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音符カーソル

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2009年6月の24件の記事

受け継がれる思い

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だんだんと近づいてくる北海道音楽教育研究大会空知大会。
近づくにつれ、グループ研修の回数が増えていく。
びっしりと埋められた予定とにらめっこしながら次のグループ研修の計画。
本当に頭の下がる思いでいっぱいに。
「できる人たちでやったらいい。」
「やれる人たちが集まればいい。」
その人たちからはこんな人任せの声が聞こえてこない。
子どもたちや職場に迷惑がかかるからと、夕方に集まったり。
土曜日も日曜日も関係なく集まる。
人のため?
それもあるけど、自分に返ってくるのがわかっているから。
当事者として参加することにより、自分が変わる大きな機会となる。
そして、自分もそうしてもらったから。
一緒に勉強し、支えてもらったから。
助けてもらうときだけ甘えていたのでは人とのつながりはできない。

私一人がここに至るつながりを考えても膨大で複雑な出会いに。
いろんな方々との出会いがあって今の自分がある。
自分自身が変わりたくて必死について行った山本徹淨さん。
自分から道を拓いていかないと何も変わらないことを学んだ。
「これだ!」と思った出会いを手放さないように努力する大切さも。
同じ地点に立ちたくて必死に本を読み、考えを聞かせていただいた。
きっと私と同じ思いを持っている方もいるはず。
その山本徹淨さんもきっといろんな方々との出会いがあったはず。
その中で得たものを、次の世代である私たちに伝えてくれた。
それがつながりと出会い。
ただ、私は自分の色がない地味な人間。
つなぐことを考え、一生懸命に橋渡し。
それが自分の役割。
目立つためにやっていることではなく。

今回の研究では、前回の大会で苦労した方々、そして前回から今回の間に出会った方々の活躍が目立つ。
苦労を重ねた人は人に優しい。
苦労というよりは修羅場。
その時の自分の気持ちを振り返り、相手の立場になって考える。
必要で的確な助言と手助けの数々。
苦労話を自慢話にする人はいない。
同じ気持ちになれるからなんだろうなあ。

きっと今回の研究大会で出会った方々は次の大会の時に力になってくれるはず。
自分が動くことによってまわりに感じて動いてくれる方が必ず出てくる。
また、そうできる方が本当に信頼できる。
何か一本のまっすぐな径がずっと続いていく感じがする。
人とのつながりはこうやって続いていく。
その径には道路だけがあるのではない。
木や空や様々な景色が一体となっている径。
その中の一本の木になることができるようにあと16年頑張ってみようかな。
自分の仕事が一番遅れて迷惑をかけているけれども、そんなことを考えています。

夏がやってきた!

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連日の真夏日sun
Tシャツにサンダルfoot
そして、ビールのうまいこと、うまいことbeer
空を見上げると、真っ青な青空にムクムクとした雲。
夏が来た!

「やっぱり夏はTUBE!」。
という人は私と同年代?
なぜか車にCDを積んで聞いてしまうし。。。
大黒摩季さんの「夏が来る」も衝撃的でいまだに忘れられない。

でも、やっぱりマーラーの交響曲第3番も頭に浮かぶ。
あの長い長い第1楽章。
ムクムクと雲がわき上がってくるように迫ってくる感じが夏なんだなあ。
「牧神(パン)が目覚める
 夏が行進してくる」
と作曲者自身が名付けた楽章。
もともとは違う標題がついていたみたいだけれども、今の標題がピッタリ。
全6楽章からなり、かつては最長の交響曲ということでギネスブックにも記載されていた曲。
それぞれの季節にあった曲があるけれども、私にとってこの曲は夏そのもの。
「愛が私に語ること」と題された、6楽章がまたいいんだよなあ。
ということで仕事が一段落したあとに、ブーレーズ指揮のウィーン・フィルの演奏で聞くつもりです。

マーラーに関してもう一つ。
最近10人の作家による「夢十夜」という本を寝る前に読む。
おもしろくて一気に全部読まないようにセーブしながら。
その影響からか、マーラーの交響曲第10番の第1楽章のコーダ部分が夢にshock
あのケン・ラッセル監督の「マーラー」という映画の冒頭で使われていた部分。

湖を背景とした小屋が写っている。
静寂の中で徐々にアップになる小屋。
その小屋に集中していると・・・
突然、鳴り響くオーケストラの大音量。
それとともに小屋から火が出てあっという間に小屋を覆い尽くす。

静寂を突き破って鳴らされるこの部分。
大音量のクラスターの響きの中から浮かび上がるA音のトランペット。
妻のアルマを表している音。
そこにまとわりつく彼岸の響き。
生きようともがき苦しむような音楽。
その世界に一歩足を踏み入れた者にしか表現できないような音がする。
このシーンを初めて見た時には思わずぞっとした。
その怖さは何回見ても変わらない。
もしかしたら、歳を重ねてさらに怖さが増しているような気も。
下手なホラー映画よりも衝撃的。
それが夢に出てくるんだもの。
汗をかくよなあ。。。
寝苦しい暑い夜のせいかな?

たくさんの応援

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真夏の暑さの「夕やけ市」。
暑さにつられてたくさんの人で賑わう。
そのお祭りで和太鼓とよさこいを披露する児童。
保護者や地域の人たちが開演前からズラリ。
演奏と演技が始まると、道行く人たちが立ち止まる。
音につられてどんどん人が増えていく。
全校児童21名の学校。
運動会でも披露したけれども、今回はそれ以上の人たちの前での演奏と演技。
これだけたくさんの人たちを前にして萎縮するかと思いきや、実にのびのび。
教育目標の今年度重点、「たくましさ」が育ちつつある。
堂々の演奏と演技に何か熱いものがこみ上げてくる。
今回は、運動会とは違うショートバージョンでの披露。
もっと長く、もしくはアンコールがあってもいいくらいだよなあ。
会場にもそんな雰囲気が。。。
時間の都合で仕方ないけれども。
充実した顔でお祭りに向かう子どもたちの姿が印象的でした。
本務外にもかかわらず、職員全員が参加。
地域の人たちもこのことをちゃんと評価している。
私は本当にそういう学校で勤務する機会に恵まれている。
ありがとう!
ありがとう!

「北のにぎわい」

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6月27日(土)。
長沼町の「夕やけ市」に参加。
時間は18時。
演目は・・・
和太鼓演奏「北のにぎわい」。
そして、「よさこい」。
1回だけの演技となります。
有名な電気屋さんの、あの「おでん」もあります。
ぜひぜひ、時間があったら子どもたちに声援を!

どっこいしょ!

どっこいしょ!

ソーラン♪

ソーラン♪

毎日会議の連続。
議案書をつくり、印刷して会議。
明日でその毎日も一段落。
明日は書けそうもないので、今日紹介しました。

授業から感じ取る

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9月18日の北海道音楽教育研究大会空知大会まであと2ヶ月。
それに向けて事前の研究授業、「プレ研」が行われている。
5月は豊中学校の末松教諭。
そして、今日6月25日。
光陵中学校の斎藤教諭は中学校1年生sw。
日の出小学校の平田教諭は小学校4年生で。
南小学校の山﨑教諭は小学校2年生で。
一気に3名のプレ研。
3つ連続?
焦点がぼやけない?
当初は心配する声もあった。
ところが!
3つ続けて見ることによって学びの連続性が見えてきた。

それにしても、小学校の先生方のていねいさ!
子どもたちの発言にちゃんと耳を傾ける。
曖昧にしたり、いい加減な対応はなし。
真剣な受け止めがあるから、真剣に子どもたちも応えようとする。
子どもたちは専門用語を使えるわけではない。
子どもたちなりの言葉で感じたことや気付いたことを伝えていく。
それを音楽の諸要素の言葉に言い換え、伝えていく技術の巧みさ。
そして、何度も繰り返していくうちに子どもたちも自然と音楽の諸要素の言葉を使えるようになっている。
難しい話は一切なし。
あくまでも楽しい活動を通して学習内容が達成されている。
「たくさんの人に見てもらって楽しかった」
「音楽の時間がたくさんあってもいいのに」
授業後にこんな言葉を発する子どもたち!
すごいなあ。
こんなすごい人たちがまだまだ空知にはいるんだなあ。

空知音連のいいところは小学校と中学校の両方の研究に携われること。
小学校低学年の子どもたちに対する指導。
小学校中学年に対する指導。
中学校の各学年に対する指導。
同じことを伝えるにしても、発問や指示の仕方が全く異なる。
小学校の先生は中学校の先生から学ぶことができるし、中学校の先生は小学校の先生から学ぶことができる。
小学校と中学校の連携が自然とできている。
今回4つの授業を見ることができた先生は幸せ。
刺激的な授業ばかりだったから・・・。
自分は小学校の教師だから小学校の授業だけ、中学校の教師だから中学校の授業だけ。
これほどもったいないことはない。
違う校種から学ぶことってたくさんある。
感じ取る目、耳、心を持とう!
感性を育む教科の教師だもの。
「我以外皆師」くらいの姿勢で!

