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「ふる里と父」

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昨日は祖母の13回忌でした。

厳しい戦中戦後を生き抜いた祖母。

親戚一同でなつかしい思い出に花を咲かせました。

法事というのも人と人とをつなぐ大切なものなんですね。

実家で、父が書いた文章を見つけました。

「ふる里と父」という題名です。

例年になく降り続く雪、夜空のこの光景は本当に美しい。きらり輝くダイヤモンドのような雪、地上に降り積もると白一色の銀世界。そこには人間と自然との厳しい闘いが繰り広げられドラマが生まれる。
雪深いとことで育った私には、静かに深々と、とどまるところを知らずに降り続く窓外の眺めは心に安らぎと安堵感さえ覚える。
ふっと、脳裏に過ぎし日の昭和での思い出が・・・、
厳しさと何とも言いようのない優しさをたたえた自然の懐、この地で生まれ育った喜びと懐かしさを感じながら思いを馳せてみた。
昨年の夏、久しぶりでこの地を訪ねたが、かつての面影はなく自然の力と営みを肌で感じ、まさに、
“夏草や つはものどもが 夢の跡”
万感の思いであった。
かつて昭和中学校に赴任されたK教頭さんが着任挨拶の中で学校周辺を「国立公園」に匹敵する美しさと話された記憶がある。恵比島から私鉄の留萌鉄道に乗り換え昭和へ向かう延々と続く車窓からの景観は、私自身も国立公園をしのぐものと自負しておりました。
生き生きと躍動が伝わる青葉の季節、キャンパスから抜け出たかのような燃える紅葉の時期、冬は雪の城壁に挟まれながら終着駅に向かってひたすら走り続ける鉄道は、四季折々の思いをのせて・・・、思い起こすと懐かしさがこみ上げてきます。
深川の高校へ入学し時折帰宅するときなど駅に降り立つと心が躍ったものです。どの列車で降りようと、何時もいるのが私の「おやじ」でした。
日頃、口数の少ないおやじから“やあー来たか”と声をかけられるのが何となく照れくさく、いつもそそくさと通り過ぎたものです。今になってしきりと後悔しておりますが・・・。
昭和では、人々が鉱業所と何らかのつながりがあり、すべてのことを会社が掌握して駐在所顔負けの警備をしていたようです。この仕事が父の主な仕事であったのでしょう。昭和の駅にはなくてはならない風物詩と今でも聞かされます。
昭和は飲み屋さんもなければパチンコ店もなく、健全すぎる環境でした。そんな影響もあるのでしょうか、私は今でも麻雀も花札も駄目です。
車のない時代ですから、昭和への出入りは、この留萌鉄道がただ一つの道であり、不審な者が入りますと直ちに全山放送が入りご用となる有様でした。
子どもの頃は、この恵まれた自然を相手に野山を駆け巡り雌雄を決する“どんぐり戦争”など野武士の集団のような遊び方は昭和ならではのことであったような気がします。実にのびのびと遊び過ごしました。
川の遊びは大変で浅野との中間、太刀別大股まで清流を求めでかけるのですが、歩いてですから一日がかりでした。当時地学に関心のある先生がおりましたら、きっと世界的にも貴重な化石の発見者になっていたかもしれません。今考えるともったいない気がします。
快適な夏は短く、美しい野鳥のさえずりも、あっという間に去ってしまいます。周囲の山々が紅葉に色づき感動を覚え人々が山菜を求めるとき、もう冬は間近に迫っております。
やがて冬、昭和の雪は想像を絶するものがありました。家族とともに数千の人が、この山あいで生活を営んでいたのですから大変なものであったと思います。山を削り沢を埋め、川の流れを変え自然に逆らい住居が建てられておりました。
小学校何年の頃でしょうか、前夜から降り積もった雪のため、いつも早朝から道をつける“馬そり”が通らず子どもの力では登校できなかったことがあります。
子どもの姿勢にきわめて厳しかった父も、さすがにこの日は“無理をするなよ!”と言い残し腰まである新雪をこいで地区の見回りに出かけました。その後ろ姿は自分に与えられた職責を果たす男の誇りと力強さが感じられ、私の心に知らず知らずのうちに、人としての生き方が刻み込まれました。
この“おやじ”との思い出は尽きません。今でも母が“おまえは頭を刈られるのが嫌でよく父さんに叱られていた”と懐かしそうに話します。昔はどの家庭でもそうだったのでしょうが、自分の家で散髪をしてくれました。そのバリカンが時々食いつくのが嫌で逃げ回り半べそをかいていた記憶があります。
雪の始末もその一つです。
降り積もった雪は傾斜地を切り拓き住宅が建てられているため、上からずり落ち、高配が急な屋根から落ちる雪をいかに始末するかです。
“バチ”を改良した大型の雪を運搬するそりを使い、人と雪との限りなく続く闘いです。
黙々と膨大な雪をどう処理するかを考え行動するおやじの理にかなった作業と智恵に驚嘆させられたものです。
無造作に雪投げを始めるととんでもないことになります。“ソリ”を反転させる場所づくりから始まる父の作業手順を幾度となく失敗しながら繰り返し、寒さの中で忍耐強く努力することを学びました。
この当時、一棟二戸の住宅でしたが隣の家と我が家の前は、どんなときでも数メートルの巾であけられスコップで切り落とされた見事な造形美が見られました。
私自身の人生を考えたとき、この昭和での父との貴重な体験は人格の形成の上できわめて大きなウェイトを占めていることに気づく年齢になりました。
父はすでに他界しておりますが、在りし日の姿を忍び私の生き方といくらかでも重なる部分があって欲しいと願っております。
私の息子が周囲の方からそっくりといわれることがあるそうです。
“子どもは親の姿を見て育つ”との言葉を思い起こし、尊敬する我が父の生き様を息子に語り伝えたい。
階段だらけの校舎、共に学んだ学友との無限に広がる思い出の地「昭和」、文化の薫り高い人情あふれる地域で育んだ心、厳しい自然の中で鍛えた体、一つひとつの思い出を大切に人生の限りない挑戦の糧にしたい。
卒業以来三十数年、三年に一度開かれるクラス会も、これまで都合がつかず一度も出席したことがないのですが、今年こそはと誓う。実に静かな夜、除夜の鐘が心地よく伝わってくる・・・。

つたない文章ではありますが、人の心に訴えるものがあったようです。

長い引用になってしまいましたが・・・。

祖父は不器用な生き方しかできなかったらしく、上司の方とけんかをすることたびたび。

島流しのような形でこの地を追われることになります。

シベリア抑留も経験した祖父でした。

終戦後、炭鉱で強制労働させられていた方々が仕返しに暴れ回った時期、祖父の家には強制労働させられていた方々から食料などが届けられていたようです。

かんぬきをかけて防備したり、仕返しが怖くて逃げ回っている人もいたのに・・・。

分け隔てなく人を大切にする人間でした。

私の父は・・・

仕事も引退し、読書三昧の日々。

仕事の忙しさから解放され、それまでにできなかったことを取り戻すかのような充実した日々を過ごしています。

私もいつかは・・・。

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