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2013年2月の16件の記事

「いいね!」

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「Facebook」の話題。

記事の後には・・・

「いいね!」

「コメント」



というものがあり、

そこをクリックして、

読んだよ、という意思表示ができたり、

コメントとして自分の考えを述べることができるようになっている。

ただ、

時々躊躇することがあって・・・

記事の内容が事故のことであったり、

悲しい内容のことであったりした時に、

本当に「いいね!」でよいのかどうか。

かといってコメントするだけの時間がないこともあるし。。。

悩みに悩んで、

「いいね!」

にする時もあるけれども。

相手の方は不愉快に思っていないのかなあ、

と心配になったり。。。

それとも、

無反応の方が気になるのかなあ。。。

どうなんでしょうね?

シベリウスの交響曲

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久しぶりに、

シベリウスの交響曲を聴く。

3月2日の札幌交響楽団のコンサートの予習もかねて。


交響詩「フィンランディア」OP.26

交響曲第3番OP.52

交響曲第1番OP.39


当日のプログラムの曲順でhappy01

シベリウスの交響曲と言えば・・・

私がよく聴くのは、

1番、2番、5番、7番。

3番、4番、6番、クレルヴォ交響曲・・・

聴いてはいるのだけれども、

しっかりと頭に入っているわけではない。

まずは「フィンランディア」。

フィンランドのすばらしさを音楽で表現した、

まさに国民主義的な熱い曲。

中間程で流れる宗教的な音楽が美しい。

そして、交響曲第3番。

室内楽的な響きの中に、

宗教的な祈りに満ちた音楽が流れる。

霧に包まれたような茫洋とした旋律の中から、

透明感のある、

清らかな音楽が流れ出す。

交響曲第2番までの雰囲気の違い。

もしかしたら・・・

シベリウスの分岐点となった曲なのかも。

フィンランディアと交響曲第3番。

この2曲はエーテボリ交響楽団、

ネーメ・ヤルヴィ指揮の演奏。

最後は交響曲第1番。

クレルヴォ交響曲の次に書かれた交響曲。

果てしなく続く雪景色のようなクラリネット独奏の響き。

その後に続く大地の生命力のような雄大な旋律。

初期の作品だからこその魅力が一杯。

所々チャイコフスキーのようなところもあるけれども。

だからといって魅力が減じることはない。

今回聴いたのは・・・

ウィーン・フィルハーモニー交響楽団、

バーンスタインの指揮によるもの。

独特の演奏ではあるけれども・・・

一度聴くと忘れられない程の衝撃があります。





ここまで聴くうちに、

ついついはまってしまい・・・

すべての交響曲を聴くことに。

3番、4番、6番、クレルヴォ交響曲・・・

そのどれもがすばらしく、

もっと聴いておけばよかったと後悔しています。




3月2日のコンサートが楽しみになってきましたnotes

「清しく・・・」

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ジャズ歌手の黒岩静枝さんを招いてのコンサート。

学校という空間が・・・

あっという間にコンサート会場に変身!

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玄関に入ってすぐのこのホール。

ここの音が私は大好きです。

誰もいない時に、

こっそりとここでピアノを弾きましたが、

すーっと音が高い天井まで吸い込まれていくのです。

ここで音楽会を開けたら・・・

ずっと考えていたことが実現しました。

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まずはドラムとピアノのセッションから。

後半では、

子どもたち50人程がステージで打楽器で音楽に参加。

会場全員が一体となった瞬間でした。

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私が音楽科教諭として最後に指導した曲。

「手紙」

のことも覚えてくれていて、

会場みんなで歌う場面も。

その当時の思い出が心によみがえってきました。

最後は「Oh Happy Day」を全員で。

楽しい土曜日となりました。

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清々しいよりも、

「清しい」の方がきっぱりしている。

その通りだと思いました。

そして、

いただいた「HEAT OF JAPAN」のCD。

コンサートでも歌っていた「紙のピアノ」に・・・

涙があふれてきます。

お忙しい中、本当にありがとうございました。




来年度もいることができれば・・・

次はロックコンサート、

10分間ミニコンサートなども開催したいなあ、と。

黒岩さんのお力を借りて、ドラム教室もおもしろいかもhappy01

「雪灯りの路」下見編

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初めて見に行く「雪灯りの路」。

まずは撮影場所を下見。

明るいうちに、

夜の光景を想像しながら・・・。

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今は寒々とした感じですが、

灯りがともると、

暖かな雰囲気になるから不思議。

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こんなものまで発見!