通うのが大変。
補欠を頼むが大変。
仕事がたまるから大変。
いろんな事情があって、忙しい思いをしながら参加されている方々ばかりでしょう。
「この音連研究会だけは絶対に出なきゃならないんです!」
そう強く言って参加している人も。
「ふ~ん、そんなに重要なんだ」と真剣にとらえてくれるとのこと。
その代わりに、出してもらうからにはそれ以外のところで挽回しているのだと思う。
意外に、「職場のみんなに悪いから今回は・・・」と言うと、「なんだ簡単にずらすことができるものなんだ」と軽く見られることもあるようで。。。
優先させなきゃならない学校事情は必ずあるから一概にはなんとも言えないけれども。

せっかく参加するなら当事者として。
参加しているだけでも財産は残る。
でも、それだけだと人のやってきたものを客観的に眺めているだけ。
自分のものになったとはいえない。
何かを身につける時ってそんな簡単にはいかないもの。
苦労しただけの大きな財産はしっかり残る。
やった者にしか残らない財産。
苦労というよりも修羅場に近い取り組みなのだから。

子どもへの手紙

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校舎を見回っていると教室横の黒板に書かれた文字を発見。
会議で留守にする担任が、児童に向けて書いた手紙。

いない間に何を勉強するのか。
お世話になる先生は誰か。
勉強のポイントは何か。
生活の目標は何か。
担任のいない間、どんなふうに過ごしてほしいか。

二日分、しっかりと書かれている。
普段から子どもたちをよく見ていないと書けないよなあ。
そして、似顔絵とともに次の言葉も。

「担任のいないときにこそみんなの力が試されます。
 学習に生活に自覚を持って取り組もう!」

子どもたちへの信頼が伝わってくる。
こういう担任と毎日接している子どもたちだもの、やっぱり心豊かに育つよなあ。
担任が語りかけるから子どもたちがそれに応える。

「こんなにすばらしい先生はいないよ!
 いい先生と出会ったね。」

担任の替わりに行った朝の会。
でそう伝えると、満面の笑顔で

「そうでしょ!」

と答える子どもたち。
日常の担任とのつながりが伝わってくる。

かっこいい言葉なんていらない。
美辞麗句をならべたからといって、それが心に伝わる言葉とは限らない。
子どもたちは、外見の美しさに感動するのではない。
本当にその人の心からの言葉か。
発している人間がそれを述べるのにふさわしい人間か。
普段の生き方があってこその言葉。
毎日毎日どう子どもたちと向き合ってきたか。
日常の積み重ねがあっての信頼関係。
べつに熱く語らなくたっていい。
意外に教師だけが自己満足し、自分の言葉に酔っているだけだったりする。
本当に子どもたちを思っての言葉か。
いつも子どもたちの話に耳を傾けているか?
受けとめがあって初めて信頼が生まれる。
人の話は聞かないで、自分の言葉だけ聞いて欲しいと思ってもそれでは道理が通らない。
一見地味。
誰でもできそうな取り組み。
でも、その中に子どもたちの心に訴えるものがたくさんつまっている。
目立つことがすばらしいわけではない。
地味だからといって力がないわけではない。

こういう人がもっと評価されるようになって欲しいなあ。

「脳から変えるダメな自分」

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日曜日に買った本。
写真を見て「あれっ?」と思った方もいるはず。
そう、なぜか「1Q84」は第2巻のみ。
行った本屋さんには、これしかなかったのですweep
レコード芸術7月号と手塚治虫さんの「ばるぼら」、そして「1Q84」を買いに行ったのに。
お目当ての本はまったく見つからず。。。
まあ、1巻もそのうち手に入るからいいや。
別に作者のファンというわけではありません。

これだけ評判となり、売れてる本ってどんなもの?
ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が出てくるらしい。

ただ、それだけの理由で買った本。
1巻がそろう前に2巻を読んでしまおうかという誘惑と闘っていますcoldsweats01
そんな読み方もおもしろいかも・・・と。

お目当ての本が見つからず、ちょっといじけながらぐるぐると本屋の中を歩く。
ふと気になるものが3冊。

「夢十夜」
あの夏目漱石が同名の小品を書いてから100年。
十人の作家がそれぞれ担当して書いています。
あの名文句、「こんな夢を見た」で始まります!

「ロマン派の交響曲」
指揮者の金聖響さんの書いた本。
現役の指揮者の視点で書かれていて興味深いです。
前作の「ベートヴェンの交響曲」がおもしろかったので。

「脳から変えるダメな自分」
あの「脳が冴える15の習慣」の著者である築山節さんが書いた本。
最近自信をなくしていただけに、この本との出会いは衝撃的でした。
斜め読みしかしていないけれども、まだまだ自分はやれるのだという気持ちに。
生活の仕方も心がけも間違っていなかったみたい。
買うつもりのなかった本なのだけれども、買ってきてよかったです。

出会いと巡り合わせって不思議ですね。
お目当ての本に出会っていたらこの3冊とは出会わなかったのですから。
これも何かの運命なのでしょう。
本の内容は紹介しません。
興味を持った方は書店でぱらぱらとめくってみてください。
もし、気になるところがあったら読んでみてください。
いつもと違う出会いがあるかもしれません。
同じ感想を持つ方はいるかな?

リコーダーの指導

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担任の先生が会議のため、補欠に。
1時間だけ音楽の時間。
今回は小学校3年生と4年生。
待っている児童は4人。
頼まれたのはリコーダの指導。
今回は同内容の指導で3年生の教科書。

まずは「かっこう」。
「C(ド)-A(ラ)」の下降する3度の音程でカッコウの鳴き声を模している曲。
まずは、「かっこう」と鳴き声のする部分のみをリコーダーで。
でもなんとなく歯切れが悪い。
ていねいに吹こうとするあまり、やさしすぎるタンギングに。
そこで、吹き口だけを取り出してもらう。
指を出し入れして音程を変え、みんなで「カッコウ大会」。
「誰のカッコウが遠くまではっきり聞こえるかな?」
案の定、思いっきり息を吹き込む子どもたち。
思いっきり吹くと自分たちが想像していたものとはほど遠く、音が割れて遠くまで届かない。
つばが水しぶきのように飛ぶし。。。wobbly
見本を示しながら試しているうちにコツをつかんでくる。
喜んで試しているうちにだんだんタンギングがはっきりしてくる。
それができるようになってから、指使いを確認して「C-A」で吹かせる。
今度は森にこだまする「カッコウ」になった。

次は「月の光に」。
小学校3年生の児童はリコーダーの経験が浅く、楽譜通りに吹くだけで精一杯。
とにかく親指が離れてしまう。
今回は補助器をつけて吹かせることに。
4年生の子どもたちは1年間の積み重ねがあるのでスラスラ。
ある意味、物足りなさそうconfident
1年の差って大きいなあ。。。
そこで、4年生には別な課題に取り組んでもらうことに。
「曲名には<月の光に>ってあるけれども、月の光のどんな情景にしたい?」
「その情景に合うように自分なりに演奏を工夫してみよう」
子守歌の歌詞の内容からちょっと離れさせることに。
すると・・・
「先生、速さを変えてもいいの?」
「音の強さも変えていい?」
「やさしい感じにしたいんだけれども、どうやって吹いたらいいかな?」
「踊っているような感じにしたいなあ」
「音符を変えたいんだけど・・・」
次から次へとこんな言葉が出てくる。
「音符」と発言した子どもの話を聞いていくと、それは「リズム」を指していることが判明。
つまり、「リズムを変えて演奏したい」のだとか。
すごい発想だなあ。
「悲しい旋律にしたい」という声も出てきたけれども、調にかかわることなので違う機会に取り組むことに。
4年生の疑問に答えながら、小学校3年生の技術指導。
何とか4小節吹くことができるようになる。
そして発表会。
「どんな月の光りにしたいのか」を説明してもらってから演奏してもらう。
「速さを工夫したんだね」
「音の感じを変えたんだね。これを音の色って書いて音色っていうんだよ」
「強弱を工夫したんだ」
「リズムを変えてみたんだね」
というように音楽の諸要素の言葉で評価。
一回ではわからないかもしれないけれども、何回か使っているうちにわかってくれるんじゃないかな。
最後はまとめ。
小学校3年生の子どもが一番最初に吹く。
その後に4年生3人がそれぞれ工夫した演奏でつないでいくことに。
演奏する順番がポイント。
「だんだん速くなる順番にして、お月様がだんだんうれしくなる様子にしたら?」
「リズムを変えて終わると最初の旋律がわからなくなるから、最後に元の旋律を演奏したらどうかな?」
ちゃんと根拠があって、いろいろなアイディアが出てくる。
これって少人数だからできることなのかもしれないけど。
たくさんの人数だったらこうはいかないかな?
4人しかいないのに、目を離したらかくれんぼしていたし(笑)。

