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音符カーソル

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2012年6月の18件の記事

「REBORN」

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かつて、

CDをいただいた。

その日は・・・

私の誕生日。

だから・・・

誕生日プレゼント。

袋から出したとたん、

なんとも言えないあたたかい気持ちが心にあふれた。

CDのタイトルは・・・

「REBORN」

これほど的確に、

伝えたいことが表現されているプレゼントは初めてだった。

考えに考えぬかれたプレゼントだと思った。

いまでも、

その時の衝撃は忘れていない。

相手のことをしっかり考えて、

贈り物を届けることの大切さも教えてもらった。


それ以来、

誕生日には、こんなことを考えている。


1年1年、

毎年やってくる誕生日。

それは年齢を積み重ねるだけの日ではなく、

生まれ変わる日。

新しい自分が始まる、

重要な意味を持つ日。

それをこのプレゼントは気づかせてくれた。


音楽の用語で言えば、

「ダ・カーポ」。

繰り返しではなく、

最初に戻る。

しかも、

最初に戻って、

同じことを繰り返すのではなく、

新たな表現を付加して。。。


心からのありがとうを!

「な」の力

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2012年4月17日。

毎日新聞の「発信箱」に次の記事が載っていた。

書いたのは小国綾子さん。

題名は・・・

「な」の力。

新進気鋭の作曲家、佐藤賢太郎さんが東日本大震災のあと、作詞作曲した合唱曲「前へ」を、毎日のように口ずさんでいる。
大切な人の思い出を抱きしめ、一歩一歩前へ ー そんな歌詞だ。
震災から1年間、この国でもっとも多くの人々が被災地を思いながら歌った合唱曲かもしれない。

歌はこんなふうに始まる。
<覚えている
 あなたの暖かな手を>

どうしてだろう。
「あたたかな」と口にした途端、泣きそうになる。
何度歌っても、この部分で鼻の奥が熱くなる。
最近めっきり涙もろくなった私だけれど、こんな曲は初めてだ。
なにが心のツボなのか、歌詞を反すうするうち、気がついた。

「な」の持つ力じゃないかしら。

「あたたかい手」ではなく「あたたかな手」。
「あたたかい」という形容詞と「あたたかな」という形容動詞。
歌ってみればよくわかる。
たった一文字の違いなのに、心に届くものが全然違う。

連体詞の「な」もそうだ。

「大きい夢」と「大きな夢」。
「小さい声」と「小さな声」。

「い」と違って「な」は、心にふんわりと広がる。
イメージが豊かにふくらんで、書き手の願いや祈りのようなものが伝わってくる。
たった一文字の平仮名が、こんな力を持っているなんて。

書くことを仕事にしていると無力感や罪悪感に襲われることがある。
人の深い悲しみや不条理な大災害に触れるたび、「書くことでなにができる?」と自問する。
「絆」
「寄り添う」。
言葉に罪はないのに、安易に使えない、使いたくない言葉ばかりが増えていく。
だけど・・・。

今、「な」の力をかみしめる。
言葉の力をあきらめない。


「大きい」と「大きな」。

「小さい」と「小さな」。

国語辞典で調べて見るも、

違いがわかったような、

わからないような。。。

もっと文法を真剣に勉強しておけばよかった。

知識を持っているのと持っていないのとでは、

説得力が違う。

まあ、

意味の違いはよくわからないけれども・・・。

語感が違う。

言葉から受ける感じや印象。

「大きい」「小さい」がそのものの状態のような感じ。

「大きな」「小さな」の方は、

状態だけではなく、

そのものが持っている意志のようなものを感じる。

突きつめて調べれば、

きっとその違いは明確なのだと思う。

感覚だけで書いている自分がもどかしい。。。

ほんのひとつの言葉であるけれども、

人に伝えるために、

こだわりたいと思う。

人によって受ける感じや印象は違うかもしれないけれども。

サッポロ クラシック

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やっぱり、

北海道と言えば、

ビールはこれでしょう!

コクが違うもの。

うれしいことがあったときには特に。



普段は健康を考えて、

ホッピー。

それなら飲むなって?

