしてくれたり・・・。
みんなそれぞれがなにがしかの仕事を抱えている中で頑張ってくれています。
決して時間に余裕があるからではありません。
他団体の役職を兼ねている方もたくさんいます。
今回の大会を通して勉強したい、という熱意が高まってきているのを感じます。
数人が頑張ってもいい大会にはなりません。
連盟会員がそれぞれ自分のやれることから協力してくれることによって大会は成功するものと考えます。
仕事の都合でどうしても会議に出席できないときだってあるでしょう。
まずは会議の記録を読むところから協力してくれませんか?
時々、励ましの言葉やお礼の言葉を伝えるところからはじめませんか?
他のグループの記録も随時載せていきます。

それにしても、結構な吹雪でしたねsnow
浦臼は、雪の量はそれほどでなかったけど風が強かったです。
時々、写真のような感じになっていました。
それから・・・教員調整手当の割合が下がっているのを知っていますか?
今月から給料が下がっていますよ(;ω;)
いつ提案されたのでしょう?
そして、部活動手当が2倍となっています。
10月にさかのぼって支給するそうです。
実績優先!ということなのでしょう。

猫の塔

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いつもこんな風に寝てると思うでしょ?
ところがところが・・・
夜中に起きて台所付近をごそごそ。
鰹節やら薬用石けんのパックをかじかじして穴をあける。
掛けてあるタオルを全部落とす。
茶箪笥に登り得意顔。
机や茶箪笥の上にあるものを落とす。
いたずらの音がうるさくておちおち眠っていられません(-゛-メ)
一緒に寝ているときの方が多いけど、エンジンがかかるともう大変。
それでカイ専用の遊び場を買ってきました。
1m45㎝の高さがある猫の塔。
最初はおっかなびっくりで腰が引けていたけれども、今ではすっかりお気に入り。
変なところに登ることもなくなりました。

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きかない顔でしょ?

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制作時間30分。
ドライバーできっちりと閉めなきゃならないので手が痛いです(ノ_-。)
それにしても、いろんな遊びものがあるものですね!

ダイエット

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手前のハンドルはルーム・ウォーカーの一部。
ガーガーと音をたてて動くベルトコンベアーみたいな所をひたすら歩きます。
ほんのちょっと角度がついているのでちょっとした山登りの感覚。
しかも、一定の速度で足を動かさなければならないので思ったよりもきつい・・・sweat02
段差の少ない踏み台昇降みたいな感じです。
一定の動きが要求される運動って辛いですよね。
1時間も歩けばかなりの汗sweat01
散歩よりもきついです。
散歩であれば、外の景色を楽しみながら歩けるのだけれども・・・。
気に入った場所があれば写真も撮れるし・・・。
そんな楽しみもないままひたすらイチニイチニ・・・。
汗を拭いたティッシュ。
歩く時間を計る時計。
音楽を流すCDプレーヤー。
そして、暖かく私を励ましてくれるプーさんlovely
あ~、それなのに体重は減らず。。。
歳のせいとあきらめはじめているところです。

歩くときに聞いた曲。
・「つないで手」
・「ドミノ」
・「ささやき並木」
・「ただいま」
・「どんでん返し」
・「ひとりでに」
・「受け入れて」
・「空中ブランコ」
・「芽ぐむ」
・「はじめて」
・「ハナミズキ」    以上 一青窈さん
・「手紙 ~拝啓 15の君へ~」 アンジェラ・アキさん
・「今、風の中で」 平原綾香さん

「ひとりでに」、「受け入れて」、「空中ブランコ」、「芽ぐむ」、がよかったなあ。
特に「ひとりでに」。
「手紙」も聞けば聞くほど今までしまっていた思いがあふれてくるようです。
音楽を聞きながら歩く1時間はあっという間。
「パイレーツ・オブ・カリビアン」の時は爽快感すら伴います。
音楽の力ってすごいですよね!

