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2009年10月の23件の記事

「思君楼」

P1020278

周辺の広葉樹の葉っぱがほとんど落ちてしまった。。。
ということは雪が近い!
祖母の一周忌も近いためにタイヤの交換へ。
スタッドレスタイヤも今年で6年目。
安全性を考えると替え時ですよね!
(おそいか・・・)
ヨコハマのスタッドレスタイヤが好きなので、迷うことなく今回もそれにしました。
評判のよいB社のは、運転していて揺れる感じがするのです。
好みもあるのでしょう。
「ヨコハマに一回乗ったお客さんは何をすすめても浮気をしないんだよね。」
とは店員さんの言葉。
本当にそうなのかな?・・・(○゚ε゚○)
店内のあちこちには「環境にやさしい」と「エコ」という言葉。
いろいろ考えてるのでしょう。
いざ、交換かと思いきや・・・
雪の予報も出ているため大混雑。
11時に行ったものの交換は17時からとなってしまいました。。。
仕方がないのでご飯を食べていったん自宅に戻ることに。
片道15分もかからないので。

今回は恵庭の「思君楼」という蕎麦屋。
もちろん手打ち。
いつ通っても駐車場は車でいっぱい。
ずっと気になっていたのだけれども、ようやく入ることができました。
店内には舟形の器で盛り蕎麦を食べているお客さんが多い。
そこで、同じものを注文してみました。
臨時収入もあったので・・・( ̄ー+ ̄)

P1020277

太い太い田舎蕎麦。
噛んでいるうちにあごが疲れてくるほどの歯ごたえ。
それでも、噛むごとに蕎麦の味が口の中に広がっていく。
蕎麦を食べた~、って感じ。
天ぷらもごてごてしていないし。
これで1,050円。
田舎蕎麦の好きな方なら必ず大好きになると思います。
日本酒にも合うと思う。
場所は・・・
「いちえ」の近くにあるのでわかりにくいですが・・・

http://www.eniwa.org/shops/eating/shikunrou/index.html

昼食後は「TUTAYA」へ。
ほしかった野村克也「弱者の兵法」と中山可穂「悲歌(エレジー)」を発見。
すぐに購入。
「何冊同時に読んでるの?」といわれつつ・・・。
レンタルCDに寄ってみると待望の「風街ろまん」を発見!
これもすぐに借りる。
タイヤ交換にはこれを聞きながら行こうっと!
「風をあつめて~♪」
今日も幸せな一日となりましたo(*^▽^*)o

「脳に悪い7つの習慣」

P1020210

朝刊の広告に出ていた本。
「脳に悪い7つの習慣」。
林成之著、幻冬舎新書。
そのキャッチフレーズに「やめるだけで、仕事で結果が出る!」。
こうすれば、ああなる・・・の逆を行く発想。
惹きつけるものがあるよなあ。。。

「興味がない」とものごとを避けることが多い
・脳は本能に逆らえない
・「自分さえよければ」と思うな
・脳のクセを知ればコントロールできる

「いやだ」「疲れた」とグチを言う
・マイナスの感情は持つな
・表情が暗いと脳も鈍る
・「疲れない脳」は自分でつくれる

言われたことをコツコツやる
・「だいたいできた」と安心するな
・上司に対して従順になるのはNG
・勝負時はリラックスしてはいけない

常に効率を考えている
・どのように「心」が生まれるのか
・本を一回読むだけでは活かせない
・独創性はやり方次第で身につく

やりたくないのに我慢して勉強する
・悔しい気持ちが脳の力を引き出す
・「だいたい覚えた」でやめるな
・脳に悪いクセを直して記憶力アップ

スポーツや絵などの興味がない
・姿勢の悪さは脳に影響する
・リズムを無視してはいけない
・「生まれつき」とあきらめるな

めったに人をほめない
・「伝えられない脳」をつくるな
・たんたんとクールに話すな
・自分を捨てる勇気を持とう

世の中の格言やことわざなどで人間の生きる知恵として語り伝えられていることなのかもしれないけれども。
新聞広告を見ただけでも、なんとなく得した気分になりますよねo(*^▽^*)o
耳の痛くなる文章もいくつかあります。。。

ブリテンのオペラ

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エドワード・ベンジャミン・ブリテン。
1913年11月22日に生まれ、1976年12月4日に没したイギリスの作曲家。
ピアニストとしての腕前もなかなかのもので、ロストロポーヴィッチとのシューベルト「アルペジョ-ネ・ソナタ」の名演も残されている。
私が中学生の時には教科書に「青少年のための管弦楽入門」なる曲が載っていて、もちろん授業の中で鑑賞。
パーセルの主題がいろいろと変奏されていく曲。
中学生の耳で聞いても、結構おもしろかった。
特に打楽器。
イギリスの保守性を上手く活用し、機能和声語法を 突き詰めることに成功したブリテン。
彼の評価については、「ブリテンのせいでイギリスの音楽事情は世界から後退した」とよく言われているけれども。。。
そうは言っても、イギリス人の音楽観をこれほど世界中に広めた 人物も皆無だと思う。
前衛の時代に馴染めなかったと言われているけれども、本当に事実かな?
無調的であったり、機能和声とは逸脱したパッセージを時折覗かせるし、ベルクに弟子入りしたかったというブリテン本人の言葉もあるし。
前衛への志向は持っていた、と思う。

そんなブリテンのオペラを二つ。
衛星放送で特集されていたメトロポリタン・オペラの「ピーター・グライムズ」。
そして、怪奇小説をもとにした「ねじの回転」。
これがとてつもなく刺激的だったんだなあ。。。

「ピーター・グライムズ」

「ピーター・グライムズ」と聞くと「4つの海の間奏曲」や「パッサカリア」を思いうかべる人が多いはず。
これらの曲も美しいけれども、やっぱりオペラ。
舞台は、1830年頃のイギリス東海岸の漁村。
そこに住む漁師のピーターは出漁中に助手の少年が死んだことで審理されている。
事故死と判断されるものの、変わり者で嫌われ者だったピーター。
周りからは疑惑の目で見られている。
そんな時にワークハウスから連れてきた助手の少年をまたしても死なせてしまう。
もはや追い込まれてしまったピーター。
退役船長ボスロードのいうがまま、自らの船とともに入水自殺する。

最初の審理の場面からして微妙。
無罪なのか、有罪なのかもはっきりとわからない。
(どの立場を取って演技するのかが成功の鍵を握るみたいだけど・・・)
最初の少年の時には証拠不十分。
二人目の少年の時には、虐待しているふしがあるものの事故死とも見て取れる。
閉鎖的な村社会の犠牲者とも言えるピーター。
とはいえ、複雑な人間で、彼を本当に理解することは難しいと思う。
実際に存在していたら、できれば関わりたくないタイプの人間。
ただ、そんな人間だからと言って何かをやらかすというわけでもなく。
本当にピーターが悪いのかという疑問がいつまでも残る。
身寄りのないピーター自身、虐待を受けていたのではないかという犠牲者としての部分も見え隠れするし。
そうすると、村人の仕打ちが、彼を精神的に追い詰めていったことは確かで、集団心理の恐ろしさを、改めて思い知らされる。
第3幕で、合唱とソリスト達による、「ピーター・グライムズ!」の連呼は本当に恐ろしい。
ただ一人の理解者、女性教師のエレン。
無知と貧困、ゴシップと欺瞞がはびこる村にあって、善良で正しいがゆえに無力な存在。
これは今の世の中にも通じる。
だからこそ、やたらに恐い。
ピーターの唯一の希望は、エレンとの結婚、そして金持ちになることだけだったのに。

そして、印象的なのはもう一人のピーターの擁護者ボルストロード船長。
彼が、最後にピーターに苦渋の決断を告げる。
「船を沈めろ」
・・・そう、自害を勧めるのです。
彼のためにはそれが一番いいのかもしれない・・・。
2人目の少年も死なせてしまった今、村に帰れば、彼の立場はますます悪くなるし、既に彼は精神を病んでしまってるように見えるし。
「Good-by,Peter.」
ボルストロードの言葉が胸に突き刺さります。

そして、ピーターを追い込んでいくおばさんの存在。
どこの町にも必ず一人はいそうな、噂好きな女性。
知ったかぶりして、あることないこというのが腹立つ!
こういう人が、尾ひれをつけて、話をどんどん大きくするんだよな。
かわいそうなピーター。

このオペラ、全体的にリズムは複雑、音は取り難い、大勢の登場人物が、あえて調和を嫌うかのように、それぞれ勝手に歌ってるかのような構成が特徴。
口ずさめるアリアもない、メロディーらしいメロディーもない。
それなのに、オペラ全体には恐ろしいほどの緊張感が漂い、だれることがない。
複雑な人間関係を堪能するオペラだと思う。
時代を反映しているのかな。
メトロポリタンの演奏もかなりすばらしい出来でした。
ピーターそのもののテノール。
そして、オーケストラの能力を最大限に引き出す指揮者。
その前の晩の「ラ・ボエーム」がひどかっただけに・・・スッキリしました。


「ねじの回転」

すっかりブリテンのオペラにはまってしまい。。。
家にある「ねじの回転」をも視聴しなおしました。
こちらはもっと不気味。
それにしても、ブリテンのオペラでは必ずと言っていいほど少年が出てきて重要な役割を担っている。
少年でなければならない理由があるのだろうか?
彼自身の性癖か?