そういうわけにはいきませんcoldsweats01

「SUKIYAKI」

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「SUKIYAKI」

と聞いて・・・

食べ物を思いうかべた?

歌の方だよhappy01


永 六輔さんの作詞

中村 八大さんの作曲

そして、

坂本 九さんが歌った、

あの

「上を向いて歩こう」



それが海外へ行くと

「SUKIYAKI」

に。

日本の歌でこれほど海外でヒットした曲はないとのこと。

なぜこれほどまでにヒットしたのか・・・

それがわかるアルバムを一つ。



男性4人組グループ

「4P.M.」

のアルバム

「NOW’S THE TIME」

私のお気に入りですheart02




It's all because of you,
I'm feeling sad and blue
You went away, now my life is just a rainy day
And I love you so, how much you'll never know
You've gone away and left me lonely

Untouchable memories,
seem to keep haunting me
Another love so true
That once turned all my gray skies blue
But you disappeared
Now my eyes are filled with tears
And I'm wishing you were here with me

Soft with love are my thoughts of you
Now that you're gone
I just don't know what to do

If only you were here
You'd wash away my tears
The sun would shine once again
You'd be mine all mine
But in reality, you and I will never be
'Cause you took your love away from me

Girl, I don't know what I did
To make you leave me
But what I do know
Is that since you've been gone
There's such an emptiness inside
I'm wishing you'd come back to me

If only you were here
You'd wash away my tears
The sun would shine once again
You'd be mine all mine
But in reality, you and I will never be
'Cause you took your love away from me

Oh, baby, you took your love away from me

訳?

英語が大の苦手なので無理!

「角や」

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豚丼の特盛り!

栗山町角田にある・・・

「角や(かくや)」

http://kiteru-kuriyama.com/?p=14556

行ってごらん!

といわれていたのに、

なかなかその機会に恵まれず。。。

ようやく寄ることができました。

炭火で、

ていねいにていねいに焼かれる豚肉。

しかも、

いろんな部位を楽しむことができる。

豚肉のうまみををいろいろと味わうことができる。

来てよかった~!

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こんな感じの看板が見えて・・・

夜しかやってないのかなあ。。。

なんて思っていたら、

お昼もやっていました。

Img_1378

朝から、

栗山でサッカーの応援、

夕張でのバスケットボールの応援、

和太鼓とよさこいの応援。

車で応援めぐりの一日。


豚丼、

特盛りにした理由は・・・

金曜日に血が下がっている感じがしたこと。

ジーンズがゆるくなってきたこと。

つまりスタミナ切れではないかと判断したからcoldsweats01

美味しい豚丼でしたよ!

自分の癖

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「なくて七癖」

とは昔からよく言われた言葉。

自分では気づかなくとも、

人それぞれに、

癖って・・・

けっこうあるもの。

みなさんの癖は?

自分で把握してる?