「今、風の中で」

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穏やかな成人の日。
「手紙」の近くにあったCDを片っ端から借りてきて聞いています。
紅白歌合戦で歌われた曲のコーナーだったのかな?
借りてきた中には一青窈、Celtic Womanも。

平原綾香さんの歌う「今、風の中で」。
しっとりとした雰囲気。
その中に出てくる「たったひとつのいのちを生きて」という歌詞。
その部分がじ~んと心に響いてきます。
作詞:島健  作曲:久石譲。
詩や曲もすばらしいけれども、平原さんの人の心に訴える歌唱力もすばらしいです。
いつも同じ歌い方?・・・そんなのなんて気になりません。
この歌唱力、子どもたちにも味わわせたいなあ。
静かな中で曲を味わいました。


http://www.dailymotion.com/video/x9vcuy_平原綾香-今-風の中で_music

Celtic Womanもいいですね。
「A New Journey」というアルバムに大好きな「Somewhere」を見つけました。
涙なしには聞けません。。。
一青窈さんの曲もすばらしいです。
今日は音楽に心揺さぶられる本当にすばらしい日です。

心にわき起こっている感動を書こうとするのだけれども、説明っぽくなってしまうのでやめましたsweat02

続・「手紙」

P1000634

今日は成人の日。
長年の習慣のせいか、なんとなく1月15日の方がしっくり来るのは私だけ?
必ずといっていいほど成人の日は荒れた天気だったような気がしますtyphoon
私は1年浪人したので成人式は大学1年の時。
でも、そういう儀式が嫌いだったのと親に反発していたのとで成人式には出ていません。
(ということはまだ成人になっていないってこと?)
あの頃は世の中すべてのことに反発していたような気がします。
自分でやってみて納得したことでなければ素直に受け入れることができなくて・・・。
世の中の慣習というものに反発。
権威というものに反発。
身近にあるものを傷つけ、壊してしまわないと気がすまないという感じでした。
(激しいでしょ?)
たとえあとになって自分が困ることになることがわかっていても反発せずにはいられなかったというか・・・。
今考えると、弱さの裏返し、弱い自分に反発するための荒れだったのかな。
(今も変わっていないかな?)
それにしても親や周りの大人にたくさん迷惑かけてきたなあ・・・。
そんな自分が教師をやっているから、また不思議です。
ふさわしくない人間、なってはいけない人間が教師をやっているのかもしれません。
そんな人間だからこそ伝えられることってあるかな?
かっこつけて説教しても柄に合わないし・・・。
あの頃の弱さ、つらさ、苦しさ、悩み、ダメだったところ・・・そんなことを今の子どもたちの気持ちなどと重ね合わせて隠さずに正直に伝えている日々です。

そんな成人の日。
「手紙」を聞いていました。
卒業式の全校合唱予定曲で、混声二部合唱に編曲するためです。
聞いているうちに昔の自分を思い出し、ついつい涙を流してしまいました。
「絶対にこの曲を卒業式でやりたい!」
この曲に出会ってからずっと抱いていた思いがさらに強くなりました。
中学校時代、目の前の子どもたちも揺れに揺れています。
本当に荒れた青春、というのがぴったりかな。
それを見るにつけ、昔の自分を思い出しているこの頃。
その子どもたちを放っておけない自分。
ついついストーカーのように近くに寄っている自分がいます。
だからこそ、この曲を子どもたちに贈りたいのです。
荒れた青春時代を過ごしてきた一人の人間からのメッセージとして。
CDの帯には次のような言葉が載っていました。

「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」は、私が10代の時に時に実際に書いた30歳の自分に宛てた手紙、つまり「未来の自分への手紙」から生まれました。
この曲の主人公は「15才の僕」と「大人になった僕」。
15才の僕が「負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうな・・・」と切実な気持ちを伝え、それに対して大人になった僕が「自分を信じて歩けばいい・・・」と語りかける。
時を超えて自分と自分がつながり、励まし合うという時間をつくりりたかったのです。
「今の自分、そして未来の自分、すべてを信じ続けて生きていくことによって、きっと幸せはつかめる。」というメッセージを歌にこめました。
今を懸命に生きている10代の人たち、そしてその時代を経験し乗り越えてきたすべての人たちに、この曲を届けたいと思います。
                            2008年 秋 アンジェラ・アキ

