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カテゴリー「音楽科教育を読む」の52件の記事

音楽科教育の動向を紹介します。

音楽科の「資質と能力」とは?

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3年後に向けて、

今、学習指導要領が整理されつつある。

他者と協働しながら、

自らの力で将来を切り拓いていくことができるための、

「資質や能力」の育成。

各教科、

ここの部分に焦点が当てられている。

では、

音楽科に於いて、

生涯にわたって必要な「資質や能力」とは何だろう?

ずばり、

「知覚」と「感受」である。

知覚と感受を育成することによって、

表現や鑑賞の能力が高まっていく。



では、

知覚と感受を支える基の力は?

「聞くこと」である。

聞くことによって、

知覚と感受が働き、

学習の意欲が高まったり、

表現したり鑑賞したりする力が育っていく。

すべては聞くことから始まる。



「聞くこと」を支えにした「知覚と感受」を働かせることにより、

「音楽を表現すること、鑑賞すること、語ること」

といった音楽科の三つの学習が成立する。

だからこそ、

評価も、

「関心意欲・態度」「表現」「鑑賞」の三つが一番すっきりすると思う。



長年訴えてきたことが、

ようやく実現しそうでとてもうれしく思う。

今から6年前の空知大会の紀要ですべて表現してあるけれども。

オーバーかもしれないが、

時代があとからついてくる感じがしている。

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音楽鑑賞の評価

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ある会議に出席しているときのこと。

道徳の評価について話題が移行する。

点数ではなく、

記述で評価をしていく、

とはいうものの、

具体例がないので不安・・・

というもの。

観点が示されるまでは、

不安がつきまとうのだと思う。



その話題の途中、

こんな発言が・・・。

「作文の上手な子どもが得をするような評価にならないか心配。

 今でも、

 音楽の授業での鑑賞の評価は、

 作文の上手な子どもに点数を与えてしまっている。

 ちゃんと聴き取っているのに、

 作文が書けないために低い評価にしなければならないのが苦痛。

 そんな評価をする教科はおかしいと思う。」

と。

この先生は、

音楽鑑賞の時間に、

作文のうまい下手で評価をつけているとのことだった。

それが、

音楽を聴く能力や感じ取る能力とどう関連しているか疑問を持っているとも。

でもなあ、

この発言を聞いて、

思い込みでしかないことに気付いていないんだなあ、

とその先生がかわいそうになりました。




このブログでもも何度も話題にしてきているけれども、

音楽鑑賞の能力は作文のうまい下手で決まるものではありません。

音楽の諸要素の言葉が入っているか、が問題なのです。

特に、

教師が聴き取ってほしい、

感じ取ってほしい諸要素について書かれているかどうか。

だから、

いくら作文が上手でも、

肝心の音楽の諸要素について書かれていなければ、

低い評価にならざるを得ません。

反対に、

短い文章や単語一つであっても、

諸要素のことについて書かれてあれば、

高い評価となります。

また、

どう書いていいのかがわからず、

自分なりの表現で書いたものを、

教師が音楽の諸要素に係わる言葉に置き換えて教えていく、

ということも評価の大きな役割です。



まだまだ、

音楽鑑賞に係わる評価について定着していないんだなあ、と。

堂々と発言されると、

何となく悲しくなってしまいます。

作文のうまい、下手で音楽鑑賞の能力を評価されている子どもたち、

教師が見取り切れていないだけで、

本当は高い能力の子どもがいるのかもしれません。

音楽科教師として、

ちゃんと伝えていかなきゃね!

次に活きてる?

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どの教科にも共通するけれども、

言語活動の充実、

ということから自らの考えを発表させる授業が増えたように思う。

仲間の演奏に対するもの、

鑑賞した音楽に関するもの、

創作した作品に関するもの・・・。

自らが気付いたことや感じたことについて、

感想や工夫したところ、改善点、批評など、

伝え合う場面がたくさん。

子どもとはいえ、

なかなか鋭いことを言っているし、

すごいなあ、

と感心する。

音楽を語るということについて、

非常に大きな成果が見られるようになってきた。





その一方で、

音楽科として問題となっていることがある。

発言したことが次の活動に生かされているか?