氷づけのカニcancer

溶かして食べたいです。。。

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いろんな趣向が凝らされていますよね。

そのお店にぴったり!

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この方々の存在を忘れてはいけません!

あっという間に雪が降り積もるので、

そのたびにボランティアの方々が雪を払いのけます。

そのおかげで、

美しい灯りを堪能できるのです。

寒い中、本当にありがとうございます。

「猫山さん」

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小樽に行って、こんなものを発見!

「猫山さん」cat

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この猫山さん、

おしりに刺激を与えると・・・

笑い転げるhappy01

そかも、

その笑い声が尋常ではない。

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見ているこちらも・・・

ついつい笑ってしまう。

幸運を呼ぶ猫なのですnotes

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とはいえ・・・

カイcatにとって猫山さんは敵のようで、

笑い転げる猫山さんと戦っています。

攻撃を受けながらも猫山さんは、

今日も大笑いです。

「雪灯りの路」4

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路で迎えてくる灯りの数々。

そのどれもが個性的です。

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寒い中、

犬たちが出迎えてくれたりもします。

背中が丸まってる?

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色とりどりのグラスにと盛るろうそくの炎。

寒い中にも暖かみがあります。

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どれだけの時間と、

どれだけの労力を使ったのでしょう。

おかげで、

美しい灯りを堪能できました。

ボランティアの方々、

寒い中、お疲れ様でした。

すてきな灯りをありがとうございました。

書評の楽しみ

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毎週、日曜日の朝。

楽しみにしているものがある。

それが・・・

各新聞社の「書評」。

最近出版された本について、

批評家の方々があれこれと読後の感想を述べているコーナー。

最初はさっと斜め読み。

そうすると、

気になる本が必ず出てくる。

自分が考えていることに必要な本、

趣味に生かせそうな本、

日々を豊かにしてくれそうな本、

興味を持っていることについての本

・・・

そんな本が出てきたら、

とにかくメモ。

そして、

月に2回程出かける大型書店で立ち読み。

もしくは図書館で確認。

これが私の情報量を支えているのだと思う。

あくまでも自分にとっては、

楽しみでやっていることなんだけれども・・・。





本に限らず、

音楽も、

美術も、

ありとあらゆるものにたくさん触れ、

できれば実際の本物に接すること。

それが大切なのだと思う。

音楽だって、

CDショップで耳にした音楽、

ラジオやテレビから流れてくる音楽に刺激を受けることがたくさん。

街をぷらぷら歩くだけでも、

目や耳、鼻に入ってくる刺激はたくさん。

たくさんのものに触れ、

そこから気になるものを選んでいくことで、

自分の幅が広がっていく。




とかく知性(学力?)ばかりが注目されている今、

感性を磨くことを訴えていきたい。

知性と感性は二分化できるものではない、

というのが私の考え。




札幌に出かけるのも、

飲みに行くばかりではないのです。

知らない土地に写真を撮りに出かけるのも、

すべて自分の情報量を維持するため。

感性を磨くためですhappy01

「雪灯りの路」3

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明るいうちに下見を終え、

暗くなるまで小樽の町をうろうろ。。。

17時30分頃になると・・・

柔らかな光が町にあふれ出します。

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降り積もった雪を

ボランティアの方々が払いのけ、

待ちに待った光景が現れます。

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一瞬の隙を突いて、

パチリ!

撮影ポイントになっているので、

かなりの人なのです。

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こんなに美しい灯りなのに・・・

一人というところがちょっと寂しい。。。

でも、

一人だからこそ、

好きな場所に行って、

好きなだけ写真を写すことができたので、

これでいいと思いますhappy01

「未完成」

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クラシックジャーナル編集長

中川右介さんの本。

最近、次から次へと出版されているけれども、

そのどれもが質が高く、

刺激に満ちている。

本屋巡りをして、見つけた時には即購入!