暗示的なタイトルを持つこの作品。
舞台上の登場人物6名、管弦楽13名、指揮者を含めた総勢が
20名というシンプルな編成の室内オペラ。
全体は2幕16場で構成され、各場をつなぐ音楽は主題と変奏
という凝ったスタイルで書かれている。
幼い兄妹の気持ちを自分たちに向けようとする大人のエゴをむ
き出しにした葛藤。
それが、特異な人間関係を軸にしつつ悲劇的な結末に向かって
繰り広げられていく。
あたかも、ひとつの方向にしか回らない"ねじの回転"の如く。

そのあらすじは・・・
二人の子どもの後見人から破格の待遇と引換に、一切の責任
を負うよう求められた女家庭教師。
不安を抱きながら任地に赴く。
よく躾をされた幼い兄妹マイルズとフローラ。
家政婦のグロース夫人に迎えられ、これなら大丈夫と思ったの
も束の間、以前の使用人クィントの幽霊が出現し、事態は一変
する。
彼はマイルズを溺愛し、かつ元の家庭教師ミス・ジェッスルとも
親しかったが、不慮の事故で死亡していた。
ミス・ジェッスルも後を追うように自殺を遂げていたことが判明。
やがてミス・ジェッスルの幽霊も現れ、幽明界を異にする四人の
大人たちの子どもを巡る争奪戦が始まる。
甘い言葉をささやく幽霊達に対し、現世の二人は兄妹に厳しく接
するため子どもたちの心は幽霊の方に傾く。
最後の賭に出た女家庭教師はマイルズに激しく詰め寄り、必死
で目覚めさせようとする。
遂にマイルズは「クィントは悪魔だ!」と叫び、女家庭教師の腕に
くずおれる。

こんな内容なのに、ブリテンの音楽は美しいんだよなあ。
この夕やけの写真のごとく(実はお気に入り!)。
水たまりに映った水たまりのように。
鏡のように人の心を映し出す、ひっそりとした美しさ。
そうそう、ブリテンの無伴奏チェロ組曲もすばらしい。

「ばるぼら」

P1020198

10年くらい探して手に入れた本。
手塚治虫さんの「ばるぼら」。
全道音研が終了した直後に手に入るなんてo(*^▽^*)o
偶然と言えば偶然。
なんとなく作家ホフマンの描き出す世界のような幻想的な内容の漫画です。
シューマンの音楽にも通じるところがあるかも。
ベルリオーズの「幻想交響曲」のような感じも。
実際にその場面も登場するし。
芸術の危うい一側面を描き出している作品。
私は大好きです。

優れた芸術家は作品を残すことによって永遠の命を授かる。
そうでなければ、自分を知っている人がこの世からいなくなったら忘れ去られてしまいますから。
その作品を生み出す霊感のもとになるもの、それが「ばるぼら」という女性の存在によって表現されているのかもしれません。
不思議な支えというものがありますから。
何かが舞い降りてその作品を書かせたとしか思えないようなもの。

小説家である美倉洋介がある日、駅で見つけた少女ばるぼら。
アルコール依存症で都会のゴミのような、ばるぼら。
しかし、彼女が美倉の家にいついてからというもの、美倉のインスピレーションが冴えわたる。
悪魔か、ミューズか。
不思議な少女ばるぼらを巡る不可思議な物語。
ばるぼらといることによって、次から次へと幻想的で猟奇的な出来事に遭遇していく美倉。
最後には自分の名を永遠に残す作品をつくりあげるものの・・・。
「ばるぼら」は、小学館「ビッグコミック」に1973年7月から翌1974年5月まで連載された作品。
ばるぼら、という名前のフーテンの少女と出会った作家、美倉洋介が、芸術家としての悩みを抱えながら、成功し、名声を得、それを失い、破滅するというのが大筋。
こっそりはさまれたビアズレーの線画のような耽美的なカット。
古代の女神像のようなムネーモシュネー。
ドビュッシーの愛した象徴派ヴェルレーヌの詩。
主に西洋の哲学者や作家の名言。
それに退廃的な芸術論が盛り込まれ、随所に文学好きや芸術好きの心をくすぐる仕掛けが施されています。
ばるぼらは、美倉にとっては詩をつかさどる女神ミューズのような存在。
彼女に気に入られた芸術家は決まってよい作品を作り、名声を得るが、見捨てられれば必ず落ちぶれる。
そんなばるぼらは気まぐれでのんべえで不真面目。
いつも薄汚れていて、何日もどこかに行っていたり、ある日ふいと戻ってきたり。
徹底して自由で、虚飾も規律もない・・・といえば聞こえはいいものの。
まるで乞食。
それでいて、とても魅力的。
芸術の神様は、ギリシャ神話の美の女神みたいなきれいなものじゃなくて、貧乏神の向こうを張れるぐらいみすぼらしい、少し素っ頓狂な神様なんじゃないか…?
というのが、手塚治虫さんの芸術観なのかもしれません。
この作品は手塚治虫さんの芸術論なのでしょう。

こういう世界に私は惹かれてしまいます。
もちろん、生活じゃなくて芸術論の方ですが。。。

「風をあつめて」

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作詞は松本隆さん、作曲は細野晴臣さん。

この歌を口ずさむと、朝からいいことがありそうな予感(0゜・∀・)。

舞鶴も朝明けは靄の日が多いです。

そんな時は所々しみみたいに見える隙間から車の走っているのが見える。

時間がたつにつれて顔を出す太陽と青空。

ぱーっと赤く染まったような感じの太陽が何ともいえません。

夕焼けもすばらしいけれども、朝のこの光景は「いいことあるぞ~!」って感じ。

毎日、毎日、新鮮な気持ちに。

太陽が昇るにしたかって影が短くなる様子を「摩天楼の衣擦れ」と表現しているところがいいなあ、って思います。

情景がぱーっと浮かんできて・・・。

頭から離れなくなってしまったので、記事におこしてしまいました。

CDを探しに行こうっと!


http://www.youtube.com/watch?v=7QX1w_PazZU

私も、風をあつめよう!