私の癖は・・・

ていねいにていねいに説明しようとするあまり、

核心からずれてしまう。

外堀から埋めてしまうために、

中味がわからなくなる傾向に。

伝えるときに、

すべてを話する必要はない。

結論だけを端的に伝える。

聞きたいことがあれば、

相手がちゃんと質問するはず。


相手に話が伝わっていないと感じたとたんに、

身振り・手振りが多くなる。

伝えようとするあまり、

ついつい手が動く。

相手にとっては煩わしいだけ。

落ち着きなく見られてしまう。

言葉で正確に伝えるようにしたい。


「え~と・・・」

言わないようにしているのだけれども、

年をとるとともに増えてきた言葉。

若い頃は使ったことがない言葉。

次から次へと言葉がでてきたから。

ところが、

最近はすぐに言葉がでてこない。

それで、

間をつなぐために

「え~と・・・」。

言葉を選ぶ時間稼ぎについつい発してしまう。

でてこないのなら沈黙でいいと思う。

無理して発してかえって聞きにくくなってしまっている。

沈黙のまで相手を集中させる技術が必要かな。


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これら3つの癖は自分でも意識しているもの。

まずは意識的に気をつけていきたいと思う。

意識して直していかないと・・・

癖って直らないものだと思うので。

ステップアップしたいなあ。。。

叱らずに・・・

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どうしても目立ってしまう。

そんな子どもはどこにでもいるはず。

一つのことに集中できない、

他に気になることがあると話題が変わる、

奇声を発してしまう、

やらなければいけないことが後回し、

話を聞けない、

暴れてしまう、

・・・。

気になるものだから、

教師の方も指導をしようと必死。

そうなるとその子ばかりに注意をしてしまう。

注意が多くなると、

それに対する反発も強烈に。

それに対して指導もさらに強くなる。

悪循環。。。


先日も、

「自分ばかり怒られる」

と怒られた事実にのみ反発している子どもを発見。

怒られるようなことをしているんだけれども、

本人はそれが理解できない。

なんとかしようと必死に指導するのだけれども、

あまりにも注意されるものだから、

感覚的に教師を受け付けなくなってしまった模様。

こうなると指導にならなくなってしまう。


ためしに、

叱らないことにしてみた。

目についたものを次から次へと話題にするので、

話はそれっぱなし。

でも、

それらを気にせず、

簡単に受け流す。

(いつもなら、

 ちゃんと話を聞きなさい、と怒られるだろうに。)

そして、すかさず、核心の話題。

次はなんの時間?

「図工だよ」

と答えた瞬間、もう次の話題に。

それも受け流し。

(いつもなら、

 話を聞いているの?と怒られるだろうに。)

準備するものなんだっけ?

「絵の具セットだよ」

ここで、

よく覚えていたね、とほめる。

(いつもなら、

 わかってるならさっさとしなさい!

 

と怒られてるだろうに。)

何分までに教室に行くの?

「◎時○分までに行くんだよ」

さすが!

よく覚えているね、準備しておいで。

こんなやりとりのあと、

遅れることなく準備をして図工室に行った。

そのこともほめると、

すごくうれしそう。

この方法でいけるかも!

と思った瞬間だった。

その子に応じた言葉かけをしていかないと。。。

教師の指導どおりに動かそうとしても、

そういかないときがたくさん。

あの人は自分に合わない、

と思われた瞬間に指導も入らなくなってしまう。

まあ、

授業を持っているわけではないので、

毎時間、その子に会っているわけでもない。

たくさんの子どもを一人で教えていれば、

難しいことなのだろうけど。

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このやりとりを見ていた方が寄ってくる。

「にしあつさん、

 特別支援学級の担任をしていたでしょ!」

一回もないよ。

と答えるとビックリされてしまった。

「対応が上手だったので・・・

 そちらの方面に進んでも大丈夫ですよ!」

特別支援の経験もなければ、

小学校経験もなかったんだよ。

と話をすると驚きはさらに大きく。。。

小学校の経験がないから、

適切な助言ができず、

先生方に迷惑をかけていると思う、

と正直に話をした。

「そんなことない、向いてます!