すばらしいメッセージだと思いませんか?
アンジェラ・アキさんが10代の時に書いた手紙。
もしかしたら、大人になったアンジェラ・アキさんがその手紙の返信を書くことによってできあがった詩なのかもしれません。
想像だけで書いたものとは違う力強さがあるからです。
だからこそ、これだけ10代の子どもたちの共感を呼んでいるのでしょう。
大人たちにとっても10代の頃の自分の気持ちを思いださせる曲だと思います。
2月末に発売されるアルバムには、「手紙」に関しての特典DVDがついてくるとか。
購入して子どもたちと一緒に見てみようかと考えています。
本当にすばらしい曲に出会えたと感謝しています。
そしてそれを卒業式でやれそうだというこの幸せ。

本当は15歳の自分の部分を女声。
大人になっての自分の部分を男声。
そして15歳の自分と大人になっての自分両方の声となる最後の部分。
そんな風に編曲したいと思うのですが、子どもたちは繰り返しを多くしてあげた方が覚えやすいようなので・・・。
やりたいこととやれることのバランスを考えているところです。

続・校種の違いから

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小学校勤務の経験しかない管理職によく言われたことを書きます。
若いときには結構熱くなって言い返した記憶が・・・coldsweats01
今では校種による違いの大きさがわかっているので冷静に受けとめて反論しています。
いろんな角度から意見をもらうことはすごく勉強になりますよ。
でも、相手の管理職にも受け入れる度量があったら意味のない言い合いにならないですむんだけどなあ(o^-^o)

①小学校の繰り返しはいらない
「中学校の勉強は小学校の学習を身につけた上に成り立っているはず。」
「どうして中学校に入学してから小学校の復習をやるのか?」
「中学校の部分からスタートさせれば時数も足りなくならないはず。」
そうは言うけど、小学校のつまずきを抱えたまま入学してくる子どもがけっこういるのも現実。
わからないまま中学校の勉強をスタートしても、最初からつまずいたままとなってしまう。
希望を持って中学校に入学してきたのに、最初から落ちこぼれてしまうなんてかわいそうです。
それを少しでも解消しようと、関係する小学校の内容を復習。
中学校に入学してきたからには中学校の役割となるのですから。
そうすると時数が厳しくなってしまう。
また、総合的な学習の時間にも次のようなことをよく言われます。
「小学校と同じ課題に取り組んでいる。」
「小学校で経験してきているのだから中学校ではさらに発展させることができるはず。」
段階的に成長できることに越したことはありません。
現実はなかなかそうはいかないものです。
小学校で一度取り組んだ課題であっても、中学校の視点で考えることができればそれでいいんじゃないかと思うのですが・・・。
それに小学校で身につけたことをもとに、中学校では自分たちの力でまとめることができるように育てているのですから。

管理職:小学校では責任を持って子どもに学力を身につけさせている。
私:習ったことを忘れてしまうこともあるだろうし、身についていないという現実もあるのですが・・・。
管理職:じゃあ身につけさせていない小学校のせいにするのか!
私:そうじゃなくて。そういう現実があるのだから、子どもがつまずいているところかスタートさせることも必要ですよね。

こんなやりとりをすることもあります。
お互いに責任を押っつけ合っていても何も解決になりません。
現実にそういう実態の子どもがいるのだから、その子どもたちが不利益を被らないようにしてあげるのがそれぞれの学校での役割だと思います。
時間がたつと身につけたことでも忘れてしまうことってありますものね。
その時はわかったつもりでいても、完全に自分のものとなっていないときだってあるし・・・。

②完成度の高さを目指していない
学校祭や卒業式などの行事関係でよく言われることです。
「もっと先生方が手を加えればよいものになるのに。」
「中学校の先生方は、現状に満足し、よいものを創りあげようとしていない。」
できあがったものが、大人たちから見るとつたないと思えることもあるでしょう。
でも、けっして手を抜いているわけではないのです。
教師側で準備を進め、自分のやりたいように子どもに指示を出して創りあげることほど楽なことはありません。
労力と時間はかかるけれども、教師の手で創りあげればかなり立派なものもできあがります。
それでも中学校では、あえて子ども自身で取り組む部分を多くしています。
自分たちの力で創りあげる喜びを知ってほしいからです。
そのことが社会に出たときに役に立つからです。
そのために、子ども自身の手で創りあげるその過程をより大事にしようと指導を工夫し、苦労を重ねています。
その過程はなかなか見えにくいものです。
発表の成果や結果で判断されていまいがちなのですが・・・。