ということ。

せっかくいい発言をしているのに、

音楽の聴き方、

演奏のさらなる工夫、

創作の推敲といったものに生かされていないことがある。

言いっ放しになっていまっていて、

効き方や表現の工夫を広げたり深めたりすることにつながっていかない。

発言した内容が、

次の音楽活動に生かされルことが大切だと思う。

伝え合うことで聴き方や表現が深まったり広がったりしていったら・・・。

それこそが意味のある言語活動ではないだろうか。

そんな授業を提案できたら、

すごいことだと思うなあ。。。




最近は機器の充実もめざましく、。

自分の説明したい部分を簡単に音で示すことができるようになった。

鑑賞した曲で、

自分の気に入った部分をみんなに聞いてもらったり、

その部分について意見の交換をしたり・・・。

自分ではうまく演奏できなくても、

たとえば強弱や速度の変化による効果を実際の音で試してみたり。

その意味でタブレットは大きな可能性を秘めていると思う。

ただし、

タブレットありきではなく、

あくまでも音楽学習を充実させるための補助として。

新しいことにチャレンジすることは必要。

でも、

目新しさとかだけに気をひかれてしまうと・・・。

子どもたちの使い方が上手だった、

なんていう助言や講評だけで終わってしまうことも。

そこに視点が置かれてしまうのは本末転倒。

なんのために使うのかを十分検討したい。

楽曲そのものから

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「現代のベートーヴェン」

この問題が世間を大きく騒がせている。

普段、クラシック音楽を聞かない人たちの間でも話題になるくらいだから、

どれほどの関心を持って世間が、

この作曲家と曲が受け止められていたかがよくわかる。

曲としてもよくできていると思うし、

NHKでの番組や本も感動的。

私も、

あの本に書かれていることに感動した一人なのだから。

スコアを見たときに疑問を持ったものの、

スメタナも「ブルタヴァ」作曲の時は耳が聞こえなかったのだし、

可能なことなのだろう、と納得していた。




ただ、

ピアニストにしても、

作曲家にしても、

どんな音楽家にしても、

演奏や曲そのものを評価する姿勢を私たちは持ちたい。

その人物の生き方に共感や共鳴することがあってもいいと思う。

芸術を評価する場合には、

生き方やそれまでの人生、逸話に惑わされるのではなく、

芸術そのものの価値、

その評価が大切なのだと思う。




音楽鑑賞教育でよく話題になった話。

モーツアルトのホルン協奏曲第1番。

それまでの定説では、

第1番となっていることや若い頃の作品ということもあって、

生き生きとした生命力にあふれた作品、

でも、深みがいまいち、

なんてことが言われていた。

ところが、

研究をしていくと最晩年の作品であることが判明。

そうすると・・・

悟りを開いた、

何事にも惑わされない明るさ、

と急に評価が変わる。

そのほかにもそんな曲はたくさん。

その曲にまつわる背景、

学校教育の音楽科では、

これを文化的側面というのだけれども、

これなくしては曲を語ることはできない。

その時代の雰囲気や国の文化、言語・・・

様々なものが絡み合って芸術は成り立っているのだから。

曲をさらに深く理解するためには必要なこと。

でも、これが第1になってしまっては、

楽曲そのものが持つ特徴やそれから生み出される美しさを純粋に学ぶことが難しくなってしまう。

まずは、

楽曲そのものが持つ美しさを感じ取らせたい。

知識面はそのあとから。

楽曲そのものを味わわせたい。




いま話題となっている交響曲第1番。

けっこう好きなので、

これを書きながら聞いている。

感動秘話で塗り固めなくても、

合作として公表しても、

評価はされたのではないか?

「創作」について 3

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創作の授業を見ていつも思うことがある。

自ら工夫したい点を考え、

一生懸命創作する子どもたち。

その工夫点について、

真剣に伝えようとする子どもたち。

工夫した作品を楽しそうに発表する子どもたち。

そこには生き生きとした姿がある。

でも、

一方的に伝えるだけになってはいないか?

自らの工夫したところを相手に伝えるだけで終わってはいないか?

相手の工夫点を聞き取って、

それを批評として語り合うことができているか?

創作においても伝え合うことが大切な視点ではないのか?