そんな状況が続いています。

今回は・・・

作曲の「未完成」作品に関する本。

ねつ造された言い伝えや誤解の数々、

それらをそぎ落とした後に残るもの。

「芸術作品における完成とはなにか?」

と言う問いがぐっと迫ってくる。

考えてみると・・・

世の中に完成したものってあるのかどうか・・・。

出版するための校正段階で音符を書き換える作曲家、

演奏してみて改訂作業を進める作曲家、

周りからの意見を聞いて書き直す作曲家、

第1稿、第2稿、第3稿、改訂稿・・・。

楽章を入れ替えたり、書き直したり。。。

今演奏されている曲だって、

すべて完成形といえるかどうか・・・。

もしかしたら、

存在するすべての曲は「未完成」なのかもしれない。

音楽に限らず、

かの「モナリザ」はダ・ヴィンチが最後まで手を加え続けたというし・・・。

自分も、

研究紀要を仕上げた時、

完成した、と言う気持ちにはなれなかった。

できあがったとたんに、

直したいところが次から次へと出てくる。

とりあえず、今の時点で形として残したようなもの。



「未完成」・・・

だからこそ付加価値がついた曲もあるかもしれない。

でも、

完成、未完成にかかわらず、

魅力ある曲は、やっぱりすばらしいのではないか。

それがチャイコフスキーの例で紹介されていたりする。

「トゥーランドット」が未完成になった理由も、

納得がいく。

やっぱり鍵を握るのはリューだよなあ。。。

トゥーランドットとカラフが愛を謳歌する不自然さ。

ショスタコーヴィチの「オランゴ」にも魅力を感じる。

様々な理由があって「未完成」にはなったけれども・・・

それらを通して、人間ドラマが見えてくる。

おもしろかった!

「雪灯りの路」2

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2月14日ということで・・・

今日はこんな写真を集めてみました。

二人が寄り添い、

そこにハートの光がともされる。

一枚目の写真、

ちょっとお気に入りですhappy01

そんな演出が多かったですheart04

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ろうそくの優しくて、

やわらかい光が、

何ともいえないあたたかさを醸し出しています。

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どことなく・・・

愛嬌があるよね。

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雪の中、

下見をした時に撮影した「恋人たちの誓い」。

夜はこんな表情になるのですね。

ほんわりとあたたかい気持ちになりました。

「雪灯りの路」1

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運河沿いもすばらしかったけれども・・・

私が特に心惹かれたのがこれ!

紅葉のワックスボール。

何ともいえない風情があるのです。

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優しさあふれる灯りが、

木々に支えられている。

人工的な演出なのに、

自然を感じるから不思議。

しばらくじっと見ていました。

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今回は手宮会場の方はいけなかったけれども。。。

次の機会には、是非!

写真も、

キャンドルモードでとってみたらどうだっただろう?

露出を変えたらどうだったかな?

と列車に乗ってからされこれ思いつき・・・coldsweats01

再チャレンジしてみたいのです。

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当然。。。

小樽の酒場もうろうろしてみたいしhappy01

「雪灯りの路」

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成人式での同窓会。

担任をした一人の方から薦められました。

「是非、見に来て!」、と。

小樽の大学に通い、

商業の勉強がてらイベントに関わっているのだとか。

列車trainで50分。

行ってきました!

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15時くらいについて、

小樽の町をうろうろ。

撮影場所を確認しつつ、

時間をつぶしました。

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17時30分くらいになると、

町に夜がやってきます。

あふれかえる人、人、人・・・。

それをかき分け、

順番を待ちつつ、

写真cameraをパチリ。

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川面の灯りは・・・

浮き球を使っているのか・・・。

何ともいえない優しさのある光です。

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人の多さに疲れたけれども・・・

行ってよかったです。

小樽の飲み屋で一杯、

といきたかったけれども、

予算の関係で我慢think

夜の雪祭りに寄ろうかとも思ったけれども・・・

遅くなってしまったので、

そちらも我慢。。。

しばらく小樽の写真が続きますhappy01

「集団ネットいじめ?」

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牧太郎の大きな声では言えないが・・・

毎日新聞の記事から。

今から50年も前、小学6年の頃、同級生から、「カネ、持ってこい!」と命令された。

仕方なく、母親の財布から5円玉を3枚くすねて、”要望”に応えたが、、ある日、母親から「気がついていないとでも思っていたのかい?おまえを泥棒にするつもりはないから出て行きなさい!」とこっぴどく叱られた。