③研修の時間が短い
「研修の回数が少ない。」
「研修の時間が短い。」
「研修内容がぼやけている。」
放課後の学級指導、生徒会指導、学校行事の取り組み、部活動・・・。
放課後にも子どもが残って活動しており、やることがびっちり。
勝手にやらせておくわけにもいかないですし・・・。
その合間をぬって職員会議や各種会議、研修が入ってきます。
いかに時間を生み出していくか・・・もう時間の取り合いです。
そんな中なのでどうしても回数や時間が短くなってしまいます。
そうして、教科担任制。
研修主題を立てて研修に取り組むものの、教科の独自性が優先されます。
全員が同じ教科を教え、その教科の指導方法について研究し合う。
小学校であれば可能なことですが、中学校では複数の教科担任がいない限り難しいことです。
同一の教科についての研修ではない、ということから内容がぼやけているように感じるのでしょう。
ちゃんと指導方法がどうであったのか、その結果子どもがどのように変容したのかといったことを検証しているのですが・・・。

小学校と中学校の違いってけっこう大きなものがあるんじゃないかな、と思います。
どちらがよいか、悪いかというものではありません。
それぞれの校種の違いを受けとめることが大切だと考えます。
今回は小学校しか経験のない管理職が中学校に来たときのことを書きました。
この逆で中学校しか知らない管理職が小学校へ行くとその違いに戸惑うこともあるでしょう。
自分の今までやってきたことに固執するのではなく、その校種ならではのものを受けとめる広さが必要ですね。
わからないものはわからないのですから・・・。
それまで経験してきた自己の論理だけで判断して批判するのではなく、謙虚に聞く耳を持ちたいものです。

校種の違いから

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久しぶりに元同僚と飲む機会がありましたbottle
今月は卒業生の同窓会もあり、そんな機会の多い月です。
声をかけてもらえることほどうれしいことはありません。
そういうつながりを大切にしていかなきゃ、と思う日々です。
長年の希望が叶って小学校に異動することができた元同僚。
小学校と中学校との違いがある会議で話題になり、その時からずっとそのことが頭の隅から消えることはありませんでした。
今回、話を聞いてなんとなく見えてきたような気がしています。
元同僚の悩みは次のようなものでした。
言葉に不適切な点や不愉快に感じる点がありましたらご容赦ください。

①教育実践の積み重ねが難しい
中学校から小学校へと異動し、右も左もわからない。
やること全て、目にするもの全てが新しいことばかり。
その日その日を何とかのりきっているものの振り返る時間がない。
先のこと先のことを考えて取り組んでいかないと日々の授業に困るから。
そんな中で恐ろしいのは、今の実践が来年度に使うことができないということ。
今年、5年生を担任して実践を積んだからといって、来年度もまた5年生を担任するということはまずあり得ない。
今年身につけた5年生担任としての実践が貯金として使えるのは数年後のこと。
その間に、また違う学年の実践を一から積まなければならないと考えるとちょっと気が重たくなる。
小学校専科と中学校であれば一度実践したことを繰り返し使うことができるので、2年目からはなんとか見通しももてるのだけれども・・・。

②もっと伸ばしてあげたい・・・
中学校に入学してきて、学習につまずきのある子どもをたくさん見てきた。
その姿を知っているだけに、中学校に行っても困らないようにしてあげたい。
せめてここまではわかるようになってほしい、と思って授業を進めるもののうまくいかない。
全員がわかるようになるまで教えようとすると時間がなくなる。
わかりやすく教えようと指導方法を工夫するものの、子どもがなかなかのってこない。
自分の力量のなさを痛感してしまう。
しかも指導するのはほぼ全ての教科。
自分の専門教科は何とかなるので、それ以外の教科の指導法を勉強してみたい。
中学校にいるときは全く考えなかったことだけれども、「こういう指導をしたら必ず子どもはこう変わる」というものがほしくなる気持ちがわかる。
そんな絶対的なものは存在しないのだけれども・・・。