 これからも、ずっと小学校で!」

そんな言葉をかけてもらってとてもうれしくなった。


この方は・・・

今年3月に退職した元同僚にそっくり。

表情も、

発する言葉も、

やることも、

そっと支えてくれるところも。

私の数少ない理解者の一人だった。

この方と出会わせたかったな。

きっと、持っているものを最大限に発揮してくれただろう、と。



もし、自分が中学校にいていたら・・・。

わかっている分、

謙虚さがなくなっていたと思うし、

奢りから努力を怠っていたと思う。

迷惑をかけているけれども、

勉強しながら新しい自分を見つけている今、

この方が自分の生き方に合っていると思う。

「牛」

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中学校3年生になった時のこと。

始業式に登校し、

教室に入ると壁一面に詩が貼り巡らされていた。

じっくりじっくり、

時間をかけて読んだのを覚えている。

担任の先生がくれた最高の贈り物。

それが・・・

高村光太郎さんが作った「牛」。

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まつすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を堀り土を掘り石をはねとばし
やつぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味わつて行く
ふみ出す足は必然だ
うわの空の事でない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかへらない
足が地面へめり込んでもかへらない
そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしやらではない
けれどもかなりがむしやらだ
邪魔なものは二本の角にひつかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなつて為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の自信を強くする
それでもやつぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
自然を信じ切つて
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につつ込み食い込んで
遅れても、先になつても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思はない
牛は自分の孤独をちやんと知つてゐる
牛は食べたものを又食べながら
ぢつと淋しさをふんごたえ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいつて行く
牛はもうと啼いて
その時自然によびかける
自然はやつぱりもうとこたへる
牛はそれにあやされる
そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思い立つてもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡知にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちやを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるほいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢつと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとつての努力ぢやない
牛にとつての当然だ
そしてやつぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争はない
争はなければならない時しか争はない
ふだんはすべてをただ聞いてゐる
そして自分の仕事をしてゐる
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機ではない
ねぢだ
坂に車を引き上げるねぢの力だ
牛が邪魔者をつつかけてはねとばす時は
きれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりつこい
邪悪な闘牛者の卑劣な刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつつかける
つつかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力はかうも偉大だ
それでもやつぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えてゐる草を食ふ
そして大きな体を肥やす
利口でやさしい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた啼声と
すばらしい筋肉と
正直な涎を持つた大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

不器用で、

要領が悪かった。

そんな自分だからこそ、

この詩が心に残った。

どんなにゆっくりでも、

確実に一歩一歩を踏み出していけばいいのではないか。

必然の一歩を。




その担任の先生も、

校長を退職して約8年。

大人になってから同じ街で働くことになるとは思わなかった。

今年の3月、

立場が変わって2回目の退職。

その感謝会の席で、

この詩のことを話し、

「ありがとう」を伝えた。

数えてみると、

32年目のありがとうだった。

「新しい学校を頼む。

 まかせたぞ!」

力強い握手とともに、

目から一筋の光るものが流れていた。

つくづく、

縁とは不思議なものだと思った。

命の不思議

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厚い厚い雪も解け、

生命の息吹を感じる春。

芽を出したばかりの、

新緑がまぶしい、

生まれたての若葉。

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時を刻み、

形を整え、

徐々に成長しつつ、

豊かな緑へ。

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緑があつまり、

緑に囲まれた初夏。

生命の力強さを感じる季節。

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その力強さも、

色を変え、

変化を伴いながら、

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やがては熟成の時を迎える。

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木々を離れ、

表を見せ、

裏を見せながら舞い落ち、

次の世代へ。

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元の木は、

次の春にも芽吹き、

再び若葉へ。



命の不思議。

変わり種看板

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地下鉄の階段を下りようとすると、

突然、

目が合うこの看板。

ちょっと横にずれても、

前に進んでも、

後ろに下がっても、

目があってしまう。。。

一瞬、どきりhappy02

目なんてあっていないから!

とついつい反発したくなります。

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なにが?

と聞き返したくなる看板。

一体何のことを聞いているのだろう・・・。

近づいていくと・・・。

眼鏡屋さんの看板でしたsad

ついつい、

変な期待を・・・。



おもしろい看板を見つけると、

思わずにやり。

人を惹きつけるアイディアがすごい。

きっと、

まだまだあるんでしょうね。

新緑の樽前ガロー

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3年ぶりの樽前ガロー。

リュックサックにカメラを納め、

長靴に軍手、帽子を装着。

前回があまりにも軽装すぎたので・・・think

懐かしの樽前ガロー。

一歩緑の中に踏み込むと、

ウグイスの声、

セミの声が新緑のカーテンから降り注ぐ。

緑の匂いが心地いいい。

ここの静けさが大好きhappy01

Dsc_0485

現地に向かう途中、

心配していた雲も切れ、

美しい木漏れ日の点描。

邪魔されることなく、

ただ一人、

じっくりと緑との対話を楽しみました。

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透き通った水に反映するモスグリーン。

長い長い年月をかけて、

自然が偶然に作り出した光景。

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崖一面の苔を強調するために、

あれこれと、

カメラの設定を変えてみました。

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ちょっと光が強すぎ?

でも、

崖一面に苔が生えているのがわかるでしょ?