「いいことあるよ」

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ヴァイオリンの携帯ストラップと古いしおり。
どちらも7年ほど前、キロロ・リゾートにある「ピアノ」というホテルで購入したもの。
ヴァイオリンのストラップは一つひとつが手作り。
色も形も微妙に違う。
そんな中で、自分のお気に入りはただ一つ。
なんだか「アマティ」みたいでしょ?
そして、売店で見つけたしおり。

「小さな出逢いが人生をかえる」

前回の全道音研が終わったばかりの頃。
人との出逢いをかみしめていた時期に出会ったしおり。
お地蔵さんとこの文字がすっかり気に入ってしまった。。。
さっそく部活動を引退した3年生分と職員分を購入。
お土産にしたのでした。
このしおりは私の宝物。
本当に本当に出逢いがあってここまでやれているのですから。

今、舞鶴に来てから焼き鳥の美味しいお店を探しています。
サッと出かけてはお酒一杯と二本の焼き鳥を食べて帰ってくる。
そんなことを繰り返しているうちに北広島で「ほろろ」という焼鳥屋さんを発見。
釧路のお酒「福司」もあって、ちょっとお気に入り。
そのお店の壁には絵はがきが飾ってあります。
「ん?
 どっかで見たことあるぞ!」
実は・・・しおりのお地蔵さんだったのです。
「流行なのかな?」
「同じ絵を気に入る人もいるもんだな」
うれしい気持ちになったものの、その程度の感想でした。
帰りに勘定を払おうとレジに行くと・・・

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なんと!
絵はがき集を売っているではありませんか!
作者は「伊とう みさ」さん。
夕張生まれで北広島在住の方。
心臓バイパスの手術をし、その後、心のリハビリのつもりで「お地蔵さん」を描き始めたのだとか。
7年間、ずっとずっと気にしていたお地蔵さん。
私の心に優しさを与えてくれる文と絵。
7年たって、こんな偶然に私の目の前に現れるなんて。
本当に不思議な縁を感じます。
私にはこういうことが多いのです。
私にとってすべての出逢いは必然性があることだとわかる瞬間です。
だからこそ、一つひとつの出逢いを大切にしていきたいと思うばかりです。
この絵はがきは徐々に紹介していきます。

このお地蔵さんのよさをわかってくれる人がいたらうれしいなあ。。。

「ガヤーヌ」

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最近、いろんな方がお気に入りの音楽を紹介してくれる。
ちゃんと私の今の気持ちに合わせてくれて。。。感謝、感謝です(._.)アリガト
先日届いたのはハチャトウリアンのCD2枚。
一枚は、イツァーク・パールマン独奏、ズービン・メータ指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による「ヴァイオリン協奏曲」。
1940年に書かれたものでエレヴァン周辺の民族音楽を素材としているもの。
圧倒的なヴァイオリンの技巧にくらくらさせられます。
もう強烈!

そして、もう一枚は・・・ロリス・チェクナヴォリアン指揮、アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団による次の4曲が入ったもの。
・バレエ「ガイーヌ」組曲
・組曲「仮面舞踏会」
・バレエ「スパルタクス」組曲
・組曲「コーカサスの風景」
昨年から聞きまくっている「仮面舞踏会」。
まだまだ自分のブームは終わってはいません( ̄ー+ ̄)!
当然、「仮面舞踏会」から聞く。
ねっとりと絡みついてくる旋律の歌わせ方がすごく濃厚。
2拍目のリズムに特徴があるような感じ。
やっぱり、その民族特有の演奏のしかたってあるんだろうなあ。

次は「ガイーヌ」。
有名な「剣の舞」が響いたとたん、ぶったまげる!
「なんじゃ、こりゃ!」
機械的に一定に鳴らされることのない裏拍。
タイミングも強弱も常に微妙に変わる。
いやがうえでも興奮をあおられる。
そして、聞き進めていった最後の「レズギンカ」。
独特なリズムと超特急の速度、めまぐるしく変わる強弱にビックリ!
聞き終えたあとしばらく動けなかった。
こんな演奏聞いたことない
爆演!
普段聞いている演奏だと、馬に乗って楽しいハイキングに行っているようなのどかさがある。
これはもう、戦闘的で感情をあおられる演奏。
同じアルメニア出身だからこうなるのか?
とにかくすごい!

アルメニアの血が騒ぐ!

ハチャトゥリアンの音楽の特徴として、アルメニアやコーカサス地方の民族音楽の影響を受けていることがあげられる。
作曲者本人はアルメニア人。
グルジアのトリビシ市の高所に位置したコジョール村生まれ。
そこは帝政ロシア時代から栄えた温泉保養地で、アルメニア、グルジア、アゼルバイジャンなどの民族音楽の宝庫だった。
小さい頃から母親にアルメニアやアゼルバイジャンの民謡を歌ってもらったり、自分で民族音楽のリズムを叩いてみたり。
そんな状況が彼の音楽に生きていると思う。
濃厚な旋律に目がいってしまいがちだけれども、リズムをしっかり生かしていかないと、生命力にあふれた生き生き感がなくなってしまう。

さてさて、今回ビックリした「ガイーヌ」。
初演(レニングラード劇場、1942年)で演じられた原典版と、その後ボリジョイ劇場が独自に上演したボリジョイ版(1958年)がある。
二つの版でストーリーは、大きく変わっているから困ってしまう。
最初の原典版は、コルホーズ員であるガイーヌという女性の体験を中心に、社会市民性のテーマの濃厚な、つまり英雄的な女性を描いたスペクタクルとなっている。
ソビエト万歳?
こちらでは、ガイーヌには夫がいることになっている。
その夫が祖国を裏切り・・・。
その夫と恋人の間で揺れるガイーヌの心も表現されている。
それに対し、ボリジョイ版では、アルメンの心理の複雑な動き、愛情、嫉妬、友情という人間の感情の葛藤を音楽と舞踊で描いた心理的ドラマとなっている。
愛の世界?
こちらの方では、ガイーヌは未婚となっている。
清純さを保つためかな?
ちなみにロシア語読みは「ガヤーヌ」。
「ガイーヌ」というのはフランス語読みです。

ボリジョイ版のストーリーを紹介すると・・・。
アルメニアの山間の村にすむ狩人たちの集団の中に、力強く勇敢なアルメンと、血気盛んなゲオルギーがいる。
村の娘ガイーヌとアルメンは、お互いに深く愛し合っている。
ゲオルギーは嵐の中で助けた山の娘アイシャを愛するようになる。
アルメンとゲオルギーは親友であったが、アイシャをめぐる疑惑から、仲違いする。
そして、狩で断崖から落ちたアルメンをゲオルギーは助けようとせず、その結果アルメンは失明する。
ゲオルギーは良心の呵責に苦しみ、盲目となったアルメンはガイーヌとの愛に苦しむ。
収穫の祭の日、アルメンは久しぶりに行事に参加する。狩人たちが帰ってきて、アルメンの弟子カレンから銃を手渡され、絶望の中で自ら布をはずすと、強烈な光に目がくらむ……目は見えるようになっていた。
ガイーヌとの喜びに溢れた愛と希望のデュエット。
村人の前で告白したゲオルギーの手を握って、アルメンはその罪を許す…。

ただし、原典版、ボリジョイ版とも、バレエとしてはあまり上演されていないみたい。
それよりはバレエ組曲として、演奏されることで有名になっている。

中でも有名なのは「剣の舞」。
運動会やサーカスの音楽やカップヌードルの音楽でかかっていたりする。
黒海沿岸の南部にあるクルジスタンの山間に住むクルド族が出陣の祭に踊る戦闘的な舞踏。
強烈なリズムが特徴。

そして、私がぶったまげた「レズギンカ」。
コーカサス山脈北東に住むレズギ族特有の郷土舞踏。
小太鼓のリズムに導かれた木管群の旋律が奏される。
本来はイスラム圏を由来とする緩やかなもの。
それをハチャトウリアンはテンポを速めることによって野性的で色彩的な効果を生み出すことに成功している。

最近、急に自分の世界が広がっているような気がする。
今まで知らなかった世界が次々に現れている感じ。
毎日、刺激にあふれていて楽しいです。
老眼をのぞいては。。。

うちのおネコ様

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ソファーに座っていると私の周りをうろうろ。
時々じっと顔を見る。
「よけろってことか?」と言いつつ席をゆずる┐( ̄ヘ ̄)┌
さっそくこの顔。
広いソファーを独り占め。

しあわせだにゃ~・・・(うらやましい)

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カイの最近のお気に入りは押し入れ。
ゆっくり寝たいときに、人間に触られずにすむから。
それなのに、かまってほしいときはトイレまでついてくる。
ネコって現金・・・┐(´д`)┌

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お客さん用の座布団なのに~ヽ( )`ε´( )ノ
最近、毛が冬用の毛に抜け替わりつつあります。
しっぽがふさふさに。。。
ちゃんと季節に合わせて夏用とか冬用の毛になるんですね。