心遣い

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会議で一日不在の担任。
「明日は○○先生来るよね?」
「きっと大変な会議なんだよ。」
「疲れてるんじゃないかな。」
口々に担任の先生を心配する子どもたち。
「教頭先生、黒板に手紙を書いていい?」
そんなことを言う子どもたち。
ちゃんと担任と子どもたちとがつながっている。
それを確認できた一日でした。
黒板には・・・
「おかえりなさい」
「会議おつかれさま!」
この言葉を読んだ担任はどう思うのかな?
きっと優しい気持ちになるんじゃないかな。

そして。。。
職員室が、ここ二日は退勤が早い。
「みんな忙しいのかな?」
と口にすると
「教頭先生の体調が思わしくないから心配してるんですよ」
との言葉。
つまり、カゼをひいて体調が悪い私を気遣っての行動ということ。
そんな雰囲気を私に見せることもなく。
でも、ちゃんと申し合わせて。
そんな心遣いがありがたいです。
こんな職員と共に生活しているもの、子どもたちもやさしくなるよなあ。
おかげで私もだいぶ体調が戻りました。

つながり

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運動会前から徐々に腰の痛みが強くなる。
何とかなるだろうと安易に考えていたら・・・。
運動会が終わった次の日の夜。
腰が痛くて眠れない。
寝返りをうとうものなら痛みが電流のように走る。
おかげでほとんど眠ることができず。
朝、起きようとするとすっと起き上がれない。
靴下をはこうにも腰が曲がらず。
顔も当然洗えない。
トイレでは、お尻に手を回すのに悪戦苦闘。
これはまずい・・・。

そこで、買い物の時に見かけた整体医院へ。
そこしか知らなかったので。
もう、藁をもつかむ思い。
さっそく治療が始まる。

「こりゃひどいですよ!
 ほっといたら歩けなくなるところです。
 一回で治せないので五回ほど通ってください。」
保険のきく治療院なのでホットはしたけど。。。
5回かあ・・・。

治療の合間にいろいろと話をする。
「先生ですか。
 4月にこちらに?
 どこから来たんですか?」

前にいた町の名前を告げると
「あれ?
 ○○さんを知りませんか?
 同じ町の出身だし、先生に教わっていると思いますよ。」

何で知っているんだろう?
「うちの本院で働いているんですよ。
 ちょっと前まではここにも来てましたよ。
 いい子ですよ。
 お客さんの評判もすごくいいし。」

そうか、ここで働いていたんだ。
整体師になるための勉強をしているのは知っていた。
でも、偶然入ったその治療院でお世話になっているとは。
なんとも不思議。
どこでどんな出会いがあるかわからないものですね。
あの子ならお客さんの受けもいいだろうなあ。
すらりとして、バレーをしていたっけ。
ピアノもうまかったなあ。
顔や声も浮かんでくる。
それにしても、いろんなところで過去に教えた子どもと会うなあ。
幸せなことだけど、何で?
そんなときに次の一言。

「今度、先生の担当にしましょうか?」
この言葉を聞いたとたんに体が凍りつく。

実は・・・過去に忌まわしき思い出が。
ナースになった子どもの世話になったことがあり。。。
腰とお尻に注射をするのに、上から覆い被さるように押さえつけられ・・・。
当然、パンツもおろされ。。。
「何考えてるんだ!やめろ!」
と叫ぶと
「仕事ですから!
 先生の方こそ何を恥ずかしがっているんですか!」
と一喝。
あれ以来その病院に行くのはやめた。

今回はそんなことになりませんように。
でも、あの院長なら何か仕組みそうな予感。。。
ということで腰痛と風邪と闘っている最中です。

瀧廉太郎を讃えて

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末松教諭のプレ研の教材は瀧廉太郎作曲の「花」。
瀧廉太郎の生きた時代は、それまでの日本古来の音楽の鳴り響く時代。
輸入したばかりの西洋音楽は芽生えたばかり。
今とは全く逆の世の中。
和洋折衷とし代表的なのがあの「チンドン屋(使ってはいけない言葉だったかな?)」の響きかな。
そんなこともあってか、授業で指導する際には文化的側面からのアプローチが多くなる。
でも、それだけで終わらせるにはもったいない。
23歳の短い生涯の中でどれだけすばらしい音楽をつくったのか、もっと知られても言いように思う。
無伴奏、4声部の重唱もしくは合唱のための「別れの歌」。
ソプラノ独唱で始められる3声部の重唱曲「水のゆくへ」。
独唱曲「荒磯の波」。
そしてピアノ曲「憾(うらみ)」。
最晩年のこの4曲は自らの死と対峙することによって生まれた悲痛な響きの曲。
もっともっと聞かれてもよいように思う。
ピアノ曲「憾」は映画にもなった「わが愛の譜」という本の中で中心的に扱われた曲。
高校時代から知っている曲であったけれども、この本のおかげでこの曲にまつわる様々な背景を知ることができた。
「西洋の人々は、長い伝統の中にいるからこそ、楽譜を大事にしていない。」
こう批判していた瀧廉太郎。
西洋の伝統に押しつぶされそうになりながらも、日本人だからこそ見えていたものもあったに違いない。
その瀧廉太郎の面目躍如なる例を3点紹介したい。

1 「花」のコーダにおける諸記号の扱い
  3番の一番最後、「ながめを何にたとうべき」。
  ここには様々な記号がつけられている。
  特に、「ながめを何に」の「に」につけられているフェルマータ。
  ここの部分を、「ながめ」からフェルマータに向かってリタルダ
  ンドする演奏が多い。
  でも、ここに瀧廉太郎はリタルダンドを書き入れていない。
  リタルダンドがつけられているのは「たとうべき」から。
  ということは、「ながめを何に」の部分はフェルマータに向かっ
  て音楽の勢いを失ってはならないのではないだろうか?
  勢いを保って「ながめを何に」を歌い、「に」のフェルマータの
  部分で音楽の動きを止める(フェルマータの本来の意味は
  「動きを止める」なので)。
  そのあと、「たとうべき」の部分を本来のテンポで歌い出してか
  らリタルダンドをかけていく。
  いろんな解釈があってしかるべきだけれども・・・。

2 「荒城の月」のシャープ
  1番の「花の宴」の「え」。
  2番の「霜の色」の「い」。
  3番の「夜半の月」の「つ」。
  4番の「かわらねど」の「ね」。
  ここは有名な論争の部分。
  本来、瀧廉太郎はこの部分に半音音を上げる臨時記号のシ
  ャープをつけて作曲した。
  それに対し、後の山田耕筰が「西洋くささから脱しきれていな
  い」と評して、編曲する際にシャープを削除した部分。
  もともとこの曲は無伴奏8小節の曲、8分音符を基調として書
  かれていた。
  それを山田耕筰が4分音符を基調にピアノ伴奏つきの独唱
  曲に編曲。
  瀧廉太郎にもピアノ伴奏があったと伝えられている者の、それ
  は行方不明。
  山田耕筰の見事な編曲によって一層有名になった「荒城の月」。
  でも、「え」「い」「つ」「ね」の部分のシャープについてはどうかな
  あ・・・。
  山田耕筰の編曲は日本らしくて見事。
  ただし、シャープによって生じていた語感がなくなってしまった。
  きっと、瀧廉太郎はこのシャープに対してしてかなりの思いをこ
  めたのではないだろうか?
  この部分をシャープにすることにより「宴」「色」「月」という言葉
  が現実に目の前に見えているものとして浮き立たたせている
  効果をねらっているのではないか?
  しかも、はかなさまでも表現しているような・・・。
  私は、シャープのある方を評価したいのだけれども。