Dsc_0484

水の動きにも、

変化を与えてみました。

今回は水量が少なかったように思います。

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周辺の緑も濃いでしょ?

熊に会わないように、

鈴を鳴らしながらの散策でした。

今度はいついけるかな。。。


支笏湖に、

樽前山に、

小樽に、

東京カテドラル。

行きたいところはたくさん。

「買い物」

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なんだかよくわからないけれども、

バタバタとしている毎日coldsweats02

ホッと一息ついたところで、

朝日新聞の夕刊に目を通す。

そこにある詩が、

心に安らぎをもたらしてくれた。

「買い物」

谷川俊太郎さんの詩だった。


隠しているのではない
秘密にしておきたいわけでもない
やましいことは何一つない
誰に話してもかまわない
ささやかな買い物 でも
知っているのは世界中で
自分ひとりだけ

いつかは忘れてしまうだろう
私の心のジグソーの一片
でもそんなかけらが合わさって
私という人間がいる
不思議



毎日毎日起こる様々なできごと。

たくさんのできごとも、

もしかしたら・・・

自分だけが知っていることかもしれない。

自分だけが関心を持っていることかもしれない。

ちっぽけなできごと。

そして、

そのできごとは、

偶然に起こっているわけではなく、

必然があってのできごと。

だからこそ、

自らの意志で手に入れる「買い物」。

しかも、

「ささやか」な。。。

うれしいことも、

苦しいことも、

楽しいことも、

悲しいことも、

すべては自分を形づくるもの。

今あるできごとが合わさって、

自分という人間ができあがっていく不思議。

生きるってすばらしいと思う。

卵を守る

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先日の焼き肉大会。

その後片付けに汗を流す。

ドラム缶を半分に切った焼き肉台。

炭が燃え切ったあとの灰を取り除き、

焼き台置き場に行くと・・・。

穴の空いた焼き肉台からこちらを伺うものがいる。

ポケットに入れてあるカメラを取り出し、

ぱちり。

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鋭い目つき。

騒ぐことなく、

じっとこちらを見ているその相手は・・・。

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セキレイ。

巣を作っているのか・・・。

こんな焼き肉台の下に・・・。

まあ、雨は当たらないだろうけど。

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そのうち、

親鳥は巣から飛び立ち、

原っぱに降りる。

私との距離はごくわずか。

ギリギリ近くになるまで逃げようとしない。

目と鼻の先になると、

ほんの少しだけ遠くに飛ぶ。

決してその場から逃げ出すこともなく・・・。

私との距離を測っている。

私の気を自分に引かせているのだと思った。

そうすることによって巣を守ろうとしているのだろう。

すごいな、と思った。

P1030275

雛がかえるまで。

カラスなどにねらわれないように、

焼き肉台をしっかりかぶせておいた。

カラスはこの穴を通ることができないので。

子どもたちに見つかることもないように、と。

あとはそっとしておこうと思う。

穴から、

親鳥が戻っていくのを確認してから立ち去った。

「SALICE SALENTINO」

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美術館とコンサートのあと、

自宅に戻らなくてはならなくなり、

家で飲むためのワインを購入することに。

「サリチェ・サレンティノ」

イタリアのワインwine

ここのお店では、

イタリアのワインを勧められることが多い。

納得のものをちゃんと選んでくれるのがうれしい。

Img_1370

「今日は安くて美味しいワインがありますよ!」

あれこれ試飲させてくれたものの、

すべて白ワイン。

しかもスクリューキャップ。

スクリューキャップとわかると・・・

なぜか購入をやめてしまう私。。。

変なこだわりだよねcoldsweats01

こちらの予算と「赤」、

そして重ための味ということを伝えると、

2本選んでくれた。

真っ赤なラベルが気に入ったので今日はこちらに。

Img_1367

決め手は・・・

「1杯だけ飲みますか?