うれしい便り

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北海道音楽教育研究体空知大会が終わってから3週間。
授業者の方からうれしいお便りが届きました。
研究授業を終えた今の気持ち。
その後の子どもの変容。
これからのこと。
主にこのようなことが書かれてあり、周りの方々への感謝の気持ちともっと勉強したいという前向きな姿勢とが、その方ならではの言葉で語られている素敵なお便りでした。
一つひとつの言葉にやさしさと力強さがあり、私の方が励まされました。

研究大会、特に今回は北海道規模のもの。
全空知音楽教育連盟会員にはそれなりの負担がかかるものです。
中でも、授業者とそれを支える各グループの責任者の負担といったら・・・。
今回のお便りにも「授業直後は正直終わってホッとした」とあり、その重圧を言葉で書き表すのが不可能なくらいのもの。
経験した者でないとわからない世界です。
ですが、「時間がたってみると、やっぱり引き受けてよかった」と書かれてありました。
この一言がうれしいです。
だって、授業者を引き受けてくれる方ってなかなかいないですから。
ほとんどの方が尻込みしてしまうのです。
どれだけ自分と子どものためになるかがわからずに・・・。
嫌な経験が多かったのかもしれませんが。。。
自分を成長させる機会なのですから。
研究部長だって、結構おもしろいんですよ。
自分の考えていることが図や文章で表現できた瞬間。
自分の考えていることが相手に伝わり、実践として表現された瞬間。
そして何よりも人とのかかわりが深く、広がっていきます。
自分を変えることのできるチャンス。
逃げるなんてもったいない!
こんなことを言っている私自身が音連の会員じゃなかったのですから・・・。
前回の大会の時に強引に研究部長を命じられたというか・・・。
結果として、よかったと思うけど。

さて、さて、今回のお便りで特に印象に残ったところを紹介します。

一つめ
苦しかったけれども、何よりも自分の勉強なったとのこと。
今回はその当時に考えていた方法で授業実践を公開したけれども、次回は違う方法でも試してみたい・・・。
なんという前向きな言葉!
この言葉から、一回りも二回りも教師として成長した頼もしさが伝わってきます。
あれだけ時間をかけ、たくさんの人の意見を聞きながらの教材研究。
その時は苦しさだけしか感じなかったことでしょう。
ですが、めったに体験できることではない大きなチャンス。
真剣に、逃げることなく正面から向き合ったからこそ、見えてくるものがあるのです。
教材に対しての指導方法は様々。
決して一つではありません。
量的にも、質的にも豊かな教材研究の体験が今後の発展の可能性を導いているのだと思います。
苦労した分だけ、その授業者にとっての大きな財産となることでしょう。
きっと世界観が広がったと思いますよ。
授業者にとって苦しさだけが残る研究大会もあると聞きます。
「二度と経験したくない」という言葉を残して去っていく方もいると聞きます。
空知の仲間がこうして「いい経験になった、もっと勉強したい」という感想を持ってもらえてことが私にとっての大きな喜びです。
私自身が、研究部長を引き受けてよかったと思える瞬間です。
大会終了の直後ではなく、3週間たってから聞こえてくると言うところに意味があるのです。
終わった直後は興奮状態なので。
しみじみ、後になってから感動がじわじわとわき起こることに意味があります。
それだけ心に残ったということですから。

その二
研究大会は空知の仲間が音楽科教育に対してどんな考えを持っているのかを知ってもらうためのものです。
だからといって、授業者の考えではないものを押しつけたり、子どもにとって負担となるものを押しつけたりするものではありません。
最先端の理論と実践を謳いつつも、授業者と子どもの現状から大きくかけ離れた研究のなんと多いことか。
こなしきれないため、子どもが嫌々授業を受けている。
一体、なんのための研究大会なのでしょう?
自分たちの自慢のため?
そのために子どもを犠牲にしてどうする。
研究大会とは、音楽科教育の全国的な流れを受けつつも、目の前の子どもをどうするのか、ということのためにあるのです。
その意味で、授業者が今後の授業の展望を拓くことができたり、子どもが公開授業を通して成長できることが一番です。
今回のお便りには「音楽の授業に対する子どもの姿勢が積極的なものに変容した」とあります。
そして!
「今、授業することが楽しくて仕方がない」とも。
空知大会に携わった者として、これ以上の賛辞は考えられません。
わたしたちの研究は、子どものためにあるのです。
それが立証された瞬間ではないでしょうか。
そして、授業者自身がやってよかったと思えること。
これ以上の成果があるでしょうか?
この授業者と子どもたちは残りの日数でさらなる成長を遂げることでしょう。
お互いの心の財産として、いつまでも思い出に残るんじゃないかな。。。

私は自分に自信を持つことができません。
今回の大会が終わった後も、本当にこれでよかったのかという自問自答ばかり。
もっと違う方法があったのではないか?
嫌気がさして仲間から抜けていく人はいないだろうか?
負担をかけすぎていなかっただろうか?
いいことばかり言って、支えきれたのか?
一人ひとりをちゃんと見ていたか?
本当に空知の仲間のためになったと言えるのか?
終わった後も、次から次へと自責の念が襲ってきます。
それでも、子どもたちや全国の仲間たちのために、なにがしか一歩を踏み出さなければならない状況。
仲間からの一言一言ほどありがたいものはありません。
「やってよかった」と実感できるからです。
今回のお便りでたくさんの勇気と前向きな気持ち、やさしさをもらいました。
この虹のように、架け橋となることができるよう生きていきます。
あせらず、あわてず、ていねいに。
私の考えていること、やっていることが次の世代へと続いていくことを願って。

「3週間たって読み直して、すごい資料だと言うことがわかりました。」
という研究紀要や当日資料への言葉もうれしかったです。
いつまでも記憶に残るものであって欲しいです。
現在の私の思いのすべてを仲間の協力をもらって表現した資料なのですから。
そして、早く今回の紀要や資料を乗り越えて欲しいです。
形になった時点で、言葉になった時点で、すべてのものは古くなっていきます。
大いに批判し、よりよいものを作ってほしいなあ、と。
そう願うばかりです。

ウィーン世紀末展から

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枯れたひまわり。

この姿を見て何を表現するか。。。
青空に向かって黄色の大輪を咲かせていたことの追憶を表現するために描くのか。
自分の心の疲労困憊、ショックな出来事を表現するのか。
同じ対象物を見ても、表現しようとするものは人それぞれ。
自分の心の中にあるものを、その対象を通して表現しているだけ。
19世紀末、ウィーンで活躍していたクリムトの絵を見たくて出かけた札幌芸術の森。
会場に入ると、なんとも言えない退廃的な雰囲気が漂う。
クリムトの絵もすごかった。
こんなに力強く訴えてくる絵ってあるだろうか?
「生」に対する生々しいまでの表現。
それが女性というものを通して表現されつくしている。
ところが、もっと気になる画家を発見。
それがエゴン・シーレ。
表現されているのは「生と死」。
そして、対象の内面までも描き出そうとする観察眼。
一枚一枚の絵がぐさりぐさりと心に問いかけてくる。
なかでも「ヒマワリ」なる絵にショックを受ける。
描かれているのは枯れたひまわり。
その枯れたひまわりから「生」への強烈な確執が伝わってくる。
諦めているのでもない、悟っているのでもない、生々しい格闘。
それが頭から離れなくて、ついつい枯れたひまわりの写真を撮ってしまう。

他にも、シェーンベルクの自画像。
そして、1902年のマーラーの版画による肖像画もあって充実した一時を過ごすことができました。
CDのジャケットでいつも目にしていたこの版画。
本物を見たときの感動といったら。。。
その生きていた時代にタイムスリップしたかのような気分です。

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そして、シェーンベルクのもう一面である油絵。
シェーンベルクの音楽が聞こえてくるような感じでした。
残念ながら絵はがきはなく。。。
マーラーの版画とクリムトの「愛」の絵はがきを購入してきました。
音楽だけではなく、いろんなものに触れることって大切ですよね。

6月に見に行った佐伯祐三展にもショックを受けました。
特に「顔のない自画像」。
自分の作品を尊敬する画家から酷評されショックを受けた時の心を表現している絵です。
両腕はだらりと下げられ・・・。
自画像なのに、なんと!
顔がないのです!
心を、自分をなくすほどのショックを受けたのでしょう。
それ以後の絵画からは格闘が見えてきます。
郵便局員を描いた絵は最高の出来だと思いました。