3 「憾」冒頭の強弱記号とコーダのオクターブ記号について
  瀧廉太郎の白鳥の歌であるピアノ曲「憾」。
  「憾」とは「残念に思うこと、心残り」という意味。
  23歳で生涯を閉じざるを得なかった瀧廉太郎の思いはいかば
  かりのものであったか。
  一般に普及されている楽譜の冒頭の強弱記号はメゾ・フォル
  テ。
  これだと瀧廉太郎の思いは伝わってこない。
  そう思って勝手にフォルテに変えて演奏していた。
  ところが!
  この曲に最終稿なるものが存在することを知り、その楽譜を
  見てびっくり。
  曲の冒頭にはしっかりと瀧廉太郎の手で「フォルテ」と書かれ
  ている。
  自分の最後の曲ということで推敲に推敲を重ねたにちがい
  ない。
  そして、最後のコーダの左手オクターブ記号。
  途中でオクターブ下げて演奏するようになっている。
  それだと劇的な効果が得られない。
  この部分も、勝手に右手に合わせて上昇するように演奏して
  いた。
  実はこの部分も最終稿なるものでは上昇するように指示して
  ある。
  う~む。。。
  最終稿での出版はできないのか?

じっくりじっくり時間をかけて書きたかったこの記事。
ようやく書き上げることができてホッとしています。
瀧廉太郎への思いを書きたかったのです。
もっともっと評価されてしかるべきなのに。
単なる教養として扱われるのではなくて。
ぜひ、岩波新書から出版されている「瀧廉太郎~夭折の響き~」(海老澤敏著)を読んでみてください。
価値観が変わると思います。

ちなみに、あの筑紫哲也さんとは血縁関係があります。
なんとなく瀧廉太郎に似ていますよね。
瀧廉太郎の妹の孫だったかな。

結論を持った協議

P1010418

13日の夜中、一時期とはいえ激しい雨。
せっかく乾きはじめたグランドも、所々ちょっとぬかるんだ状態に。
朝5時に実施か延期かの判断をするために学校へ。
でも、自分の中にはすでに結論がある。

1日延期しても次の日は今日よりももっと雨がひどくなるとの予報。
もしそうなると実施は火曜日。
平日だと見に来る人に大きな影響が出る。
13日の天気予報は?
新千歳空港による天気図や雲の動きを見ると、これ以降は雨が降らない。
(この空港の天気予報が一番信頼できます。
 飛行機の運航に直結しているので当たり前ですが・・・。)
運動会競技が始まるのは4時間後。
このぬかるみも少し状態がよくなるはず。
種目の入れ替えをしながら、やれるところまで実施。

これが私の結論。
この結論を持って役員の方々を待つ。
集まってから「どうする?」ではいくら時間があっても結論が出ない。
協議には自分の結論とその根拠をもって臨むべきと考える。
全員がそろったところで協議。
「今日は実施以外に考えられない。
 実施のためにやれることは?」
なんと!みんな同じ結論を持って集合。
こうなると話が早い。

ぬかるみのひどいところに砂を入れよう。
ただし、役員だけでは対応できないので保護者で都合のつく方にお手伝いを頼む。
さっそく連絡網の分担。
集合時間を7時30分に設定していったん解散。
スコップと一輪車の持参も確認。
突然の決定にもかかわらず一生懸命作業に取り組む保護者。
「子どもたちのため」という思いがすごく伝わってくる。
この保護者の思いに支えられているんだよなあ。
その作業も終了し、いよいよ運動会が始まる。
まずは準備を早めに、と伝えて。
10時くらいにぱらついてくる雨。
ここで前の日に作成しておいた雨天用プログラムに変更。
「もしも」、に備えての準備ってなにごとも大切。
雨天用プログラムを作っていなかったら、即座に対応できなかったかも。
児童の競技を優先して様子を見る。
何とか午前中のうち児童の競技は全て終わる。
そして、残っている競技については午後13時より実施することを連絡して昼休み。
ご飯を食べながら係と二人でプログラムについて話し合う。
この結果を保護者、役員、職員に伝えて午後の部開始。
結局は全部の競技をやることができたんだよなあ。
全ては結論のある協議のおかげ。

一夜明けたら、グランドは湖状態。
やっぱり延期しなくてよかった、と思いました。
大きな行事の一つが終わってホッとしています。
今までの教師生活でたくさんのことを経験して来たけれども、それらすべてが4月からの仕事に生きています。
無駄なことってなかったんですね。
人を助けるためにやっていたことも、実は自分のためだったんだなあ、と感じています。
人任せにせず、自分ならどうするかを考えて生活することって大切です。
自分以外の人がどんな動きをしているかを掌握することも。

心を伝える

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昨日からの雨で湖のように雨水がたまっていたグランド。
ところがたった一日で使える状態に。
すばらしいグランド。
まだまだ13日の雨が心配だけれども、準備だけは万端。
あとは晴れることを祈るのみです。

職員が帰ったあと、いつものように校舎の見回り。
いろんな発見があってこれが楽しい。
散乱した机、落ちているゴミ、消した跡の残る黒板・・・そのすべてから子どもたちの生活が思い浮かぶ。
思わず笑顔に。

高学年の教室に立ち寄ると、黒板いっぱいに絵と文字。
児童一人ひとりに、これまで頑張ってきたことを語りかけている文章。
担任自らが描いた自分の顔のイラストつき。
一人ひとりの文章を読むといかにその担任が児童一人ひとりをしっかりと支え、見守っているかが伝わってくる。
一人に一言。
でもその言葉のなんと的確なことか。
信頼関係がないとここまで書けないよなあ。
たまに書くからこそ効果的なんだろうし。
朝、登校してきてこれを見た子どもたちは何を感じるのだろう?
きっと担任の願いに応え手古の子どもたちは全力で取り組むことと思う。
結果よりも、これまで取り組んできた過程を大切にして。
児童の帰ったあとにひっそりと教室にたたずみメッセージを書く担任。
なんだかすごくおしゃれな感じがした。
いつもべったりとひっついていることが寄り添うということじゃないんだろうなあ。

そして、職員室に戻ると低学年の学級通信。
そこには・・・
「運動会のみどころ」と題して、子どもから保護者へのメッセージが書かれている。
運動会の各種目について、どんなところを見てほしいか、自分はどんなふうに頑張っているのかをイラストと文章で表現。
一人ひとりの子どもが自分の思いを自分なりに表現。
子どもの正直な気持ちが出ている学級通信。
うまい下手じゃないんだよなあ。。。
すごくあたたかみのある学級通信。
自分はこんな通信を書いてこなかったなあ。
運動会に来てもらうための方法。
子どものがんばりを保護者に見てもらう方法。
学級での様子を生き生きと保護者に伝える方法。
読んでいて早く子どものがんばりを見たい気持ちになる。
相手のことを考えて心をつくすって大切ですよね。
私にはそれが足りなかったです。
運動会前にいいものをもらいました。

「東京からばあちゃんが来るから晴れて欲しい。
 ばあちゃんは明日しかいないの。」
そう話してくれた子どものためにも何とか晴れてくれ~!