「悪ガキに、”持ってこい!”といじめられているんだろう。その子の親に”お袋に5円玉を盗むのを見つかったので、これが最後です”と言って15円渡しておいで!」と言う。

どうしたらいいだろう。

結局「実はおふくろに・・・」と事情を話したら、悪ガキは驚いて「いじめ」は終わった。

「いじめ」は、いつの時代にもあった。

数十年ぶりに同窓会で再会した悪ガキは「俺にいじめられた?おぼえていない」とまじめに答えていたから、我々の時代の「いじめ」は”加害者”がすっかり忘れてしまうような「悪戯」だったかもしらない。

それに引き換え・・・大津市で起きた「いじめ」が原因とみられる中2男子生徒の自殺。
涙が出た。

自殺の練習をさせられた、と聞き、これは「犯罪」嫌々「悪魔の仕業」ではないか?とさえ思った。

半世紀で「いじめの質」が変わった。

もっと恐ろしいこともおこっている。

7月初め、ネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」に「中2自殺 生前に自殺練習強要」というタイトルでスレッドが立つと、書き込みが殺到。

「加害者親子共々逮捕して牢屋に入れとけよ。ああ、ついでに警察も一緒に入っとけ。そんで死ぬまで出てくんな」

聞くに堪えない文言が続く。

正義感の発露と思いたいが、これは“加害者”に対する集団「ネットいじめ」ではないか。

そればかりではない。
自殺した中学2年に対しても侮辱の言葉が出てくる。
家庭を、学校を、地域を中傷する。

匿名を盾にして集団で辱める掲示板こそ、日常的に「いじめ」を繰り返す集団リンチではあるまいか?

この半世紀で、とげとげしい「物言い」が普通になった日本。

「いじめ」を憎む言葉が新しい「いじめ」を生む。
第2,第3の自殺者が出なければいいのだが・・・。

昔からいじめはあって、

でも昔のいじめの方が質はよかった・・・

と言う話を聞くこともあるけれども、

本当か?

やられた方の心にはしっかりと残っているはず。

昔も今も、いじめは許されるものではないと思う。

また、

加害者が被害者に。。。

情報化社会の恐ろしさだろうか?

いとも簡単に立場が逆転してしまう怖さ。

優しさのある社会にならないものだろうか。。。

「車内アナウンス」

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松尾貴史のちょっと違和感

という記事から。。。

テレビの番組には、余計な情報があふれている。
食べ物を味見程度にタレントが食い散らかした後、次のコーナーや話題に移る際、「残りはスタッフがおいしくいただきました」というテロップが出るのは、何のためだろうか。
もちろん、「苦情を避けるため」なのだろう。
「食べ物を粗末にするのはけしからん」というのは、おそらく40年も前から言われていることだろうと思う。
コントでケーキやスイカを使い破壊的な演出を施すと、必ずと言っていい程、テレビ局には電話がかかってくる。

確かにその通り!
番組を作っている方も、そうすることのばかばかしさを笑っているのだが、世間様はなかなか許してはくれない。
食べ物を食べ物として扱っていても、食べ残しがもったいないという電話はかかってくるようだ。
しかし、その電話代がまた無駄だとも思う。
クレーマーのみなさんは「世直し」のつもりなので、優先順位が違っているのだろうなあ。
グルメものには「スタッフがおいしく」がつき、事件もののドラマには「この作品はフィクション」がつき、曲芸的な娯楽には「まねをしないでください」がつき、通販番組には「あくまで個人の感想です」がつく。
クレームを少しでも減らそうと、いろいろと知恵を絞っている結果が、こういう「断り」字幕の花盛りだ。