神田日勝の「晴れた日に」。
強烈な明るい色調で描かれているのに。
伝わってくるのはもがき苦しむ姿。
左官ゴテが使用されているためかもしれません。
感じ方は人それぞれでいいのだけれども。
だからこそ、芸術って奥が深いですよね。

HAYDN

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フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph HAYDN)。
1732年3月31日に生まれ、1809年5月31に没したオーストリアの作曲家。
1809年というからロマン派の作曲家がそろそろ生まれようかという時期。
ベートーヴェンの中期の傑作群ともしっかり重なる。
そう考えると時代のつながりというか必然性というか・・・すごく不思議。
たくさんの交響曲と弦楽四重奏曲を書いていることから、「交響曲の父」とか「弦楽四重奏の父」と呼ばれている。
弦楽四重奏曲第77番の第2楽章は、現在ドイツ国家として使われているもの。
それぐらい有名な作曲家。

私はHAYDNをあまり聴いてこなかった。
ヘンデルから刺激を受けた壮大な二つのオラトリオ「四季」と「天地創造」。
快活で、アイディアに富んだ52曲あるピアノ・ソナタ。
後期の数曲の交響曲。
聴いていたのはこれだけ。
あまり興味を持っていなかった。
というよりも、多作に目が行ってしまい軽く見ていたような気がする。
全道音研の1ヶ月前、レコード芸術の付録CDに入っていたハイドンの「太鼓連打」と呼ばれている曲を耳にしてなんとなく興味をひかれる。
「HAYDN」っておもしろいかも!
そうなると聴いてみたいという気持ちが高まる。
全道音研終了のご褒美にしようと考え、交響曲全集を購入することを決意。
指揮者別に見ると全集を完成させているのは次の4人。
ホグウッド、ドラティ、アダム・フィッシャー、ラッセル・デーヴィス。
ドラティはストラビンスキー「春の祭典」の名演があり、好きな指揮者。
アダム・フィッシャーはハイドンが使えていたエステルハージ候の宮殿で録音したもの。
この二つが気になる。
それでインターネットで試聴。
聴いてみると、私の好みはラッセル・デーヴィスに向いてしまった。
古楽器を意識し、実際に金管群や打楽器はナチュラルトランペットなどを使っていること。
各曲の性格が明瞭で、聴いていて楽しかったこと。
そんなことが理由かな。
あくまでも個人の好みが左右する部分なので。

春秋社から出版されている「ハイドンの106の交響曲を聴く」を片手に聴き始める。
この本は学術的な部分が少なく、ワンポイント的に簡単に曲を紹介しているので、CDを聴きながら読むには最適(裏を返せばCDを聴かないとちょっと・・・)。
106曲とあるものの、私が購入したセットには107曲が入っている。
1~104番、105番(協奏交響曲)、亜107番、108番。
105番は協奏交響曲なので交響曲に数えられないことがある。
106番は未完成なので省かれることが多い。
107番と108番は初期の作品なのだけれども、後になって発見された。
こんな事情があるので、のだめカンタービレで演奏されている104番「」ロンドン」が最後の交響曲と言うことに。
HAYDNの交響曲はとにかく楽しい(ベートーヴェンからはここら辺の事情が変わってくる)。
アイディアが豊富で、ユーモアがあって・・・。
よくこれだけの数の交響曲の性格を描きわけることができたものだと感心してしまう。
初期の作品ほど、実際に演奏するのは難しいんじゃないかなあ。
HAYDNはエステルハージ候の組織するオーケストラを自分のものとして使用することができた。
つまり、自分の目の前にいる楽団員を見て、その人たちにあう曲を作っていた。
人によって得意な技術は違う。
身体的な影響から、自分に得意な技術でも他の人にとっては不得意であったり、その逆であったり。
交響曲としての形式がかちっとしているのだけれども、その枠の中でかなり細かいことをやっているという感じ。
独奏曲のような部分がけっこう多いような・・・。
合わせるだけでもかなり気を遣うんじゃないだろうか?
それが、後期の作品群になると、どのオーケストラでも演奏できるような作曲方法へと変化していく。
ここがモーツアルトとの違いかな。
モーツアルトは自分のオーケストラを持っていなかったので、どこのオーケストラででも演奏できることを想定して作曲するしかなかったので。
どちらがいい、悪いではなく、社会の変遷、演奏史の変遷。

聴いていてとにかくおもしろい!
今まで、何で聴いてこなかったんだろ?
37枚のCDなんだけれども、毎日2枚ペースで聴いている。
それくらいおもしろい。
決して軽い作曲家なんかじゃない!
私の誤解でした。。。
後の作曲家たちの大きな影響を与えている作曲家の一人。
心が生き生きしてきますよ!

http://sun.cside.com/haySym/sympho.html

「あづまジンギスカン」

鵡川にシシャモを買いに行くときに必ず立ち寄るお店。
厚真町にある「あづまジンギスカン」。

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長沼の「佐藤のジンギスカン」があればいいような気もするのだけれども。
もしかしたら・・・。
幻のジンギスカンが手に入るかもしれない予感がしたので(。・w・。 )
店に入ると・・・
あった!!!!!
厚真産生ラム肉のジンギスカン。
連休にしか売り出さないという幻の一品。
残り一袋・・・ラッキー(*^ω^*)ノ彡
すぐ手に取ってしまいました。
ジンギスカンというと最近はどうしても輸入物。
地元の肉を使用したものなんてなかなか手に入りません。
なんだかいいことがありそう!

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「牛すじ」はおでんの時に使うため。
「こにくちゃん」って知ってます?
鶏肉の一つで、喉の部分。
一羽から一つしかとれません。
こりこりしていて美味しいんですよ!
「小肉」とも言います。
焼き鳥専門店では「ネック」と呼ぶところも。
釧路の学生時代に更別村から来ていた後輩がいて、この肉の存在を教えてくれたのです。
それ以来のファン。
塩胡椒が合うんだけれども・・・。
このお店の味付けは格別。
鵡川に行くときはこれも楽しみの一つ。
そして!
「こぶしの湯あつま」の「あつま豚丼」も気になる。
次回はここにも寄ってみよう!

http://www.kobushi-atsuma.com/

最近、食べ物の記事が多いというご指摘。
全道音研が終わってからけっこう出かけているからなあ。。。
舞鶴はどこにでも行きやすい場所であることも一つの原因かも。
車があれば便利な土地です。
「カテゴリーを整理してくれたら、紹介してくれたところに行きやすい」とのアドバイスもいただきました。
そこで・・・
「くいしんぼうの日記」というカテゴリーを作りました(笑)

シシャモの旅②

シシャモの旅ってなんとなく「冬の旅」みたいな響き。。。
いつも買っていたお店は昨年で店じまい。
おじいちゃんとおばあちゃんがやっていたのだけれども、年齢のために・・・。
生干しがあまり好きになれなかった私に・・・
「シシャモは昔ながらの浜干しが一番なんだよ。」
と教えてくれたおじいちゃん。
「うちがやめたらここで買いな!」と教えてくれたお店に行きました。
有名な大きい店などで買うと、釧路産のシシャモを買わされてしまうのです。
産地表示されていませんから。。。
信頼できるお店で買うことが「鵡川産」を手に入れるコツです。

鵡川の道の駅から国道に出て静内方面に向かいます。
しばらく行くと左側にドライブイン、右側にセブンイレブンが見えてくるので、右折してセブンイレブン横の道をずっと進み、線路を越えて鵡川漁港を目指します。
ちょっと奥まっているので、途中で引き返す人がけっこういるので注意。

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鵡川港に向かう途中にの左手にマルキタ食品が見えてきます。

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店の中に入ると・・・。
お~、あるある。
オスの方が味が濃いので私は好き。
でも、この前の台風の影響であまり獲れていないようで・・・。
オスだけでは売ってくれませんでした。
残念!