③明確な像が求められる
中学校では最初は教師が手をかける部分が多くても、徐々に子どもたち自身に委ねていく部分を多くしていく。
大人から見るとつたないと思えるものでも、まずは子ども自身の手でつくりりあげようとしているところを成長と捉えて。
できるだけ、子どもたち自身に考えさせ、子どもたち自身の手で物事をつくりあげる機会を多くしようと。
小学校に来ても子どもたちの自立が大切と考え、同じ感覚で進めてみたが、保護者会で次のように言われた。
「ここまでできるようになってほしい、というものをはっきり伝えてほしい」
「こういうときはこうしなさい、とはっきり言ってほしい」
「あれはだめ、これはいい、と先生の方ではっきりと示してほしい」
子どもが迷わないように、子ども自身に考えさせるよりもはっきりと示すことを求められることが多い。
このことから、小学校で身につけた基礎の上に中学校の教育が成り立つんだろうな、ということがわかった。
小学校ではどういう教育をして、その上で中学校ではどう子どもを育てていくか。
小・中学校の連携と言うけれども、ここをちゃんと把握していないとうまくいかないと思う。
小学校に勤務しなければ全くわからなかったことなので。

④放課後に子どもとのつながりが少ない
放課後になると子どもたちが学校からいなくなってしまう。
中学校だと部活動があってほぼ全員が残っているような状況。
いろんな形で放課後に子どもと接する機会を持てていたように思う。
その分、小学校は研修に時間を割くことができる。
研修の内容が事細かで最初は戸惑ったけれども・・・。
また、放課後に時間があるから次の授業の準備ができるのだけれども・・・。

小学校と中学校を比較してどちらがいい、ということではありません。
小学校には小学校のやり方。
中学校には中学校のやり方というのがあります。
子どもの成長段階によって学校や教師の役割とかも違ってくるのは当然。
単純比較し、批判し合うのはおかしな話です。
自分の見ている世界のことだけで考えていると方向を誤ることってありますよね。
お互いの校種の違いを知ることによって、子どもへの接し方や日々の実践が変わってくるんじゃないかと思うのですが・・・。
校種の違いによる苦労はこんなものではないのかもしれませんが・・・。

雪の華

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通勤途中の松の木。
寒さのために真っ白になっていました。
雪は少ないけれども、冷えは結構なものですsnow
真っ白な花が咲いているようできれいでした。

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部活動が終わり帰宅途中の松の木。
太陽の光に照らされて朝とはまた違った表情となっていました。
朝は松の葉全体を氷が覆い尽くしている様子。
昼は松の葉の緑と氷の白との対比、それらが太陽の光に照り返される美しさがあります。
時間によって刻々と表情を変えていくので見ていて飽きることがありませんshine

なんと!
アクセス数が30000件を超えてしまいました!(・oノ)ノ
予想していた6倍もの速さです。
たくさんアクセスしていただきありがとうございます。
さんくす♪(o ̄∇ ̄)/

自らを否定する

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2009年9月18日。。。
まだまだ先のことと考えていた北海道音楽教育研究大会空知大会。
もうこんなに近くに迫っているとは・・・w(゚o゚)w
きっと同じ思いの方もたくさんいることでしょう。
これから研究授業に向けての取り組みも今まで以上に本格化してきます。
よりよいもの、より納得のいくものを創りあげるにはそれなりの苦労がつきものです。

時間をかけて考えたもの。
「これだ!」と自信を持って書き上げたもの。
苦労して創りあげたもの。


そういうものには愛着もわくし、なかなか捨てられないものです。
愛着があるからこそ、周りの人にちょっとした指摘を受けるとついつい意固地になってしまったり。
自信を持って創りあげたものであるからこそ、ほんのちょっとの指摘を受けただけで全てを否定されてしまったような気持ちになったり。
助言や指摘を素直に受け入れることができなかったり。
でも、残念ながら世の中に絶対というものはありません。
時間をかけて努力したもの。
最新の資料にあたってできあがったもの。
そういうものだからといって絶対的に正しいとは言えないのです。

あんなに努力したのに。
時間のない中あれだけ勉強したのに。
あんなに悩み抜いてようやく結論が出たのに。


気持ちはわかります。
だからといって固執していたのではよりよいもの、より納得のいくものはできあがりません。
方向性を見誤るばかりです。
泣く泣く自分の自信作でさえ切り捨てなければならないときもあるのです。
考えては書いて捨て、そしてまた考えては書いて捨て・・・。
その連続かもしれません。
大会の直前になってから全部やり直し、なんていうときもあります。
これまでの努力はなんだったんだ、とうちひしがれるときもあります。
挫折感、徒労感、不安が一気に襲ってきます。
ここであきらめてしまうと失敗したままです。
時間の許す限り粘ってみましょう!
発想を変えましょう!
たくさんの努力があったからこそ大会直前の最後の最後にいい方向が見えたのだ、と。
ぜひとも自分の創りあげたものを否定する勇気も持ち合わせて下さい!
よりよいもの、より納得のいくものを創りあげるときにはきれい事ではない、まさに血のにじむような努力も必要なときがあるのです。
よりよいもの、より納得のいくものを創りあげるために鬼になりましょう!
このことを「覚悟」というのかもしれません。
すべては子どもたちのため、自分自身のためなんですよ。
勘違いしないで下さいね。