放送のあれこれ緒を書くのが通例になっているけれど、夏休み時期ということもあって、ちょっと変化球で「車内放送」について感じていることをいくつか。
特急列車に乗っていると、車内のアナウンスや注意書きには、余計な情報が満載である。
「車内の」アナウンスで「駆け込み乗車はおやめください」と言っていることに、車掌さんたちに違和感はないのだろうか。
「もう乗ってるやん」の一言をつぶやいた人は多いのではないか。
駆け込み乗車を止めるのは、ホームまでのステップでやってくれないだろうか。
もう乗ってしまっている人間に、「おやめください」と言うのはおやめなさい。
それに、「やめろ」と言うなら、すでにやっている人へ向けた言葉だ。
「駆け込み乗車はなさらないようご協力をよろしくお願いします」と言えばまだ「おかしさも中くらいなりおらが秋」ではないか。

私が昔から疑問に思っているのが、「最近、社内での盗難が増えております。お手回り品にご注意を」という、おためごかしなものである。
以前にもどこかで書いたことがあるけれど、少なくとも私はこれを四半世紀聞き続けた。
そんなに増え続けたのなら、完全に泥棒列車ではないか。

「危険物の持ち込みは禁止されております」も、何のためかがよくわからない。
内容は正しいが、だからといって、このアナウンスを聞いて、「はっ!ワシは危険物を持って乗るのをもうやめよう」と思う人物がいるのだろうか。
そんなに高いハードルを越えてきた奴らは、どう考えてもそんなアナウンスごときで改心はしない。

「持ち主のわからない荷物がありましたら乗務員までお知らせください」にも疑問が残る。
ほとんどの荷物に対して私はそういう認識だ。
あれは誰のかな?
これは誰のだ?
と気にしながら乗る客の顔が見たいものだ。

近年聞かれるようになった、「お使いになったリクライニングなど元の位置にお戻しください」は、困ったものである。
そう言われなければ、使ったものを元通りにしない客が多いから、これが加わったのだろう。
飛行機のまねなのかもしれない。
しかし、飛行機は安全のために「しろ」と命令しているのであって、次の客のためのセッティングを客にやらせているのではない。

何かあった時にクレームをつけられないように、

マナー違反を注意しやすいように、

失敗をしないように、

事故を防ぐように、

・・・

いろんな場面で気を遣うことが多くなった。

「もしかしたらこんなことが起こるかもしれない」

ということをあらかじめ予測し、

それに対処できるような言葉を事前知らせておく。

そうしないと・・・

「誰もそんなこと言わなかったし、どこにも書いていない」

とクレームが来ることが多いから。

それにしても、

自分で常識を考えて行動できないものか。

いつから、こんなにも自分で考えなくなったのだろう。

親切なようでいて、

子ども扱いされてるような気分になってしまう。

「ジャパニーズ・カンパニー」

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どんな姿で働くかという原点。

ひたむきで、

誠実で、

強くて、

やさしくて、

賢い。

成果ばかりが求められているような今の社会にあって、

立ち止まって今一度考えてみたい。

作家である池井戸潤さんの記事から考えさせられた。

バブル以前の日本の会社には、どこかアットホームな雰囲気があった。
仕事が終わると上司が部下を連れて飲みに行き、業務のことだけではなくプライベートなことまで相談にのってくれる。
職場でキツイことを言っても、一方で、「あいつにもあいつの悩みがあるんだよ」、と慮るだけでの心の余裕があった。
運動会や社員旅行が恒例行事で、「全社一丸となって」なんて言葉が違和感なく飛び出す。
終身雇用と年功序列に守られ、「いい大学を出て、いい会社に入れば一生安泰」という図式がそのまま当てはまった。

ところが、今は違う。
上司は、部下が個人的なことで悩んでいようと、そんなことに構う余裕がない。
求められた実績が上がらなければ、叱責するか人事考課で容赦なくマイナス点をつけ、「使えない奴」のレッテルを貼る。

その昔、全員参加の会社行事を鬱陶しいと思い、「何でこんなバカが上にいるんだ」と年功序列にいらだって実力主義を望んでいた人たちは大勢いたと思う。

だが、イザそうなってみたとき、人間味のあった職場は殺伐とし、一丸であったはずの組織は、ただ孤立する個の集合体になった。
癒やしもなく慰めもない職場で、心を病んで休職している人は相当数に上がるはずだ。

一方、社外に目を向けてみると、一億層中流の時代だったはずが、気づいてみるとワーキング・プアや出口のない非正規雇用が社会問題になっている。
いつの間にか中流の生活そのものが高嶺の花だ。