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そこで、シシャモと宗八カレイを購入。
また買いに来ればいいや。。。
あ~、カスベとホッケも気になる~(≧∇≦)

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次回来るときには、大漁でありますように!
今日の晩ご飯は海の幸。

シシャモの旅①

秋だ~!
秋と言えば、やっぱりシシャモ。
毎年必ず鵡川に買いに行っているのだけれども。
なんと!
舞鶴からだと1時間かからないで行けることが判明。
そうなるといてもたってもいられない。
シシャモが頭から離れない。。。
半日学校でお留守番。
公開研が近いのでトイレ掃除をした後、さっそく鵡川へ。
まずは「シシャモ寿司」。
お目当てのお店が大混雑で入店できず゚゚(´O`)°゚
大野水産で。

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メニューにはたくさんの種類。
でも!
「シシャモ寿司」。

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とにかく新鮮なものでないとお寿司にできないので。
ぜひぜひ、食べてみて下さい!

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「シシャモ寿司」に「シシャモ汁」、「シシャモの漬け物」。
シシャモ三昧ヽ(*≧ε≦*)φ
シシャモ寿司にはゆずと山椒と塩を混ぜたものをふりかけて。
醤油よりも私はこの食べ方の方が好きです。
あ~、やっぱりうまい!

生干しのシシャモはあまり好きではないので・・・。
お腹が一杯になったところで他のお店にシシャモを買いに。
GO!

家の顔

「玄関は家の顔」

私の尊敬する方が北海道新聞にこう書いていました。
玄関を入ったときにその家の雰囲気が伝わってくる。
一番最初にお客さんが入る場所だからこそ、気を遣いたい。
また、出勤するときも玄関から。
帰宅するときも玄関から。
出勤の時には、「今日も一日いいことがありますように」。
帰宅の時には、「今日一日お疲れさま」。
そんな気持ちになれる場所にもしたいものですね。
私の家の玄関は季節に合わせて飾りがけっこう変わります。
「あ~、もうこんな季節なんだな」
季節の流れと玄関が一体化した感じで、自然の中に生かされている自分を確認できる場所となっています。
毎日心豊かに。
飾り付けを選ぶのも楽しみの一つ。
今は・・・ハロウィン。
カワイイ(?)カボチャたちが楽しく送り迎えしてくれます。
カイが登っては、カボチャのろうそくを落とすけど・・・(-゛-メ)

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今は学校の玄関に栗を飾っています。
緑色だった栗もすでに茶色に。
もうそろそろハロウィンの物に変えなきゃ!
どんな物にしようかな(o^-^o)
考えるのも楽しみの一つ。

「いちえ」

10月16日(金)は私の勤務する学校の公開研究会の日。
その日に向けていろんな作業を分担して取り組んでいます。
職員数の少ない学校なので、全員で協力しての作業。
私も紀要の表紙や開催要項などを受け持っていて今日はその作成と印刷。
印刷を進めていくうちにインクと用紙切れ(。>0<。)
これは買いに走るしかない!
ということで40分もあれば行ける札幌まで。
ついでに食事と買い物も( ^ω^ )

まずは「釜飯」の美味しいお店で昼食。
恵庭市にある「いちえ」というお店。
そう!
タカトシのトシとハリセンボンのはるかが紹介していたお店です。

http://www.kama-ichie.com/index.html
 

釜飯が好きなので、気になっていて。。。

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たくさんののぼりが目印なんだけど・・・
地元の人でないとわからないかも。

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ランチタイムはこんな感じ。
3分間蒸らして・・・。

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「生ホッキ釜飯」・・・いただきま~す!
食べ方には4段階があって・・・。

その一 まずは、そのまま
その二 「薬味」をのせて
その三 「刻み漬け物」をのせて
その四 「お茶漬け」で

釜飯でお茶漬け?
でも、これがうまいんだなあ。。。
驚きの味!
種類も多くてどれにするか迷う!
「いちえ特製」がオススメかも。。。
そうそう、予約をしてから行った方がいいです。
かなり混雑しています。

前奏曲OP.3-2

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10月3日のフィギュア・スケート・ジャパン・オープン。
浅田真央選手が今季のフリー演技を初披露。
曲はラフマニノフの「鐘」。
数ヶ月前に発表になった時からずっと気になっていた。
いったいどの曲のこと?
ラフマニノフには、独唱、合唱と管弦楽のための詩曲「鐘」OP.35という曲が存在する。
人生の4つの場面に鳴らされる鐘を4楽章構成で表現した曲。
第1楽章は人間の誕生の希望と歓び。
第2楽章は結婚という人生の幸せと愛。
第3楽章は人生の不幸や恐怖。
第4楽章は死の苦しみや怒り・・・それでも幸福を追い求めようとする人間の心。
この曲もすばらしい。
でも、この曲じゃないはず。

きっとピアノ曲の方に違いない。
ミッキー・マウスも弾いているし、ラフマニノフ自身もアンコールでこの曲を弾くまで聴衆が帰らなかったくらい有名な曲。
クレムリン宮殿の大小様々な鐘の響きに影響を受けて作曲されたと伝えられる曲。
正式名称は「前奏曲 嬰ハ短調 OP.3-2」。
本来は、幻想的小品集という5曲からなる曲集に収められている。
第1曲 エレジー
第2曲 前奏曲 嬰ハ短調(この曲)
第3曲 メロディ
第4曲 道化役者
第5曲 セレナード
ところが、ラフマニノフはすべての長調と短調、つまり24の異なる調性で前奏曲というピアノ作品をつくる。
このOP.3-2、OP.23の10曲の前奏曲、OP.32の13曲の前奏曲。
これで24曲。
このOP.3-2の嬰ハ短調は前奏曲の第1曲とされ、荘重な響きのする音楽。
私は当然、浅田真央選手はピアノ曲で演技するものと思っていた。
ただ、Lentという速度指定と、A、Gis、Cisの音や同じ音型が繰り返されるために、演技するとなると間がもたいような気が・・・。
いったいどんな風に演技するのか・・・期待がふくらむ。

そして、とうとう初公開の日。
なんと!
響いてきたのはオーケストラの響き。
オーケストラによる編曲版を使用したことがわかる。
ただでさえ重たい響きなのに、もっと重たい響きになるんじゃないのか?
それにしても!
この重々しくて壮大な曲をよく表現していたなあ。
曲に派手さがない分、見ている人に理解されるにはまだまだ時間がかかるだろうけど。

この曲は私が大学4年の時に取り上げた1曲。
私は、トリルの連続や速いパッセージが苦手。
でも、オクターブとか和音の連続、音色、強弱の幅、曲の雰囲気作りは得意な方。
その自分の特徴が生きる曲を探しては演奏していた。
このOP.3-2は和音の響き、強弱の幅、間の取り方など自分の特徴を生かせる曲。
最初のA-Gis-Cisのあとの和音を弾き出すまでにしっかりと間を取り、緊張感を高める。
最初の1ページでは決してあわてない。
そして、Agitatoの中間部。
E-Dis-D-Cisの四分音符を響かせての三連符の連続。
中間部に入ったとたんにイン・テンポで弾き出すのか、それとも徐々に速度を上げていくのか。
当日は徐々に速くするほうを採用。
E-Dis-D-Cisを毅然と強調して弾いたあとはフレーズごとに速度を揺らしてフレーズの最後に向かって納める弾き方にする。
そうすることで感情の揺らぎを表現。
これがオクターブ上で繰り返される時にはこの揺らぎをなくし、左手と右手の交互の和音の開始部分に向かって徐々に速度を上げ、強弱を強くする。
この左手と右手の交互の和音の連打はA-Gis-Cisから始まる再現部に向かって下降するに従って強くしていく。
再現部は
堂々と弾く演奏とちょっと速めの演奏を準備。
当日は、聴いている人の興奮を高めるためにちょっと速めに。
曲の一番最後で徐々に間を長く取るようにして最弱音で終わる。
いろいろ考えて弾いていたなあ、と。
浅田真央選手の演技を見ていろいろと思い出しました。

今年もフィギュア・スケートのシーズンとなりました。
楽しみが増えます(*^-^)
浅田真央選手、渋くてこの演技するには難しい曲をどう仕上げていく?