仲間の支え

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6月9日のグループ研修。
授業者には考えていることを語ってもらい、それを代表者が黒板にまとめていく。
時間が限られているので、その場で指導案を仕上げる作戦。
まとまったことをどんどんコンピュータに打ち込む。
すでに指導案の形式は打ち込んである。
授業者である平田教諭が自分でコンピュータを打とうとするとすると・・・
「私が打ちます。」
の声。
ありがたい!
コンピュータを打ちながら頭の中にあることを語っていくことってかなり難しい。
コンピュータに打ち込む作業を誰かが担当することで、授業者は自分の頭の中にあることを言葉として発することに集中できる。
そんな支え合いの中で話し合いが進む。

グループ研修も終わりを迎え、今日の話し合いをもとに授業者が指導案を仕上げることに。
ただ、プレ研まで再度集まる時間がとれない。
残された手段は、FAXやメール、電話でのやりとり。
今回はFAXでやりとりすることに。
「グループのメンバーにFAXするのも結構大変だよね。」
「じゃあ、私がみんなにFAXします。
 授業者の方は指導案の作成に集中してください。」
なんとうれしい言葉!
グループのメンバーにFAXするのだって結構な手間暇がかかる。
一人のFAXで済むのであれば、かなりの作業量を省くことができる。
誰かが代わってこの仕事をやってあげると授業者は指導案作成に集中できる。
ほんのちょっとの心遣いって本当にありがたいですよね。
5分が勝負の時期なので。

このやりとりから、私の新卒時代を思い出しました。
校内研修で研究授業をやることになったときのこと。
音楽の先生はわたしの他にもう一人。
でも、部会なるものがあってその中で話し合いをするという体制に。
その部会は文系部会、理系部会、芸体部会。
私が所属するのは芸体部会。
40人ほど教師のいる学校だったので全員が研究に携わるには部会を位置づけるしかなかったのです。
その時にこんな発言をする先輩方がいました。
「俺たちは音楽の専門でないから内容のことは云々できないよ。
 そのかわりに、にしあつさんが手書きで書いたものをワープロで打ったり、印刷
 して製本したり、生徒役になって模擬授業を受けたり、そういうことで支えるから。
 にしあつさんの考えていることを思いっきりやって。フォローするから。」
まだまだワープロが十分普及していない時代。
私も打つことはできませんでいた。
その先輩方は口だけではなく、本当にワープロ打ち、印刷と製本、生徒役・・・と手助けしてくれたのです。
誤字があればやさしく訂正してくれる。
指導言に困っていると、「オレの教科だったらこう指導するよ。」と具体例を出してくれる。
押しつけたり、やらせて批判したりということを絶対にしませんでした。
授業の反省の時も建設的でない意地の悪い批判が出てこようものなら、すかさずフォローしてくれます。
そんな中で私は教師として育てられました。
「新卒の学校がどこであったかでその教師の生き方が決まる。」
そんな恐ろしい統計もあるようです。
でも、最初の出会いってものすごく大事。
その意味でこの統計はあたっているかもしれません。
だからこそ、出会った先生方に心をつくすことが大切なのでしょう。
弱い立場の者へとしわ寄せの行く学校現場だけはつくりたくないものです。

今回のグループ研修では本当にあたたかいやさしさを感じました。
これがみんなに伝わり、さらにそれぞれの学校で伝わって広がっていくことを願わずにはいられません。
ほんのちょっとのやさしさと心遣いが大切なのです。

指導案検討のコツ

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1.まず、紙に書いてみよう!
2.思考の過程を残そう!
3.頭の中にあるものを形(文章や図)にして相手に
  伝え、共有しよう!


「指導案検討」というからには、やっぱり必要なのは指導案。
グループの仲間に見てもらうにはそれなりの形に仕上げたい。
でも、忙しくてじっくり考えをまとめたり、文章を練る時間がない。
悩みに悩み抜いて結局何も書けなかった。
こんな経験をたくさんしてきました。
指導案ってなかなか仕上げることができないもんなんですよ。
苦しくて悩んでいるのは自分だけじゃないんです。
ここでちょっとしたコツを紹介します。

わたしの場合、最初からかっこいい文章を書こうとしたために行き詰まって書けなくなることが多かったです。
だから最初は自分のやりたいことを思いつくままに書いてみることをオススメします。
最初からまとめようと考えないこと。
とにかく頭の中にあるものを書いてみましょう。
言葉が思いつかないところはヒントになるような図や単語を書いておくようにして。
あとで思いついたときに書き足せばいいだけ。
私はアイディアがまとまるまでは紙に書くことにしています。
図で表してみたり、あとからわかったものを色ペンで加えたり。
つながりそうなものを矢印で結んだり。
修正するときも消しゴムや修正液は使いません。
どこを訂正したのか、最初に書いた文章はどんな内容だったのか、それらを残すようにしています。
自分の思考の過程と変容がわかるから。
そして、最初のアイディアが記録として残るからです。
悩んだときは必ず最初の考え(原点)に戻るようにしているのですが、最初にひらめいたものってけっこういい方向のものであったりするんですよ。

そんなアイディア集みたいなものでもいいので、指導案検討の時には文章として形になったものを持っていくことを大切にしてください。
頭の中にあるものを言葉として話していたのでは記録が残りません。
時間の経過とともに、話している内容は次から次へと消えていきます。
記憶は曖昧なもので、自分の興味のあるところだけが印象に残ってしまいます。
また、説明しているうちに最初のものからかけ離れてしまっていることもあります。
話しているうちに思いついたことを付け足していくことが多いからです。
その結果、お互いに曖昧な記憶だけが頭に残る。
そのような状態で話し合いを進めてもポイントがつかめません。
わかり合えなかったために、さらに言葉を付け足すことになるのでますます曖昧になってしまいます。
そんなことがないよう、客観的に証拠として残る文章や図にしてみましょう。
周りの人と頭の中にあることを共有することが必要なのです。
文章として残っているとごまかしがききません。
自分の思い込みだけの言葉遣いであったり、内容が曖昧であったり、何が足りないのか、何がわかっていないのかが明確になります。
その上で、「私がやりたいことはこんなことなんだけれども、文章が思いつきません」と相談しましょう。
一人ではまとめることができなくても、たくさんの人の力を借りることによって自分の言いたかったことを文章として表現できるようになります。
ここにグループ研修の醍醐味があるのです。
もし、話し合いの方向がうまくつかめないときは黒板などに言葉で書いてみましょう。
いま、何を話し合っていて、何ができていないのかが見えてきますよ。
話のやりとりだけで時間をつぶすことのないよう気をつけましょう!

響け、舞鶴!

一日一日近づいてくる連合大運動会。
13日(土)に向けて練習にも熱が入る。
全校生徒21名が打ち鳴らし、力強く踊る「響け舞鶴!」
仕上がりも上々!
さあ!いくぞ!!

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まずは和太鼓と締太鼓で気分を盛り上げる。

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ヨサコイも準備万端!
後ろから見る法被のかっこいいこと!
「舞鶴」の文字が映えるんだなあ。

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全校生徒での躍動感あふれるヨサコイ。

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最後は太鼓で締め!

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とにかく一生懸命さが伝わってくる演技です。
自分の学校なのですが、何度見ても感動で心が熱くなります。
もし処分されることなく、そのまま違う学校に赴任していたらこの子どもたちとは出会えませんでした。
そう考えるとすべてが意味のあることに思えて仕方がないのです。
意にそぐわないからとくさっていてはダメですよね!

おごらず
いばらず
あせらず
くさらず
まけるな

この子どもたちとの出会いでこのことを学ばせてもらいました。
ぜひともたくさんの人に見て欲しいです。
6月13日の連合大運動会では、11時40分頃から演技開始の予定です。
また、長沼町の「夕やけ市」にも参加することになっています。
こちらは6月27日18時頃からとなっています。
わたしの自慢の子どもたちです。
よろしく!

グループ研修5-⑤

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5月14日に行われた小学校グループの話し合いの記録を紹介します。
だいぶ前に届いていたのですが、なかなかまとめることができませんでした。

小学校低学年で授業を公開する山﨑教諭は「歌唱表現」に取り組んでいます。
教師の一方的な教え込みの授業ではなく、子どもの「思い」を大切にした授業。
歌詞から情景を想像させる。
そして、想像したことを生かして歌うために音楽の諸要素をどのように工夫したらよいかを子どもたちに考えさせる。
「なぜ、そのように歌いたいのか」という表現の工夫の理由が音楽の諸要素となる。
その時に子どもたちに任せる音楽の諸要素は・・・「強弱」。
中学校の末松教諭のグループも子どもたちに工夫を任せる諸要素で悩んでいます。
一番曲想の変化に結びついているのは「速度」と「強弱」。
歌唱表現の場合は、この二つはがどもたち自身で変化させやすいし、変化したものを聞き取りやすい。
それは中学生も小学生も同じ。
ただ、中学生だと「強く」の種類が増えると思う。
たとえば、「どっしりとした重さのある強さ」とか「鋭い強さ」とか。
そういう段階が踏めればいいと考えるけれどもどう?
中学生ともなれば他の諸要素を自分たちで工夫できなきゃ、と考えたくなるけど。
それ以外の諸要素は、工夫させることはできるけれども、教師側の支援とか指導が必要になると思う。
教えることと子ども自身に任せることの見極めが必要と私は考えます。
山﨑教諭のプレ研は、教材が変わるだけで授業の流れは同じとのこと。
6月25日が楽しみです。