「創作」

というと、

これまでは・・・

子どもたちが自分なりに創意工夫した音や音楽、

それを伝えること、

つまり「発信」に重きが置かれていたように思う。

自分が工夫したところはどこか、

どこを聞き取ってほしいか、

自分ならではの特徴はどこか。

最近になって思うことは、

表現することや伝えることに一生懸命で、

発表してしまったらそれで終わり。

他の人の作品には関心なし、

という場面はなかっただろうか。




他を知ることで自分自身が磨かれる。

それは音楽に限らず、

いろんなことでいえること。

そうすると・・・

これからの創作では、

受けとめ「受信」が大切になってくるのではないか。

あの人はどうしてこの音楽にしたのだろう、

自分との違いはどこなのか、

何を伝えようとしているのだろう、

こうしたらもっとよくなるのではないか。



自分の考えたとおりに音楽ができあがって、

それを伝えることは楽しい。

そこだけで終わるのではなく、

お互いに伝え合い、

それぞれの差異を認めながら、

さらによりよい創作を目指していくことが大切なのだと思う。



突然、

その授業に参加して1回だけしかその作品を聞かない人たち、

この人たちにはもしかしたら伝わらないかもしれない。

工夫や意図を一回で見抜くなんて至難の業。

ただ、

創り上げるまで、

ともに授業を受けてきた者同士なら受け止めや批評はしっかりできるはず。

そこがポイントかな。

きっと当を得た批評をするに違いない。




そうすると・・・

創作と鑑賞のつながりがますます大切になってくる。

たとえば、

バッハの小フーガの授業を公開し、

その次に、

縦と横のテクスチュアに焦点を当てた創作の授業を公開する。

研究会も、

何を公開するのかの意図が必要なんですよ。

「創作」について 2

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創作と鑑賞のつながりについて。

鑑賞の充実が創作の充実につながる。

その理由を考えてみた。





プロの作曲家は、

この手法を使って作曲すると、

どのような音楽的効果があるのか、

聞き手がどう感じるとるのか、

どのように聞くのか、

どんな心の動きが生じるのか、

これらのことを知り尽くしている。

それは生まれ持った才能ばかりではなくて、

音楽経験の蓄積によるものだと思う。

過去の作曲家の楽譜を調べたり、

様々な演奏を実際に聴いたり。

きっと、

血のにじむような努力だと思う。

その努力の支えがあって、

他の人の技法を確実に自分のものとしたとき、

初めて独創性が表れるのだろう。

最初から独創的な人なんて存在しないのだと思う。

誰かの影響を受け、模倣しながら独自の世界を創りあげていく。

あの天才と言われるモーツアルトでさえ、

年齢を重ね、

作曲家として円熟した晩年に、

新しい境地を開こうと、

ヘンデルやバッハなど、

いろんな作曲家の技法を研究し、

自分のものとして消化していっている。

天才と言われる人でさえ、こうなのだから・・・。




さて、

授業で接する目の前の子どもたちは、

残念ながら、

そこまでの技法を持ち合わせてはいない。

たくさんの音楽に触れていないし、

自分のものとする時間も機会も少ない。

音楽の道に進むものたちばかりではないから。。。

自分の書いた音楽がどのように響くのか、

相手にどのように伝わるのか、

よほどの音楽の才能がない限り、

全くわからないことだと思う。



だから、

「創作」で、何かを音楽で表現してみようと言われても、

どう表現していいかわからない子どもが多数のはず。

表現するための音楽の語法を持ち合わせていないから。

だからこそ、

この表現を使ったら、

こんな音楽的効果があるよ、

という見本を学ぶことから始めたい。

そのために「鑑賞」がある。

「創作」と「鑑賞」の関わり、

と最近よく言われるけれども、

「鑑賞」で聴き取った音楽の表現を、

「創作」で試してみることが大切なのだと思う。

その意味で、

子どもに自由に「創作」させるのではなく、

鑑賞から聞き取った音楽の諸要素の一部や技法に限定していくことが必要だと思う。

有名作曲家が使った技法を用いて、

自分なりに創作するとどんな効果が出てくるのか。



少ない時数であれこれとやらなきゃいけないからね。。。

「鑑賞と表現」

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2枚目は・・・

真ん中に焦点を合わせ、

周りをぼかした写真。


1枚目は・・・

太陽の光が強い日だったので、

黄金色を強調した写真。


3枚目は・・・

もっと光を強調した写真。

強調しすぎかも・・・coldsweats01



美しい景色の写真を眺めているだけで、

感動が心にわき起こり、

心豊かになれる。

すばらしい景色の写真から受ける感動は、

とても深い。

ところが、

ある日、

自分で映してみたらどうかな?

なんて気持ちになって、

感動を受けた写真をもとに自分なりに撮影してみる。

画像を確かめると・・・

何ともいえない感動が心にわき起こる。

プロのカメラマンにはとうていかなわない。

持っている技術が違うから。

でも、

つたない技術なりに写した写真。

自分で映した、

ということがなんと大きな感動をもたらすことか!