果たしてこの変化の原因は何だろう。

真っ先に思いつくのは、バブル崩壊以後の企業業績の悪化だ。
入社から定年まで面倒を見る終身雇用システムは、会社が右肩上がりの成長を続けることが前提である。
業績が悪化した会社が相次いでついに人員整理に踏み切った時、日本的企業経営とそれに寄りかかった雇用システムは実質的に終焉を迎えたのではないか。

また業績悪化は、一方でモノの見方や評価軸の変更ももたらした。
コスト削減の御旗の下、経営効率を高めるための無駄がどんどん切り捨てられていく。
その過程で、カネの尺度が社会的な、あるいは文化的な尺度よりも優先されるようになった。

リコール隠しや粉飾決算など、企業を巡る不祥事の多くは利益優先故に起きた反社会的行為だし、企業スポーツなど文化活動の縮小もコスト優先の結果だ。
もちろん、業績が赤字なのに文化事業を継続することが正しいとも思えない。
問題は、それを縮小する時、仕入れ値や外注費を削減するのと同じ感覚で削っていないか、と言うことだ。
リストラして人件費を削るのなら、整理解雇される社員それぞれにも人生があり必死で生きているのだという理解が経営側にあるべきだ。
単なるコストという数字で、簡単に切り捨ててはいないか。

企業の最終的な目的は、利潤の追求である。
しかし、これにはさらに究極の目的があって、それは社会への貢献ではないか。

かくして、会社経営が変われば、そこに勤める人の意識も変わるのは当然である。

いま、会社は頼れる存在ではなくなり、「寄らば大樹の陰」は通用しない。
滅私奉公したところで、それを評価してくれる上司は存在せず、見返りも期待できない。
特に若手の帰属意識は希薄で、苦労して入った会社でも、自分に合わないと思えば簡単に辞める者も少なくない。

極限までコストを切り詰めようとする会社は、人材育成に回すカネにも渋くなる。
しかしその一方で社員に結果だけは求めるから、中堅や若手社員たちは、成果を上げるのに時間を要する地道な努力は敬遠し、手っ取り早く実績を上げる安直な道を選ぶようになる。
結果的に、一昔前の働く人たちなら誰でも持っていた実直さは影が薄れ、ひたすら表象的な果実をむさぼる傾向が強まっているように思えてならない。

しかし、それで豊かになるかと言えば、結局のところ、目先のカネは儲けても、精神は貧する消耗戦になるだけである。

一昔前の会社に戻ったところで、そこに現状を切り拓く答えはないだろう。
むしろ、こういう時代だからこそ、本来どんな姿で働くべきか原点を問うことが肝要なのではないか。

たとえば、ひたむきで、誠実で、強くて、やさしくて、賢い・・・そんな社会人であり、ひいては会社の姿でありたいと思う。

我々の先輩は、戦後のどん底から復興し、高度成長の舞台へ日本を押し上げた。

いつだって日本の会社は、豊かさを求めた戦ってきた。
しかし、いま私たちが挑む戦いは、ただ身を削り、相手を打ち負かすだけの戦いではなく、共生を目指すものであってほしい。
新たなジャパニーズ・カンパニーの誕生に期待したい。

いくら昔がよかったからと言って、

そこに戻れるわけなどなく・・・。

たとえ戻ることができたとしても、

変化してしまった時代にあった価値観の形成が必要。

嘆くばかりでなく、

働く、ということを一人ひとりがしっかり考えていかなきゃ。

池井戸作品になぜ勇気づけられるのかがわかったような気がする。

招福ティッシュ

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今年もよいことがありますように!

そんな願いを込めて、

年末に購入したティッシュ。

見ているだけでいいことがありそうhappy01

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箱の横には七福神。

箱の裏にはその説明。

ますますいいことがありそう!

と思いつつ、

いざ使い果たしてしまうと・・・

一枚一枚、福を使ってきた証のような気分に。

まあ、

気分の問題なんだけど。。。

自分で招く努力をしなきゃね!

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夢街

  • 日の出
    それぞれの街にはそれぞれの魅力があります。 通りかかったときに目に飛び込んでくる風景。 心に残る瞬間瞬間を写真に残してみました。

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