「syou15.14.pdf」をダウンロード

そして小学校中学年で授業を公開する平田教諭。
扱うのは「創作」。
自分たちで工夫した「お囃子のリズムやふし」を作り上げる授業です。
大切にするのはアンサンブルの出来ではありません。
子どもたちが「こんなお囃子にしたい」という思いをもって工夫していくことが大切。
結果よりも過程を重視するということ。
その時に工夫する諸要素は、「強弱」「音色」「旋律」「音と音との重なり」。
器楽との結びつきが強いため、子どもたちに任せる諸要素の数が増えます。
どんなお祭りにしたいかをイメージさせてからの取り組みとなります。
そのことから、公開授業の前までに「お祭り巡り」という鑑賞の時間も設定。
鑑賞したお祭りの中から自分たちのイメージに近いものを選ぶという活動も考えられそうです。
工夫するときには、どうしても言葉でのやりとりが必要。
でも、公開するのは音楽の授業。
やっぱり音で確認する時間を長くしたい、というのがグループの思いです。

「syou2_5.14_0002.pdf」をダウンロード

学校のこともやらなきゃならないし・・・
対外的なこともやらなきゃならないし・・・・
そこに今回の全道音研・・・
大変なときだと思います。
苦しくて苦しくて、いやになったりもしているでしょう。
自分だけが全ての苦労を背負っている感覚。
でも、必ずこの経験は生きてきます。
やった者にしか身につけることのできないものがちゃんと残ります。
きれい事は言いません。
ともに頑張りましょう!
これだけです。
困難を乗り越えているときの人間が一番光っていると思います。

安全管理

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仕事で毎日来る学校関係のある小型トラック。
学校の敷地内にもかかわらず、いつも結構なスピード。
気になっていたのでこれまで二度ほど運転手にお願いを。

「すいません。
 他の学校もまわらなくてはならないので急ぎたい気持ちはわかります。
 でも、いつ子どもたちがグランドに向かって玄関から飛び出すかわかりません。
 スピードを緩めてくれませんか。」

うちの学校は玄関を出ると細い一本道をはさんですぐグランドなのです。
だから、左右を確認せずに飛び出す危険性が高い。
そんなことから他の車はみんなゆっくり走ってくれるのです。
お仕事中なので気分を害しないように十分気をつけて。
でも、言わなければならないことはちゃんと言葉にして。

そして、今は運動会の練習。
子どもたちも頻繁に玄関とグランドを行ったり来たり。
それでもその小型トラックはスピードを緩めてくれません。

「前に二度ほどお願いしたのですが、まだスピードが出ています。
 子どもたちの安全のためにもう少しゆっくり走ってくれませんか。」

すると運転手からこんな一言が。
「ちゃんと安全には気を遣ってるよ!
 子どもがいないからスピードを出しているんだ!」

カチンと来てしまいました。

「そうですか。
 今、玄関に子どもが何人いるかわかりますか?
 答えられないですよね?
 見えないですよね?
 ちょうどガラスが反射して見えていませんから。
 今あそこに7人いるんですよ。
 子どもがいないってどうして自信を持てるんです?
 見える、見えないの問題ではなく、ここは学校の敷地で子どもが生活している場所
 なんです。
 いつ子どもたちが飛び出してきてもおかしくない状況ですよね?
 そのことを頭に入れて運転して欲しいとお願いしているんです。
 あなたのように、子どもが見えないからいないだろう、という憶測の運転が一番恐
 いんです。
 事故が起こってからでは遅いんですよ!」

大人の問題って結構ありますよね。
この運転手さんもわかってくれるといいのですが・・・。
私には自信がありません。

「思うは招く」

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2009年6月7日(日)。
北海道新聞の朝刊に赤平にある植松電機専務の植松努さんの講演会抜粋が紹介されていました。
情報量の多い講演会。
植松さんの講演会自体とてもわかりやすいのだけれども、抜粋だとたくさんの人に文字として紹介することができる。
読んで興味を持たれた方はこのブログの「よく行くサイト」にある「カムイスペースワークス」のブログを開いてみてください。
人との出会いの大切さ。
夢をあきらめないことの大切さ。
きっとたくさんの勇気をもらうことができるはず。
教師として学ぶべきところもたくさんありますよ。

 ぼくたちは赤平市でパワーショベルを改造する仕事をしています。宇宙開発の仕事もしていて、僕たちが作った人工衛星は2006年に宇宙に行きました。
 宇宙開発は「どうせ無理だ」という言葉をこの世からなくすためにやっています。世の中は不景気だけど、原因は「どうせ無理」にある。この言葉を使わなければ、景気は回復するかも知れません。

 ぼくは子どもの頃から工夫することと物作りが好きでした。小学校の卒業文集に「自分で作った潜水艦で世界を旅したい」と書いた。でも先生には「できもしない夢をなぜ書くのだ」と言われ、ショックでした。
 できそうなことが夢でしょうか。食える食えないを気にする人が多いけど、そもそもなぜお金が必要なのか。不安を解消するためですか。お金は雇われて給料をもらうことでしか手に入らないのでしょうか。
 中学校3年の進路相談で「飛行機やロケットの仕事をしたい」と言ったら、先生に「芦別に生まれた段階で無理だぞ」と言われ、びっくりしました。でも、先生は飛行機の仕事をしたことがない。これは進路指導ではなく、憶測による進路評論で「負けてはいけない」と思ったのです。
 中学生が飛行機の勉強をするにはどうしたらいいか。大学生が使う教科書が図書館にも本屋にもあるので、それを読めばいい。自分で学ぶという方法があることを忘れないでください。未来はいろんな可能性をあきらめて、今できる範囲から選ぶことではない。自分のやりたいことをどうやってできるかを考え、一日でも早く始めることです。
 北見工大に入学し、飛行機の勉強をすることにしました。大学で出会った製図や航空力学などの学問は小学校からやっていた趣味でした。中学、高校と赤点の帝王と言われたにもかかわらず、大学では試験前に勉強しなくてもほとんど100点でした。
 卒業後、名古屋で飛行機やロケットを作りました。でも、5年半で辞めた。飛行機のことを好きでない人が増えたからです。好きという心がなければよりよくすることはできない。好きという心を奪われた人が増えた職場では「芸は身を滅ぼす」という、とんでもない言葉がはやる。できないと口に出せば、仕事をしないですむと言われていた。
 楽をすると無能にしかならない。無能になると自信がもてなくなり、誰からも必要とされなくなる。そういう人は自分より弱い人を見つけて自慢し、その人の自信を奪う。でも、その「自信剥奪連鎖」は簡単に切ることができる。自分がされた嫌なことを、他の人にしないために「鋼のハート」を持つことです。

 日本人が宇宙開発を始めた時、最初は小さなロケットで、「そんなものどうするの」と言われた。でも、今では月に探査ロボットを送ることができるようになった。どんなものも最初はくだらなく意味がなく見える。だから、世界初は個人がやるのです。
 夢とは大好きなこととやってみたいこと、仕事は社会や人のために役立つことです。夢をかなえるためには、それをやっている人と仲良くなるのが一番。仲良くなるためには相手が困っていることを見つけ、助けてあげること。夢を見つけるためには感動人になってください。未来は未知なる進化と変化の先にしかない。どんな夢も悲しみも苦しみも大いに口に出して。それを聞いた人は「だったらこうしたらいい」と言ってあげて。それだけでほとんどの夢も苦しみも悲しみも改善されるし、世の中もみんなの人生も変えることができるのです。

プレ研 「花」

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6月2日に行われた末松教諭によるプレ研。
9月18日の本番の公開授業と同じクラス。
題材名も当日を意識した「詩を味わい情景を思い浮かべて表現を工夫しよう」。
教材は、武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲「花」です。
何をねらった授業でどのような流れであったのかは次の指導案をご覧ください。

「hana.pdf」をダウンロード

先日アップした記事、「すてきな授業」で紹介したとおり、楽しさやよろこびのある授業の第1の側面は達成されていたと思います。
中学生という多感なこの時期、子どもとの人間関係づくりで苦労することが多いことを考えると日常の取り組みの成果であると言っていいでしょう。
このような子どもたちと公開授業に取り組めることはなかなかないものです。
出会いに感謝してよいと考えます。
また、修学旅行や体育大会という中学校の大きな行事の合間を縫って自分に今できることに取り組んでくれたことに感謝します。
苦しい毎日だったのではないでしょうか?