そうして、

もう一度プロの写真家の写真を見直すと、

ただ見ているとき以上の感動を受ける。

何となく見ていたときとは違う、

新たな見方が加わる。




これは音楽科教育にもいえることだと思う。

音楽を聴くこと、

このことで得られる感動は大きなものがある。

でも、

つたない技術なりに自分で表現してみると、

その感動もかなり大きいことがわかる。

さらに、

自分で演奏した曲を、

自分以外の演奏家で聞いてみると、

理解が深まり、

より一層の感動が深まる。



音楽を聴くことを通して感動が生まれ、

表現することで一層の感動につながり、

さらに聴くことで感動が深まる。

これが螺旋的に高まっていくことで、

音楽活動の能力や感性も高まっていくのだと思う。



ただし、

何となく聴いているだけではだめで、

何かに気づかせていかないとね。

そうすることによって、

どうしたらこんな表現ができるんだろう、

って主体的に学んでいくことができるようになるから。



だから、

「表現」で訴えるだけでは限界があるし、

「鑑賞」で受け止めるだけでも限界がある。

そのバランスが大切。

「創作」について 1

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最近、

どこの研究会に出かけても、

取り上げられている「創作」。

研究授業はもとより、

研修会や実技講習も「創作」。



さて、

ここで考えてほしいことがあります。



なぜ、創作に取り組むのでしょう?



学習指導要領にあるから?

教科書にあるから?

流行に遅れないため?

やれと言われるから?



どんな活動にせよ、

必ず、「なぜ?」を問うてみてください。

子どもに教育をするという大きな責任があるのですから。

原点に立ち返り、

自分なりに回答を出すことが大切です。



「創作」に取り組むのは・・・

知識や技能の習得に偏るのではなく、

思考力・判断力・表現力の育成にヒントがあると思います。

音楽科における思考力・判断力・表現力の育成。



そうすると・・・

ここでまたまた問題が出てきます。

音楽科における思考力・判断力・表現力とはなにか?

なぜその育成に取り組まなければいけないのか?

ヒントは、主体的な学習態度です。

では、音楽科における主体的な学習態度とは?

なぜ、それを育成しなければいけないのか?




やらされているだけではだめですよ!

「創作」についても、

思いつくままに書いてみようと考えています。

物理的な時間があるかどうか・・・(笑)。

実技教科はなぜ必要?

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今の世の中、

学校に対しては、

何をさておき、「学力向上」が叫ばれている。

問題になっている「学力」とは・・・

小学校では国語、算数、理科、社会

中学校では国語、数学、理科、社会、英語

いわゆる主要四教科とか五教科とか言われるもの。

音楽や、美術、技術・家庭、体育は主要でないの?

いつもそんな気持ちになる。

毎日新聞「15歳のニュース」におもしろい記事を見つけた。

「よのなか科」という連載で藤原和博さんが書いている。

毎週これを読むのが楽しくて、

きっとここで紹介することが多くなると思う。

藤原さんは、

実技教科は「自分を編集するチカラを培う」としている。



学校でなぜ、音楽や体育を教えるのか、キミは疑問に思ったことはないかもしれません。
でも、改めて考えてみると、どうでしょう。
芸術系や体育系の大学を受けるのでなければ、入試には出題されないわけだから、国語、数学、理科、社会、英語の5教科を教えてくれればそれでいいんじゃあないか、と。
でも、音楽、体育、美術、技術・家庭科の実技4教科がカリキュラムに入っているのは、単に情操教育のためなんでしょうか?
それとも、、どんな意味があるのかな?

このへんで、キミたちが学ぶべき二つのチカラについて、そろそろ解説しておこうと思います。
いままでの世の中で大事だった、正解を早く正確に言い当てる「情報処理力」と、これからの世界でより重要になる「情報編集力」についてです。

「情報処理力」とは、決められた世界観の中でゲームをするとき、いち早く正解を導き出すチカラ。
「コロンブスがアメリカ大陸に到着したのは?」と問われて「1492(イヨー、クニが見えた!)」と瞬時に答えられるかどうか。
テストで採点すれば「見える学力」として表れますよね。

これに対して、実社会を生きるには、身につけた知識や技術を組み合わせて納得できる解を導く「情報編集力」が必要です。
「コロンブスがアメリカ大陸に到達した後に、人々の世界観はどう変わったか?」について自分の頭でイメージできるかどうか。
こちらはテストの採点が難しいから「見えない学力」とも呼ばれるけど、本番に強い人、いつも運がいいように見える人、世の中の景気と無関係に元気な人に共通のチカラなんです。