「アルプス交響曲」

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浦臼の今の日の出は7時20分あたり。
夕張の山々から太陽が輝きを増していく様は圧巻です。
この3枚の写真もたった数秒の出来事ですfuji
部活動に行く前にちょっと粘ってみました。
いつか撮ってみたかった光景の一つです。

この写真を見て思い浮かべるのはR・シュトラウス作曲の「アルプス交響曲」。
最弱音と低音から音量と音高を徐々に上げ、最後に輝かしくトランペットが鳴り響く「日の出」を思い浮かべます。
ものすごく壮大な曲のように聞こえるんだけれども、実際はアルプスといってもそれほど高い山の部分ではないような気がしています。
散歩に出かけていけるような所なんじゃないかと。
だって、滝があったり、お花畑があったり、牧歌が聞こえてきたりするんだもの。
それに一日の様子を描いているということは一日で回れるコースなのだろうし。
確かに嵐にあって危険な目に遭ってはいるし、氷河とか危険な場所はあるみたいだけれども・・・think

1915年の2月8日に完成された22の標題がついている部分からなるこの曲。
一人の旅人が暁に山を登りはじめ、山頂で嵐に遭い、下山し、日没の時に山を去る場面をこの旅人のさすらいの心を通して描かれています。
4管編成のオーケストラ、テノール・チューバ、ヘッケルフォーン、ハープ、オルガン、風音器、雷音器、牧羊擬音、たくさんの打楽器群、舞台裏にはホルン12とトランペットとトロンボーン各2。
これだけスケールの大きな編成ですから壮大な感じがするのも当たり前ですよね!
R・シュトラウスの描写力がすばらしく、「日の出」の部分はどの子もちゃんと場面を聴き取るからすごいです。
どうしてそう感じたのか理由も述べやすいようです。
いろいろある演奏の中で私が一番聞くのは、小澤征爾指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

この写真には対があります。
輝かしい太陽の反対側には朝日を浴びる樺戸山。
燃えるようなピンクが印象的です(写真で伝わるかなあ・・・)。
太陽が山から顔を出すにつれて山の下の方も徐々にピンクに染まっていくのがわかりますか?
山から顔を出したとたん光の色もオレンジっぽく変化するんですよ!

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「明日萌」

NHK朝の連続ドラマ「すずらん」を知っていますか?
そのロケ地、沼田町にある恵比島地区。
数年前にかなりブームになり、海外からも観光客が来ていました。
以前ほどではないにせよまだまだ観光客が来ているようです。
私の他にもカメラを持っている方が数名いたし。
昔は、幌新温泉の奥にある淺野、昭和地区からの石炭を運び出すためにかなり賑わっていた町です。
今はその面影もありません。
私の友人の家もあったのですが、すでになくなっていました。
私が5才の頃まで人口が7000人近くいた淺野、昭和地区。
でも、国の石炭政策転換の影響で今は誰も住んでいません。
国の政策一つで町がなくなる、私にとって人ごとではないのです。
細い砂利道を通って昭和地区に行けるものの、そこにあるのは廃墟ばかりです。
淺野地区は大きな湖の底です。
そんな町が増えていくのでしょうか?

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留萌本線、恵比島(えびしま)駅の正面。
ロケに使われたので「明日萌(あしもい)駅」と表示されています。

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駅の横を通り、雪の積もっているホームと線路を渡って写してみました。
駅の窓に女の人が映っています。
よく見たら「すずらん」に登場する女の子の人形でしたcoldsweats01

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恵比島駅の正面にたたずむ恵比島神社。
雪深い階段を登り切ったところに神社があります。

続「自分で決める」

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前回は高校受験にかかわって「自分で決める」ということについて書きました。
この「自分で決める」ということは高校受験に限った話ではありません。
来年度の全道音研の研究授業の取り組みにも同じことが言えます。

研究授業で一番大切なことは・・・

自分が本当に一番やりたいことはなんなのか?