さて、今回は指導案上のことについて書きます。
あくまでも指導案と授業のことを指摘しているものであって、指導者の人格とか力量を否定するものではありません。
ここを勘違いされる方がおられるので念のために断っておきます。
今回の授業は9月18日当日の公開授業を意識して作成されたものです。
授業の流れは・・・
①詩の情景をイメージする
②そのイメージに合うように音楽表現を工夫する
簡単にまとめるとこのようなものになります。
つまり、詩を読んで感じ取ったことやイメージしたことを表現に生かすことができるよう音楽の諸要素を変化させるなどして工夫する、というもの。
目指しているのは、合唱のできばえのみ追究した授業、教師側からの一方的な指示によって合唱を仕上げる授業ではありません。
子ども自らが感じたこと(感性的側面)や気づいたこと(構造的側面)をかかわらせて、自分たちで表現を工夫する。
それを生かすための教師の指導をめざしたものです。

今回の指導案を見ると「詩と音楽のかかわり」「詩と音楽の結びつき」という表現が目立ちます。
実際の授業でもその点が重視されていました。
・「はるのうららの」という歌詞の「うらら」を歌い出す前にどうして十六分休符があるのか。
・他の部分にも同じ例があるがどうしてか。
このように詩を旋律化する時の作曲上の工夫やそれを読み取った表現の仕方を学ぶ授業となっていました。
題材名が「言葉と音楽のかかわり」とか「語感を大切にした表現を工夫しよう」であればその意図を達成できた授業であったと考えます。
ですが題材名は「詩を味わい情景を思い浮かべて表現しよう」です。
詩を読んで感じ取ったことやイメージしたことと音楽表現の工夫のかかわりがねらいではないでしょうか?
この部分をしっかり一致させておかないと自分のやりたいことから離れていってしまいます。
授業者にとって一番迷うこの時期。
だからこそ、もう一度原点に返ってみましょう!
「自分がやりたい授業は何なのか?」
「頭の中にあることを文章化した指導案がそれを具現化しているか?」
最後の最後までこの点が問われてくることになります。
このような観点から「春に」の現段階の指導案を見直してみましょう。

「haruni_1.pdf」をダウンロード

ここで私の実践の紹介。
1番の「ながめをたとうべき」と2番の「われさしまねくあおやぎを」。
この部分で同じものと違うものは?
子どもたちはきっと違うものとして「歌詞」、同じものとして「旋律」をあげることでしょう。
その次に、1番の「ながめをなににたとうべき」と3番の「ながめをなににたとうべき」。
この部分で同じものと違うものは?
きっと違うものとして「旋律」「音楽の記号」、同じものとして「歌詞」と答えると思います。
そこで1番と3番では「ながめをなににたとうべき」と同じ歌詞なのに「旋律」や「音楽の記号」が違うのか。を子どもたちに考えさせます。
このような流れにすると「詩を味わい情景を思い浮かべて表現しよう」を達成させることができないでしょうか?
部分を取り扱うこと。
誰もが達成できる課題から始まって深い部分を考えさせること。
このことがよろこびと楽しさのある授業の第2の側面に大切なことと考えます。

時期的に仕方なかったことですが、「花」という教材自体を扱うことに今回のプレ研の難しさがあったことも最後に指摘しておきます。

「イメージ・リテラシー」

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自分の頭の中にあること。
これを自分以外の人に伝えるためには、写真とか音とか身体表現とか何かしら形に表すことが必要になる。
これだけでも、それぞれの感じ方や考え方などの違いを認め合うことに大きな役割を果たす。
そして、より確かなはたらきをするのが言葉。
私たちは言葉で思考している。
言葉で表すことにより、頭の中にあるものが確かな形へと変容していく。
音や映像といったイメージで伝え合うことも有効だけれども、やはり言葉で伝えることも大切にしたい。
そのイメージが一体どういうものであるのかを具体的に言葉で表現し、伝え合う。
そうすることで、より客観的な価値観というものを磨くことができると思う。
音楽科教育に必要な視点でもあるのだけれども。
ただ感情やイメージを伝え合えばいいのではない。
何気なく音にして表現するのではない。
そこに何か明確で説明可能な自己の思いが必要なんじゃないかと。
そんなことを考えていると、北海道新聞の夕刊に次のような記事が出ていました。
著者は哲学者の鷲田清一さん。

 ある大手の企業で、社員による海外出張の報告のやり方を一新したところ、とてつもない効果があったという話を聞いたことがある。
 それまでの主張報告といえば、用務の報告、ミーティング内容の報告を書式で行うというのが通例であった。これはどこの企業でもほぼ同じであろう。それをこの企業は大胆に改めた。書式での報告は不要、そのかわりに訪れた街で見たもの、経験したことを映像に記録し、それを会社の入り口、そうみなの目にふれるところで上映するというのだ。
 それで何が変わったかといえば用務先の企業だけでなく、食べたことのない料理に挑戦する、普段なら入ることもないような店に入る、街の行事を見るといったことまでするようになったそうだ。上司や同僚に何を報告しようか、どんな映像で驚かせようかと企んでいるうち、つい目の行き所がいつもと違ってくる・・・。
 異境の街への眼差しが、ぐんと強度を上げるのだ。故郷であたりまえのことが、異郷では必ずしもあたりまえでないことが次々と見えてくる。すると今度は故郷のあたりまえがあたりまえに見えなくなってくる・・・。そう、まなざしの異化効果ともいうべきものが芽生えてくる。

 これをヒントに、わたしの勤めている大学でも、学生たちの映像作品の配信を行うことにした。ある電機メーカーのご支援を得て、図書館や食堂など、全学の学生が集う十数カ所に、大型の多目的ディスプレイを設置した。流すのは、学生たちが学内外で気になったものを携帯電話のカメラに撮り、それに文章をつけたもの。
 これはわたしが文学部の教員をしていた頃に「イメージ・リテラシー」という授業で試みたものが原型になっている。壁をはさみ、声ではなくて壁へのノックで思いを交換する、他人をインタビューしたあと本人になりかわって「自己紹介」をする、横にいる人の<存在>を抽象的な線と色で表現する、たがいに見ず知らずの学生同士が密室で半時間おしゃべりし、それをヴィデオに集録する(ただし相手の個人生活について質問するのは禁止)、テレビのCMについて議論するなどの試みを、その授業では行った。街に出て、いきなり通行人に話しかけ、世間話をする練習もした。
 そのなかでいちばんうまくいったのが、「愛シテル・・・」という、携帯電話のカメラを使った試みだった。各人が下宿で、地域で、そして学内で、気にとめたものを三つ撮してくる。写真でも動画でもかまわない。それを授業で発表し、ついでにコメントをつけるのだ。
 これには、想像をはるかに超える成果があった。下宿でスナック菓子をを食べる友人の手元、下宿の窓から見える夕陽、大好きなナメクジのクローズアップ、自分の顔の右半分・・・。同じような生活をしていながら、一人ひとり気になるシーンがこんなにも違うのかと、学生のみならず私まで驚いた。個性がないどころではない。それまでそれを形に、音にして表現する練習をしてこなかった、それを発表する機会がなかった、それだけのことだった。

 思考というものがわたしたちのうちにまずあって、それからそれが言葉にされるのではない。逆に、たいていの思考というものは、なにかよくわからないままぼそっと口にすることで、あるいは文字に書き起こすなかで、おずおずと形をとってくる。言葉には思考をまとめるはたらきがあるのだ。
 同じことが感情や気分についてもいえる。子どものうちは、自分が浸されている感情がよくわからないまま、それをもてあまして駄々をこねる。が、それを別の次元に、たとえば映像や言葉に移し替えることによって、感情や気分はより確かな形をとるようになる。ぼんやりと形をとるようになってくれば、それについて少し距離を置いて考えることもできるようになる。ただ単に呻くだけではなくなる。言い換えれば、反射的には動かなくなる。
 表現というのは感情の単なる表出なのではない。それは自らの感情をまさぐることであり、そこからさらに感情を見つめ直し、吟味し、推敲し、再構成してゆくことである。感情に流されないということである。政治や世相をめぐって、イメージに染められやすい私たちは、表現ということにもっと丹念に取り組んだ方がいい・・・。「イメージ・リテラシー」という授業はそんな思いではじめたのだった。
 そういえば、ガブリエル・マルセルという哲学者は、「もし、言葉を持たなかったら、人は自分が襲われている感情がどういうものか、わからなかっただろう」と書いている。

危機管理

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6月5日12時30分頃。
給食の塩ラーメンを食べ終わって休んでいたら急にめまいが。
「なんだかめまいがする。疲れてるのかなあ。」
と声に出してみたところ隣の先生も「私もです」。
顔を見合わせたと同時に異常に気付く。

違うって!
地震だよ!