自分を活かす

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「ようやくマーラーの音楽がわかってきたような気がする。
私が演奏するとすればどの曲が自分にふさわしいだろう?」
マーラーの交響曲を本格的に取り上げようとしたときのカラヤンの言葉。
この時、カラヤンは円熟の年齢。
その年齢まで演奏しなかったということは、何か納得できないものがあったにちがいない。
マーラーという作曲家の作品を通して、自分をうまく表現する自信がなかったにちがいない。
そんなカラヤンの「どの曲が自分にふさわしいだろう?」という発言に対して、次のような批判が浴びせられた。

「合う合わないだけで演奏する曲を決めるのか」
「心からの曲への共感がない。」
「演奏効果ばかり狙っている」
「ブームになったから取り上げるだけ」
「自分に合う曲しか選ばないのは演奏者としての良心に欠ける」
などなど・・・。

でもなあ・・・どんな人間にだって得手不得手、合う合わないがあるでしょ?
カラヤン以外の指揮者の中にだって絶対にオペラは指揮しないとか、この作曲家は指揮しないとか、この曲だけは指揮しないとか・・・自分の才能や持っているものに合わせて選んでいる例はたくさんある。
自分の持っているものや才能をいかに発揮するか。
自分の持っているものや才能をいかに活かすのか。
まずは自分の得意なもので勝負。
自分のやり方とかが見え始め、ある程度の結果を残せるようになったところで、徐々に自分の幅を広げていけばいい。
カラヤンでさえ、マーラーという作曲家にまで幅を広げるのにかなり時間がかかったというだけのことなんじゃないかなあ。
だからこそ、「ようやくマーラーの音楽がわかってきたような気がする」と正直に発言しているのだと思うし。
それだけ取りあげるのに時間のかかった作曲家。
作品の中から自分の持っているものを最大限に引き出せる曲を選択しようとするのは当然なんじゃないだろうか。
円熟の境地にまで達した指揮者なんだもの、失敗するわけにはいかないだろうし。
常にある程度の結果を出していかなきゃいけないんだろうし。
この年齢で新しい曲とか作曲家に取り組むということの方が勇気のいることなんじゃないだろうか?
徐々に自分のレパートリーを広げていく中で、自分の適性と照らし合わせて、たまたまマーラーが最後になっただけなんじゃないか?

カラヤンのことを長々と書いてしまったけれども、学校現場で働く私たちにも同じことが言える。
自分を活かす場所というものがやはりある。
行った先々で全力を出し切るのは当たり前のこと。
ただ、その前に自分の持っているものやよさを存分に発揮できる場所をできれば選択したいもの。
この選択するということが大事。
絶対に自分の持っているものを最大限に発揮できる場所は存在するのだから。
ただし、自分の希望した通りにならなくても腐らないこと。
一生懸命にやるうちに何かが見えてくる。
その与えられた場所や条件で自分を最大限に発揮できるものがないかどうかを探ること。
異動先の学校、そこの校風が自分に合っているかどうか。
職員の構成、自分の位置は?
何を期待されているのか?
分掌、自分が発揮できるものはどれか?
専門分野、自分の能力を生かせるものがそこの学校にあるか?
相手を知り、これから所属しようとする構成員の性格を知り・・・。
その上で自分のできることは何かを探る。
どんな形で人間関係を築いていけばよいのか。
自分を活かす方法を常に考えていかないと。
ただ単に一生懸命に仕事をこなしているだけでは、自分のよさが出てこない。
自分のよさを発揮できないと、それがまわりにも波及し、結果として子どもたちに影響を与えてしまう。
自分を見せる方法を考えよう。
自分のよさを発揮できる方法を考えよう。
自分を活かす方法を考えよう。
それは決して自分の手柄のためにあるのではない。
子どものため、学校全体のものであることを忘れずに!
まずは得意分野で勝負!
そして、自信がついてきたらそこだけにとどまらずに、必ず新しいことにもチャレンジしていくこと。

なんだかよくわからない文章になってしまいましたが・・・(^-^;

カチョカバッロ

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「アンカケ焼きそば」を食べた後、Kitaraに向かう。
確か無料開放の日。
普段見ることのできない楽屋とかあちこちの見学と、ワンコインコンサート。
ところが!
橋の手前に警察官w(゚o゚)w
迂回の指示をしている・・・何かが変。
仕方なく左折すると、前方にたくさんのランナーが・・・。
マラソン?
結局、Kitaraには行けず(。>0<。)
「あいすの家」によって帰ってきました。

そこに値段の下がった「カチョカバッロ」というチーズを発見。
買ってしまいました(*゚ー゚*)

「カチョカバッロ」とは・・・」頭の小さい瓢箪型のチーズ。
ところによっては洋梨型のものも。
「カチョ」はトスカーナや南イタリアではチーズを意味する言葉で、「カヴァロ」は馬を意味する。
くびれに紐を引っかけて棒の左右に吊らして熟成した姿が馬の背にまたがっているような格好なので、この名前が付いたという説が名前の由来では有力。
モッツァレラチーズと同じくパスタフィラータという製法で作られるので、熱にかけると糸を引くようにとろけて伸びる。
燻製をかけたもの、熟成が若いもの、かなり熟成させたものと同じチーズでもいろんな楽しみ方がある。
若いうちはミルキーな甘みが感じられるし、熟成が進むとだんだん強い風味と固さが増してくるので料理用に向いている。

今回はナチュラルなものと燻製をかけたものの両方を購入。
5ミリほどに切って、火であぶって食べます。
宝水ワイナリーのケルナーと合わせてみようかな。
Kitaraに行けなかったけど、ちょっと幸せ!

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三八飯店

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長万部にある「浜チャンポン」で有名なお店「三八飯店」。
その札幌支店が札幌白石区にあることを発見!
じっとしていられなくて、さっそくお出かけ。
目標は「アンカケ焼きそば」。
カタカナというところがポイント。

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つくと・・・混んでる混んでる。
出てきた「アンカケ焼きそば」。
お~!
昔通りの大盛りサイズ。
何とか食べきることができました(^-^;

この「アンカケ焼きそば」は思い出の一品。
大学時代、貧乏学生だった私。
お金が無くて昼御飯を抜いていた私に「つくりすぎちゃって・・・」と時々弁当を手渡してくれる方がいました。
気づいたら毎日になっちゃいましたが・・・。
お金がなくて喫茶店に入ることもできないでいる私を「このお店、ちょっと気になるから付き合って」とある意味強引に連れて行き・・・。
入店するやいなや「バイトでお金が入ったからこれ使おう」と二人分の紅茶代をそっと渡してくれたことも。
誕生日のプレゼントなどは私が弾いてみようと思っている輸入盤の楽譜だったり、ブラームスの交響曲のスコアだったり、本だったり。
私の方はお金がなかったので、紅葉とか貝殻とか好きな風景とかを。
そうは言っても必死にお金を貯めてプレゼントしたこともありましたが。
その方が最初に務めたのが長万部付近の中学校。
遊びに行ったときに最初に食べたのがこの「アンカケ焼きそば」でした。
その後婚約したものの、お父さんが病気で入院、そしてお亡くなりになり・・・。
いろんな事情が重なって釧路に戻らなくてはならなくなりました。
「親の事情で自分の人生を変えるな」がその方のお父さんの最後の言葉だったのですが・・・。
愛国という土地に何回通ったことか。。。
話し合った結果、婚約の解消。
断腸の思いで、胆振管内から釧路管内への人事異動がかなうよう、その方に内緒であちこち手を尽くしました。
お世話になった最後の恩返し。
こんなこともあるんだなあ、と。
気持ちを整理するのに3年かかりました。。。
「アンカケ焼きそば」を食べながら、いろんな方との出会いや支えがあってここまでなったんだなあ、としみじみ思いました。
こんな話でスイマセン。
すっかり過去のものとなっているから書けるので・・・(o^-^o)
こんな思い出があるからこそ、プッチーニの「ラ・ボエーム」が大好きなんです。

校種の特性

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小・中の連携と言うけれども、そのためにはそれぞれの校種の特性をしっかりと押さえておくことが大切。
両方を経験してみると、発達段階の特性がいろいろと見えてくる。

教えた分だけ素直に吸収していく小学校の児童。
高学年になるにつれて自立心が強くなり、反抗的な態度を取ることもあるけれども基本的には素直。
教師の期待に素直に反応するし、応えようとする。
教師が何を教え、伝えるかで大きく変わる。
どんな風にも染まってしまう感じで、その意味での責任の重さを強く感じる。