ということです。
指導書や指導事例を見て、「おもしろそう!私もやってみたい」と思うこともあるでしょう。
学習指導要領や雑誌を読んで、「これをやらないと新しい流れについて行けないみたい」と思うこともあるでしょう。
「今までやったことがないから・・・チャレンジしてみたい」と思うこともあるでしょう。
「条件から考えるとやれることはこれかな・・・」とおもうこともあるでしょう。
でも、もう一度自分に問うてみてください。

本当に自分のやりたいことと一致している?

授業者は常にこれを問い続けてください。
共同研究のメンバーも毎回ここを確認し合ってください。
話し合いに行き詰まったら必ずこの原点に立ち戻ってください。
これがはっきりしないまま研究を進めても、必ずどこかでズレが生じます。
迷いが生じ、グループ研究を開くごとにやりたいことが変わっていくという最悪の事態を招くことも。
そんな状態で自分をごまかし、指導案を書き進めていっても、目標や題材感、本時案に統一性を望むことなんてできません。
何を言いたいのかわからない指導案、授業と指導案が遠くかけ離れた実践となることでしょう。
仮に立派なものが完成したとしても、「これがやりたかったことかなあ?」という不満足感ばかりが残るという結果も・・・。
自分が納得していない指導案なのですから、共同研究を進めているグループのメンバーにも思いは伝わりません。
当然、当日の参観者の方々にも伝わるわけがありません。
せっかくたくさんの時間と労力をかけて仕上げたものなのに、説得力や熱意の欠けたものとなり、記憶に残るのは無力感ばかり。
それではなんのために研究授業に取り組んだのかわからなくなってしまいます。

「目の前の子どもたちにこれを身につけさせたい!」
「やるなら絶対にこの授業でなきゃだめ!」
こういう強い思いがないと研究の厳しさに耐えていくことはできません。
周りの人を説得することもできません。
助言をもらっているうちに自分の思いがぶれていってしまいます。
「これをやれというからやったのに・・・」
「あの人の助言を聞いて取り組んだのに・・・」
「みんなが期待していると思ったから、この内容でやってみたのに・・・」
何をやりたいのかがはっきりしていないと、うまくいかなかった時に周りの人のせいにして逃げてしまったりもします。
研究授業に取り組み、公開するのは授業者本人です。
周りの者が代わって授業を公開することはできません。
だからこそ、授業者本人が「自分で決めた!」という思いや覚悟を持つことが大切なのです。
そして、授業者本人が決めたことについて、その思いを達成できるようにいろんな角度から助言をして支えていくのが研究グループのメンバーなのです。
授業者本人のやりたいことがはっきりしていればいるほど、具体的な助言や支えを引き出すことが可能です。
「なにがなんでもこれをやる」というものをしっかりと決めて下さい。

先のことは誰にもわかりません。
わからないからこそ不安になるし、悩むのだと思います。
やるからにはある程度の覚悟が必要。
だからこそ、自分の思いを伝え、周りの意見を聴き、自分も周りの人たちも納得のできるものを選択していくことが大切なのでしょう。
たとえどの道を選んだにしても、自分のやりたいことや思いが生かされているということが支えとなるはずです。
自分のやりたいことをはっきりとさせ(自分で決める)、自分のやりたいことを伝えていく(覚悟を決める)こと。
厳しいかもしれませんが、自分自身のために、目の前の子どもたちのために、残り少ない時間に自分の思いをのせていきましょう。

うまくまとめきれなくなってしまいました・・・スイマセンsweat02

「自分で決める」

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個人調査書の作成。
休み明けからの進路指導計画の作成。
面接練習の計画。
中には三者懇談での結論が休み明け、という子どももいるかもしれません。
中学校3年生の担任をしている方はこの時期、忙しい思いをしていることでしょう。
その意味で、中学校3年生の担任はやりがいがありますよね!
私も、進路選択にまつわるエピソードには事欠きません。