不規則でけっこう大きな揺れ。
すぐにおさまる気配がない。
しかも長く続いている。
慌てて避難の準備に取りかかる。
ここまでわずか数秒だと思う。

私は全校への避難放送を担当。
「地震です。児童のみなさんは地震がおさまるまで担任の指示に従って外に避難しなさい。」
「教頭さん、違うって!机の下、机の下。」
「あ~!もう一度連絡します。担任の指示に従って机の下に隠れなさい。」
頭ではわかっていたのに口が違うことを。。。(;д;)
でも、緊急事態なので恥なんてぶっ飛んでしまいました。
避難用の旗を準備する職員。
避難口と玄関の戸を開けに行く職員。
次々と避難に備えて準備を整えていく。
やっとおさまり、外に避難しなくてもよいことを確認。
すぐに児童と担任の無事を確かめに。
ちゃんと指示を守って机の下に隠れている子どもたち。
避難訓練が生きているなあ。
職員室ではTVをつけ地震情報の収集に。
やはり「震度3」。
地震はおさまっているはずなのになんだかふらふらする。
そんな状態を我慢しつつ次の行動へ。
念のために校舎の中と外の破損箇所を点検。
無事を確認し終えたところで教育委員会に報告。
お世話になった校長先生に「震度3以上は教育委員会に報告だぞ!」と教わっていたので。
失敗はあったものの。これまでに学んできたことを生かすことができました。
何事もなくて、とりあえず「ホッ」。

これくらいの地震なら大丈夫。
たいしたことないんじゃないか。

この油断と安易な憶測が大きな事故を招く。
対策をとっておいて、後でなんでもなければそれにこしたことはない。
オーバーだとか心配性とか笑われるかもしれないけれども、子どもの命を預かっているのだから。

「慌てていて、まだ揺れているのに外に避難と指示してしまった。。。」
と反省する私に
「まあ、放送だけできたことは成果だと思いますよ」
とちょっときつめの慰めの言葉。
いざ自分がその立場に立つとなかなかできないものですね。
何事も経験かな。。。

受け継がれる伝統

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6月13日に行われる「連合大運動会」。
その運動会に向けて保護者と地域の方々による一斉作業が行われる。
長沼舞鶴小学校の児童数は21名。
PTA会員は舞鶴地区すべての110戸。
一斉作業の参加者は約60名。
この心意気!
「この学校は地域みんなで支えているんだ!」
そんな気持ちが行動から伝わってくる。

今日はグランド整備の他に植樹も行われた。
プンゲンストウヒというクリスマスツリーで有名な木。
築山の移動にかかわっておんこの木を伐採しなければならず、その代わりとしての木。
植えるのは30本。
農作業で忙しいにもかかわらず、子どもたちのために時間を割いて作業に参加してくれた方々。
報酬のためでもなく、義務でもなく。
全ては子どもたちのために。
どんなに忙しくても作業を断らない。
愚痴もいわずに一生懸命作業にとりくむ。
そして・・・
「自分たちが子どもだったときに親がそうやって自分たちを支えてきてくれたから」。
保護者の世代も、祖父母の世代の方々もみんなこの言葉を口にする。
先代の思いがちゃんと次の世代に伝わっている。

小規模校って、その人数から人にもまれる機会は少ないかもしれない。
人数が多くて、人ともまれることによって育つ面もあると思う。
でも、少人数だからこそ育つ面もあるはず。
量的なものだけで教育の効能を図る事ってできないんじゃないだろうか?
下級生を大切にし、やさしく指導していく上級生。
その上級生の姿を見て「自分もあんな先輩になりたい!」と努力をする下級生。
年代の違う方々とのつながり。
子どもたちのためにと汗を流す保護者と祖父母。
子どもがいないにもかかわらず、地域の子どもたちのためにと労力を惜しまない地域の方々。
子どもたちはちゃんと後ろ姿から学んでいく。
「いつかはこの人たちのようになろう!」と。
人にとって大切なやさしさと人とのつながりを大切にする心はしっかりと育っている。

大人になってこの学校の前を通りかかったときにきっと記憶がよみがえるにちがいない。
「この木は地域の人たちの力を借りて自分たちが植えたんだ」、と。

昨日の授業に続いて、熱い思いのこみ上げてくる一日となりました。
出てくる言葉は「ありがとう」のみ!

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すてきな授業

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9月18日の北海道音楽教育研究大会空知大会に向けて行われた事前研究授業。
授業者は岩見沢市立豊中学校の末松教諭。
領域は「歌唱教材」。
学年は中学校3年生。
研究大会で公開する領域、学級での公開。
目的は次の三つ。
①子どもの実態を知ること。
②研究授業の雰囲気になれてもらう。
③公開予定の授業の流れが妥当かどうか。

校歌斉唱から始まる授業。
子どもたちのすなおな歌声にビックリ!
こんなに校歌をのびのびと歌う中学生は久しぶり。
実にいい表情をしている。
前提課題としてふさわしいかどうかは別にして、心が熱くなる。
その後に展開される授業。
ちょっとうつむき加減に、はにかんだ表情で授業を進める教師。
一見、なんとなく頼りなさそうな感じ(o^-^o)
でも、時間がたつにつれ変化していく子どもたちの表情。
教師の期待に応えようと真剣そのもの。
信頼関係がないとここまでできないよなあ。
教師のまじめに真摯に子どもたちと向き合う姿勢。
これがちゃんと伝わっていて、子どもと教師の人間関係は最高と言っていい状態。
「先生は受けとめてくれる」。
そんな雰囲気にあふれている。
中学生という多感な時期、きっとすなおに表現して伝えてくれる生徒は少ないだろうけど。
中学生って反発していても心の中は違うときが多いですよね。

「楽しさ」と「よろこび」のある授業には次の二つの側面がある。
①教師と子どもとが心を通い合わせ、和やかにやりとりをしながら授業が進む。
 子どもの歌いたい歌、演奏したい曲が取り上げられ、学習に取り組む仲間の
 雰囲気が和気あいあいとしている授業。
②真剣に音楽の課題に取り組み、教師による厳しくも共感的な指導や援助を受
 けとめながら、子ども同士が助け合って授業が進む。
 やり遂げた満足感とやってよかったという充実感が抱ける授業。
今日の授業は①をほぼ満たしているものだったと思う。
私にはもうその機会はないのだけれども、もう一度授業に取り組みたいと思わせるような授業。
こんな授業を受けてみたかったし、実践してもみたかった。
未完成の部分は多いものの、魅力がびっしりとつまった授業。
末松教諭の人柄そのもの。
参観していてとても幸せな気分を味わうことができた。
この子どもたちと出会えたからこそできあがった授業。
出会いの大切さも確認。
全道大会の授業者は苦労がとても多い。
でも、末松教諭にはこの子どもたちと一緒に乗り越えていって欲しい。
この子どもたちを信じ、思い切って自分のやりたいことを任せてみて欲しい。
きっと末松教諭の期待に応えてくれるだろうし、末松教諭にとっても一生の思い出になるはず。
だって、これだけの子どもたちに出会える事なんてめったにないんだもの。
人生には数回勝負するべき時があるけれども、今年が末松教諭にとってのそのタイミングだと私は思う。
つらさや苦しさをこの子どもたちと乗り越え、チャンスをしっかりと生かして欲しい。
そんな思いでいっぱい。
自分の力と子どもたちのすばらしさに気付いて欲しいと思っているのは私だけではないはず。
残りわずかだけれども、どれだけのことを吸収していってくれるのかが楽しみ。
子どもとの信頼関係という意味でのよい授業をありがとう。
音楽科教育への情熱を思いおこさせてくれてありがとう。
感謝でいっぱいの授業でした。

今回の授業を音楽的に生かす方法については今後に。

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