「情報処理力」は、いわば、ジグソーパズルを早くやり遂げる力。
一つのピースに正解の場所はたった一つ。
ただし、全体の図柄、たとえばディズニーのキャラクターとかお城のある風景とかは、メーカーがあらかじめ決めていますよね。

「情報編集力」はブロック玩具をやるときに要求される力。
一つ一つの部品はシンプルだけれど、組み合わせることで、宇宙船にも家にも動物にも人の姿にもなるし、文字通り町全体をつくりだすことも可能です。
世界観自体をつくりだす力だね。

義務教育で実技教科を教えるのは、知育だけでなく徳育と体育のバランスをとり、人間としての総合性を目指すためという面もあるでしょう。
でも、ボクは、キミの世界観、人生観、そして幸福感を自分自身で編集するチカラ、つまり「情報編集力」を学んでいるんじゃあないかな、とも考えます。

総合という教科ができたけれども、実技教科こそ、総合性が試されるでしょ。
さて、キミはどう考えるでしょうか?


自分自身が携わってきた音楽科の研究大会。

その中で、何度、音楽科の必要性について訴えてきたか。

まだまだ訴える必要があると思います。

風前の灯火・・・

なんていう人がいるけれども。

現実から見えているそう遠くない未来は、

そうなのかもしれないけれども、

できるだけのことはしてみようかと。。。

目標で変わる

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これも最近たくさん寄せられる質問。

今年の全国の研究大会でも問題になったようです。

表現の工夫、

歌唱表現にかかわってです。


教師による一方的な教え込みの授業、

技術指導偏重型の授業、

これらの反省にたち、

「児童・生徒が主体的に学ぶ」授業の模索が続いています。

その鍵となる言葉の一つに、


子どもの思いや思考を大切にした授業

というものがあります。

ここが大きな悩みの種となっているようです。

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子どもの思いや思考を大切にし、

歌い方や曲想を工夫する。

ここの歌詞はこんな感じだから・・・

ここの旋律はこんな感じだから・・・

強弱をこうしたい、

速度を変えてみたい、

やわらかい感じで歌ってみたい。

児童・生徒の思いや考えを引き出し、

それぞれが工夫した点を発表・交流させ、

表現を工夫していく。

ここまでは達成できるようです。


問題は・・・

じゃあ、このあとの授業のまとめは?

1 みんなそれぞれの工夫が
  あってすばらしいね

  同じ音楽でも一人ひとり
  表現が違うんだね


2 みんなそれぞれ工夫してみた
  けれども、この曲はこうやって
  歌うんだよ

  作曲者はこう歌ってほしい
  みたいだ

  
  みんなの意見をまとめて
  これで歌ってみよう

1のようにそれぞれの工夫を認めて終わるのか、

はたまた、

2のように一つの方向にまとめて終わるのか・・・

どちらが正解なんですか?

このような質問が多数寄せられております。

みなさんならどう考えますか?



実は・・・

どちらも正解なんです。

その授業者が何を授業の目標とするのかで変わってくる

のです。

ここを理解しないで、

自らの実践から1が正しい、2が正しいと判断を下すのはいいことではありません。

分科会やグループ討議などでは、

「どちらをめざした授業なののですか?」

と聞いてから意見するのがいいと思います。

そうしないと、

授業者は1の授業をめざしているのに、

2の視点で批判されたのでは論点があわないからです。


ただし、教材である程度言えることは・・・

「赤とんぼ」「夕やけこやけ」に代表される共通教材のように、

すでに楽曲分析が充分になされ、

おおよそこのように歌う、と方向性が定まっているもの、

については2の授業で進めることが多いです。

歌詞の抑揚と旋律栓が合わない部分があったとしても、

この表現しかないんじゃない?

というところに落ち着くかと思います。

ある程度教える要素が強くなるのではないかと思います。

NHKコンクールの課題曲のように、

作曲者がどう歌ってほしいかはっきり述べている場合も、

これにあてはまるのではないでしょうか。



そうでない曲の場合、

独唱であれ、斉唱であれ、合唱であれ・・・

1のように思いを持たせて終わる授業もありです。

ただ、授業を受けている子ども全員で歌う場合には、

話し合いの末、

一つの方向にまとめることは必要ですが・・・。



年間指導計画を作成する場合には、

1と2の指導をバランスよく配置する、

ということが必要です。

偏りなく、ということが大切だと思います。

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