やる気があるんだか無いんだか正直に見せない中学校の生徒。
心の中は「やりたい」と思っているくせに態度は正反対。
はにかみと反発。
でも、ふとした瞬間にすばらしくいい表情を見せてくれる。
ともに過ごしていく中に葛藤があり、ドラマがある。
この瞬間のためにやってきたんだと思える瞬間。
この生徒を見捨てなくてよかった、と。
その瞬間が中学校教師としての醍醐味。
揺れ動く思春期のまっただ中に直接かかわることのできるおもしろさ。

小学校の1年生から6年生までのすべてを見ると、よくここまで成長したなあという感慨が。
全く言葉の通じなかった1年生が1学期までの短い時間の中でちゃんと育っているんだもの。
そして、学年が進むにつれて育った姿を見ることができる。
教育ってすごいと思う。
その間の小学校の先生方の努力といったら。
中学校に入学してきた子どもたちを見て、物足りないと思う中学校の先生方もいるかもしれない。
でも、それは小学校の先生が手を抜いている結果ではない。
必死に教えて指導して、ようやく現状の所まで育っている。
そこを理解しないと「小学校で何やってるんだ!」となってしまう。
また、中学校は生徒の自主性に任せる部分が多くなる。
自分たちで考え、自分たちで計画して創りあげる過程の重視。
できあがったものがイマイチになることもあるけれども、創りあげる過程の中で何を得たかを大切にする中学校の先生たち。
そこを理解しないと、「小学校で育てたのに中学校の先生方は子どもたちを高めていない!」となってしまう。

それぞれの校種の特性を知ることって大切。
自分だけを主張していたのでは連携なんてあり得ないし。
かたくなに自分の陣地に閉じこもっていたのでは広がりも出てこない。
同じ思いを持ち、同じ目標を持っているのに、特性の違いだけで背中合わせになることがすごく悲しい。
学習内容の連携がすごく注目されている。
9年間の学びの連続とか、って。
それだけでなく、発達段階の特性を押さえた交流ってもっと必要なんじゃないだろうか?

いま、小学校に勤めていて毎日が発見の連続。
楽しくて楽しくて仕方がない。
でも、小学校で得たことを活かして中学校に戻ったら何ができるだろう。。。
そんなことを考えるときがある。
両方を経験したからこそ、伝えられることってあるんじゃないかと。
2年ごとに交互に勤務するのもおもしろいような気もするし・・・。
自分にやれること、自分を活かすことのできる場所を選ぶ。
それが人事。
次はこのことを書きたいと思う。

器楽合奏ができるまで

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全校児童21名による「世界に一つだけの花」。
リコーダー、ピアニカ・・・まずはそれぞれの楽器群に別れてパート練習。
担当の先生がつきっきりで指導。
でも、なかなか楽譜通りに演奏できない。
音程はわかるのだけれども、リズムが加わると、とたんに弾けなくなる。
特に鉄琴、木琴は大変。
楽譜は見なきゃならないし、マレットで叩く瞬間も見なきゃならない。
同時に複数のことをやるって難しいんだなあ。
同じパートでも八分休符の後に入ったり、八分休符分ずれて入ったり、微妙に違うリズムだったり。。。
焦る気持ちからか、とにかくマレットでたどたどしく叩く練習をする子どもたち。
楽譜に書かれている通りに叩けるように必死なのはわかるけれども、楽譜の最初から叩いているだけでは上達しない。
そこで!
音を確認する練習とリズムの練習とをわけ、口でリズムを言う練習を伝授。
口でリズムを何回も何回も歌って覚えてもらう。
これが完璧にできるようになるとちゃんとたたけるようになっているから不思議。
同時に複数の要素がかかわっているときは分解して練習させるといいですよ。
また、複数の奏者がいるときにはゆっくり演奏させて相手と自分とのタイミングを確認することも。

次は器楽合奏の要、大太鼓と小太鼓。
このパートが速くなったり遅れたりするともう大変。
簡単に合わせられるところはほっといても自分たちで練習できる。
とにかく、リズムが分担されているところの仕組みを説明。
自分が入るタイミングは相手のどの部分なのかを確認。
大太鼓の裏に小太鼓が入る、ズンチャチャと一続きに聞こえるけれども二つの楽器でわけて演奏しているとか。
ゆっくり確かめ、リズムの仕組みを理解したあとは、できるようになるまでとにかく部分練習。
1小節単位で無理であればもっと細かく。
そこができるようになったら少し前の小節から合わせる。
決して慌てずに。
最初に時間をかけて、ていねいに説明すればするほど後が楽。
今では二人の呼吸もピッタリ。
ずれていても立て直すことができるようになりました。

ある程度パート練習が終わったところで全体で合わせの練習。
ところが。。。合わない。
いくつかのパートがかろうじて最後まで行くだけ。
それぞれの速さでとにかく自分のパートを演奏する。
自分のパートがどんな役割なのか、どの楽器の後に入るのか、合わせたときにどんな響きになっているのかが全くわかっていないため。
ここまできたら模範演奏のCDを聞かせる。
あっという間に耳で覚えていく子どもたち。
その後はCDに合わせて自分の入るところを確認しながら練習。
あれほど苦労していたのはなんだったんだろう・・・というぐらい上達する。

だんだんと合わさってくると練習がおもしろくなるみたい。
長休み、昼休み、放課後などちょっとでも時間があると自主練習が始まる。
家に楽譜を持ち帰って練習する子どもも。
ここまでなるともう後は自分たちで仕上げていく。
教師の役目はここまでかな。

小・中学校音楽発表会に向けて必死に練習してきた子どもたち。
ところが新型インフルエンザの関係で発表会は中止。
学習発表会に向けて演奏に磨きをかけています。
日一日と上達が目に見える。
小学生ってすごい!
演奏に透明感が出てきたんですよ!
先生の指揮も曲の特徴をとらえていてバッチリ!
マーカーとペンで色分けしてあって、どれだけ楽譜を勉強したかがわかるスコアとなっていました。

「ねえ きみ」

P1020129

ねえ きみ 友だちを 知ってるかい。
平気で いつも楽しそうだけど
だれもが 一つ以上の 悩みをかかえ
こらえながら がんばっているのが 友だちだ

ねえ きみ 自分を 知ってるかい。
たとえ 勉強やスポーツが苦手でも
かならず 二つ三つは自慢できるものがある
それに気づいていないのが 自分なんだ。

ねえ きみ 生きるって 知ってるかい。
きみの中にある その自慢できるものを
どれでもいいから 輝かせてごらん
それが きみにとっての 生きることなんだ

ねえ きみ 命って 知ってるかい。
きみが もし死んだら 親や友だちも泣く
かけがえのない タカラモノ だから
生きられるだけ 生きてこそ 命なんだ

ねえ きみ 未来って 知ってるかい。
どうなるか わからない これからを
きみの知恵と 力で きりひらく
そのわくわくする 冒険が 未来なんだよ。

自分に自信が持てない子どもたち。
自分の存在意義がわからない子どもたち。
一人ひとりがかけがえのない存在であることに気づいていない子どもたち。
この先自分がどうなっていくのか、見えない未来におびえる子どもたち。
自分の価値に気づかずに落ち込む子どもたち。
ちょっとした言葉に傷ついてしまう子どもたち。
大人に比べたら、その生きてきた年数は二分の一か三分の一。
大人には予測できることでも、子どもにとってみると全く予測のつかない世界。
経験が少ないんだから当たりまえ。
経験の多い大人だって思い悩むときがあるでしょ?
一人ひとりの大切さを語りかけていきたいものです。

この詩は坂本光男さんという方が作ったものです。
大切だと思う言葉を空欄にして、子どもたち一人ひとりに考えさせる方法もあると思う。たとえば、第1節の3行目。
「誰もが 一つ以上の 何をかかえていると思う?」とか。
作者と同じ答えにならなくてもいいじゃない。
まずはその子どもたちが考えたものを受け止めて。
意見が出た後で、「作者はね、悩み って書いたんだよ」と伝える。
立派な道徳だと思うけれども。

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