生徒:「先生、志望校に入れるかな?」
私:「こればっかりは絶対とは言えないんだよなあ。例年だとちょっと厳しいかも」
生徒:「落ちるからやめた方がいいってことですか?」
私:「私の方からは受けるなとか、受けろ、とかは言えないよ。」
生徒:「先生、どうしたらいいかな?」
私:「絶対その高校に入りたいので、落ちてもいいからチャレンジするのか。それとも、自信がないから確実に入れそうな高校を受験するのか。それから、入ったあとにその高校の勉強について行けるかどうかも考えなくてはいけないしね。私は考えられる状況を教えることしかできないんだよ。それらを考え合わせた上で自分で決めなくちゃいけないよ。」

こういう私の態度を見て「冷たい。子どもを応援する気持ちはないのか。」という保護者もいます。
「先生がもう一押ししてくれたらうちの子はがんばれると思う」、こんなことを言う保護者もいます。
一押ししたり、応援しただけで高校受験が決まるのならいくらでもそうします。
一押ししたり、応援したりする気持ちは十分に持ってはいるのです。
ただ、高校受験はけっこう厳しいもの。
入学した後も迷い続ける事態を招いてしまうことも。
「なにがなんでもここの高校を受験する!」とその生徒自身が覚悟を決めないと乗りきることなんてできません。
かわいそうだと思いつつも、覚悟ができるまではひたすら待つしかありません。
「先生が受けろと言ったから」
「先生が止めてくれなかったから落ちた」
「親が行けといったから」
「よく考えたらあっちの高校の方が自分に向いていたような気がする」
生徒自身の覚悟がないままだと途中で迷いが生じたり、何かあったときに人のせいにしてしまいます。
人のせいにして逃げていてもなんの解決にもなりませんよね。
一度逃げてしまうといつまでも逃げてしまうことにもなるし・・・。
生徒が覚悟を決めた時に初めて「私も応援するからね」と伝えるようにしています。
それまではひたすら考えられる状況を伝えていきます。
「こうなったときはどうする?」と。

「自分で決める」
「覚悟を決める」
簡単そうで実は難しいことです。
決めることができないから悩むのだろうし、決めた道が本当によいものなのかどうかを考えると不安にもなります。
「この道に進めば安心!」なんてものはあり得ません。
先のことなんて誰にもわからないことなのですから。
失敗したと思ったことが後で考えると成功につながっていたり、その逆のことも結構あります。
でも、どの道を選んだにせよ、最終的に責任を取るのは生徒自身です。
誰も代わってあげることはできないし、いつまでも救ってあげることもできません。
自分の選んだ道を自分の力で切り拓いていくしかないのです。
ただし!
その時に周りの人たちの意見を聞いた上で判断することが大切。
自分だけで判断していると、思い込みから判断を誤ってしまうことがあるからです。
自分だけでは見えなかったことやわからなかったことも周りの意見を聞くことによって解決することはたくさんあります。
いろんな人たちの話を聞いた上で、自分を含め、周りの人たちにも納得してもらう努力をしてこそ、「自分で決めた」と言えるのでしょう。

2009年のはじまり

2009年を無事に迎えることができました。
穏やかな新年で道路も乾ききり、移動がかなり楽です。
こんな穏やかな新年はあまり記憶がないのですが・・・。
ちなみに2009年の1月1日は「うるう秒」ということでいつもの年より1秒長い一日となるようです。

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「ゆく年くる年」で紹介された私の生まれ故郷、沼田町の沼田神社です。
2分30秒ばかりの放映とはいえ全国に中継されたせいでしょうか。
1月1日の15時にお参りしたのに結構な人がいました。
ちなみに私は森進一の「おふくろさん」あたりで酔いつぶれてしまいましたが・・・bottle
気がついたら新年の朝、元旦となっていました(^-^;
まあ、毎年のことなんですが。。。

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実家の裏にひっそりとたたずむ「弁財天」。
七福神の一人で女性の神様であり、なんと音楽の神様でもあります。
ちょうど私がピアノを習い始めたときにここの地区に引っ越してきました。
最初はなんの神様か知らなかったのですが・・・。
知ったときには、不思議な縁を感じました。
一階部分が濃い茶色で、二階部分がクリーム色の家が私の実家です。
豪雪地帯なのに今年はこんなに雪が少ないです。

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フクロウの置物とカイ。
今年1年、みなさんにとっても福の多い年でありますように!

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