 それとも、

 2杯、3杯と飲みますか?」

当然、2杯、3杯と飲むので・・・

そのことを伝えると、

くどすぎないものをすすめてくれたようですthink

Img_1368

栓を抜いて・・・

写真を撮ろうとすると・・・

匂いをかぎに来るcat

Img_1369

結局は・・・

いつものように・・・

ちょいちょいちょい・・・。


コクのある強い味だけれども、

飽きがこない。

今日見てきた大原美術館のこと、

聞いてきた「MIssa solemunis」、

あれこれと思いおこしながら楽しみました。

「大原美術館」展を見て

Img_1371

北海道立近代美術館へ。

楽しみにしていた「大原美術館展」を見に行く。

入場すると・・・

S字型の曲線が美しい肖像画が目に飛び込んでくる。

幸せの中にも翳りがあるような・・・。

直後の悲劇を暗示しているというか・・・。

この絵を見たくて来たので、

直接作品を見ることができて感激だった。

じっくり、じっくりと眺め、

全作品を鑑賞したあとに、

もう一度見てから帰路についた。

モディリアーニ作

「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像

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モネ:積みわら

ロダン:ゴロツキの首

熊谷守一:陽の死んだ日

草間彌生:No.RED.Z.A

白髪一雄:赤壁

ジョルジュ・マチウ:青と赤



近・現代の作品が多く、

画家の訴えていることが衝撃として伝わってくる。

画家の心情がストレートに筆致として残されている感じ。

娯楽で見ることを拒まれているような・・・。


大転換した光のとらえ方、

悲痛なまでの心の叫び、

心の病のストレートな表現、

荒々しい感情のほとばしり、

細部への徹底的なこだわり、

機械的なものの繰り返し、

・・・


何のための芸術であるのか。

生きることの模索。

強烈に印象に残るものだった。

5月27日の北海道新聞から。。。


その小さなブロンズ像3体は、展示順路の中ほどに置かれたケースの中にあった。
彫刻家オーギュスト・ロダン作の「ゴロツキの首」「ロダン夫人」「ある小さき影」。
道立近代美術館(札幌)で開催中の「大原美術館展」(会期は7月8日まで)で展示されている。

いずれも9年前に有島記念館(ニセコ町)の特別展で公開されているが、札幌での展示は100年ぶり。
有島武郎らが創設した東北帝国大学農科大学(現・北大)の絵画同好会「黒百合会」展示会(1912年10月)でお披露目されて以来という。

3点は、武者小路実篤や志賀直哉、有島武郎、生馬の兄弟ら「白樺」同人にロダンから直接贈られた。
当時、日本に初めてもたらされたロダンの実作として大きな反響を呼んだ。

白樺派は、自分の西洋美術館設立を目指して募金運動などに取り組んだが、建設を果たせず、他の収集作品とともに3点を大原美術館(倉敷市)に永久寄託した。

「広く市民に美術を楽しむ場を」という同人たちの夢は、美術品収集や若手画家の支援に尽くした実業家大原孫三郎が創設した大原美術館に受け継がれた。

<直覚の徹底と技巧の精確とは見る者を驚かすばかりだ>と有島を感嘆させたロダン彫刻。無骨な顔貌でまっすぐ前を向く「ゴロツキの首」は世紀をまたぎ、その目に映してきた近大美術史を語っているかのようだ。


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7月20日からは・・・

東山魁夷展が始まる。

こちらも今から楽しみ。

清澄で深い情感をたたえた絵に会える。

容量不足。。。

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仕事をしていると・・・

「この仕事は自分の容量を超えているな」

と思えるものに出会うことがある。

これまで自分が培ってきた力量以上のもの。

築きあげてきた自信なんてどこへやら、

あっという間に打ち崩されてしまう。

なんとかなるさ!

という気持ちと挫折感や不安が入り交じる。

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「こんなはずでは・・・」

と打ちのめされたり、

その現実に抗ったり。

強がってみせたり。。。

特に若い頃には、

自分の容量不足を認めたくなくて、

無理をしていたように思う。

できる人間を演出したかった。


では今は?

できないことをすなおに受けとめ、

分析している自分がいる。


自分の力量の限界なのか?

そうであれば、

「ごめんなさい」と、できる部分だけに集中したり、

その仕事からは手を引く。


持っている技能を磨けばなんとかなる?

そうであれば、

ひたすら勉強。

自分にないものをせっせと努力で身につける。


おかげさまで、

今までの容量不足は、

すべて二つめ。

勉強と努力で解決できるものばかりだった。

容量不足の自覚は、

自分に足りないもの、

これから身につけなくてはいけないもの、

これらを明確にする一つの通過点となっている。

Dsc_0463

だから今回も、

容量不足をすなおに認める自分がいる。

大切な仲間からのメール、

そして会話でも、

「自分の容量を超えているよ」

と正直に伝えることができる。

そんな私のつぶやきに、

「容量不足の実感は、

 容量が倍増する前触れですよ」

と伝えてくれる。

これまでもたくさん壁にぶつかってきたけれども、

ちゃんと克服して今に至る自分がいる。

目をそらさないこと、

逃げないこと、

できない自分を受けとめること。

もどかしいときもあるけれども、

今を乗り越えると、

今までとは違う自分ができあがっていると思う。

いいときに伝えてくれてありがとう。

初夏の大通り

Img_1340

花一杯の大通り。

もしかしたら今が一番きれい?

なんて思ってしまいます。

さわやかな風を身体で感じながら・・・

ベンチでゆったり。

こんな日があってもいいかな、

なんて思いました。

Img_1337

噴水が涼しそうでしょ?

人がいない合間にパチリ。

後ろはにぎやかな人だかりなんですよ。

Img_1341

この写真は・・・

もうちょっとうまく撮りたかったですdown

意外に絵にならなくて・・・。

初夏がやってきたうれしさ、

を表現しようと思ったのですが・・・。

Img_1343

札幌大通りと言えば・・・

トウモロコシの屋台。

ぜひ、焼きトウモロコシを!

けっこう食べている人がいました。

鳩に注意だけれどもねchick

Img_1344

高いビルの上ではこんな作業も。

高所恐怖症の私には無理!

Img_1327

今日の楽しい一日も、

この札幌駅から始まりました。

芸術とは・・・

Img_1351

大原美術館展、

札幌交響楽団のコンサート。

美術と音楽。

この二つの芸術にどっぷりと浸かることのできた一日。

衝撃的な絵画の数々、

深い思いがたたえられた感動的な音楽、

これらに接して

あれこれと考えさせられた。

そんな日だったので、

本当は飲みに行きたかったんだけれども・・・。

Img_1359

美術は・・・

作者が対象と向き合い、

五感を働かせて受けとめた様々なことを、

自分なりの技法で絵画や彫刻などで表現し、

鑑賞者に提示し、

視覚や触覚などを通して訴えかける。




ところが、音楽には表現と創作の二つがあって、

どちらも創造的な行為ではあることには間違いない。

でも、ちょっと複雑。

音楽表現は(即興表現をのぞく)・・・

演奏者が作曲者の残した楽譜と向き合い、

それを読み込み、

五感を働かせて受けとめた様々なことを

音楽として表現し、

聴衆に聞かせる。

その作曲者は・・・

対象となるものから、

五感を使ってさまざまなことを感じ取り、

楽譜という形に残す。


演奏者と画家は、

直接観客や鑑賞者に訴えることができる。

ところが、

作曲者は演奏者を介さなければ、

鑑賞者に訴えることができない。

残された音符だけで、

自分が表現しようとしたことを読み取ってもらうのはかなり難しい。

筆跡や音符の書き方などで伝わるものがあるけれども・・・。

演奏者がどれだけ作曲者の感じていることを読み取ることができるか。

反対に、

作曲者の意図したものから抜け出そうとする場合も出てくると思う。

意図的でなくとも・・・

一人ひとりの感じ方は違うので、

それぞれの演奏者が自分の考えや感じ方で演奏することにより、

結果として様々な演奏が残ることとなる。

ショパンやラヴェルのように、

楽譜にきっちりと書き込まれている作曲者の場合は、

それほどの違いは出てこないかもしれないけれども・・・。

それでも、

演奏者によって全く違う印象になることがある。



違う芸術に触れること。

大切なことだと思う。

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